16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第10章 ふたりのルイスと魔王1

あなたの神とぼくの神は モザンビーク

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〈ルイス・デ・アルメイダ、ルイス・フロイス、モザンビークの青年〉

 モザンビーク。
 東アフリカきっての長い海岸線を持ち、土地特有のバオバブの木も多く見られる。島嶼にはマングローブ林が広がるなど熱帯性気候である。沖には、今でも動物の楽園と呼ばれるマダガスカル島を臨むことができる。巨大なマダガスカル島が自然の防波堤のようになっているおかげで、長い海岸線は比較的穏やかに保たれている。
 ポルトガルがここに拠点を築いたのはそのような地理条件があったからだろう。

 少し視点を変えてみる。

 16世紀にポルトガルとスペインが航路を開いてアフリカ、アジア、アメリカ大陸に拠点を築いていったことは、進出する側としては望ましいことだった。ただ、どの土地にも元から住んでいる人びとがいる。アフリカ大陸ではそれぞれの地域に王国が築かれ、たとえ部族の抗争などがあるにしてもそれぞれの言語や文化、生活様式を持って暮らしている。

 「海からやってきた人びと」はその暮らしに大きな変化を与えた。
 かつてのローマ帝国やその属州、早くからアフリカに進出していたイスラムの勢力も同じようなことをした。紀元前に勢力を誇ったフェニキア人の国家カルタゴの例がわかりやすいかもしれない。
 ただ、この世紀のそれははるかに大規模で組織的で機械的で、一方的だった。

 ポルトガルの拠点になったアフリカ大陸沿岸の地域では人が商品として扱われるようになった。商人が仕入れて船で運んでいくのである。はじめは船で働く仕事や商人の使用人としての人材だった。
 それを「奴隷」という。

 1548年、ルイス・デ・アルメイダがモザンビークに到着したときにはすでにそのような商いが一般的になりつつあって、船には土地の人々が乗せられるようになっていた。
 ルイス自身は医師の仕事で大忙しだったのだが、地元の人々が売られている様子を目にすることがしばしばあった。それはルイスの目には奇妙なものに映っていた。彼の他にも、その光景を奇妙に思うポルトガル人はいたかもしれない。奴隷という存在をリスボンでは意識することがないからである。
 それを奇妙なものとして捉えながらも、ルイスは自身の務めにいそしんでいた。モザンビーク寄港は水の補給のためで数日しか滞在しない。すなわち、陸地でしておかなければならないすべてのことを、数日でやらなければならないのだ。

 大忙しのルイスを見つめる少年がいた。

 ルイスも少年に気がついていた。リスボンから一緒の船に、もっとくわしく言うのならガーマという商人のガレオン船に乗っていたポルトガル人の少年である。彼は話したそうなそぶりでずっとルイスを見ていたが、それどころではない状態がずっと続いていた。

 それでも、穏やかなモザンビークの海岸線が少年に勇気を与えたのかもしれない。

「アルメイダさん、今お話しても大丈夫ですか」
 ルイスはヤシの木の下で座り込んでぼーっとしていた。短い休息の時間だった。Sesta(昼寝)というのが適当だろうか。
「ああ、もちろん。きみのことはよく見かけていて気になっていたんだ。背が高くてとても目立つからね。ぼくより大きいぐらいだ」
 そう言われた少年は肩をすくめてみせる。
「背が高くていいことなんかありませんよ。船にいたら、そこらかしこに頭をぶつけてしまいますから」
 ルイスは微笑んだ。
「さてぼくはきみに、ひとつ聞きたいことがあったんだ。いったいいくつなんだい。ぼくは想像していたんだ。きみはきっと……17歳なんじゃないかな。それぐらいでないと、親も心配してインドに送り出せないだろう」
 少年はいたずらっぽい目をして微笑み返す。
「惜しいですがはずれです。アルメイダさん。ぼくはこの前16歳になったばかりなんですよ」
 ルイスは目を丸くする。
「ええっ、そんなに若い年でどうしてインド航路の船に乗ろうと思ったんだい?」

「召命です」と少年はにっこりとして答えた。

 ルイスは少年の話に驚くばかりだった。
 わずかな休憩時間ではその程度しか話せなかったが、この後も続く長い長い旅のなかで7歳違いの二人は気心を通じる間柄になる。
 少年の名はルイス・フロイスという。

 ルイスが二人になってしまうので、今後は名字のアルメイダ、そしてフロイスと呼ぶことにしよう。

 船がモザンビークを発つ日はすぐにやってくる。
 アルメイダは船に荷を運び込む様子を海岸で見ていた。すでにたいていの乗船者は小舟でガレオン船に乗り込んでいる。海岸には体調がすぐれず、モザンビークに残る人たちが見送りに出ている。
 皆一様に不安そうな顔をしている。
 本当は船に乗りたいのだ。
 体調が回復すれば次に来る船に乗れることはわかっている。それでも不安なのだ。

 目的地に着く前に置いていかれるのはいやだ。
 いくら同胞(はらから)の民がいくらかいるといっても、自分は故国から遠く離れたこの地に長くはいたくない。この地は確かに温かく、景色も美しい。
 それでも、ここは故国ではない。
 ここに留まるぐらいなら、いっそポルトガルに戻りたい。

 アルメイダはそのような不安を留まる人々が抱いていることがよくわかった。もし自分が同じ立場なら、きっと不安になるだろう。皆アルメイダの患者でもあったのだ。できるだけ彼らの側にいてやりたい、自分は最後に船に乗ることにしようと思っていた。

 アルメイダが留まる人々に、「ゴアでまた会いましょう」と声をかけていると、「アルメイダさん、そろそろ乗ってください」と小舟から呼び出しがかかる。アルメイダはそろそろかと、小舟の方に歩いていこうとした。

 すると今度は、船の荷役をしていた現地の青年がアルメイダにポルトガル語で話しかけてきた。

「あなたは祈祷師ですか」

 アルメイダはその質問に面食らった。見るとフロイスより背が高く、痩せてすらりとしている。モザンビーク滞在中に現地の人とまともに話したことがないことにアルメイダは気がつく。ただゆっくり少年と話している時間はない。少し早口で、しかし相手が聞き取りやすいように気を配りながらアルメイダは告げた。
「いいえ、ぼくは医師です。どこが悪いか診察して治療するのです」
 青年はうなずいて納得したようだったが、まだ話したそうにアルメイダを大きな眼でじっと見ている。
「何か、聞きたいことがあるのですか」

 すると青年は、たどたどしいポルトガル語で話し始める。きっとここにやって来る人々の話を端で聞いていて覚えたのだろう。素晴らしい能力だとアルメイダは感心する。

「ぼくがまだ子どもの頃に、ここへ来た人に聞いてみたことがあるのです。あなたの神はどこにいるのかと」

 話の方向が思わぬ方向に進んだので、アルメイダは興味を惹かれて尋ねる。
「その人は何とおっしゃったのですか」
 青年はアルメイダが興味を持った様子なのが嬉しいらしく、微笑んで答えた。
「何も。ただ手を空にかざしていました」
「空に……」とつぶやき、アルメイダは空を見上げる。
「ぼくの神も、あの方の神も、あなたの神も同じなのですか。その神さまはぼくのことも、あの方のことも、あなたのことも同じように守ってくださるのですか。ぼくはあの方に聞いてみたいと思って、ずっとこちらに寄られるのを待っていました。何年も待っています。でも、あの方の姿を見つけることはできません。ですので、どうかお願いです。教えてください」

 たどたどしい、「Por favor」という言葉がアルメイダの心に重く響いた。
 アルメイダはしばらく考えていた。

「ええ、神は天にいて、ぼくのこともあなたのことも見守ってくださっています」

 アルメイダがそういうと、青年は安心したように礼を言って去っていった。

 それから船医は慌てて小舟に乗り込んだ。少しずつ遠くなっていくモザンビークの海岸を眺めながら、彼はさきほど青年に伝えた言葉が正しかったのか考えていた。

 神は……人が売られているこの土地のありさまを見たらどう思われるのだろうか。
 神はどこにいても見守ってくださっていると自分は思う。ただ、人の為すことが正しいとは思えない。自分が青年に伝えたことは正しかったのだろうか。

 背の高いヤシの木が風に揺れている。
 そしてどんどん遠くなっていく。
 アルメイダの脳裏には、リスボンでアフォンソ伯爵に告げられた言葉がぐるぐると回っていた。

「黙れっ! この由緒正しいアフォンソ家に、マラーノの血が入るなど、断じてあってはならない。おまえがこの男と結婚することは許さんっ!」

 アルメイダは青年の問いを、自分に再び問いかけていた。
 そして、青年のたどたどしい口調で「Por favor」とつぶやくと、目を閉じて祈り始めた。


※モザンビークの青年は第6章の『バオバブの木の中には』で出てきます。
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