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第10章 ふたりのルイスと魔王1

龍が自由になるには 1554年 尾張

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〈織田信長、柴田勝家、斯波義統、織田信勝、岩龍丸(斯波義銀)、沢彦宗恩、雪沙〉

 尾張国の守護、斯波義統が織田家に追い詰められて自害した。ここに至る道筋は清洲の大和守織田家もあらかじめ考えていたことと思われる。

 この頃には旧来の守護(国主)も実質的な力を持っていなければ生き残ってはいけなかった。室町時代を通して力を持ち続けた名だたる家が、反乱や謀反で滅ぼされる例もそこらかしこに見られた。
 この数年前には、周防・長門の守護大名である大内義隆が家臣の陶晴賢(隆房)に討たれた(大寧寺の乱)。
 そのとき、フランシスコ・ザビエルとともに日本に来たコスメ・デ・トーレスとファン・フェルナンデスが山口に滞在していて巻き込まれ、危機一髪で難を逃れるというできごともあった。

 中国地方で絶大な権力を誇っていた大内氏と比較すれば、斯波義統はすでに力を失った守護であった。そのため、おのれの行く末もある程度見通していたかもしれない。ただ、織田信友が当主の大和守織田家、そして信長の弾正忠織田家の間に不穏な空気があるのを利用して、身の安全を確保しようと考えた。
 それが結局、彼にとっては命取りになった。
 ただ、子の岩龍丸は信長のもとに逃げて保護された。
 気配はずっと漂っていた。
 ここが、ふたつの織田家の着火点になる。

 信長は清洲に攻撃の号令をかけるのだが、そこにはちょっとした横槍が入った。弟の信勝に付いている柴田勝家が槍の主である。彼は自身の隊を攻撃の主力にしてほしいと願い出た。信長は渋い顔をして勝家をちらりと見た。確かに勝家は信長より一回り年長で、織田信秀が当主の頃から数々の戦いで活躍していた。彼が総力で戦いの前面に出るというのは頼もしいばかりのように思える。
 しかし、ことはそう単純ではない。
 柴田勝家は信長の家臣ではなく、弟の家臣である。信長は見えない針をチクチクと心臓に刺されている気分になる。

 かようにあからさまな願い出をいかように受けたらいいのか。
 勝家はわしに清洲を取らせたくないのだ。彼が清洲を討ち果たせば、それは信勝の手柄でや。弾正忠家の当主として信勝を立たせるという狙いが透けて見える。されば、次に狙われるのはわしということになる。
 わしが申し出を突っぱねたら、勝家は高見の見物で何もしないだろう。それはそれで信勝にとって好都合、疲弊したわが勢を後ろから一気に襲うこともできる。

 信長は暗い淵に立っているような気分になる。
 信勝が信長に従わないのは、ひとえにふたりの母である土田御前(どたごぜん)が前々から信勝を重く見ていたのと無関係ではない。そこからいきさつを辿っていくのは、信長にとってまったく楽しいことではなかった。
 身内がみな敵だと認めなければならない。
 楽しく思う人はあまりいないだろう。
 そこで信長はさきの村岡砦での戦いを思い出す。今川勢と戦い、自軍に少なくない犠牲を出した戦いである。自身の無理な采配がそのような結果を招いた。
 信長にとってかなり手痛い教訓だった。
 今、何に重きをおくかというのは明白だった。
 自身と、付いてくれる者を無駄死にさせないことである。勝家が、信勝が首尾よく自分の目論見通りにことを運んだとしても、次に進むにはまだ間がある。打つ手はまだある。

 信長はうなずいた。
 勝家が清洲を攻めることは了承された。

 天文23年7月18日、柴田勝家率いる軍勢が信勝の城である末森城(現在の名古屋市千種区)から清洲へ向け出陣した。この中には我孫子右京亮、藤江九蔵、太田牛一、木村重章、柴崎孫三、山田七郎五郎などが足軽衆として加わっていた。太田牛一はのちに信長の記録を綴ることになる人である。
 この戦いは那古屋城を迂回するような形をとっていたようである。清洲勢も同時に出陣しており、末森城からの兵を途上で迎え撃つべく進軍した。那古野を真ん中にして、清洲は西方、末森は東方である。そして北を流れる玉野川(庄内川)沿いの山王口付近で両軍は交戦にいたった。しかし、末森の柴田勢の勢いがすさまじく、清洲勢はじりじりと後退していった。
 安食村の付近まで下がったところで必死に盛り返そうと出たものの、再び崩された。
 そのまま清洲勢は下がり続ける。
 応戦しようとしても自軍の兵が持つ鑓が短く、末森勢の長鑓に届かない。その中で清洲の織田信友の家臣である川尻左馬丞、織田三位(さんみ)、雑賀修理らが果敢に切ってかかったが次々と討たれていく。河尻も三位も雑賀も、清洲の名だたる者を含め30人が討ち死にした。
 斯波の家中である由宇喜一はこのとき湯帷子の装束でこの戦に参じて、主の仇である織田三位の首を取った。
 那古屋城の北で繰り広げられた戦いの勝敗はそれで決した。清洲勢は敗走するところを討たれ、多くの屍をさらすことになった。



「清洲勢は落ちたようだ」

 戦場からさほど離れていない小牧山の政秀寺で住持の沢彦宗恩が雪沙に告げる。
 近辺の民はみな一様に不安を口にしている。守護がいなくなり、守護代の家では内紛が起こっている。これから誰が尾張を治めるのか、まだまだ戦が続くのかというのが不安の元である。

 雪沙は巻紙に書写をしていたが、その言葉を聞いて筆を置く。
「さようですか。確かこたび上総殿(信長)は出陣していなかったのでは」
「末森から兵を出したようす」
「されば、次はそちらも考えなければならないでしょう」
 住持はその言葉を聞いて、開け放った障子の向こうの月を見やる。
「さよう、みずから戦いたくなくとも、出なければならないというのは、この時世の業(ごう)なのですかな。安芸の毛利のように、一族を枝葉のごとく広げていく手もあるのでしょうが」
「尾張でそれは無理でしょう。そのような種を蒔いてはこなかった。種も蒔かぬのに芽も茎も花も出ないのは道理。毛利の話は耳にしたことがございますが、何十年も人の繋がりに腐心したからでございましょう」
「まことに、慧眼ですな」と住持は微笑む。
「いや……ただ、上総殿の道はまだまだ険しい」
「その通り」
「仁徳などとは言っておられませぬ。自らの手を汚し続けなければできない。心から望んでするはずはないが、せざるを得ない。きっとさような戦いの連続になりましょう。本人が飽いてもそうは止められぬ」

 住持は月を見ながら、雪沙の言葉を聞いている。そしてつぶやくように問う。
「いかようにしたら、その定めから自由になるだろうか」
「私は自由になりました。ただし夢折られ、3年ほど幽閉され、35年ほど隠れたのちのことですが」と雪沙は苦笑する。
「雪沙、あなたは自由ですか」と沢彦宗恩は尋ねる。
 雪沙は月に向かって胡座を組み、しばらく沈黙した後できっぱりと言う。
「自由です。それは若き日の夢を捨て、慣れ親しんだものを捨て、自分というもの……名も家族も故国もすべて捨てて得た自由です。出家と同じではないでしょうか」
「確かに。自由というのはそのようなものかもしれません」と沢彦はうなずく。

 月灯りが差し込んで部屋の隅々まで照らしている。

「私の目に龍は住んでいるでしょうか」
 不意の問いに沢彦は目を丸くする。
「ああ、上総殿が言われた。そうですな、龍は龍を呼ぶものかもしれない。この目ではなかなか見えませんが、おそらく目というのではなく心で感じたのでは。雪沙が捨てたという夢の欠片を」

「だとするなら、私の辿ったような道を進まぬ方がよい。この老いた身にまだ、ほんの少しでも役割というものが残っているならば、上総殿を見守ることがそうかもしれないと……」

「さようですか……」

 雪沙は筆を文箱に収めると、外の様子を見たいとゆっくり立ち上がる。
 月はまっさらな雪のように白かった。
 
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