313 / 480
第10章 ふたりのルイスと魔王1
ボルジアの面影 1554年 サラマンカからセゴビア
しおりを挟む〈薩摩のベルナルド、ルイス・クワレスマ、フランシスコ・ボルハ、カスティーリャ女王ファナ、教皇ユリウス3世、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)〉
薩摩の人、ベルナルドの旅をもう少し追ってみることとする。
彼は日本からマラッカ、ゴア(インド)を経て海路はるばるポルトガルのリスボンに到達した。そしてそこから北東に40レグア(200km)ほどの学園都市コインブラに移動し、数ヶ月滞在していた。長い航海が彼の身体に重い負荷をかけていたので、静養しなければならないという事情もあった。現代ならば、絶対安静といわれたかもしれない。
それでもコインブラの修練院に滞在したベルナルドはかたくキリスト教の信仰を守り、そこにあるすべての胸をいたく打った。ローマに呼ばれたときも、それに異を唱えるものはいなかったのである。
まだ体調は完全に戻ってはいなかった。
コインブラを経つのは7月で、イベリア半島を行く旅に最適な時期ともいえなかった。ローマまでの距離は400レグア(2,000km)を優に越える。
彼が馬と同伴者を与えられたのは幸いなことであった。
イベリア半島を横断(あるいは縦断)する旅について補足する。
現代でもイベリア半島を移動する巡礼が世界中からやってくる。ポルトガルの北方、スペインにあたる地域にある『サンティアゴ・デ・コンポステーラ』を目指して旅をする。『星の巡礼』と称されている。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ聖堂にはイエス・キリストの弟子・聖ヤコブの墓所がある。ここはイェルサレム、ローマと並びキリスト教の3大聖地なのだ。
巡礼は徒歩が基本である。
旅には出発点によって長短いくつものルートがあり、最も長いもので1,000km弱になるが、大半が陸路を進むのである。
現代は300kmほどのルートも整えられているので、比較的決心がつきやすいかもしれない。例えばポルトガルのポルトからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは300kmほどだが、その区間にはバスも列車も走っている。「疲れて歩けなくなったらどうしよう」という不安は薄れる。
出発地はサンティアゴ・デ・コンポステーラではなく、そこには行けなかったものの、コインブラからローマへのベルナルドの旅は「長い巡礼」といえるものだった。ベルナルドはこの行程にあたる土地のことを何も知らない。ただただ、導きの師であるフランシスコ・ザビエルの命に忠実に従っているのである。
しかし、ベルナルドの来訪を待つ人々が少なからずいる。ポルトガルのイエズス会員から報告を受けているスペインの会員(聖職者)、そしてイタリア半島にいる人々である。フランシスコ・ザビエルは意図していなかっただろうが、ベルナルドはザビエルが東洋宣教を果たしたことを証明する存在であり、ザビエル晩年の航路、あるいは人生を詳しく語れる人なのである。
さて、1554年7月17日にコインブラを出発したベルナルドと同伴者ルイス・クワレスマは8月になると国境を越えてスペインのサラマンカに入る。ここにはマルティン・アスピルクエタ博士が長く勤めていたサラマンカ大学がある。アスピルクエタ博士がベルナルドにそれを伝えていたかは定かでないが、コインブラのような学園都市の雰囲気はベルナルドにとって不快ではなかったのだろう。
夏の暑さに激しく体力を奪われていたベルナルドはこの土地でしばらく静養することになる。
旅人たちは夏の盛りを越えた頃にセゴビアに移動する。サラマンカからは26レグア(130km)ほどの距離である。ただ、行程の中では比較的短いこの区間の旅も体調を崩しているベルナルドには相当辛いものだった。ともに進むクワレスマも少し進んでは休む場所を確保するよう、注意を注いだ。「この人を何としてでもローマに連れていかなければ」という重い責任を感じているのだ。
幸いなことに、セゴビアではルイス・デ・メンドーサという篤志家がいて自身の邸宅を宿に使わせてくれた。ベルナルドがここでゆっくり休めたのはありがたいことだった。体調はよくなったり悪くなったりを繰り返していたが、ゆっくり休養することが一番の薬のようだった。
リスボンで彼を診察した医師は、彼の病をある程度的確に言い当てていたと思われる。
ベルナルドは肝臓を悪くしていたのである。
セゴビアで夕方の祈りを捧げて眠りに就こうとしていたときのことだった。外から馬のいななきが響いてきた。家人が応対している様子が石を伝わって聞こえてくる。不意の客人らしい。
「こんな時間にいったいどうされたのですか。供の者も連れずに」
そのように言っているらしいが、客の声ははっきりしない。
この規模の日本の家屋であれば、空気を伝って客の様子はもっとよく聞こえるかもしれない。
ベルナルドはふっとそのようなことを思う。そのうち、家人がベルナルドの部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「ベルナルド、あなたに会いたいという人がいるのです。夜しか来られないのだとおっしゃっていて、もしよろしければ彼とお話をしていただけませんか」
「はい、喜んで」とベルナルドは答えて、家の食堂兼居間に向かう。
テーブルには燭台が置かれ、蝋燭の火がいくつも灯され、辺りを眩しく照らしている。椅子に腰かけている客、黒の僧衣を身につけた長身の男性をベルナルドは見る。
思わずごくりと喉を鳴らした。そして、目を大きく見開くと、おずおずと尋ねた。
「フランシスコ・ボルハさまでございましょうか」
驚いたのは客も同じで、そのことばを聞いてベルナルドと同じようにかっと目を見開いた。
「ええ、その通りです。なぜお分かりになるのですか。ヴァレンシアで会うかもしれないとお伝えしていたからでしょうか」
ベルナルドは黙って微笑み、こくりとうなずいた。
目の前の男性は、痩せて頬がこけてはいるものの、ベルナルドが見知った一人の老人によく似ていたのだ。彼はアスピルクエタ博士にあらかじめフランシスコ・ボルハの血縁について聞いていたので、出会う風景を想像しないではなかった。
しかし眼前にじかにいるその姿を見て、驚嘆の念を覚えずにはいられなかった。
「ヴァレンシアであなたにお会いできればいいのですが、今私はかかりきりになっている件があって、すれ違ってしまうかもしれないと思いました。今私がいるのは、ここから20レグア(100km)ほど離れたトルデシリシャスなのです。それならばこちらに赴いた方がよいと」
「馬に慣れていらっしゃるのですね。夜の道をまっしぐらに走ってこられたようですから」とベルナルドはゆっくりと告げる。
「ああ、元は王の騎士ですので苦はありません。あなたもそうではありませんか」
「とんでもない」とベルナルドは答える。元服してまもなく武士の家から出たので、戦働きもしていない。
この半島で、いやヨーロッパで、騎士というのは特別に位が高いと聞いている。日本で言えば領主、あるいはもっと高位にあたるのではないか。この方は高位にある人の中でも特に秀でているのではないか。
ベルナルドの目に彼は穏やかで芯の堅固な人に映っていた。
◆フランシスコ・ボルハの道と女王ファナ
さて、フランシスコ・ボルハがなぜトルデシリシャスという地に滞在していたのか。
以前のおさらいになる部分もあるが、フランシスコの経歴と、彼がトルデシリシャスにいる理由について記す。
スペイン・カタローニャ地方を基盤に持つガンディア公爵ボルハ家(イタリア語読みではボルジア)の世継ぎフランシスコは、早くからヴァリャドリードの王宮で王子の教育係として仕え、不在の多い王に替わり王妃の相談役も務めていた。
王というのはスペイン国王カルロス1世、そして神聖ローマ皇帝カール5世の両方を兼ねている。同一人物である。
不在が多いのは、神聖ローマ帝国(現在のドイツなど)がオスマン帝国の度重なる襲来を受けていたり、帝国内の領主にあたる選帝侯が分裂したりと内憂外患に見舞われてきたからである。スペイン王としては現地の宰相に任せているのが現状だ。そのことについてはさきの章に書いた。
フランシスコ・ボルハは祖母のマリア・エンリュクスの影響で幼少から非常に信仰心が篤く、聖職者になりたいと熱望していた。親の跡を継いで公爵になった時にその願いは封印して、以降はヴァリャドリードの忠実な廷臣、のちにカタローニャ地方の副王(総督)にまで上り詰めた。
知恵を尽くして数々の戦いに勝利しても、追放の憂き目に遇う者もいる。
戦果はほとんどなくとも、王の忠臣として務めることで上り詰める者もいる。
しかし、フランシスコはアレクサンドロス大王や祖父の兄であるチェーザレ・ボルジアのように自分の帝国を作ろうという気はさらさらなかった。カタローニャ総督の仕事にも嫌気がさしていたのである。
そんな総督のもとに現れたのがイエズス会の司祭だった。
特にヨーロッパを奔走していたピエール・ファーブルと話をして、フランシスコは目を覚まされたように感じた。その邂逅がきっかけで、子どもの頃からの自分の願いーー信仰に生きることーーを生涯の務めにしようと決心したのである。
そこからの行動は素早く、また粘り強いものだった。フランシスコは国王カルロス1世に職を辞することを申し出て了承された。以降は領地のガンディアに落ち着き、跡継ぎになる子の成長を見守った。
その間ひそかにイエズス会の総長イグナティウス・ロヨラと文通で交流を深めている。
1548年にフランシスコの長男は結婚する。これで公爵位を継承する準備があらかた整った。フランシスコは水を得た魚のように自分の望むほうへ足を踏み入れる。
領地のガンディアにはイエズス会のための学校を建設した。それを受けてローマにもイエズス会の大学が建てられることとなるが、フランシスコは多額な喜捨をするだろう。
この頃、イエズス会を修道会として認可した教皇パウルス3世は世を去っており、1550年にユリウス3世が就任した。教皇が代替わりしても、教皇庁とイエズス会は良好な関係を保っていたし、会員は飛躍的に増えていた。
その年にフランシスコは次男のホアンを伴って、ローマを訪問している。
フランシスコはチェーザレ・ボルジアの弟の孫だと書いたが、もうひとつ付け加える必要がある。チェーザレの父は16世紀初頭の教皇アレクサンデル6世だということである。すなわち、フランシスコは教皇の曾孫なのだ。
ユリウス3世はフランシスコの輝かしい出自に目を見張った。出自だけではない。フランシスコ自身も神聖ローマ皇帝の廷臣だったのだ。いまだに皇帝との調整が芳しくなく中断した状態になっているトリエント公会議を再開するために、必要不可欠な人物だとユリウス3世は考えた。
公会議、というのはカトリック教会の最も重要な意思決定機関である。
1551年、フランシスコは司祭に叙階され(フランシスコの妻は早くに世を去っていて、彼は独身だった)、皇帝からはガンディア公爵の継承が正式に認められた。そしてローマにはイエズス会を母胎とするローマ学院(のちのグレゴリアン大学)が開学した。
1552年には教皇ユリウス3世から枢機卿就任が打診される。
目の回るような栄達だろう。
あれよあれよという間に、枢機卿にならないかと言われるのである。
しかし、フランシスコ・ボルハは固辞した。
彼は、信仰と祈りのうちに静かに生きていきたいと願ったのである。霊操といわれる祈りと修養を重要だとするイエズス会の方法が、自身の願いと合致するので入会したのだ。
希望通り枢機卿に任命はされなかったが、彼は彗星のように現れた重鎮としてイエズス会の活動に参画していくことになる。もともとスペイン王からの信任が篤かったのに加えて、ポルトガル王のジョアン3世からも説教師として王宮に来てもらいたいと招請を受けるまでになった。
その王からの求めもあったのだろう。
1554年にフランシスコはイエズス会のイベリア半島における指導者となった。
多忙を極めるフランシスコだったが、1554年から1555年にかけて彼はたびたびトルデシリャスに滞在している。その理由はひとつ、カルロス(カール5世)の実母であるファナが病にかかり、容態が悪くなっていたことによる。
名ばかりではあるが、ファナはこのときまでずっとカスティーリャ女王である。王の実母とはいっても何の権限もないし、王宮にも住んでいない。彼女は修道院に長く長く幽閉されているのだ。
幽閉に至るいきさつがあった。
彼女は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の子、フィリペと結婚した。
政略結婚以外のなにものでもないが、ファナは美男のフィリペを心から愛していた。そして皇帝の息子で見目もよいフィリペも、一途なスペインの王女を初めは愛おしく感じていた。
しかし、自身が生まれ育ったフランドルの宮廷でファナがなかなか馴染めないのを見て苛立ち、「美しいけれど陰気な女だ」と見切りをつけてしまった。次々と宮廷の女性と浮名を流し、子を産んで間もないファナの心をひどく傷つけた。彼女は激しく嫉妬し、夫の不実な行動を責め立てる。夫は険しい顔をして相手にしない。夫婦の亀裂はいっそう大きくなった。
ファナの母であるカスティーリャ女王イザベラは遠くから娘の身を案じていたが、病を得てほどなくして亡くなった。
母の死によってファナがカスティーリャ女王を継ぐことになるが、今度はフィリペが女王の夫であることを理由に、スペインの政事に支配者然として口を出すようになった。今度はファナの父であるアラゴン王フェルナンドが厳しい目を向けるようになる。
もともとスペインはフェルナンドとイザベラの結婚によってひとつの国になったといういきさつがあった。
ーーイザベラ亡き後は、フェルナンドと新女王ファナの共同統治を取るのが正式な形である。それをフィリペはないがしろにしている。いくら皇帝の息子とはいっても、常軌を逸しているーー
フェルナンド王はそのように考えていた。
当のファナ女王といえば、自分が王位を得たことで夫が自分に戻ってきてくれると信じていた。夫のいうことは何でも聞いたし、カスティーリャの統治も全面的に任せていた。
夫の真心が戻ってきたかどうかは分からない。
1506年9月25日のことだった。
フィリペが外出先で急逝したのである。
水に当たったことが原因だと言われるが、毒殺とも言われている。フェルナンド王がナポリに遠征に出ている最中のことであった。
自分が不在の間に邪魔者を亡き者にする――そう考えるのが自然かもしれないし、不幸な事故だったのかもしれない。
それは決定的な衝撃だった。
フランドルの宮廷でも気持ちが不安定になりがちなファナだったが、夫のなきがらを見た妻は正気を失ってしまう。
1505年に描かれたふたりの絵がある。フィリペは善良で優しい青年の表情で、どこかお坊ちゃん育ちの雰囲気も感じられる。一方のファナは思慮深くうつむいているが、謎めいた妖艶な女性にも見える。それは画家の手腕かもしれないが、後の出来事を暗示させるような対比である。
夫の死後ファナは夫の埋葬を許さず、遺体を棺に納めたまま家臣に運ばせて、カスティーリャの地をただただ歩いて移動し続けたという。
悲しいことである。
ファナの父親にとってはそうではなかった。
フェルナンド王は病を得た女王の摂政としてカスティーリャの統治に関わることを宣言する。ファナの状態に関わらず、はじめからそうするつもりだったのかもしれない。
ファナは病気を理由に修道院に幽閉された。
カスティーリャ女王のままである。
出てきてもらっては困るとフェルナンドは考えていたのだろう。自身と拮抗する王位を持っているのだから。ファナはずっと幽閉された。
それはフェルナンドが亡くなり、ファナの息子カルロスが国王になっても変わらなかった。
1554年、ファナは重病で臥せっていた。
フランシスコ・ボルハは彼女が留められているトルデシリシャスの修道院の別棟を訪れ、看護についた。
彼女の人生はーー困難が壁になって光を遮断したようなものだーーとフランシスコは受け止めていた。
自身が悪いことをしたわけではない。
夫が誠実に妻を愛していたら、
父が夫を疎まなければ、
夫が急逝しなければ、
父が娘を幽閉しなければ、
彼女はこのような人生を送らなくて済んだかもしれないのだ。
何という重い荷物だったことだろう。
せめて、その最後だけは
主の愛を、救いの光を
温かく浴びることができるよう
お手伝いしたい。
「自分が看護したい」と彼女の息子であるカルロス王に手紙で伺いを立てると、王から「ぜひお願いしたい」とだけ返信が来た。
それが、フランシスコがトルデシリシャスに滞在している理由である。
⚫
ベルナルドはフランシスコ・ボルハの詳しい経歴を知らない。
知っているのは、彼がイエズス会の指導者の一人であることと、チェーザレ・ボルジアの縁戚であるということだけだ。
燭台の蝋燭の火ががゆらゆらと揺れ始めた。
フランシスコはしばらく黙っていたが、ベルナルドの目をじっと見つめながらようやく言葉を発した。
「ベルナルド、私があなたに会いに来たのには、個人的にお尋ねしたいことがあったからです。
あなたは、チェーザレ・ボルジアを知っていますか」
ベルナルドも静かに澄んだ目でフランシスコを見つめていた。
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。



会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる