16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第9章 手折られぬひとつの花 カトリーヌ・ド・メディシス

占星術師の方がワリがいい 1536年 フランス

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〈フランソワ・ラブレー、ミシェル、カトリーヌ・ド・メディシス〉

 お尋ね者でもないのにトゥールーズに隠れているラブレーはじきに王宮に召し出されることになるのだが、この頃すでに彼は王も密かに読んでいたらしい『パンタグリュエル物語』続編をほぼ完成させていた。それはのちに『ガルガンチュワ物語』として公刊される。フランス文学の古典として堂々と残っていく冒険奇譚である。
 ただ、それにはもう少しだけ時間が必要だ。

 さきに、フォンテーヌブローにいるフランス王が占星術師を所望している話を出したが、王は伊達や酔狂でその話をしたのではない。古来より、占星術師というのはれっきとした権力者の相談役だったのだ。

 占星術師は惑星の運行を調べてことの吉凶を判断する仕事である。それをもって王なり権力者の相談を受けて提言をするのである。古代バビロニアの時代からそのためには天体に通暁している必要がある。よって天文学とは切っても切れない関係にあるのだが、この頃には占星術師のほうが社会的な立場は高かった。
 天文学を研究する人は仕事のかたわらで取り組んでいる人が多い。太陽を中心に惑星が回転していると説いたニコラウス・コペルニクスも本業は聖職者だった。ひとことでいえば「商売にならない」のである。王の側に仕えて給金がもらえる占星術師とは大違いである。

 モンペリエ大学出身の二人が占星術に通じていたのも偶然ではない。この頃の大学の医学部では占星術を学ぶことが必須だったのだ。事実、コペルニクスもイタリア半島のパドヴァ大学で医学を学んでいたときに占星術に触れている。

 余談だがフランソワ1世は乙女座で、仇敵の神聖ローマ皇帝カール5世は魚座、オスマン・トルコのスレイマン1世は蠍座だ。もっといえば教皇パウルス3世は魚座である。17世紀後半までが占星術で水の時代といわれていることを考えると、この「天の配剤」はなかなか興味深い。魚座と蠍座は水の星座だ。もちろん、これが絶対的なものさしではないことはいうまでもない。

 そのようなことをラブレーやミシェルが考えていたかは定かではない。ただ、そのようなことも含めて、さまざまな角度から世を検討する必要があるということは知っていただろう。

 カトリーヌ・ド・メディシスは牡羊座である。
 占星術では、みずから先んじて動き、人々を率いる性質があると評されている。それが当たっているかどうかはこれから明らかになっていくだろう。



 フォンテーヌブローの王宮でカトリーヌは本を読んでいる。フィレンツェから嫁入り道具として持参した、あるいは取り寄せた書物のページを、大事に大事にめくっていく。それはダンテの『神曲』であり、ボッカチオの『デカメロン』であり、マキアヴェッリの『君主論』、『フィレンツェ史』だった。

 それらは懐かしいイタリア語で書かれている書物だった。カトリーヌはその文字を見ると、心底ほっとするのだ。もうフランスに来て3年めになるし、フランス語だけで暮らすことにも慣れている。夫や王夫妻と気の利いた会話もできるようになっている。

 カトリーヌは本に入り込んでいる。そしてページを丁寧にめくっていく。かつてこれらの本をめくっていた一人の男性のことを思い出しながら。

 最後に会ったのは私の結婚式のときだった。
 かつて私が愛したひと。
 物心ついてから、フランスに来るまでずっと大好きだったひと。
 最後に会ったときは、
 もう一生会えないと思っていたから、
 本当に嬉しかった。
 結局、言葉を交わすこともなく、
 終わってしまった……。
 イッポーリト、
 天に召されたイッポーリト、
 この本にはあなたが生きている。
 あなたと私が過ごした懐かしい時間も。
 ここにすべて詰まっている。
 あなたと私しか知らない、ふたりだけの秘密。

 カトリーヌはそう心のなかでつぶやいて、パタンと本を閉じた。



 ラブレーがミシェルに風評として伝えた通り、ディアンヌ・ド・ポワティエは本格的にオルレアン公アンリを篭絡しようと動いていた。すでにアンリはこの女性に夢中なのだが、さらに深い関係に引きずり込もうとしているのだ。ディアンヌはカトリーヌの遠い縁戚だといい、かつてアンリの教育係だったことも利用して、堂々と夫妻の館を訪れていた。さすがにカトリーヌも、マリア・サルヴィアーティの忠告を出すまでもなく、ディアンヌの思惑に気がついた。

 カトリーヌに何ができるだろうか。

 夫は彼女に夢中なのだ。子どもの頃から無意識にでも慕ってきた女性に誘惑されたら、きっと……。
 怒鳴りちらしてディアンヌを追い出すか。

 カトリーヌにそれはできなかった。
 彼女は実家のメディチ家の悲報が続いて、内心は意気消沈していた。しかもずっと側にいてくれたマリア・サルヴィアーティもいなくなってしまった。

 彼女はこれまでで最も辛かったときのことを思い出して、この憂鬱をはねかえす方法を考える。それはフィレンツェの修道院にいた時で、ただただ静かに耐えていたのだ。

 今もそのような時期なのかもしれない。
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