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第9章 手折られぬひとつの花 カトリーヌ・ド・メディシス
王城の脇にロワール川が流れる 1533年 マルセイユ~リヨン
しおりを挟む〈カトリーヌ・ド・メディシス、フランス王フランソワ1世、イグナティウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、ピエール・ファーブル、フランソワ・ラブレー〉
ロワール川はフランスの大動脈だ。
フランス南部の山脈に端を発し北へ流れていき、フランスの中心に行き当たると西に進路を変える。総延長は1000kmを越える。
ナントを過ぎると出口も近い。
大西洋でこの川の旅は終わるのだ。
この川の流域には王侯の城が多い。
水運も後世の私たちが想像する以上に発達している。
ブロワ城、アンボワーズ城、シュノンソー城、シュヴェルニー城、シャンボール城、ユッセ城、アゼ=ル=リドー城、ショーモン城などである。たとえば、ブロワ城は百年戦争のさなかの1429年、ジャンヌ・ダルクがオルレアンから出陣する前に、大司教から祝福を受けた場所だ。
また、アンボワーズ城はチェーザレ・ボルジアがフランス王シャルル8世の媒酌で結婚式を挙げたところで、レオナルド・ダ・ヴィンチが臨終を迎えた館のすぐ側である。(※1)
この川はフランスの歴史にとっても中心を貫く川だということである。そして、カトリーヌ・ド・メディシスもこれからこの川と長く付き合うこととなる。
もちろん、カトリーヌに神通力があるわけではないので、それはまだまだ先の、未知のことがらである。
さて、婚礼の一行はリヨンにさしかかっている。
もちろんリヨン市民は諸手を上げての大歓迎で王の一行を取り囲んだわけだが、フランソワ1世はこの町で不愉快な報告を聞かなければならなかった。リヨンではなく、これから戻る土地、パリ大学内で対立が起こり暴徒が実力行使に出ているという報せだった。
パリ大学、そこで起こっていたのはカトリックとルター派(プロテスタント)支持者との間の衝突だった。当時のパリ大学はひとつの学舎ではなく、『学院』という複数の学校の集合体だった。
このときここにいた学生のことを書かないわけにはいかないだろう。さきにも出したが、スペイン出身のイグナティウス・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、サヴォイア公国出身のピエール・ファーブルだ。のちにイエズス会の創始者となる人々である。
パリ大学では学生だけではなく教授の中にもルターを支持する人が表れ、師弟入り交じっての論争となっていた。その中で、カトリック教会の改革ではなく、信仰の原点に戻ろうという考えを持ったのがイグナティウス・ロヨラで、それにピエールやフランシスコが付いたということである。パリ大学のこの衝突がなければ、イエズス会は生まれなかったという見方もできる。
イエズス会が発足するのはこのすぐ後、1534年夏のことだ。(※1)
ただ、このときのフランソワ1世にはそのようなことを想像できるはずもない。彼も、代々の王もみなカトリックの忠実なしもべである。ルターの起こした運動はお膝元の神聖ローマ帝国領内の、いわゆる「内政問題」としか考えていなかった。フランスの由緒正しい教会がカトリック以外の旗を掲げることなど、天地がひっくり返ってもありえないことだった。
困るのは仇敵の神聖ローマ皇帝カール5世だけで十分なのだ。
しかし、その影響はすでに帝国の外にまで及んでいた。実際、フランス出身の学者ジャン・カルヴァンが新たな旗手として立ち上がろうとしていた。彼はのちルターの運動と通じる、しかしより広く国境を越えてカトリック教会改革を訴えていくことになる。
『カルヴァン派』の創始者である。
さて、フランス王はこのとき自国にある小さな芽に気づくことはなかった。神聖ローマ帝国でそれがどれほど燎原の火のように燃え広がっているかを知ったら、もう少し切迫した感情を抱いただろうか。
パリ大学の混乱に、王はただ激怒することしかできなかった。
そして、カトリーヌは王が怒る姿を少し驚いて眺めている。彼女はローマを完膚なきまでに叩き壊したランツクネヒト(皇帝の傭兵)のことを思い出していた。
彼女はまた、ランツクネヒトの多くがルター派を支持していたことも知っている。
彼らはいとも簡単にすべてを壊し、殺し、略奪し、犯して、火をつけた。
それはいまだにカトリーヌの心に深い傷を刻み込んでいるのだ。
それでも、カトリーヌは王の怒っているようすをひたすら観察していた。このようなときに君主はどう対処するのか、その検分ともいえる。
リヨンでフランソワ・ラブレーが王の一行を見かけたのかは分からない。ただ王がリヨンに着いた頃、1冊の本を手に王に訴える人間がいなかったのは幸いだった。『パンタグリュエル物語』を見たら、もっと怒りだすだろうから。
彼もまた、「16世紀のトリックスター」と言えなくもないだろう。
※詳細は、本編第2章『海の巡礼路』をご覧ください
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