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第8章 さまよえる小公女 カテリーナ・デ・メディチ
どうしてここにいるんだ 1529年 モンペリエ(フランス)
しおりを挟む〈サン・レミの青年ミシェル、フォントネー・ル・コントの修道士兼学徒フランソワ、ミシェルの父ジョーム〉
通っていたアヴィニョン大学がペストで無期限休校になったため、南仏サン・レミ出身の学生ミシェルは旅に出ていた。
たくさんの持ち合わせがあるわけではなかったので、彼は立ち寄る先々で宿を頼む代わりに農作業や牛馬の世話をして働いた。その結果、出発した頃よりよく日灼けして体躯もずいぶん立派になった。
そして、土地の碩学であるとか名士、博士と呼ばれる人々に貴重な書物や時祷書(キリスト教の絵入り暦)を見せてもらうこともできた。もともと、さまざまな時祷書を見るのが彼にとってこの上ない楽しみだったが、未知の書物にも多く出逢うことができたのだ。
心身ともに大きく成長したといって差し支えないだろう。
また、そこから発展して、パッと見は怪しいけれど、たいへん個性的な人物とも知己を得ることになる。その端緒となったのは、1520年頃にフォントネー・ル・コント村で会ったフランソワ・ラブレーだった。
修道士だというその人は、たいそう変わっていた。ギリシア語を修道院で学べなくなることに激怒して、通りすがりのミシェルを引っ張って議論をふっかけたのである。
フォントネー・ル・コント村はとても長閑でよいところだったが、ミシェルはフランソワと、彼にいきなり連れていかれたチラコー博士の家と、そこで見たデジデリウス・エラスムスの『愚神礼賛』という書物のことしか思い浮かべることができない。それほど印象が強かったのだ。
「あの人は、チラコー先生という理解者がいるからまだいいのだけど、じきに喧嘩して修道院を飛び出すのだろうな」
ミシェルのつぶやきは正鵠を射ていた。
そのあと、ミシェルは思うところがあって、大学で再び学び直すことに決めた。ただ、今度は文系科目ではなく、医学を学ぶことに決めたのだ。そこで旅を終わらせて、故郷のサン・レミにいったん戻る。
父親のジョームはたくましくなった息子に目を細めて出迎えたが、その決心を聞いて、ほんの少しだけ残念そうな顔をした。
「そうか、もうアヴィニョン大学もとっくに再開しているが、そちらには戻らないのか」
ミシェルは申し訳なさそうに父の顔を見る。
この家はもともと、アヴィニョンで商売をはじめて長くそこに住んできた。サン・レミに移ってきたのはミシェルの祖父の代からだ。なので、アヴィニョン大学に入るということは父にとっても望ましいことだったのだ。
「お父さん、しかも僕はお父さんと同じように公証人になろうと思っていましたが……」
「ああ、それは仕方ない。おまえの人生は自分で決めることができる」と父は落ち着いた様子で返す。息子が新たに目指すことに決めた職業は父にとって公証人と遜色がないと思ったのだろう。
医者になる。
そのために学べる大学はこの頃数多くあった。ミシェルの国であるフランスにも、イタリアにも、スペインにも、神聖ローマ帝国にも、あわせて50ほどの大学が専門科を設けている。ただ、その方面で抜きん出た学府というのは限られていた。具体的にあげるならば、イタリア半島のボローニャ大学、パドヴァ大学、フランスのパリ大学、モンペリエ大学である。ミシェルはその4つの大学のどこかに入学しようと考えていた。
「ミシェル、久しぶりだから散歩しようか」とジョームは言った。
サン・レミにはいくつか丘陵や山がある。丘陵の方には古代ローマ時代に栄えた町があったということだが、今はただの岩山のようになっている。散歩ならばゴシエ山の方に人は向かう。この、さほど高くない山からはサン・レミの町が見渡せるのだ。
山道に向かいながら、先を行くジョームは独り言のように話し始める。
「本当なら、やっぱりアヴィニョン大学で法学を修めて帰ってきてほしかった。アヴィニョンならここからすぐだし、私たちの先祖が代々定着してきた土地でもある。それに、学問好きのおまえなら、すぐに公証人になれるほどの素養を得られるだろうとも期待していた。ペストがいけないのは分かっている。ただ、医学を修めるとなるとそうはいかない。もっと時間がかかるだろうし……」
ジョームは独り言のかたちを取って、本心をこぼすことにしたらしい。
「ごめんなさい、お父さん」とミシェルは父の背中に告げる。
ジョームは後ろを一瞬振り向き、シュンとした息子の表情を認める。そしてまた前に向き直って歩きだす。
「時間がかかるのはまだいいのだよ。パリ、あるいはボローニャにパドヴァ……どこも遠い。パッと帰ってこられないだろう。おまえが旅に出ている間も本当に心配していたんだ。まだペストが起こっている場所もある。それに、国王が捕えられてスペインに連れ去られてしまった。あの恐ろしいランツクネヒトが勢いで攻め込んできて、おまえが旅先で巻き込まれでもしたらと気が気ではなかった」
ミシェルは申し訳なく思うばかりで何も返すことができない。しばらく親子は黙って山を登る。そのうちに視界が開けて、サン・レミの町がよく見下ろせるところまでたどり着いた。怒っているのだろうかーーミシェルは父を横目で気にかけながら、町を眺める。すると、まだ背中を向けた父の声が聞こえてくる。
「あぁ、忘れていた。まぁ、アヴィニョンほど近くはないが、モンペリエなら遠くない。それに、あの最も歴史ある医学部を興したのは……」
「ユダヤ人の優秀な医学者が開学のきっかけになったのですよね」とミシェルは続ける。
父親は振り向きうなずいた。その顔には笑顔が浮かんでいる。
「山を登るまでつぶやいていたのは、過去に対する愚痴だ。しかし、今のは未来への希望だ。モンペリエで学ぶというならば、私はおまえを応援しよう。ただ、おまえも承知しているだろうが、あの大学はヨーロッパ各地からたくさんの入学希望者がやってくる。特に医学部は難関だ。おまえもそのつもりでしっかりここで準備に励むんだな。どうだ」
「お父さん!」とミシェルは叫ぶ。
飛び上がりそうな勢いで。
◆
この時期、1520年代というのはこれまでにも書いている通り、フランス王のフランソワ1世にとっては惨憺たる10年だった。神聖ローマ皇帝選挙(1519年)で敗れ、イギリスはブルゴーニュに攻め込んできたし、ナヴァーラ王国の反乱に支援を出すも敗れ、イタリア半島のミラノをいっとき手中にするも結局手放すーー「止めておけばいいのに」という戦いもあった。止めておけば、少なくとも自身や子どもたちが捕虜になることもなかったのである。
フランス国王は代々、イタリア半島に領地を増やすことに躍起になってきた。フランソワ1世の治世に関しては、そこに神聖ローマ帝国という敵国が加わった。王と皇帝は、その治世の多くをお互いを牽制し対立しながら過ごすことになってしまうのだ。ローマ劫略についていえば直接フランスは関与していないが、その呼び水となったのが両国の対立だったことは間違いのないところだろう。
簡潔にいえばこの2人は、不倶戴天の敵として生涯を送ることになる関係だった。それはまだ続くことになる。
そのような情勢が王のお膝元であるフランスに影響しないはずがない。その間にイタリア半島のような散発的なペストの発生があった。ランツクネヒトがフランスを通り過ぎていくのを人づてに聞きながら、人々は漠然とした不安におそわれていた。王の不在がそれに拍車をかけることにもなる。
この頃、ルター派プロテスタントの影響はフランスにも入っていた。
ナヴァーラの学徒フランシスコ・ザビエルとサヴォイアのピエール・ファーブルがパリ大学に入学したのは1526年のことだったが、この頃すでにルターの著作は学者たち、あるいは一部聖職者にひもとかれ、同調する者も生み出していた。ランツクネヒトに対する恐怖もあったが、ルターの説く、「聖書をすべての拠りどころとすべきである」という主張はたいへん明快であったからである。
したがって、カトリックかルター派かというのは学生にとって格好の議論のテーマになっただろう。イグナティウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルも大いに語り合ったことと思われる。
王の不在、その後も皇帝への反発から、しばらくルターの主張がフランスで咎められることはなかった。
◆
さて、モンペリエ大学に入学することを決めたミシェルだったが、入学までには少し時間がかかった。その間、サン・レミの町で子どもにラテン語を教えるなどして時を過ごしていた。
彼がようやく入学を許可されたのは、1529年のことだった。アヴィニョン大学に入学したのは15歳だったが、モンペリエ大学に入学する頃には26歳になっていた。しかし、この頃の大学には年を経てから入学する人も多かったので、今日でいう「浪人」という概念がない。それほど珍しいことではないのである。
それでもミシェルは少し緊張していた。10代で入学した若者たちの一団を見るとやはり臆してしまうのだ。ミシェルが所在なくきょろきょろしていると、どこかで、いや、フォントネー・ル・コント村で見た中年男が堂々と歩いていく姿を見つけた。
ミシェルは目をこすって、もう一度その姿をじっくり確かめる。間違いない。
次の瞬間、ミシェルはその男を追いかけてとっさに声をかけた。
「ラブレーさん、ラブレーさんじゃないですか」
呼ばれた男は振り向いて、じろじろとミシェルの姿を見る。頭のてっぺんからつま先までじっくりと見たあと、ようやく言葉を発する。
「おう、フォントネー・ル・コントの修道院を訪ねてきた少年か。どうしてここにいるんだ?」
それはぼくが聞きたい、とミシェルは心の中でつぶやいた。
※ミシェルが1529年にモンペリエ大学で医学の博士号を取ったという説もありますが、このお話ではこの年に入学した説を採用しています。
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