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第8章 さまよえる小公女 カテリーナ・デ・メディチ

小公女の間一髪 1528年 フィレンツェ

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〈カテリーナ・ディ・メディチ、教皇クレメンス7世、アレッサンドロ、イッポーリト、神聖ローマ皇帝カール5世〉

※この回には16世紀に発生した史実としてペストについての記述があります。あらかじめご了承ください。

 1527年5月、神聖ローマ帝国軍によって、ローマが破壊されたのに乗じて、フィレンツェでもメディチ家を追放しようと反乱が起こった。
 教皇クレメンス7世の後見付きである当主のアレッサンドロやイッポーリトの資質に疑問を持つ声が上がったのである。特に傲慢な顔を見せはじめたアレッサンドロの評判はよくなかった。とはいうものの、2人はまだ17歳と16歳なので資質を評価するのは酷というものだ。反乱を起こした者たちは実のところ、クレメンス7世の動きが取れないうちに、メディチ家という実質上の支配者を排除したかったのだ。
 その結果、アレッサンドロとイッポーリトは秘密の地下通路から夜陰に乗じてフィレンツェを脱出し、8歳のカテリーナはおばのクラリーチェ・ストロッツィに付き添われてドメニコ会聖ルチア修道院に入ることになったのである。クラリーチェは既婚女性なので修道院には入れない。カテリーナはひとりになる。

 物心つかないうちに、フィレンツェとローマを行き来していたカテリーナだが、今回は様子が違う。自分の住む家が襲撃されて、怯えながら出ていくのだ。修道院は不可侵の場だったので、身の安全だけは保証される。ただ、これまでの生活とは天と地ほども違うことだけは間違いない。

 彼女の本当の旅は、ここから始まったのかもしれない。

「ここは清貧を重んじ、外の世界と接触を断って心静かに、祈りのうちに過ごす場所です。あなたは贅沢な環境で育ってきたのですから、ここで暮らすには相当の我慢が必要になるでしょう。それだけは覚悟してください」

 カテリーナは、「はい」と小さくうなずく。

 ただ、8歳の女の子にすべての日課を課せられるはずもない。彼女はいわば、「一時預かり」の身でもあるし、何よりカトリック教会の長であるクレメンス7世の姪(実際は教皇が大叔父ということになるのだが)でもあるのだから。当然ぞんざいにも扱えない。
 したがってカテリーナは他の修道女と比べて、厳しすぎる待遇を受けることはなかった。
 ただ、前世紀の終わりにメディチ家の腐敗を訴えた修道士サヴォナローラもドメニコ会の人で、その伝統が連綿と残っていたのだろうか。この修道院もフィレンツェの反乱を起こした側に肩入れしていたので、決して幼い公爵令嬢が優しく扱われたわけではなかった。彼女と親しく話をしようとする者はただの一人もいない。ただ沈黙のうちに、日課を黙々とこなすしかないのである。8歳の子にはまったく、望ましい環境とは言えなかった。
 それでも修道院長である年配のシスターから見れば、彼女が教皇の姪にふさわしい資質を持っていることは認めざるを得なかった。カテリーナはラテン語の聖書をすらすらと読むことができたし、祈祷の文句もまんべんなく暗誦できるのだ。ひょいと入ってくる市井の娘にはできないことだった。
 それはメディチ家の娘だとか、教皇の血縁者だからなど理由を付けられるかもしれない。ただ、一番の理由はイッポーリトが自主的な家庭教師としてカテリーナに教えていたためである。

 夜がやってくる。
 修道院の窓越しに月明かりが灯る。
 カテリーナが今までとまったく違う境遇に突然放り込まれたことを強く感じるのは夜だった。
 素晴らしい聖母子像がないのは仕方ない。礼拝堂の見事な祭壇画も必要ではない。素敵な中庭と自分に懐いている馬がいないことは少し寂しい。重たい銀のスプーンやフォークがないことは問題ではない。お気に入りのドレスでぱんぱんになっているクローゼットのことは少し残念だけれど、我慢できないほどではない。それよりも、今までずっと側にいてくれたルクレツィアやアレッサンドロや、何よりもイッポーリトがいないことが、ひどくつらかった。彼らに再び会えるのだろうか。無事なのだろうか。

「イッポーリト……」とつぶやいて、カテリーナは涙をこぼした。
 もう、「にいさま」という言葉はどこかに消えていた。



 1527年は教皇も公爵令嬢も、メディチ家の跡取りの男子もみな、軟禁状態で1年を終えることになった。
 また、長くカテリーナの世話をしていたルクレツィア・サルヴィアーティは娘マリアが未亡人となってしまったので、今度は娘のマリアと孫のコジモに付き添って、避難するようにヴェネツィアに移ることになった。
 マリアの夫は黒隊のジョヴァンニである。皇帝の大軍に寡勢で真っ向から戦った勇敢な男は、一人の子どもを世に遺していた。このカテリーナと同じ年の子、コジモの名はまた改めて出ることになるので、ここに書いておく。

 カテリーナのことを「小公女」と呼んだのは大叔父のクレメンス7世だったが、この時点でカテリーナは自分をそのような、いわばお姫様だとは思わない。お姫様ならば、暴徒に乗り込まれて知らない人ばかりの修道院に放り込まれるようなことはないだろう。それでもカテリーナは子どもなりに、これを耐えるべき試練だと考えて毎日を過ごしていた。

 その少公女に、新たな、致命的な危機が迫っていた。

 1528年になってすぐ、カテリーナが連れていかれた聖ルチア修道院の周辺で、ペストに罹患した患者が発生したのである。
 この修道院はフィレンツェの中心部に近かったので、辺りは騒然となる。すぐさま患者の発生した周辺から人が消える。そして、家々で暖を取っていたネズミたちは一斉に退治される。

 しかし、この病はローマからもたらされたと誰もが信じていた。なぜなら、皇帝軍が荒らしまくったローマでペストが発生し、多くの犠牲者を出したのである。殺戮と収奪のあとで、衛生状態は最悪となり疫病の格好の住みかとなったのだ。この劫略でローマの人口は9万から3万に減ったと言われている。運よく逃げおおせた者2万、襲撃による犠牲者2万、そしてペストによる犠牲者が2万人だと伝えられている。襲撃した皇帝軍もペストで5千人減った。ローマのペスト禍は1527年の秋に終息したが、それがフィレンツェに移動してきたというのが市民の考えていたことだった。

 どこから来たにせよ、それは追い出さなければならないものだった。

 これに身の毛が総毛立つ思いをしたのは、他家に嫁したメディチの女であった。それはヴェネツィアに避難したルクレツィア・サルヴィアーティだったのか、クラリーチェ・ストロッツィだったのか定かではない。しかし、彼女らの差配によって、夜中に数人の男が聖ルチア修道院に忍び込んだ。そして、小公女カテリーナを連れ出すことに成功した。

 間一髪だった。
 ちょうどその修道女がひとり、ペストに感染したことが分かったところだったのである。カテリーナがそのまま修道院に留まっていたらどのような結末を迎えたか、想像するに難くない。また、その修道女がどうなったのか、記録は何も語らない。

 連れ出されたカテリーナはそのまま、あらかじめ話のついているムラーテ修道院に預けられた。
 この修道院はギベリーナ通りに面していて、メディチ家に縁のある修道院である。ギベリーナ通りといえば、ミケランジェロ・ブォナローティの家と工房のあるところでもある。ムラーテ、というのは「壁」という意味だが、その名の通り壁のようにそびえ立つ堅牢な造りの建物である。ここがどれぐらい堅牢かという証拠がある。この建物は1883年から100年以上、男性用の刑務所として使われていたのだ。ついこの間まで十分に刑務所として使えるほど堅牢だったということだ。
 ちなみに現在では分割して事務所などとして使われているということである。

 さて、カテリーナはこの、のちに牢獄となるほど堅牢な修道院に入った。とはいえ、ここはメディチ家に無言の敵意を抱いていた前の居場所とはまるっきり違っていた。

「お嬢さま、よくご無事で!」
「さぞ、おつらかったでしょう。もう大丈夫ですよ。私たちがあなたさまをお守りいたします」

 誰が修道院長なのか分からないうちに、カテリーナは女性たちの抱擁を次々と受けることになった。もちろん、メディチ邸での暮らしのような贅沢は望めないものの、修道女たちの心からの歓迎を受けることになったのである。

 「あ……ありがとう」と答えるカテリーナの顔はくしゃくしゃになって、じきにぽろぽろと涙をこぼしはじめた。メディチ邸を出てから心が落ち着くことがなく、祈るばかりの日々だった。それに、夜に突然知らない男たちに連れ出され、何をされるのかと不安で胸がつぶれそうだったのだ。カテリーナは人目を憚ることなく、大声で泣きじゃくった。
「ああ、本当に怖い思いをされて、ずっと耐えてこられたのですね」と一人の修道女が彼女を優しく抱きしめる。
 その胸の温かさはまるで、一度も感じたことのない母親のもののような気がして、カテリーナは抑えてきた感情をすべて吐き出すかのように、ずっと泣きじゃくっていた。

 カテリーナはまた、何度めかの危機を乗り越えたのである。
 乳児の頃の病と、メディチ邸の襲撃と、ペストの危機をである。カテリーナはこの時温かく迎えてくれたムラーテ修道院の修道女たちに対する恩を生涯忘れることがないだろう。



 一方、彼女の大叔父である教皇クレメンス7世にも転機が訪れていた。
 カテリーナがムラーテ修道院に移されたのと時をほぼ同じくして、彼は軟禁状態になっていたローマのカスタル・サンタンジェロから脱出することに成功したのだ。そして、自らの別邸があるオルヴィエートに無事にたどり着いた。彼はローマ劫略も、囚われていた7カ月間の屈辱の日々も、カスタル・サンタンジェロで聞いたフィレンツェの反乱のことも、決して許すつもりはなかった。ローマに皇帝軍が攻め入ってくるのをほとんど無策で迎えるしかなかったクレメンス7世は、ここに来て何が最も自身にとって有益なことか、真剣に検討しはじめた。それが決まるとオルヴィエートの別邸に密使が呼ばれ、神聖ローマ皇帝カール5世との交渉に向けて準備をはじめる。
 それと同時に、メディチ家の3人の子どもたちの行く末もきっちりと決められていくことになる。自身の目的に利用する持ち駒としてである。



 この一連の出来事に、最も衝撃を受けていたのは誰だったのだろうか。
 それは、攻め入った側の最高責任者である神聖ローマ帝国のカール5世だった。彼はここまでの残虐行為を自国の傭兵軍ランツクネヒトに求めていなかった。こう言うと奇異に思われるかもしれないが、彼はボローニャまで軍を進めたところで交渉が成立すれば、軍勢を退却させようと考えていたのだ。それが賠償金の件でこじれて、一気にローマを蹂躙するところまで進んでしまった。まったく想定外のことだった。しかもランツクネヒトたちは一様にルター派が大半で、ローマに憎悪を持って破壊や殺戮、収奪を行っていた。
 それをイベリア半島での待機中に聞いたとき、カール5世は卒倒しそうになった。
「何という罪を犯したのだ! 神への冒涜ではないか!」

 彼はカトリックの僕(しもべ)だった。
 父母のみならず、祖父のマクシミリアン1世(前神聖ローマ帝国皇帝)も、もう一方の祖父フェルナンド王(前アラゴン、スペイン王)も、祖母イザベラ女王(カスティーリャ女王)もすべてそうだった。特にスペインは歴史的にイスラム教徒と戦いを繰り返した800年のレコンキスタを経て、カトリックの敬虔な僕であることを前面に押し出して国づくりをしてきたのである。それが、キリスト教の一大聖地であり、カトリックの総本山であるローマを破壊し、蹂躙したのである。破門どころでは済むはずがない。

 カール5世はふっと、11世紀の故事を思い出した。
「Gang nach Canossa.」とつぶやく。

 「カノッサの屈辱」である。1077年1月、聖職者の任命権を誰が持つかという争いが教皇グレゴリウス7世とローマ王ハインリヒ4世の間で起こった。これを聖職叙任権闘争という。
 自身の権力拡大のために、イタリア半島に息のかかった司祭や司教を任命させていたハインリヒ4世は教皇と対立した。武力で教皇を打ち負かそうとしたハインリヒ4世は自国の領内で激しい反発に遭い、結局教皇に許しを乞うに至る。
 それは王としては文字通りの屈辱だった。1月25日から3日間、雪が降るカノッサ城門で裸足のまま断食と祈りを続け、教皇による破門の解除を願い続けたのである。

 自分も教皇にひれ伏さなければならないかもしれない、とカール5世は思う。
 奇しくも皇帝軍がローマに進むことを決めたボローニャとカノッサが20レグア(約100km)も離れていないことに気づいて、皇帝は戦慄を覚える。

 ハインリヒ4世は司祭や司教を任命しただけなのだ。当時は大それた越権行為だったのかもしれないが、ローマを破壊し尽くすのに比べれば何たる軽微な罪だろうか。破門どころではない。ハインリヒ4世のように、私も選帝侯に反発されて皇帝の座を追われるかもしれない。この遠征にランツクネヒトを使ったのは完全に失敗だった。2年前に起こった農民戦争を鎮圧できて一段落していたと思っていたが、その根はまだ深く残っていて、それがランツクネヒトの暴虐に影響を与えたのかもしれない。だとしたら、私はそれを容認していたとしか受け取られない。

 カール5世はあらためて、ことの重大さにおののいていた。

 早く事態を収拾しなければ。
 
 カール5世の頭の中にはそれしかなくなっていた。そうしなければ、帝国領内での反発も増してくるだろう。それが新たな反乱を招くようなことになったら……彼は夜も眠れない状態になって、悩み続ける。

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