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第8章 さまよえる小公女 カテリーナ・デ・メディチ

共和制のフィレンツェ 12~16世紀

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〈著述者としてのニッコロ・マキアヴェッリ〉

 イタリア半島北部出身の司祭は日本人青年にある旅人の話をすることになるが、本当ならば司祭自身の話をしてもよかった。
 彼もイタリア半島のどこかから、ロレートかフェラーラかローマからリスボンまで歩いたはずなのだ。そしてリスボンからゴアへ、マラッカへ、日本へと船旅をしたはずなのだ。話すことはいくらでもあっただろうに。
 今後、機会があれば、この司祭の旅についてもお知らせすることにしよう。

 彼の頭にふいに浮かんだのが、たまたまイタリア半島生まれの女性だったということになる。
 彼女はこの司祭ほど長距離の移動はしていない。ただ、「帰ることのない一方通行の旅」であったことは事実なので、同じ境遇の司祭も旅人として思い浮かべたのだろう。あるいは、彼らの信仰の形に関わる大きな事件に関わったということで。

 この章の旅人が生まれた土地の話に移る。そこから司祭が語り起こしたかはわからない。何しろ長靴の形をした半島の、あるいはこの章の最初の舞台になる土地の歴史について記述した本がこのとき、この国にはなかっただろうから。ただ、これを読む方々に説明しておくことが無駄なことだとは判断しないので、少しばかり紙数を割くこととする。

 イタリア半島を人の脚にたとえると、ちょうど膝の上部辺りにあるのがフィレンツェである。
 古くローマ帝国の時代から花の都と呼びならわされたこの町は中世以降、商都として目覚ましい発展を遂げた。ローマまでは60レグア(およそ300km)の距離に位置し、街道の要所としても繁栄した。

 今回はこの町の発展を中心に話をしたい。



 まず、フィレンツェという町の誕生について、当のフィレンツェ人のことばに耳を傾けてみたいと思う。これまでの章にもたびたび登場したニッコロ・マキアヴェッリである。
 彼はフィレンツェ共和国の外交官吏を長く勤め、紆余曲折を経たのちに著作家になった。彼の名が後世に残っているのはこの人生後半の仕事によるものである。21世紀の今日まで最も有名な著作は『君主論』で、1532年に刊行されてすぐ、諸侯が参考に求めたといわれている。それに加えて、彼は他にも歴史と政治を論じた大作を書いている。その多くはフィレンツェ人として僭主(せんしゅ)の立場にあるメディチ家の折々の当主に献じたものである。
 その中に、『フィレンツェ史』がある。
 これはときの教皇クレメンス7世に捧げられている(※1)。クレメンス7世は1523年から1534年まで任にあたったメディチ家出身の教皇である。

 その著作によれば、フィレンツェはもともと現在の位置にあったわけではなく、8kmほど北方の丘陵にあった。そこはフィエーゾレと呼ばれていた。エトルリア人によって拓かれたというフィエーゾレがローマ人に侵略され、より利便性の高いアルノ川沿いの平坦な地に「移転」した。新しい町は当初、ウィッラ・アルニーナ(アルノ河畔の集落)と呼ばれていたが、これがのちにフィレンツェと呼ばれるようになったのである。(※2)
 この地を含むトスカーナ地方ではフィレンツェより海側にあるピサの方が国際的な貿易都市として古くから繁栄していた。斜塔で有名な地で、かつてチェーザレ・ボルジアが学んだピサ大学がある。のちにガリレオ・ガリレイもここで生まれる。
 ピサは長く北のジェノヴァ、アドリア海側のヴェネツィアと肩を並べるほどの勢力を誇っていたが、その力は13世紀頃から戦争などによって衰えた。
 フィレンツェとその座を入れ替わるように。

 マキアヴェッリは生粋のフィレンツェ人である。彼の著した『フィレンツェ史』はローマ時代の情勢から丁寧に書き起こしているが、一フィレンツェ人として、歴史の流れを考察する者として、通して書いておかなければならないと強く思っていたのだろう。

 これまでにも書いてきたが、マキアヴェッリはたいへんユーモアにあふれた人物である。かつて、フィレンツェ市民軍の司令官としてミケーレ・ダ・コレーリアを招こうとローマに赴いたときの話が秀逸だ。
 フィレンツェから、彼の旅費をミケランジェロが持ってくることになっていたが、当のミケランジェロはトラブルで来ない。代わりの人間が旅費を持ってフィレンツェを発ったが、その間マキアヴェッリは待ちぼうけをくらって……困惑していた。いや、困窮といったほうが正しいかもしれない。
 そもそも事前に出張旅費を出さないというのも、よく言えば現実的だが、悪く言えば吝嗇(りんしょく、けち)である。

 このような、「人間臭い」ところがマキアヴェッリの魅力なのだが、同時にフィレンツェ人がどのような性質を持っているか想像できるかもしれない。



 ひとりのフィレンツェ人の話で終わってしまいそうなので、先に進もう。

 さて、フィレンツェを繁栄に導いた端緒にあげられるのは12世紀頃から興った毛織物業である。現在のイギリス、フランス、フランドルなどから羊毛を輸入して加工するのである。1300年には織物業だけで300の工場が稼働しており、3万人が加工に従事していたという。このときのフィレンツェの人口は9万人だといわれているので、3分の1が織物業に携わっていたということになる。のちには染色業も加わる。それに際して、従事する人々が同業で組合を作ることになったのは自然の成り行きかもしれない。価格の決定や品質の基準が取り決められ、互助組織として機能していく。ただ、日本の製糸工場の例を見るまでもなく、それが個人の労働環境の向上を目的としていなかったことだけは念を押しておかなければばらないだろう。毛梳き工の反乱『チョンピの乱』がのちに起こっている。
 いずれにせよ、そのような基盤ができて以降、フィレンツェは産業都市として大成功を収めたのだ。以降、その基幹産業に倣って多くの業種が同業者組合を設ける。中世都市でつくられたこのような職業別組合は、ギルド、ツンフトなど国によって呼称が変わるが、基本は同じだ。
 十字軍のたび重なる遠征で王侯貴族の勢力が衰えたこともあって、荘園制から市民の自治・商業の発展に重きが置かれるようになったのである。中世から近世につながる社会構造の大きな変化のひとつである。

 さて、イタリア語で『アルテ』と呼ばれるこの組合はこの町の政治体制にも大きな影響を持つこととなる。それは手工業者にとどまらない。フィレンツェでは多岐にわたる業種の組合が大アルテ、小アルテという単位で設けられた。

 Arti Maggiori(大アルテ)

・Arte dei Giudicie……裁判官、弁護士、公証人
・Arte di Calimala……外国布の染色屋、仕立て屋、取扱い商人
・Arte della Lana……羊毛製造加工、取扱い商人
・Arte del Cambio……銀行、両替商
・Arte della Seta……絹織物業、取扱い商人、ブロンズ像職人
・Arte dei Medici e Speziali……医師薬剤師、スパイス、染料、医薬品の販売店主
・Arte dei Vaiai e Pellicciai……毛皮加工業者、商人

 Arti minori(小アルテ)

・Arte dei Beccai……精肉店、牧畜業者、鮮魚店
・Arte dei Fabbri……鍛冶屋、靴商人
・Arte dei Calzolai……製靴業、なめし加工業者(移行あり)、製革服工
・Arte dei Maestri di Pietra e Legname……石工、木材伐採業、彫刻家
・Arte dei Linaioli e Rigattieri……リネン製造、小売布販売業、仕立て屋
・Arti dei Vinattieri……ワイン醸造業、酒場
・Arti degli Albergatori……宿屋、酒場
・Arti dei Cuoiai e Galigai……製革工、なめし加工業者
・Arti dei Oliandoli e Pizzicagnoli……オリーブオイル製造業者と販売業、塩屋とも。
・Arti dei Correggiai……馬具製造業、馬を扱う商人
・Arti dei Chiavaiuoli……錠前屋, 工具製造
・Arti dei Corazzai e Spadai……鎧鍛冶、武具職人
・Arti dei Fornai……製パン、製粉業者
(※3)
 現代と比べても違和感のない業種がずらりと並ぶ。最も古いのはArte di Calimalaで1150年の文献に記載があるという。7つの大アルテも12世紀後半までには結成されている。これだけの製造業なり店舗がずらりと並んだ町の、賑やかで活気のある様子を想像するのはさほど難しいことではない。
 これらのアルテはその業種の取りまとめをするということにとどまらない。アルテの代表者はフィレンツェ共和国議会に名を連ねることになるのである。

 さて、フィレンツェ共和国議会の内容について、マキアヴェッリは13世紀半ばの例として下記のように書いている。
〈都市を6つの市区に分け、一つの市区から二人ずつ計12人の、都市を統治する市民を選出した。彼らは長老と呼ばれ、1年で交代した。また、判決のせいで生まれる敵対関係の原因を取り除くために、一人は平民団長(カピターノ・デル・ポーポロ)、もう一人(ひとつ)は都市法官(ボデスタ)と呼ばれる、二人の外国人裁判官を招聘した。このようにしたのは、市民の間で起きる民事や刑事の訴訟を(外国人として中立の立場から公正に)裁いてもらうためであった。そして、どのような制度でも、それを守備する者を配置しなければ安定しないので、市内に20個(隊)、周辺に76(正しくは96)個の民兵部隊を創出して、青年は全員をそれぞれの部隊に登録させた〉
(『フィレンツェ史』上巻 ニッコロ・マキアヴェッリ著 齋藤寛海訳 岩波文庫より抜粋)

 これに続いて、この民兵部隊の特徴が事細かに綴られているのだが、マキアヴェッリは自身が行政官吏として16世紀の初めに市民軍を組織したので、日頃から軍事を含めて歴史をよく学んでいたのだと思われる。いや、現実を見ていて軍事や為政者の資質について考え、歴史を紐解くようになったーーという方が正しいだろう。

 13世紀半ばにはもうすでに、フィレンツェにおいて政治(議会)、司法、軍事という、国家を形成するのに必要な3つの要素が揃っていたーーそれがこの項で最も知らせたいことである。

 王と貴族が臣民を治めるのではない、市民が参加する『共和制』を早くから築いていた。それはフィレンツェだけではない。ヴェネツィアやジェノヴァも同様に商業や貿易を基盤とする共和制を取っていた。それでもフィレンツェの共和制には、なお見るべき点があるように思う。それは、大作を著したマキアヴェッリも大いに主張したいところだろう。

 ここまで、フィレンツェのことを『町』と書いている。これまでの荘園制に基づく『村』ではないというほどの趣旨である。
 規模が大きいことからすれば、世界史の教科書にならって『自由都市』と呼んでも、『国家』(実際、フィレンツェ共和国というのが16世紀途中までの名称である)と呼んでも差し支えないのかもしれないが、ここではそのような共同体(コムーネ)の原点として『町』とした。

 これから、この町で16世紀に生まれた女性の話をするが、次はその女性が生まれた家について述べていこう。この家はフィレンツェという母胎があってこそ、大きく育つことになったのだ。

※1 フィレンツェの古代の呼称はいろいろあるようです。フィエーゾレがフィレンツェに移転したことについてはマキアヴェッリの著作に拠っています。『フィレンツェ』(若桑みどり著 講談社学術文庫)も参考にさせていただきました。

※2 クレメンス7世に『フィレンツェ史』執筆を依頼された件については第4章の『問題は何か』の節で少し触れています。同様にフィレンツェ市民軍については、1章の『地下牢の騎士』ほか、3、4章でも触れています。

※3 大アルテと小アルテについてはイタリア語版Wikipedia『Arti di Firenze』と日本語版『フィレンツェのギルド』を参考にしました。名称については引用しています。
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