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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル

巡礼の果てで見たもの 1552年 サンチャン(三洲嶋)

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〈フランシスコ・ザビエル、クリストバル(インド人)、アントニオ(中国人)、商人アラガオ、ゲッセマネの人々〉

 1552年11月19日、私は朝早くからアントニオと二人、サンチャン(三洲島、現在の広東市上川島)の港で対岸の大陸を見つめて立っていた。
 この日が広東まで船を出してくれると言った明国人との約束の期限だった。この日は曇っていて、3レグア(約15km)向こうの大陸の姿も少し霞んで見える。曇ってはいるが風はさほど強くなく、舟が航行困難になるような気候ではない。時おり渡り鳥らしい群れが高い空を横切っていくのが見える。

 そう、鳥も南に行くのか。
 いや、北からここに来たのかもしれない。
 鳥は人間より、はるかに忍耐強いはずだ。
 私たちが鳥ならば、たやすくこの3レグアを越えることができるのに。
 
 私はノアの箱舟の話を思い出していた。

〈40日たって、ノアはその造った箱舟の窓を開いて、からすを放ったところ、からすは地の上から水がかわききるまで、あちらこちらへ飛びまわった。
 ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、かの所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。
 それから7日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。
 さらに7日待ってまた、はとを放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。601歳の1月1日になって、地の上の水はかれた。ノアが箱舟のおおいを取り除いて見ると、土のおもては、かわいていた。2月27日になって、地は全くかわいた。〉(※1)

 大洪水の後、長く閉じこもっていた箱舟から大地に足を着けたとき、ノアの心はきっと明るく輝いていたことだろう。私の心といえば、大地に足を着けているのに、ほんの少しの海を渡ることができずに沈んでいる。

 舟のことばかり考えていたので、ノアの話を思い出したのだろう。

 停泊しているジャンク船の商人アラガオが、私たちのことを気遣って様子を見に来る。
「来るといいのですが……」とアラガオはつぶやく。それは皆が同じように思っていたことだった。アラガオは失言をしたとばかりに、慌てて話を変える。
「ザビエル司祭、寒いから火を焚きましょう。少し暖まっていただいたほうがいい」

 アラガオがそのように励ましてくれて、焚いた火で魚を焼いて食事をとったりしていたのだが、舟は一向に姿を見せない。雲のヴェールに覆われている太陽はどんどん傾いていき、やがて姿を隠した。

 舟は来なかった。
 誰も言葉にしなかったが、もう気がついていた。
 舟はもう来ないだろう。

 それはすなわち、来年まで大陸に足を踏み入れることはできないということだった。そうなることはあらかじめ予測していたし、できなかった場合取る方法も検討済みだった。来春にシャム(タイ)まで移動して北上する。結果としてそれしか手段はない。私はアラガオにこの島で越冬すると告げて、サンタ・クルス号の船長と船員にも同じことを伝えた。
 この島はマラッカやゴアほど暑い地域ではないが、極寒になることもないようだった。越冬するとなると、もともと居住している漁民とも話をしておかなければならない。
 冬を越えるために何をすればよいのか、考えるべきことは今のところそれだけだった。

 私は翌朝になると、アラガオの小屋を出て、急造で建てた聖堂に向かった。万が一、明国人が遅れて現れたら、アントニオにすぐ伝えてもらうようにして、聖堂で一人祈ることにしたのだ。マラッカからの出来事を思いながら、これは神のご意志なのだろうかと心に問いかけ、祈りを捧げていた。
 だとすれば、この困難の数々は私に休息したほうがよいということなのだろうか。

 私は急ぎすぎていたのだろうか。
 もっとゆっくりと進むべきだったのだろうか。

 急造の簡素な聖堂で、私はただ祈り続けていた。舟が来なかったことを申し訳なさそうに告げにきたアントニオにもなかなか気づかなかったほど、祈りに集中していた。
 そしてまた、夜がやってきた。
 私はろうそくに火を灯し、まだ祈り続けていた。
 ふと気づくと、私は辺りが明るくなっていることに気づいて顔を上げる。
 乾いた風が鼻腔に届くのを感じる。
 目の前にはオリーブの木がたくさん生い茂った、乾いた山がある。
 その景色は前に夢で見たことがあった。
 セサルに告げたら、彼は、「ゲッセマネか……」とつぶやいていた。これも夢なのだろうか。

 しかし、私の目の前の光景は変わらない。

 そして、数人の男たちが私の目の前を通りすぎていく。皆、被る形の簡素な服を身に付けている。ポルトガル人でも、インド人でも、明国の人でもない。海もない。私は何を考える余裕もなく、彼らの後をついていった。しかし、どれほど近づいても彼らは私には気づかない。

 ここはイェルサレムなのだ。
 イェルサレムのゲッセマネなのだ。

 オリーブの山を仰ぐ場所で彼らは立ち止まった。そして、先頭を歩く人が後の人に言う。

「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」

 先頭の人はこの上ない、苦悶の表情を浮かべている。留まろうとする人々に向かって、先頭の人は呻くような声で言う。
「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」 
 先頭の人は、どうしたことかと戸惑う人々を見てから少し進んで行く。そしてうつ伏せるような体勢で祈りを捧げる。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」

 私は彼の言葉を聞いて、雷に打たれたようになる。そしてはっきりと、ひとつのことに気がついた。
 私の眼からとめどなく涙がこぼれ頬を伝う。

 先頭の人以外はいつの間にか、うとうとと眠りはじめていた。先頭の人はうとうとしている人々を見ると、まだかろうじて起きている一人に告げる。

「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」 
 先頭の人はそう言うと、再び場所を変えて祈り始めた。
 「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」
 私は祈る先頭の人を見ていた。背後の人々はすべて眠っていた。先頭の人は彼らから離れ、また違う場所で、同じ言葉で祈っていた。

 私は嗚咽の声を隠すことができなかった。
 
 ただ、悲しみにくれて、泣くことしかできなかった。先頭の人を見ると、その人は私をじっと見ていた。涙で視界がにじんでいたので、その像ははっきりしない。先頭の人はしばらくこちらを見て深くうなずくと、人々のところに戻ってきた。
 
「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」(ここまで※2)

 私は泣きながら彼らが連れだってその場を去るのを見る。
 先頭の人は、主イエス・キリストは、これから裁判にかけられて、十字架を背負わされ、処刑を受けるのだ。その苦難の道(ヴィア=ドロローサ)を歩むことを悟って悲しみ、それを受ける覚悟を決めた。そのような主の祈りなのだ。
 私はずっと主とともに進みたいと思った。苦難の道をともに進みたい。眠ることなど決してするものか。私は起きている。

 しかし、身体はどうにもこうにも動かない。動かない身体をもどかしく感じていると、耳に届く音があった。オリーブの葉がかすかな音を立てている。
 風が吹いているのだ。

 いつしか、オリーブの葉の音は波の音に変わっていた。
 私は泣きはらした目で辺りを見る。聖堂の窓からは陽光が差し込んでいる。太陽の姿はまだ見えないが、朝のようだ。私は聖堂の外に出て、朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。少し寒気を感じるが、それでも心は洗われたように清々しかった。

 アントニオ、あなたが心配そうに緩やかな麓の道を上ってくる。私がアラガオの小屋に戻らなかったので不安になったのだろう。
「ザビエル司祭、一晩中祈っていらっしゃったのですか」
 私は微笑んでうなずく。
「お身体に障ります。小屋で暖を取りましょう」
 私はアントニオ、あなたとともに歩きながら、
「Nire erromeria amaitu da.」(※3)とつぶやいた。
 あなたはきょとんとしていたが、独り言だと判断してまた歩き始めた。
 そして私はこのとき、自分の運命を悟っていた。

 私は急ぎすぎていたのではなかった。
 私の巡礼は、ここで終わりなのだ。

ーーーーーー

〈1552年12月3日未明、三洲嶋のアラガオの小屋〉

 アントニオ、私は途中で何度も意識を失っていたようだ。

 まず目が見えなくなって、すぐに耳も聴こえなくなった。アントニオ、あなたは私の意識を現世に戻そうと懸命に話しかけてくれたのに、それはほとんど届かなかった。私の話も途中からは発語できていなかっただろう。その上にバスク語で通して話していたのだ。何と不親切な語り手だったことか。アントニオ、それでもあなたが私の側から離れることはなかった。私のためにずっと祈り続けてくれていたことも分かっている。サンタ・クルス号からワインとパンを運ばせたことも気がついていたよ。(※4)クリストバルも側にいてくれたのだね。
 彼も長患いで苦しんだことだろう。

 かわいそうに。
 かわいそうに。
 かわいそうに。

 目の前の大陸を踏みしめることは叶わなかったが、後に続く人が必ず成し遂げてくれるだろう。そのためにもアントニオ、あなたには、あなたが見た私のことを後の人に伝える役目をしてほしい。これが最後の願いだ。

 ゲッセマネを見た翌日から、私はひどい高熱を出して寝たきりになったが、あなたは先ほど大声で12月3日になったと教えてくれた。病の床について10日あまりになるのか。もっともっと長い時間が経過したように思える。
 私の人生をすべて語ることができたのだから。

 もうだいたいのことは話し終えたようだ。
 意識が戻るのもこれが最後だろう。

 
 神よ、私のすべてをあなたにゆだねます。





〈フランシスコ・ザビエルに付き添った明国人アントニオの嘆き〉

 西紀1552年12月3日未明、師は先ほど静かに息を引き取られた。臥せっていたインド人のクリストバルもこの時は回復し、師のご臨終に立ち会うことができた。師は最後の三日は静かに祈りの言葉を繰り返すばかりだったが、クリストバルの姿を見て、「かわいそうに」と三度つぶやいた。
 それと最後の祈りだけは、はっきりと聞こえた。
 ご自身のことは何も構うことなく、他のことを心配される。師は常にそのような方だった。
 ああ、私はどうしたらよいのだ。
 なぜこの方はこんなあばら家で、側に聖職者がいない土地で息絶えなければならなかったのか。神よ、この方はまだあなたのために働けるのに、なぜこんなに早くお呼びになったのですか。

 まるで親を亡くした子供のように、私はそのお身体に取りすがり泣き続けるばかりである。
 誰に知らせればよいのか、私には見当もつかない。いずれにせよ、きちんと埋葬してさしあげなければ。サンタ・クルス号に人を頼もう。
 そして、このことを早く、マラッカに、ゴアに知らせなければ。春になったらまっさきに出航してもらおう。
 できることならば、この方が愛して止まなかったに違いない故郷にお連れできればよいのだが、それは途方もなく遠い。

 今は冬だ。

 私が何よりも残念でならないのは、師の言葉をすべて記録できなかったことだ。
 それも神のご意志であるのなら、せめてこの方を正しく天国へお送りするお手伝いをしよう。それが私を教え導いてくださったことへの恩返しになるはずだ。

アーメン。



第七章『海の巡礼路(日本編)』終わり


※1『創世記』https://www.bible-jp.org/Genesis-Noah-s-Ark.html より引用
※2『マタイによる福音書』 ゲッセマネの「 」部分は引用です
※3 「私の巡礼は終わった」(バスク語)
※4 キリスト教徒の病床、あるいは臨終の秘跡に必要な道具。
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