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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル
受難とサンタ・クルス号 1552年 マラッカ
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、ペドロ・ダ・シルヴァ、アルヴァロ・デ・アタイデ、フランシスコ・アルヴァレス、ベルナルディーノ・ソーザ、ペイラ司祭、ディエゴ・ペレイラ、クリストバル(インド人)、フェレイラ修士、アントニオ(中国人)〉
1552年の6月も末になろうとしていた。
本来ならば6月13日に商人ディエゴ・ペレイラの船、サンタ・クルス号はマラッカの港を出て、今頃は海峡をとっくに出ていたはずなのだ。
私たち、明国(中国)宣教を目指す一行はまだマラッカに足止めされている。マラッカの次期長官になるアルヴァロ・デ・アタイデによる妨害が一向に弱まる気配を見せなかったからだ。実兄である現長官ペドロ・ダ・シルヴァの説得も、公平な立場からアルヴァレス代行が命令したことも、司教代理による破門宣告も、ただ彼の怒りに火を加えるだけの結果にしかならなかった。
アルヴァロの怒りの矛先は今や、商人ディエゴ・ペレイラだけではなく、私にも向けられるようになった。アルヴァロの従者や使用人が私たちのことを、「偽善者」、「恥知らず」、「教皇の使者を騙るペテン師」などと大声ではやし立て、非難するようになったのだ。このような根拠のない誹謗中傷は相手にしてはならないが、さすがにどこに行っても、宿所の前でも騒がれるようになると、外に出ることも憚られるようになった。アントニオ、あなたは怒って彼らに食ってかかろうとして、クリストバルに止められていた。クリストバルはインド人だったので、物事を一歩引いて見ていたのだろう。そしてあなたは、アルヴァロの卑怯なやり方を許せなかったのだろう。それは私のためにしてくれたことだ。
アントニオ、あなたにはとても感謝している。
宿所から出られなくなると、フェレイラ修士の気持ちはみるみるうちに不安定になっていくように見えた。それは理解できる。彼は明国という未知の土地に赴く緊張感をもともと抱いていただろう。それに加えてガーゴ司祭が急遽日本に行くことになってしまった。アルカソヴァ修士やダ・シルヴァ修士が私に訴えたような不安は、フェレイラ修士も同じように持っていたに違いないのだ。そこに今回のアタイデの妨害、一派の誹謗中傷まで加わった。私は彼に、「これも私たちが越えなければならない困難だ」と説いていた。フェレイラ修士は静かにうなずいていたが、その目に不安の色が宿っていることに私は気がついていた。
一向に止むことのない誹謗中傷を避けるために、私たちはいったんサンタ・クルス号に引き上げた。舵がないため航行はできないが、乗船はできるので仮の宿所とすることにしたのだ。
しかし、事態はそれでは収まらなかった。
軟禁状態になっているペレイラへの苦情を訴えようと、彼の商売相手が次々と私のところにやってきたのだ。ペレイラはもう2週間以上、自身の取引を止められている状態だ。そして、次の航海をするメドが立たない。彼への代金請求、支払いもすべて滞ってしまっていたのだ。
ディエゴ・ペレイラは破産状態に陥っていた。
サンタ・クルス号の出航を求めて動いていた私はペレイラの代理のような扱いを受けた。アルヴァロが取り立て人に、「教皇の代理人に支払ってもらえばいい」と言ったようだ。
……もし嫌がらせという言葉の意味を問われたら、私はこの話をまっさきに例とするだろう。
そのように、どうにもこうにもできない状況に陥ったわけだが、その間に私は今後の宣教地をどのように決めたらいいか、おぼろげに考えていた。今ここにあるもの、この状況でできることは何だろうと考え始めたのだ。アタイデの妨害に対して然るべき対応はしなければならないが、それは時間をいたずらに浪費するだけのように思えたのだ。これ以上無意味なやり取りを続けても、私の当初の考え通りに進めることは不可能だということは明白だった。それならば、別の道を検討しなければならない。
そして、この事態を打開する人が6月末に海からやってきた。
モルッカ諸島から来たベルナルディーノ・デ・ソーザとファン・デ・ペイラ司祭である。ソーザは元のテルナテ島の長官で、私がモルッカ諸島を回っているときに懇意にしてもらった。またファン・デ・ペイラ司祭はモルッカ諸島の宣教を担っている人だ。
彼らは『サンタ・クルス号』がマラッカの港に留まっていることに驚いたようだが、そこに私たちが寝泊まりしていることを知ってさらに仰天した。
「ザビエル司祭、なぜ出航する気配のない船で寝泊まりされているのですか?」
私はソーザ元長官にこれまでのいきさつを話した。もうマラッカにいる誰が話をしても、アタイデは耳を貸さないだろうと付け加えて。
二人は私の話をじっと聞いていた。そしてソーザが腕組みをしてしばらく考え込む。
「ザビエル司祭、私が話してみましょう。聞いた限りでは、アタイデは相当意固地になっているようです。私が説いても聞くものなのか、正直自信はありませんが、ザビエル司祭をこれ以上悪意によって足止めさせるわけにはいきません。やはり何とか解決しなければならない」
ソーザの申し出はたいへん嬉しかったが、それは火中の栗を拾うような行為に他ならなかった。その危惧を告げると、ソーザは微笑んでいった。
「もちろん、私の船の舵は武器を持った部下に守らせてから行きますよ。彼もすべてを敵にまわすほど愚かではないでしょう。もし、アタイデが激昂したら、ザビエル司祭、私の船に乗って一緒に海峡の端にでも、ゴアにでも逃げましょう。それが最後の手段です」
ソーザが先のことまで考えてきっぱりと請け負うと約束してくれたので、私は安心して彼に取り次ぎを任せることにした。
それから2日後、7月に入って、ソーザとペイラ司祭がサンタ・クルス号にやってきた。
私は彼らが言葉を発するのを待つ。ソーザは軍人だけあって、率直に切り出した。
「ザビエル司祭、アタイデと話をしてきました。そして、ザビエル司祭が当初希望されていた内容とはかなり異なる条件付きですが、彼はサンタ・クルス号の舵を返却すると約束しました」
舵を返却するという言葉に私は瞬間ほっとしたのだが、アタイデが提示した条件はかなり厳しいものだった。
サンタ・クルス号はペレイラの胡椒を積んで明国に向けて出航してもよい。乗組員についてはアタイデの配下であるアルフォンソ・ロハスはじめ25人、船長もアタイデが指名した者とする。ディエゴ・ペレイラはマラッカに留まること。それに伴い、ポルトガルの正式な使節を明国に派遣して、修好通商条約などを結ぶことはできない。国王使節として持参する献上品も積んではならない。したがって、明国に捕われているポルトガル人の解放交渉、宣教許可を求めることも禁ずるーーという内容である。
私が明国宣教について計画したすべてが否定されるような内容だった。ただ胡椒を積んで明国沿岸に行く、通常の密貿易の手順を踏むだけなら許可するというのだ。
私はしばらく黙りこんでしまう。
ソーザは私の反応が十分に想像できたので、その条件を説明した後で私に告げた。
「ザビエル司祭、アタイデと私は旧知の仲でしたのでこれだけの話ができましたが……彼がペレイラやあなたに持っている感情は今や執念深い恨みといってもいい。そこまで恨まれるようなことをあなた方が何もされていないことは分かっていますが……アタイデはそのような人なのだと諦めてもらうしかありません」
「ええ、この1カ月でそれはよく理解しました。それにも関わらず、ここまで話をしてくださったあなたに心から感謝します」と私は礼を言った。
ソーザは首を横に振る。そして後ろに立つペイラ司祭の方を見やって、目を合わせる。ペイラ司祭が進み出て、私の前に立つ。
「ザビエル師、明国への宣教はいったん中止として、ゴアに戻られた方がよいと私は思います。とにかく、執拗な嫌がらせを受けておられるのですし、マラッカからは一日も早く出られた方がいい。ペレイラに対する妬みや欲をあなたまで受けるいわれはありません。ゴアでもう一度総督とよく話し合って、必要な手はずを整えられたらいかがでしょうか。苦難や迫害を避けて逃げろということではありません。それが明国の宣教活動にとって適切だということです。アタイデの所業は神への冒涜に等しいと私も考えますが、今はそれ以外に方法はないように思います」
ペレス司祭の言うことはもっともだった。
私は方向を改めて考え直すべきなのだろうか。
彼らの尽力に再度感謝していることを伝え、私は少し考えさせてほしいと伝えた。
その夜、私は簡単な夕食を一行と済ませて神に祈りを捧げる。そして、皆を休ませるとひとり甲板に出ていく。
出航する目処が立たないサンタ・クルス号は、かすかに寄せる波に揺られて、ただじっとマラッカの港に留まっている。陸地の要塞に灯りが灯っているのがぼんやりと目に映る。夜空は曇っていて、星は見えない。雨が降りださなければよいがと私は思い、また考え始める。
進むべきか、いったん戻るべきか。
サンタ・クルス号に乗って明国を目指すべきか。
別の船に乗ってゴアに戻るか。
ここが、この夜が、大きな分かれ道だった。
私は決めなければばらなかった。
明国に行く私の計画はマラッカで次々と変更を余儀なくされた。ともに向かうことを決めていたガーゴ司祭を日本に急遽派遣したときから、その兆しが現れていたのかもしれない。
アタイデがサンタ・クルス号の出航を禁止し、国王の使節として赴くはずだったペレイラを軟禁状態にしてしまったのはとどめのように私には思えた。明国宣教はまだ時期尚早だということなのだろうか。
アタイデがソーザに提案した内容はただただ厳しいものだった。
国王の使節として赴くことができなければ、当初大きな目的としていた囚われのポルトガル人を解放するなど夢のまた夢だ。そして、宣教が認められるはずもない。何の後ろだてもない、献上品もない、一聖職者として宣教してこいということなのだ。
それならば、いったんゴアに戻って総督をはじめ主だった人々と調整をはかるほうがよほど賢明だ。ペレス司祭の言った通りで、私もその選択の方が正しいように思っていた。ただ、アタイデがこれから数年、マラッカで長官として勤めるならば、たとえ私が出直してもマラッカ以東の航海を今回と同じように妨害する可能性がある。今や、彼の憎悪の矛先は、私に向かっているのだから。
それならばいっそリスボンに、ローマに戻ろうかという考えさえ頭の片隅をよぎった。
私の考えは千々に乱れ、ひとつにまとまらなかった。船は相変わらずかすかな波に揺られているが、私の心も迷い、ゆらゆらと揺れていた。
私はふと、考えることを止めて、甲板に膝まづいて祈り始めた。ただ、心を受難のイエス・キリストの御許(みもと)に置いて、ひたすらに祈っていた。船のかすかな揺れも、アタイデの部下の誹謗中傷の姿も、曇天の夜空も、もう私の眼中にはない。私はただ、膝まづいてひたすらに祈り続けた。私の脳裏にはイエス・キリストの御姿だけがあった。
〈ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。
彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。
しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。
すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。
ピラトは手のつけようがなく、
かえって暴動になりそうなのを見て、
水を取り、群衆の前で手を洗って言った、
「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。
すると、民衆全体が答えて言った、
「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。
そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、
イエスをむち打ったのち、
十字架につけるために引きわたした。〉
(マタイ伝 27章22-26節)
このときの私には主の悲しみ、苦しみがまるで自分の身に起こっていることであるかのように、現実として感じられた。
「主よ、あわれんでください。わたしたちをあわれんでください。
ああ、聖母よ、十字架に釘づけられた御子の傷を、
わたしの心にしるしてください」
(※1)
私はただ、祈り続けていた。せめぎ合い、苦しむ心のうちで、ただイエスの受難のことだけを思い、神経を集中してただ祈っていた。どれぐらいの時間が経っただろう。
そのうちに、私は眩しい光を感じて目を開いた。
いつの間にか重い雲を割って出るように、満月が空にあらわれていた。私は白く輝く月に圧倒されてしばらくそれを見上げていた。そして、私の心の雲も晴れていくように感じた。
「Aurrera egin behar dut. 」
(私は前に進まなければならない)
私はここでひとつの大きな選択をした。
もっとも困難な道を行こうと決めたのだ。
※1 マタイ伝と祈りの言葉は、「女子パウロ会」のサイトより引用させていただきました。
(https://www.pauline.or.jp/prayingtime/michiyuki04.php)
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