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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル

インド洋のサウダージ 1552年 コーチンまで

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〈フランシスコ・ザビエル、アントニオ、ジョアンら日本からの同行者、ディエゴ・ペレイラ、バルタザール・ガーゴ司祭、フェレイラ、クリストバル(インド人)、アントニオ(中国人)、ルイス・デ・アルメイダ〉



 1552年4月。

 また4月がやってきた。
 私はこの月でまたひとつ歳を重ねて、46歳になった。そして、リスボン(ポルトガル)の港を出て11年経った。
 この11年は私にとって激動の日々で、移動し続ける日々だった。同じ場所に長く留まることはなく、常に移動し続けていた。大半は船で、その他は徒歩で旅をし続けた。
 インドでバダカの襲撃を恐れながら移動したり、日本の都(京都)まで凍えるような旅をしたこともあった。

 しかし、真の困難は決して気候や移動によってもたらされるのではないと、このときの私には理解できるようになっていた。
 それが何だか、アントニオ、あなたにはわかるだろう。

 4月17日、ゴアを出航するとき私の頭髪はすっかり白くなり、身体は疲れが蓄積していたが、心はまた新たな目標を得てすっきりとしていた。

 日本人のアントニオ、ジョアン、バルタザール・ガーゴ司祭、フェレイラ修士、日本に向かうペドロ・ダ・アルカソヴァ修士、ドゥアルテ・ダ・シルヴァ修士、アントニオ(中国人)、クリストバル(インド人)、そして私はガレオン船を艦船とする5隻の船団の一員となった。この船はドゥアルテ・ダ・ガマの貿易船だった。日本から三洲島(現在の上川島)の航路も彼の船に乗っていたので、すっかり意気投合していた。ガマはいつも船に乗るわけではないようだったが、私たち一行が乗船するということで今回も同船してくれることになったのだ。
 しばらくするとガーゴ司祭が一人の青年を連れて私のもとにやってきた。
「ザビエル司祭、先日お話しした、ルイス・デ・アルメイダです。この船に乗っていたのです」
 突然私の前に引き連れられて困っている青年を私は見た。細身で背は中ぐらい、大人しそうで好感の持てる青年だった。貿易商のよく着る襟の大きな服を身につけていたが、まだ慣れていないようだ。学生にも見えたが、後で26歳だということを知った。フロイスは19歳だったが、アルメイダの方が若く見えるのが面白いと感じた。
「はじめまして、ルイス。あなたは医学を修められていると聞きました。船には欠かせない存在ですね。今回は船医として?」
「ルイス、でもあなたはゴアの王立病院で医師として勤務中なのでは?」とガーゴ司祭も彼に問いかける。


 ルイス・デ・アルメイダは私とガーゴ司祭の質問にどう答えようか考えているようだった。その表情はとても寂しげに見えた。
「お二人の司祭さま、私は王立病院を辞めました。といいますか、医者を辞めて商人になることにしたのです」
 私たちは顔を見合わせて驚く。
「ポルトガルの拠点でも、船内でも、医師は欠くべからざる存在です。それを辞められるなどとは……何かあったのでしょうか」とガーゴ司祭は尋ねた。
 ルイスは寂しげな微笑みを浮かべて、黙ったままでいる。そこにドゥアルテ・ダ・ガマがやってきた。ルイスの姿を見つけて声をかける。
「ああ、ルイス。ここにいたのか。私が紹介しなければと思っていたのだが。ザビエル司祭、ガーゴ司祭、ルイスは私の友人の息子です。優しい性格の、本当に善良な青年ですよ」
「医師を辞めて船に乗られたと聞きました」と私が答える。ガマはああ、と合点がいったように言う。
「ええ、彼は私の息子として、私の右腕になってもらうことにしたのです」
「あなたの友人のお子さんではないのですか」とガーゴ司祭がガマに尋ねる。
「……息子になるはずだったのですよ、司祭さま」とガマは顔をゆがめて答える。

 その経緯についてはそっとしておいた方がいいと感じた。その時、私ははっと思い、ルイスの方を向いた。
「あなたはもしかして、リスボンのアルファマ街で、セヴェリーノ家の近所に住んでいませんでしたか」



 ルイスは目を丸くして驚く。
「はい、その通りです。司祭さま、なぜそれを……」
 私は12年前のことをはっきり思い出していた。ニコラス・コレーリャとリスボンで会って話した時のことを。
「ヴェネツィアのニコラス・コレーリャを覚えていますか」
 そこからは話がするすると流れるように進んだ。1541年の初めのこと、彼のアルメイダ一家が、母を探してリスボンにやってきたニコラス・コレーリャを世話していたのだ。私はニコラスの話を聞くぐらいしかできなかったが、リスボンに残ったシモン・ロドリゲスからの便りによれば、ニコラスの母ソッラとセヴェリーノ一家は無事に解放され、ニコラスは母とともにヴェネツィアに帰ったという。(※1)

「ニコラスさんからはあれからしばらく手紙をいただいていました。お母様のソッラさんはフェラーラで暮らしているそうです。ヴェネツィアとフェラーラはそれほど離れていないということで、よく会われているようですよ。そうだ、ニコラスさんご夫婦の子どもが生まれたそうです。とはいえ、もう10年も前のことですが……」

 その話をするときは、ルイスの表情も明るいように思えて少し安堵したよ。そして、私はある一つの思いに囚われた。

 この話をセサルに聞かせたい……。

 セサルは、自身の忠臣であり親友でもあるミケーレ・ダ・コレーリアに会いたいとずっと言っていたのだ。
「Mi chiedo se Michele sia vivo. Mi chiedo se Lucrezia sia viva. Se posso incontrarmi di nuovo……(ミケーレは生きているのだろうか。ルクレツィアは生きているのだろうか。もう一度会うことができたら……)」
 ミケーレ自身は亡くなっているが、彼の血を継ぐ子が生まれたと聞いたらどれほど喜ぶだろうか。そして、ずっと側にいたセサルがいないことに改めて気がつき、少し切ない気分になったのだ。
 セサルはまだ堺(大阪)にある日比屋の屋敷に逗留しているのだろうか。今はどのようにして暮らしているのだろう。日本語は上手になっていたが、不自由はないだろうか。山口にいるトーレス司祭やフェルナンデスと連絡を取り合っているのか。日本は馬で郵便を届けられる地域もあるから、きっと大丈夫だろう。

 彼は今、どのような景色を見ているのだろう。

 ガーゴ司祭は、紹介した青年と私が親しげに話しているのを見て、安心したように微笑んでいた。そして、それはガマも同じだった。
 ガマにもルイスにも共通するある思いがあることだけはおぼろげに感じたのだが、少し後に、ガーゴ司祭は彼に話を詳しく聞いて、私に教えてくれた。
 それは、彼のような善良な青年が背負うにはいささか重過ぎる荷物のようだった。
 彼はかけがえのない大きな愛の対象を、自身の力ではどうすることもできない理由で、再び永遠に失っていたのだった。

 おお神よ、心に悲しみを秘めたルイスにどうかご加護をお与えください……。どうか彼の荷が重すぎないように、その道が光の当たるものになりますように。



 ゴアを出た船は5日ほどでコーチンに着いた。
 私はここでリスボン、ローマ、そして各宣教地の担い手に手紙を出さなければならなかった。ここが西への便を早く届けるための、最後の港だった。
 コーチンはどことなくリスボンを思い出させる。町のほうではなく、港の地形、陸地の間に大きな大きな川が入り込み、天然の悠々とした水路になっているところが似ている。ここから夕陽を見ていると、リスボンを思い出すことができる。インド洋が大西洋のように思えるほどだ。それは私だけではなく、リスボンを知っている人が皆思うことのようだ。

「Sinto saudade quando vejo aqui.」(ここを見ると憧憬を覚えます)とガマがつぶやく。
「Isso é nostalgia?」(懐かしさですか)と私が聞き返す。
「Isso é Saudade, Padre」(サウダージですよ、司祭)とガマは笑った。

(※1)第5章の『Si, Nicolás/Sim, Luís』から『風に負けないロムレア』の節をご覧ください。

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