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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル

ふたたび、海へ 1551年 豊後

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〈フランシスコ・ザビエル、ファン・フェルナンデス、ベルナルド(河邊成道)、コスメ・デ・トーレス、ジョアン、アマドル、ドゥアルテ・ダ・ガマ、大友義鎮(よししげ、宗麟)〉

 1551年、豊後国府内で領主の大友義鎮公に格段の厚意を受けて、豊後国を私たちの大きな拠点にできる見込みが立った。また、大内氏が滅ぼされた周防(山口)の新しい領主に大友公の弟君が就くことになった。これは私たちにとって悪いことではなかった。大友公は周防にいるトーレス司祭とフェルナンデスの身の安全、そして宣教活動を保証すると請け負ってくれたのだ。周防の反乱で私たちが不安になっていたことについては解決する見込みになった。
 私はその知らせを持って周防に船で戻ろうと考えていた。

 その頃私はまた夢を見るようになっていた。

 私は船に乗っている。
 それは巨大な細長いガレー船で、遠目ならば茶色の剣を寝かせたように見えるのではないか。たくさんの漕ぎ手が汗を流しながら船を進めている。
 順風に恵まれた。何より晴天だ。
 キャラベル船よりはるかに少ない数の三角帆もパンパンに膨らんでいて、船は滑るように海を走っている。漕ぎ手だけでもたいへんな数なのに、船室にも甲板にも人がはちきれんばかりに乗っている。皆、粗末で簡易な服を身に付けて、ごく小さな袋一つをそれぞれが抱えている。金持ちもそうでない人も同じだ。もっとも、そうでない人々はガレー船の船主に運賃を往復分支払ったら、手元にはほとんど残らないだろう。船主は金持ちだろうが、そうでなかろうが同じだけ運賃を取るのだから。安価ならば問題ないだろうが、そんなことは決してない。

「Non puoi pagare questa tariffa? Questa sarebbe la volontà di Dio. Dovresti prendere la prossima nave.」
(運賃が足りない? それも神の思し召しでしょう。またの機会にどうぞ……イタリア語)

 これだけ人を詰め込んで、神の思し召しとはよく言ったものだ。この船主はどれだけ儲けようというのだろう。それに、儲けたいのはガレー船の漕ぎ手も同じだ。この船を下りればいっぱしの商人と化して、自身が持参した品物をイェルサレムで売るのだとヴェネツィアで聞いていた。
 すし詰めにされた巡礼はそれを知っているのかもしれないが、聖地を訪れる喜びに満ちあふれている。神の子羊たちよ……私はそんなことを思いながら十字架の描かれた旗を眺める。それでも船は出航したのだからよしとしなければならない。
 不意に背後から声が聞こえる。
「待った甲斐があったね、フランシスコ」
 振り向くとそこには、ピエール・ファーブルがいる。
「ようやく、私たちの誓願が叶う。私たちの道行きに神のご加護がありますように」
 隣でイニゴ(イグナティウス・ロヨラ)が祈っている。シモンもディエゴもニコラも祈っている。私も心静かに祈りの列に加わる。
 私たちはヴェネツィアから船に乗ることができたのだ。
 長く待っていた、巡礼船がようやく出航したのだ。
 私たちはようやく、イェルサレムに行けるのだ。
 イエス・キリストが生き、十字架にかけられた。その地へ。
 イエスが総督ピラトゥスから死刑の宣告を受けた場所。
 イエスが十字架を負わされた場所。
 イエスが最初に倒れた場所。
 イエスが母マリアに出会った場所。
 シモンが最初に十字架を負わされた場所。
 ヴェロニカがイエスの顔を拭いた場所。
 イエスが二度目に倒れた場所。
 イェルサレムの娘たちにイエスが語りかけた場所。
 イエスが最後に倒れた場所。
 イエスが衣を脱がされた場所。
 イエスが十字架につけられた場所。
 イエスが息を引き取った場所。
 十字架からイエスの遺体を下ろした場所。
 イエスが葬られた場所。

 私たち、イエズス会を結成したときに立てた聖地巡礼の誓願が、ここで現実のものになるのだ。

 しかし、ガレー船から臨む景色はだんだんと滲むようにぼんやりとしてくる。私は不安を覚える。目を閉じて、ひたすら祈っている。そして、目を開くと……。

 私は船に乗っていないし、イニゴもピエールもシモンもディエゴもニコラもいない。
 屋根の骨組みが見える、薄暗い木の家にいる。そして心配そうにベルナルドが私を見ている。
「司祭さま、また夢を見ておられたのですね」
 私はうなずく。ベルナルドは私がしばしば夢を見ていることを知っている。彼が言うには、私の寝言はたいていが祈りの言葉らしい。
「そうだ。イェルサレムにガレー船で向かっている夢を見た」
 イェルサレムがどのような場所か、もうベルナルドは分かっている。彼はそれを聞くと思いのこもった目で私を見る。
「司祭さま、私より司祭さまがリスボンに行く船に乗られたほうがよいのではないでしょうか。今はインドからイェルサレムに向かうのは途中で異教徒の妨害を受けるので難しいとおっしゃっていましたね。それならば一度ローマに戻ってイェルサレムに行くという手だてはないのでしょうか。私は日本でトーレス司祭に付いて働くのでもまったく構いません。夢にも出てくるほどイェルサレムに行かれたいのでしたら、そうされた方がよいと思うのです」

 ベルナルドの思いがこもった言葉を聞いて正直、涙が出そうになった。
 しかし、私には、「ありがとう、ベルナルド。しかし、私にはその前にしなければならないミッション(使命)があるのだ」とだけ答えるのが精一杯だった。
「明国ですね……」とベルナルドは言う。

 私は今後のことについて考えていた。

 ここ豊後から周防に戻ると、改めてゴアに出発するのは来年(1552年)になるだろう。アマドルはインドに帰ることを望んでいる。ベルナルドはできるだけ早く、ゴアからリスボンに送ってやりたい。そして私も早く明国(中国)宣教に向かいたいと考えていた。
 豊後に入っていたポルトガル船の船主、ドゥアルテ・ダ・ガマも自身の考えを私に伝える。

「そうですね、おっしゃる通り、この後にポルトガル船が入るのは、おそらく来年でしょう。これは私の意見ですが、ザビエル司祭はいったん私の船でゴアに向かった方がよいのではないかと思います。すでに日本に上陸して2年経ちましたね。ゴアの方でもザビエル司祭のご指導が必要なのだと思います。私の船で帰って、また来年の船でブンゴなりヒラドに戻られたらいかがでしょう。トーレス司祭にはそれをお知らせするよう、オオトモ殿にお願いすればよいと思うのです」

 ガマの意見はもっともだと思った。それに、知り合いのガマの船に乗るのであれば安心して航海ができる。
 日本に宣教師を派遣してほしいと、もう薩摩で手紙も出した。さすがにそれはもう、ゴアに届いているだろう。入れ違いになるかもしれないが、平戸や豊後に入れば大友公が取り計らってくれる。そうでなくても、トーレス司祭とフェルナンデスがいれば、宣教活動には差し支えないとも感じていた。
 そう考えた結果、私は豊後からゴアに向かって旅立つことに決めたのだ。ともに出発するのはベルナルド、アマドル、アマドルに随行してきた山口のマテオ(著者注 山口で信者になった日本人の青年)とアントニオ、そして私だ。山口にいるトーレス司祭とフェルナンデスには手紙を書き、大友公に託すことにした。

 そのようにして、私は日本を去ることにしたのだ。出発までは本当に慌ただしく、ゆっくりと日本滞在の日々を思い返している余裕はなかった。それでも直前まで豊後府内の城下で説教を行い、大友公とその家臣にキリスト教の話をするために赴いた。
 ベルナルドがたいへんな熱意を持って宣教に取り組んでくれたが、それを見守りながら私は、神が授けてくれたいちばんの果実は彼なのではないかと感じていた。まだ私たちが日本語も日本の習慣もまったく不慣れだった頃に現れて、私たちの一行に加わってくれた。そして今では、ラテン語の聖書の内容を覚えるほどになっている。
 ぜひ、彼をポルトガルのジョアン3世やイニゴに会わせたいと心から願っていた。

 1551年11月15日、豊後沖の浜からガマの船が出発する。大友義鎮公もわざわざ見送りに来てくれた。大友公は本当に名残惜しそうに、「もっと滞在しちょってくれたら……」と私に告げてくれた。
「また宣教師がやってきます。どうか、私がいただいたご厚意を後の者にも与えてくださいますよう、心からお願いします」と私は日本式に深々と頭を下げた。
「わかっちょる。道中無事でまいられよ」と大友公は力強くうなずいた。


 アントニオ(中国人)、私たちが日本で過ごした2年あまりの日々の顛末だ。今から1年ほど前のことなのに、ずっと昔のことのように思える。

 少し眠くなった。休ませてもらおう。
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