16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル

閉ざされた扉の外側で 1550年 平戸

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〈フランシスコ・ザビエル、コスメ・デ・トーレス、ファン・フェルナンデス、ジョアン、アントニオ、アマドル、ベルナルド(河邊成道)、松浦隆信、大内義隆、セサル・アスピルクエタ〉

 1550年の9月に、私たちは肥前平戸(長崎県)の港に着いた。
 ここは島であるが、大きな陸地とは目と鼻の先ほどしかない。そうだ、セイロン島とマンナル島(スリランカ)の近さに似ていたよ。きっと元は地続きだったのだろう。ここ肥前の海域は半島などの形が複雑で大小を問わず島がたいへん多いが、みんな元々はつながっていたのだろうかと想像していた。
 この海域には明国(中国)の方にまで出ていく海賊がたいへん多いということで(※1)、航行中私たちはあまり甲板に出ないようにしていた。大きな艦船であれば近寄ってこないのだろうが、さほど大きくない船に西洋人が乗っていると、格好の餌食になってしまうからだ。

 そのようなことにも神経を使わなければならなかった。

 平戸に着くと、私たちは荷物を下ろして一息つく。さっそくフェルナンデスとベルナルドが宿を探しに行く。薩摩から荷物をすべて引き上げてきたので、移動も大変なのだ。
 フェルナンデスは変わらず勉強熱心だった。もう日本語はほぼ不自由なく使えるようになっていたのではないだろうか。薩摩に1年いたことは大きかったし、日本人が3人、ともに住んでくれたことは大きかった。

 ポルトガル船の船長、フランシスコ・ペレイラ・デ・ミランダ船長に聞いたところによれば、この地、肥前国の政情は薩摩より少し複雑なようだった。松浦氏、龍造寺氏、有馬氏という有力な豪族が林立していて、勢力争いが完全には収まっていない。平戸については松浦隆信公が争いを収め、もう7年ほど領主として活躍しているということだった。
 そして、松浦隆信公は大内義隆公と親しい関係だという。その名前も大内義隆公からもらったという。

 大内氏については少し説明が必要かもしれない。

 大内氏は周防、長門、石見の3国の他、九州の一部までを収める偉大な国主である。日本の西側において、もっとも重きを置かれている家と言っても過言ではない。そして、大内氏は日本でもっとも貿易に長けた豪族(守護)だった。この国全体の王である天皇の特使として明国に赴くのはすべて大内氏のあつらえた船団だったのだ。そのような船団をあつらえるには当然、それだけの資金力がなければできない。大内氏は自領、属領に銀山(石見銀山)や銅山を持っていた。それが彼らの潤沢な資金の源だったのだ。
 この銀や銅にはポルトガル商人もたいへんな興味を持っていた。交易品として最上等の品物であることは間違いない。かつて、マルコ・ポーロはこの国のことを「黄金の国」だと書いたが、それはある程度真実だったのである。

 そのようなこともあり、ポルトガル商人たちはこの大内氏とやり取りをしたいと思っていたのだ。大内氏とつながりのある平戸を経由するのにはそのような事情もあった。

 私は、ペレイラ船長に話を聞きながら明国(中国)のことを考えた。
 明国は今、公の貿易をほぼ禁じている(海禁策)。日本のような近隣国でも数年に1度しか正式な使節を受け入れないという(朱印船貿易)。民間の貿易というのは認められていない。世宗嘉靖帝という皇帝がもう20年以上治めているため、なかなか情勢も変わらないようだ。勝手に上陸すれば捕えられる。
 もちろん、ポルトガル船で向かっても入国することはできない。上陸してかの国の皇帝に面会しようとした例もあったが、捕えられてしまったという。行けばなんとかなるというものではないのだ。

 そのような状況を聞くにつけ、明国での宣教活動はこれまでの中で最も困難なものだと判断せざるを得なかったのだが、アントニオ、私はやはり、何らかの手段を考えて明国で宣教したいと感じていたのだ。日本での宣教活動に目処が立ったら、私は一度インドに戻ることになるだろう。それでも、そこから再びこの東アジアを訪れたいと思ったのだ。

 ペレイラ船長があらかじめ話をしていてくれたこともあって、平戸の領主、松浦隆信公にはすぐに目通りが叶うことになった。数日後、私は一行を引き連れて宿から領主の住む館に赴いた。
 私たちはその館の広間で公に面会した。頭の脇だけ残して剃り上げてっぺんに一筋結い上げている、いわゆる武士の髪型、そして装束をしていたが、あまりにも若い。私たちは少しだけ驚いた。彼はまだ21歳だというのだ。それでももう領主になって7年経ったのだという。私たちが少しだけ驚いたさまを慌てて直そうとすると、領主は笑って言った。
「よかよか、皆目を丸くして驚くばい」
 そして隆信公は真顔になって言った。
「わしらどがんしてでん、ポルトガルと貿易ばしたかよ。そいが偽らざる本音やっと。叶うならば、貴殿らあの教えば布教してもよか」
 私はもちろん、ポルトガル船が平戸に入るよう働きかけてみると答えた。隆信公はそれをきくと表情を和らげた。そして、平戸にポルトガル船が入るならば大内氏に口利きもしてやると請け負った。

「現実的にものを考えるというのは、わかりやすくていい」と館を退出した後セサルが言う。
「そうですね、わかりやすいのですが……」と私は少し思案顔になる。
「あのお方はだいぶ幼い時分から跡目争いに巻き込まれて難儀しもっそ。そのため、あのように交渉ことではっきりものを言われるのかと」と通訳に付いてくれたベルナルドが言う。
「幼くして権力争いに巻き込まれるのは、洋の東西を問わず同じだな。神聖ローマ皇帝カール5世も選挙に立ったのは10代だった。まぁ、彼の場合は祖父が皇帝だったから禅譲(ぜんじょう)と言えるのだろうが」とセサルはつぶやく。
 セサルもその例をたどってきた人だった。
 ただし、自分の話をすることはないだろう。

 平戸の海を眺めようと、私たちは浜辺に進んだ。
 平戸の浜辺から見る海の色はたいへん濃い青、紺色と言ってもよいぐらいだ。島々の緑が影響しているのだろうか。夏の終わりというほどの季節だが、その青と緑が斜めに差し込んでくる陽光に照らされて輝いている。

 私たちはフェルナンデスがパウロと訳した使徒信条を持参していた。許可も得たので、周防に向かう船が出るまで宣教活動につとめることになる。
 海と島々の景色を見ながらトーレス司祭がつぶやく。
「このような場所に聖堂を建てられたらいいですね。ゴアのように本格的な、大きなものではなくとも、やはり、皆が集える家が必要なのかと思います。薩摩ではできませんでしたが、このようなこじんまりとした、それでも人が多く通るような場所に聖堂があれば……」
 これまであまりそのようなことを語ってこなかったトーレス司祭の言葉が私の心に強く刻まれた。確かに、宣教が軌道に乗ったら聖堂を作ることを考えなければならないだろう。
 そして、トーレス司祭のこの言葉は、彼自身の大きな決意の表れであるように私には思えた。彼が本当に日本という国に目的を持つようになったのは、この時だったのかもしれない。

 私たちが見ている平戸の海からはもう太陽が消えている。
 しかし空はまだきれいな薄紫色に染まって明るかった。


※1 倭寇(わこう)のこと。当初、日本人による海賊兼、貿易の担い手のことをそう呼んでいましたが、明が海禁策をとって以降は中国人によるものも著しく増加し、この時期には一概にどの国の人とは判断できない状況でした。国籍を問わない海賊というニュアンスになります。
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