166 / 476
第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル
注目される人 1547年 マラッカ
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、シモン・デ・メロ長官、ファン・デ・ベイラ司祭、ヌノ・リベイラ司祭、ニコラス・ヌネス修道士、セサル・アスピルクエタ〉
1547年の半分ほど、私たちはモロタイ島からテルナテ島、アンボン島、そしてマラッカへと来た道を戻っていた。
モロタイ島にキリスト教を根付かせるには長い時間を必要とすることは間違いなかった。ただ、モロタイ島の村々を回って見聞きしたことは後に続く人たちにとって有益なものになると確信したので、私はそれを書き綴ることに専念していた。
テルナテ島とアンボン島ではさきに信徒になった人々が温かく迎えてくれた。そして、司祭としてのつとめを果たしながら日々を過ごしたのだ。
日曜日と祝日には2回、礼拝と説教を行う。1回目は朝、在留ポルトガル人のために。2回目は昼食後、それ以外の信徒のために。午前と午後に信徒の告解を聞き、ポルトガル人と結婚した女性のための礼拝と説教も行った。この2つの島では私たちの信仰が定着している。それを再訪したときに実感し、私は心から安堵したのだよ。
そのような場所を離れるのは後ろ髪を引かれるような気分になるものだ。私たちが出航するときに皆で見送りに出てくれたときのことを思い出すと、今でも胸の奥が温かくなる。
セサルとはこの間によく話をすることもできた。表現が適切かどうかは分からないが、彼はまるで参謀のようだったよ、アントニオ。
ポルトガルの拠点でこれからどうやって宣教活動を広げていくのかということについての話だ。信徒にどのように信仰を深めてもらうか、未信徒にどのように話をしていくか。どこに何人ほどの宣教師が必要か、どのように総督なり長官とつながりを持っていくか。現地の王にはどのような態度で対面していくか。そして、私たちの大切な移動手段である船についても、セサルは一家言持っていた。
「世俗のものを避けているわけにはいかない。国王の命が出る前に旅立たなければならないときもある。そのためには、船を持っている商人と日頃から付き合いをしておく必要がある。場合によっては当面の費用を借用することも含めてだ。国王なり総督の信を得ているとは言っても、先立つものがなければ何もできないのは事実だ。これまでは船主の好意に依ることも多かったと思うが、今後は宣教師の数も増える。それを見越したほうがいい」
セサルはいつも現実を見ている。それがこの旅でどれほど私の助けになったことか。どんなに望んでも、これ以上の供は得られないだろう。聖職者であり、政治家であり、軍人……いや、司令官でもある。身体は老いてきたが、その頭脳や判断力は変わらないのではないかと私は思う。
アントニオ、今でこそ船主である大商人と親しく交流することは珍しくなくなった。ただ、まだこのときには商人と聖職者の間には一本、はっきりとした線引きがあったのだよ。もともと、求めているもの、目的が異なっていたのだ。商人は現世利益、すなわち儲けることが第一で、聖職者は神の恵み、主の教えを広め、信徒を導くことが第一義だ。それは理解できるだろう。
サン・トメで信仰を失っていた商人が改心した話はもうしたと思う。その後モロタイまで回ったことで、私たちの話に耳を傾けて、信仰に目覚める可能性のある人はまだまだたくさんいると確信したのだよ。そのためにも、商人たちと多く話をする必要を感じていた。
もちろん、ポルトガル人の多くが商人だということもある。
これも言ったと思うが、商人の中にはコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教に改宗した人)が多い。本国では異端審問が厳しく執り行われて、真に改宗したのに疑われることも珍しくなかった。それならば海を渡って自由に暮らしたい。そう思うのも不思議はない。
ヒンドゥー教、イスラム教、あるいは他の宗教から改宗する人と、ユダヤ教から改宗した人を区別するべきだろうか。もし、キリスト教徒としての信仰を真に持つのであれば、同じに扱うべきではないだろうか。そうでなければ、宣教活動じたいに矛盾が生じるだろう。
これは、異端審問制度をすすめているポルトガル国王にそのまま言うわけにはいかないことで、たいへん難しい問題だった。それに聖職者の中にも反対する人がいるだろうことも想像できた。
このことについては、後にひとつの方策を取ることになるだろう。
◆
モロタイ島を回っている時は緊張していたので意識していなかったが、船に乗って島を去るときにセサルがぽつりとつぶやいたことがあった。
「ここは海の果てだろうか」
いや、私たちが至ったのはポルトガルの影響が及ぶ範囲の果てまでだ。モロタイ島の西と南、すなわち私たちがやってきた方角には島嶼があるものの、東ははるか彼方まで何もない。ただ、進めど進めど、大海原が続くその先にはスペイン艦隊の拠点メキシコがある。
ここは海の果てではない。
果てを目指しても、経路がずれなければ出発点に戻るのだ。それは逆を回ってきたスペイン艦隊が確かに証明している。
ここは海の果てではない。
それはセサルも分かっている。
それでも、モロタイ島を訪れた後で私たちはそこが海の果てのように思えたのだ。
煙を噴く山、なかなか打ち解けてくれない人々、草木がすべてを覆い尽くして、山は急峻にそそり立つ……そこに、私たちの常識とは異質の、私たちの故国とはまったく異なる光景があった。
海の果てというより、地の果てに来たという方が正しいだろうか。
地の果てというのもないように思うのだが、もしかするとあるのかもしれない。
ここよりもさらに果ての地が。
海の巡礼路はどこまで続くのだろう。
◆
1546年7月に、私たちはマラッカに戻ってきた。海峡の都市である。マラッカを初めて訪れたときにはそれほど感じなかったが、島々を回った後では人の多さに息切れがしたほどだった。私たちは昨年から就任したシモン・デ・メロ長官へのあいさつに訪れたのだが、彼は前任のポテリョ長官から話を聞いていたようで、興奮しながら私たちの旅の苦労をねぎらってくれた。
「危険があって、司祭がいなかったモロタイ島までよく足を伸ばしてくれました。無事で何よりです。ゴアやリスボンまであなたの活動は知られていますよ。みなあなたを尊敬し、会いたいと思っています。あなたに続いてモルッカ諸島への宣教に赴きたいという人たちがいて、もうマラッカに来ているのです。ぜひ、彼らに助言をしてあげてください」
私たちは長官にていねいにあいさつをすると、さっそく聖堂に向かうことにした。
巨大なサンティアゴ砦が日に灼けたように見える。それは、真夏のマラッカをいきなり見たからかもしれない。マラッカは常に暑い町なのだが、空も緑も色がとても濃い。
「おまえは、ずいぶん人から注目されるようになったな」とセサルがつぶやく。
「そうなのでしょうか」
「ああ、出会った人も出会っていない人もおまえのしたことに注目している。これからは一段とそうなるだろう。それはいい面もあれば、そうでない場合もある。水を差すようだが、それには気をつけたほうがいいかもしれない」
セサルの顔を見ながら、私はこの人のたどってきた道を思った。この人はごくごく幼い頃から注目されて育ったのに違いなかった。教皇の庶子(実際は実子)として、小さい頃から衆目を集めてきたのだ。そう、彼は10代半ばでもうパンプローナの司教だった。それがローマの人々にどれほどの感情を抱かせたか、想像することは難しくなかった。彼の言葉には実感がこもっている。
「あなたがそう言うわけは分かりますよ。水を差しているなどと思うはずはありません」
私はセサルに他人事のように告げたが、それを実感するのは思ったよりもずっと早かった。
私たちは総督が言っていた3人の聖職者にまず対面することにした。ファン・デ・ベイラ司祭、ヌノ・リベイラ司祭、ニコラス・ヌネス修道士だ。この3人がモルッカ諸島の宣教活動を引き継ぐと志望してくれたのだ。私はとても嬉しく感じたし、自分の見聞きしたこと、適切な宣教の方法についてしっかり引き継がねばと、身の引き締まる思いだった。
リベイラ司祭とヌネス修道士がポルトガルのコインブラでイエズス会に入会したと聞いて、私は身が震える思いがしたよ。アントニオ、コインブラ大学には私の血縁者、マルティン・ナワロ教授(アスピルクエタ)がいるからだ。私がそれを持ち出すまでもなく、彼らからその話をしてくれた。
「国王の認可を受けたイエズス会のコインブラ学院でたくさんの若者が学んでいます。コインブラ大学のナワロ教授も神学やラテン語の担当として教鞭(きょうべん)を取っておられます。だいぶお年を召しておられますが、まだまだご健在です。私が聴講したときもザビエル司祭のことを話しておられましたよ。彼は私の一族の、ナヴァーラの誇りだと。私もそのお話を聞き、あなた様にお会いすることを夢見ていたのです」
リベイラ司祭の言葉を聞いて、セサルは、「フッ」と笑いをこぼした。私はセサルを見やって顔を赤くした。マルティンが元気なのは何よりだったし、イエズス会のために尽力してくれているのも嬉しかった。しかし、ナヴァーラの誇りとは……少々言い過ぎだと思う。
私はかつて、マルティンが寄越してきた手紙のことを思い出した。
――カトリック教会を救うなどと言っているようだが、文字通り大言壮語(たいげんそうご)と断じざるを得ない。既存の教会に、聖職者にそれができないと言うのだろうが、おまえたち若者の集団にそれができるという保証はあるのか。おまえの兄たちの言うことはもっともだと私は思う。早くその集団からは抜けてパリ大学での学業を修了しなさい。皆がナヴァーラで、サラマンカでおまえのことを本当に心配しているのだということを理解してほしい。これだからパリ大学などにやるのではなかった。私の目の届く大学にいればこのようなことにはならなかったのに。だからサラマンカに来いと何度も言っただろう。もう修士は取っているのだから、そのままサラマンカに来なさい。これではお前の亡き母に合わせる顔がない――
マルティンにとって、イエズス会は得体の知れない若者の集団に過ぎなかった。それが今は会士を育てる立場を担い、イエズス会に貢献してくれているのだ。何という、素晴らしいことだろう。
懸命に活動するのは主の御心に沿うものだと考えているからで、他の評価や賞賛をあてにしてのことではない。そのような考えでいたら、宣教などできるはずはないのだ。それでも、彼らのようにはるばる海を渡って私の後に付いてきてくれる人がいるというのはたいへん光栄なことだった。彼ら3人にはモルッカ諸島への船が出るまで1カ月ほどの間、島々の様子や信徒の状況などをていねいに説明することにした。
彼らは1547年8月に、モルッカ諸島に旅立っていった。
マラッカの数ヵ月は大きな実りを実感し、大いに働く時間でもあった。
ピエール・ファーブルが天に召されたことを知ったのも、ここマラッカでのことだった。シモン・ロドリゲスからの手紙が届いたのだ。彼はきっと、ローマからの報を受けて急いで手紙を出してくれたのに違いなかった。それでも、1年かかるということだ。いや、ローマからポルトガルに伝わる時間を思えば、驚くほど早く届いたという方が正しい。
やはり、ピエールが逝ったのは1546年の8月1日だった。去年、その日に、私はピエールの声を聞いた。それで、察したところもあったのだが改めて現実として受けとるのは悲しかった。ただ、このときはマラッカで忙しくつとめていたので、それで気をまぎらわすこともできた。
イエズス会の会員で天に召されたものはピエールの他にもいる。それを手紙で知るほかはなかったのだが、私たちのたどった道のりを思い返して、彼らのために祈ったのだよ。
トリエント公会議は1545年3月15日に始まってこの年(1547年)まで続き、いったん中断したという。結局、プロテスタントの聖職者が公会議の参加を見送ったということも手紙で知った。ただ、カトリック教会はプロテスタントの主張を自身の教会改革に生かすよう、教義の見直しをすすめているということだった。
すべてが一息にすすみ、解決するならどんなに素晴らしいだろう。しかし、大きな石を遠くに運ぶには少しずつ、少しずつ動かしていくしかないのだ。
マラッカではたいへん多忙な日々を送っていた。前に来訪したときも病院に滞在し、そこから聖堂での礼拝や説教に向かい、夜は子どもたちに話をし、祈る時間をもうけていた。再訪した今回はそれに輪をかけたようになって、礼拝や説教のときには人が入りきれなかったり、告解を求める人々の長い行列が連なっていた。他にも司祭はいるのだが、「ザビエル司祭に」と望む人ばかりだった。皆同じなのだが……と苦笑するしかない。なかなか全員の話を聞くに至らず、列の後方の人が怒り出す一幕もあった。
「これが、すなわち注目されることということだ」とセサルは聖堂のつとめをしながら私にささやく。私はうなずく。
率先して前に進むこと、それは人に付いてきてもらうことでもあるのだ。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻
初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。
1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。
霧深き北海で戦艦や空母が激突する!
「寒いのは苦手だよ」
「小説家になろう」と同時公開。
第四巻全23話
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
小童、宮本武蔵
雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。
備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。
その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。
宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。
だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く!
備考
宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助)
父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。
本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。
霧衣物語
水戸けい
歴史・時代
竹井田晴信は、霧衣の国主であり父親の孝信の悪政を、民から訴えられた。家臣らからも勧められ、父を姉婿のいる茅野へと追放する。
父親が国内の里の郷士から人質を取っていたと知り、そこまでしなければ離反をされかねないほど、酷い事をしていたのかと胸を痛める。
人質は全て帰すと決めた晴信に、共に育った牟鍋克頼が、村杉の里の人質、栄は残せと進言する。村杉の里は、隣国の紀和と通じ、謀反を起こそうとしている気配があるからと。
国政に苦しむ民を助けるために逃がしているなら良いではないかと、晴信は思う、克頼が頑なに「帰してはならない」と言うので、晴信は栄と会う事にする。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる