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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル
注目される人 1547年 マラッカ
しおりを挟む〈フランシスコ・ザビエル、シモン・デ・メロ長官、ファン・デ・ベイラ司祭、ヌノ・リベイラ司祭、ニコラス・ヌネス修道士、セサル・アスピルクエタ〉
1547年の半分ほど、私たちはモロタイ島からテルナテ島、アンボン島、そしてマラッカへと来た道を戻っていた。
モロタイ島にキリスト教を根付かせるには長い時間を必要とすることは間違いなかった。ただ、モロタイ島の村々を回って見聞きしたことは後に続く人たちにとって有益なものになると確信したので、私はそれを書き綴ることに専念していた。
テルナテ島とアンボン島ではさきに信徒になった人々が温かく迎えてくれた。そして、司祭としてのつとめを果たしながら日々を過ごしたのだ。
日曜日と祝日には2回、礼拝と説教を行う。1回目は朝、在留ポルトガル人のために。2回目は昼食後、それ以外の信徒のために。午前と午後に信徒の告解を聞き、ポルトガル人と結婚した女性のための礼拝と説教も行った。この2つの島では私たちの信仰が定着している。それを再訪したときに実感し、私は心から安堵したのだよ。
そのような場所を離れるのは後ろ髪を引かれるような気分になるものだ。私たちが出航するときに皆で見送りに出てくれたときのことを思い出すと、今でも胸の奥が温かくなる。
セサルとはこの間によく話をすることもできた。表現が適切かどうかは分からないが、彼はまるで参謀のようだったよ、アントニオ。
ポルトガルの拠点でこれからどうやって宣教活動を広げていくのかということについての話だ。信徒にどのように信仰を深めてもらうか、未信徒にどのように話をしていくか。どこに何人ほどの宣教師が必要か、どのように総督なり長官とつながりを持っていくか。現地の王にはどのような態度で対面していくか。そして、私たちの大切な移動手段である船についても、セサルは一家言持っていた。
「世俗のものを避けているわけにはいかない。国王の命が出る前に旅立たなければならないときもある。そのためには、船を持っている商人と日頃から付き合いをしておく必要がある。場合によっては当面の費用を借用することも含めてだ。国王なり総督の信を得ているとは言っても、先立つものがなければ何もできないのは事実だ。これまでは船主の好意に依ることも多かったと思うが、今後は宣教師の数も増える。それを見越したほうがいい」
セサルはいつも現実を見ている。それがこの旅でどれほど私の助けになったことか。どんなに望んでも、これ以上の供は得られないだろう。聖職者であり、政治家であり、軍人……いや、司令官でもある。身体は老いてきたが、その頭脳や判断力は変わらないのではないかと私は思う。
アントニオ、今でこそ船主である大商人と親しく交流することは珍しくなくなった。ただ、まだこのときには商人と聖職者の間には一本、はっきりとした線引きがあったのだよ。もともと、求めているもの、目的が異なっていたのだ。商人は現世利益、すなわち儲けることが第一で、聖職者は神の恵み、主の教えを広め、信徒を導くことが第一義だ。それは理解できるだろう。
サン・トメで信仰を失っていた商人が改心した話はもうしたと思う。その後モロタイまで回ったことで、私たちの話に耳を傾けて、信仰に目覚める可能性のある人はまだまだたくさんいると確信したのだよ。そのためにも、商人たちと多く話をする必要を感じていた。
もちろん、ポルトガル人の多くが商人だということもある。
これも言ったと思うが、商人の中にはコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教に改宗した人)が多い。本国では異端審問が厳しく執り行われて、真に改宗したのに疑われることも珍しくなかった。それならば海を渡って自由に暮らしたい。そう思うのも不思議はない。
ヒンドゥー教、イスラム教、あるいは他の宗教から改宗する人と、ユダヤ教から改宗した人を区別するべきだろうか。もし、キリスト教徒としての信仰を真に持つのであれば、同じに扱うべきではないだろうか。そうでなければ、宣教活動じたいに矛盾が生じるだろう。
これは、異端審問制度をすすめているポルトガル国王にそのまま言うわけにはいかないことで、たいへん難しい問題だった。それに聖職者の中にも反対する人がいるだろうことも想像できた。
このことについては、後にひとつの方策を取ることになるだろう。
◆
モロタイ島を回っている時は緊張していたので意識していなかったが、船に乗って島を去るときにセサルがぽつりとつぶやいたことがあった。
「ここは海の果てだろうか」
いや、私たちが至ったのはポルトガルの影響が及ぶ範囲の果てまでだ。モロタイ島の西と南、すなわち私たちがやってきた方角には島嶼があるものの、東ははるか彼方まで何もない。ただ、進めど進めど、大海原が続くその先にはスペイン艦隊の拠点メキシコがある。
ここは海の果てではない。
果てを目指しても、経路がずれなければ出発点に戻るのだ。それは逆を回ってきたスペイン艦隊が確かに証明している。
ここは海の果てではない。
それはセサルも分かっている。
それでも、モロタイ島を訪れた後で私たちはそこが海の果てのように思えたのだ。
煙を噴く山、なかなか打ち解けてくれない人々、草木がすべてを覆い尽くして、山は急峻にそそり立つ……そこに、私たちの常識とは異質の、私たちの故国とはまったく異なる光景があった。
海の果てというより、地の果てに来たという方が正しいだろうか。
地の果てというのもないように思うのだが、もしかするとあるのかもしれない。
ここよりもさらに果ての地が。
海の巡礼路はどこまで続くのだろう。
◆
1546年7月に、私たちはマラッカに戻ってきた。海峡の都市である。マラッカを初めて訪れたときにはそれほど感じなかったが、島々を回った後では人の多さに息切れがしたほどだった。私たちは昨年から就任したシモン・デ・メロ長官へのあいさつに訪れたのだが、彼は前任のポテリョ長官から話を聞いていたようで、興奮しながら私たちの旅の苦労をねぎらってくれた。
「危険があって、司祭がいなかったモロタイ島までよく足を伸ばしてくれました。無事で何よりです。ゴアやリスボンまであなたの活動は知られていますよ。みなあなたを尊敬し、会いたいと思っています。あなたに続いてモルッカ諸島への宣教に赴きたいという人たちがいて、もうマラッカに来ているのです。ぜひ、彼らに助言をしてあげてください」
私たちは長官にていねいにあいさつをすると、さっそく聖堂に向かうことにした。
巨大なサンティアゴ砦が日に灼けたように見える。それは、真夏のマラッカをいきなり見たからかもしれない。マラッカは常に暑い町なのだが、空も緑も色がとても濃い。
「おまえは、ずいぶん人から注目されるようになったな」とセサルがつぶやく。
「そうなのでしょうか」
「ああ、出会った人も出会っていない人もおまえのしたことに注目している。これからは一段とそうなるだろう。それはいい面もあれば、そうでない場合もある。水を差すようだが、それには気をつけたほうがいいかもしれない」
セサルの顔を見ながら、私はこの人のたどってきた道を思った。この人はごくごく幼い頃から注目されて育ったのに違いなかった。教皇の庶子(実際は実子)として、小さい頃から衆目を集めてきたのだ。そう、彼は10代半ばでもうパンプローナの司教だった。それがローマの人々にどれほどの感情を抱かせたか、想像することは難しくなかった。彼の言葉には実感がこもっている。
「あなたがそう言うわけは分かりますよ。水を差しているなどと思うはずはありません」
私はセサルに他人事のように告げたが、それを実感するのは思ったよりもずっと早かった。
私たちは総督が言っていた3人の聖職者にまず対面することにした。ファン・デ・ベイラ司祭、ヌノ・リベイラ司祭、ニコラス・ヌネス修道士だ。この3人がモルッカ諸島の宣教活動を引き継ぐと志望してくれたのだ。私はとても嬉しく感じたし、自分の見聞きしたこと、適切な宣教の方法についてしっかり引き継がねばと、身の引き締まる思いだった。
リベイラ司祭とヌネス修道士がポルトガルのコインブラでイエズス会に入会したと聞いて、私は身が震える思いがしたよ。アントニオ、コインブラ大学には私の血縁者、マルティン・ナワロ教授(アスピルクエタ)がいるからだ。私がそれを持ち出すまでもなく、彼らからその話をしてくれた。
「国王の認可を受けたイエズス会のコインブラ学院でたくさんの若者が学んでいます。コインブラ大学のナワロ教授も神学やラテン語の担当として教鞭(きょうべん)を取っておられます。だいぶお年を召しておられますが、まだまだご健在です。私が聴講したときもザビエル司祭のことを話しておられましたよ。彼は私の一族の、ナヴァーラの誇りだと。私もそのお話を聞き、あなた様にお会いすることを夢見ていたのです」
リベイラ司祭の言葉を聞いて、セサルは、「フッ」と笑いをこぼした。私はセサルを見やって顔を赤くした。マルティンが元気なのは何よりだったし、イエズス会のために尽力してくれているのも嬉しかった。しかし、ナヴァーラの誇りとは……少々言い過ぎだと思う。
私はかつて、マルティンが寄越してきた手紙のことを思い出した。
――カトリック教会を救うなどと言っているようだが、文字通り大言壮語(たいげんそうご)と断じざるを得ない。既存の教会に、聖職者にそれができないと言うのだろうが、おまえたち若者の集団にそれができるという保証はあるのか。おまえの兄たちの言うことはもっともだと私は思う。早くその集団からは抜けてパリ大学での学業を修了しなさい。皆がナヴァーラで、サラマンカでおまえのことを本当に心配しているのだということを理解してほしい。これだからパリ大学などにやるのではなかった。私の目の届く大学にいればこのようなことにはならなかったのに。だからサラマンカに来いと何度も言っただろう。もう修士は取っているのだから、そのままサラマンカに来なさい。これではお前の亡き母に合わせる顔がない――
マルティンにとって、イエズス会は得体の知れない若者の集団に過ぎなかった。それが今は会士を育てる立場を担い、イエズス会に貢献してくれているのだ。何という、素晴らしいことだろう。
懸命に活動するのは主の御心に沿うものだと考えているからで、他の評価や賞賛をあてにしてのことではない。そのような考えでいたら、宣教などできるはずはないのだ。それでも、彼らのようにはるばる海を渡って私の後に付いてきてくれる人がいるというのはたいへん光栄なことだった。彼ら3人にはモルッカ諸島への船が出るまで1カ月ほどの間、島々の様子や信徒の状況などをていねいに説明することにした。
彼らは1547年8月に、モルッカ諸島に旅立っていった。
マラッカの数ヵ月は大きな実りを実感し、大いに働く時間でもあった。
ピエール・ファーブルが天に召されたことを知ったのも、ここマラッカでのことだった。シモン・ロドリゲスからの手紙が届いたのだ。彼はきっと、ローマからの報を受けて急いで手紙を出してくれたのに違いなかった。それでも、1年かかるということだ。いや、ローマからポルトガルに伝わる時間を思えば、驚くほど早く届いたという方が正しい。
やはり、ピエールが逝ったのは1546年の8月1日だった。去年、その日に、私はピエールの声を聞いた。それで、察したところもあったのだが改めて現実として受けとるのは悲しかった。ただ、このときはマラッカで忙しくつとめていたので、それで気をまぎらわすこともできた。
イエズス会の会員で天に召されたものはピエールの他にもいる。それを手紙で知るほかはなかったのだが、私たちのたどった道のりを思い返して、彼らのために祈ったのだよ。
トリエント公会議は1545年3月15日に始まってこの年(1547年)まで続き、いったん中断したという。結局、プロテスタントの聖職者が公会議の参加を見送ったということも手紙で知った。ただ、カトリック教会はプロテスタントの主張を自身の教会改革に生かすよう、教義の見直しをすすめているということだった。
すべてが一息にすすみ、解決するならどんなに素晴らしいだろう。しかし、大きな石を遠くに運ぶには少しずつ、少しずつ動かしていくしかないのだ。
マラッカではたいへん多忙な日々を送っていた。前に来訪したときも病院に滞在し、そこから聖堂での礼拝や説教に向かい、夜は子どもたちに話をし、祈る時間をもうけていた。再訪した今回はそれに輪をかけたようになって、礼拝や説教のときには人が入りきれなかったり、告解を求める人々の長い行列が連なっていた。他にも司祭はいるのだが、「ザビエル司祭に」と望む人ばかりだった。皆同じなのだが……と苦笑するしかない。なかなか全員の話を聞くに至らず、列の後方の人が怒り出す一幕もあった。
「これが、すなわち注目されることということだ」とセサルは聖堂のつとめをしながら私にささやく。私はうなずく。
率先して前に進むこと、それは人に付いてきてもらうことでもあるのだ。
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