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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

象の群れと聖トマスの面影 1545年 サン・トメ(インド)

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〈フランシスコ・ザビエル、フランシスコ・マンシラス、セサル・アスピルクエタ、聖トマス、東の国の男、ミセル・パウロ、フランシスコ・マンシラス〉

 私たちはセイロン島を北上し、インドのネガパタン(現在のナーガパッティナム)に移った。ここから南端のコモリン岬に行き、フランシスコ・マンシラスのもとを訪れるつもりでいた。しかし風向きが北になり、南に進むことができなくなった。
 そんな時にセサルに声をかけられた。このままインドを北上してサン・トメ(のちにマドラス、現在のチェンナイ)に行かないかーーと。ネガパタンからサン・トメまでは63レグア(約315km)あるが、そこにはポルトガル人が在留していて、船も定期的に出ている。そこで、予定にはなかったが北上していくことにしたのだ。



 セサルは私を励まそうとしていたのだと思う。セイロン島で宣教する希望が儚くなり、私は意気消沈していたのだ。
 ポルトガルの艦船がセイロン島に至らなかったことはたいへん残念だった。マンナル島でキリスト教徒が迫害されたのも、コタの王子が改宗して処刑されたのも、私にとって見過ごすことのできない事件だったのだ。キリスト教の庇護者であるポルトガルも不可抗力だったにせよ当面対処はしないことになった。
 ポルトガルの動きだけを責めているのではない。私は自身の無力を感じていた。インドの人々がどれほど改宗しても、今回のような迫害に遭うのであれば宣教する意味はあるのか。そのようなことをずっと考えていたのだ。

 セサルはそんな私を見て、サン・トメに向かうよう私の肩を押したのだ。

 サン・トメは確かに特別な場所だった。その名はポルトガルが付けたものだが、聖トマスが宣教の果てに倒れたのはそこだったのだ。
 聖トマス、私たちの先達。
 私はソコトラ島(現在イエメン)で出会った人々のことを懐かしく思い出した。文字がない言葉を話すソコトラの人々は、1500年経っても聖トマスの名を呼び、「アレルヤ」と祈りを唱えていた。それは震えるほど感動する出来事だったし、同じ道を進む自分を力づけてくれた。

 私はそうしてインドに来たのだ。

 私とセサルはネガパタンからサン・トメに向かう船に乗り込んだ。日常的に行き来する定期船は小さなダウ船(帆船)が使われることが多い。小さい、と言っても30人ほどは乗ることができる。船は風にのって沿岸をすいすい進んでいく。

「おい、あれを見ろ」と不意にセサルが言う。
「何ですか?」と私はセサルが指差した方を見る。川岸の草むらに何か大きな生き物が見える。何頭か群れになっているようだ。
「何ですか、あれは」
「象だ」とセサルが言う。
 私はさらに目を凝らす。その灰色の大きな生き物は長い鼻をうまく使って、地面の草をむしり取ったり、低木の実を取って食している。象が群れでいるのを見たのは初めてだった。今までインドの大地を動き回っていたのに、今まで目にしたことがないのが不思議だった。意識していなかっただけかもしれない。あれだけ大きな生き物を意識していなかったというのが不思議だった。
 目を凝らし続けている私にセサルが言う。
「インドでもあまり南に行くと数が少ないようだ。ゴアに象を売りに来た商人がいたが、まあ、あまりポルトガル人がいるところには、現れないし、出さないのかもしれない」
「本当ですか」と私は聞き返す。
「さあ、どうだろうか。ただ、象はインドでは聖なる動物だからな」とセサルが笑う。

 そうだった。私はバラモンのいるパゴダに行った時に、ヒンドゥー教の神を描いた絵を見た。その中に象の頭の神がいたのを思い出した。特定の動物を神と仰ぐ慣習はヨーロッパにはないが、ギリシア神話にはそのような伝説上の生き物も描かれていた。セイレーンやミノタウルスなどがパッと思い浮かぶ。もしかしたら古代ギリシア時代やヘレニズムの頃に、東西の文化が交わったことが関係しているかもしれない。私はそんな想像をしながら象の群れを見ていた。

「நீங்கள் இந்தியாவில் யானைகள் பார்த்ததில்லை என்று சொன்னீர்கள். நீங்கள் ஒரு போர்த்துகீசிய கோட்டையிலிருந்து வெளியே வரவில்லை?」
(インドで象を見たことがないなんて、ポルトガルの要塞の外に出たことがないのでは?)

 ふっと、タミル語のつぶやきが聞こえたので私は後ろを見た。マラバル語と少し違うが、言わんとすることは理解できた。そこにはまだ若い、痩せこけた男性が立っていた。ボロボロの衣を身にまとっている。それまで現地出身の船員かと思っていた。しかしよく見ると、肌は褐色だがインド人特有の顔をしていない。そして、その目はらんらんと光っている。セサルがとっさに私の目の前に立ち、その男に聞く。

「ஏதோ ஒன்று?」
(何か用か?)

 私はセサルがとっさにタミル語で聞いたことに驚いた。いつの間に覚えたのだろう? しかし、続いて男が発した言葉に私はさらに驚いた。

「Estou interessado em você. Eu quero falar com você.」
(私はあなたに興味があります。あなたと話をしたい)
  ポルトガル語に言葉を替えたその男を、セサルはじっと見ていた。
 鷹のような鋭い目で。
 これまで私が見たことのない、殺気を発する眼差しだった。
 私ははらはらして、セサルとその男が船の一角に移動していくのを見守っているしかなかった。

 しばらく私が景色を眺めて待っていると、セサルが戻ってきた。私が、「大丈夫でしたか?」と聞くと、セサルは微笑んでうなずいた。
 いつもの穏やかなセサルだった。

 男の姿は私たちの視界からは消えていた。私はどうしても気になって、セサルにあの男のことを尋ねてみた。セサルは辺りを警戒しながら、バスク語で話してくれた。

 男はバラモンの修行をするためにはるばる東の国からインドに来たという。しかし、この国の階級は厳密に規定されている。バラモンの階層に入り込むことはまず不可能だ。彼はそこで、ヒンドゥー教の少数派で構成する集団に入った。「それはおそらく、ヒンドゥー教とは異なるものだろう」とセサルは言う。男はその集団からほどなく逃げ出し、インド各地を転々としている……。
「どこの国のひとなのでしょう。国に帰ればいいのに」と私はつぶやく。
「東の国だとだけしか言っていなかったが……国は分からない。どうも話を聞いている限りでは、国で何かしでかして飛び出してきたのではないか」
「罪人ですか……」
「ただ、あの目の光りかたは尋常ではない。人をかどわかすような目だ。魔術師だとか、錬金術師だとか、呪術師だとか、そういった類いの目だ。おまえが親しむ必要のない人間だろうな」とセサルはつぶやいた。
「……そうかもしれませんね。ただ、彼はあなたと話したいと言っていた。それはどうしてでしょう」と私は続けて聞く。

 セサルは私の顔を見て、ふっと笑った。
「Esan zidan, nire bizkarrean herensuge bat ikusi zuen.」
(私の背後に竜が見えたそうだ)
「Herensuge?」
(竜ですか?)

「私はキリスト教徒なので、それは受け入れられない見解だ、と言った。すると男は笑って、”違う、西洋の竜ではない。東洋の龍だ"と言う」とセサルは続ける。
 セサルの言う通り、キリスト教にとって竜というのは倒されるべき存在なのだ。

「東洋では、特に中国では、龍は歴史的に皇帝の力を象徴するものだそうだ。彼は私にそのようなものを見たらしい。だから話しかけてきた」

 私は少し考えてから言った。
「力を表わすという意味ならば、確かにそれは間違っていない。なぜならあなたは、ローマの復権と再興を……」

「……もう、過ぎたことだ。フランシスコ、それは単なる過去に過ぎない。あの男はうさんくさいことこの上ないが、そのようなことを見る目はあるのかもしれない。見えると言っても、両刃の剣だろうが……いずれにしても私の場合は、もう過ぎたことだ」

 どこの国の人か、何を狙ってセサルに話しかけたのか、その男のことは結局それ以上分からなかった。どこに姿をくらましたのか、さほど大きくない船の中で、その後男の姿を見ることはなかった。



 サン・トメに着くと、ここにもポルトガル人の町があった。ここはその名の通り、聖トマスに由来する場所である。彼はこの地で殉教したと伝えられている。したがって、聖トマスを記念する聖堂も墓所もここにある。

 立派な町だった。
 初めてヴァスコ・ダ・ガマがこの地に足を踏み入れてから47年、沿岸には要塞に囲まれた町が多く築かれた。その過程ではさまざまなできごとがあっただろう。喜ばしいことも、悲しむべきことも、争いも戦いも、恋も誕生も死もあっただろう。それはヨーロッパのどこにいても出くわすことだと思うが、異国の地でなされるという点でそれぞれの色合いをいっそう濃くしているように私は思った。

 私たちは聖トマスが逗留していたと伝えられる場所に向かった。それは小高い丘の上にあり、私たちは地面をしっかりと踏みしめて無言で歩き続ける。
 一歩一歩登っていく。
 私はふと、1534年のパリ、モンマルトルの丘を登っているような感覚にとらわれた。
 私の前にイニゴ(イグナティウス・ロヨラ)の背中が見える。少しだけ脚を引きずっているが、迷うことなくまっすぐ進んでいく。そして、私の隣にピエール・ファーブルがいる。すべてを受け入れるような穏やかな微笑みをもって、しかし、その瞳は少し上方にまっすぐ向けられている。私の後ろには、シモン・ロドリゲス、ディエゴ・ライネス、アルフォンソ・サルメロン、ニコラ・ボバディリャが続いている。
 皆が地面を踏みしめる音以外、何も聞こえない。ただ静かに、丘の上の小さな聖堂を目指して歩いていく。
 あの8月15日、聖母マリアの日。
 私たちイエズス会の始まりの日。
 あれから11年の月日が去り、私はここにいる。



 サン・トメの丘の上にはほどなく着いた。
 セサルは私の後を歩いていたが、これぐらいの丘ならば問題なく歩けるようだった。息がまったく上がっていない。
「聖トマスはコーチンからここまで歩いてきたと伝えられている。インドを縦横無尽に歩いていたのだな」とセサルが言う。
「ええ、それに比べると、私たちは船で移動していますので楽をしているかもしれませんね」と私はうなずく。

「使徒の旅に、楽なものなどない」

 セサルの言葉に私は虚をつかれた。
 私の、言葉を継げない様子を見て、セサルは穏やかな目をして言う。
「聖トマスがこの国でしたことと、おまえがしてきたことは、詳細に言えば異なるだろう。でも、その根本に何の違いがあろうか」

 私は、この時ばかりは涙せずにいられなかった。悲しかったのではない。これまでのことが、胸に押し寄せてくるようだった。そして、新たな力が湧いてくるのを感じたのだ。

「Aurrera, aurrera egin dezagun」
(さあ、前に進もう)

 私は丘の上で、新たに生まれ変わったような気持ちになっていた。
 私とセサルはともに長い時間祈りを捧げた。そして丘を下りて海に近い聖堂と聖トマスの墓所を訪れた。そして、また祈りを捧げた。

 前に進むことを誓ったのだ。
 もっと東へ、使徒の旅を進めることにしたのだ。

 インドに到着して丸々3年、私は南部沿岸の地域を中心に宣教して回ってきた。そして、ゴアを起点にし各都市に聖職者を派遣する環境が整うのを確かめた。ミゲル・ヴァス司教代理のように徳の高い先人がその基盤を作ってきたことを知った。聖職者を養成する学院についても、同道してきたミセル・パウロ司祭がよく働いている。政治的な問題は今後も起こりうるが、教会全体としてはこの3年だけを見てもよい変化が現れている。そのような今が、私の進むべきときだと思えた。

 私はサン・トメから、ゴアのミセル・パウロ司祭とディエゴ司祭あてに手紙を書いた。

〈……(ポルトガルの)ジャフナパタン遠征は中止となり、信者になりたい(ジョアン)王子も王位には就けませんでした。遠征をやめたのはペグーから航行してきたポルトガル国王の船が座礁し、ジャフナパタン王が積み荷を奪ったからで、その積み荷を取り戻すまでは総督が命令された遠征は行われません。
……私は数日、ネガパタンにいましたが、風向きが逆でコモリン岬へ帰ることができませんでした。それでサン・トメに来る以外に仕方なかったのです。この聖なる家(聖トマスの墓所聖堂)で私が専念したのは、いとも尊い御旨を心のうちに深く感じて、聖旨を遂行する決意を固められるように、主なる神にお願いすることでした。
……神はいつものようにご慈悲をもって私を聖心にとめてくださいました。そして、マカッサル地方で新しく信者になった人々のために、私がそこに行くことが神の御旨であることを、深い内心の慰めのうちに感じ、悟るに至りました。
……もし今年マラッカへ行くポルトガル船がないとしても、イスラム教徒か異教徒の船に乗ってでも、私は行きます。親愛なる兄弟たちよ、私は主なる神を深く信頼奉り、もしもこの海岸から、今年中にマラッカに行く船が一艘もなければ、いかだ舟に頼り、神にすべての希望を託して出発します。
……この世の生活では私たちはお会いできないかもしれませんから、主なる神が天国の聖なる栄光のうちに、私たちを再会させてくださいますことを。

サン・トメより 1545年5月8日
あなたがたのいとも小さな兄弟 フランシスコ〉
(※1)

 手紙にはこう書いた。しかし、実際にいかだ舟でマラッカまで行くことは不可能なので、私はマラッカに行く艦船がないか尋ねることにした。聞くと、8月に季節風(モンスーン)が吹くので、その頃に出港する船があるという。もちろん、その間にソーザ総督に手紙を書いて、マラッカの長官にとりなしてもらうよう依頼しなければならない。もちろん、プニカレで懸命に働いているマンシラスにも知らせなければならない。



「おまえは、いったん決めたらもう迷わないのだな」とセサルは笑っている。
「ええ、またこれから準備にかかります。まずは船酔いしないように体力をつけなければ」
 私も笑った。


※1 引用・抜粋『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(河野純徳訳 東洋文庫 平凡社)
……の部分は略しています。( )内の部分は少し変えています。
この書簡はポルトガル語の直筆のもので、タミル語、スペイン語、イタリア語、ラテン語も混ざっているとのことです。本稿でもこれらの言葉をところどころで使用していますが、実際にフランシスコもそうだったということをお心に留めていただければと思います(筆者)。
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