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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル
言葉を越えた先に マナバル(インド)1542年
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〈フランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・デル・ソーザ総督、セサル・アスピルクエタ〉
インドのゴアに着いてから、私は王立病院と聖堂、あるいは留置場、ソーザ総督との相談などあちらこちらに動き回っていた。1542年の秋口にはゴアに聖職者を養成するための学校(聖パウロ学院と名付けられる)の建造がソーザ総督の命令のもと進められており、その敷地内に立派な聖堂も完成した。
それをじっくりと見る間もなく、私はゴアより南の地域マラバル地方に宣教の旅に出ることとなった。ゴアで必要なことは信徒のため、聖職者のための環境を整えることだったが、南の地方はそうではない。ポルトガル人がいない場所に赴くことになる。
「南部はビジャープル王国が勢力を弱めたが、小国の君主がそれでなおのこと警戒を強めている。自国以外はみんな敵で、ポルトガルももちろんそうみなされているだろう。危険ではないか」とセサルは言う。
セサルは土地の情勢について把握しておく習慣があるようだ。従者として目立たずに働いている彼は、端から見れば物静かな老人にすぎない。そうでないことを知っているのは、今のところ私だけだ。イタリア半島と大国の動向を常に注意深く見て行動してきた彼にとって、それはごくごく自然な習慣だったことだろう。
そして今、インドで土地の情勢について知っておくことは、たいへん重要なことだった。
私もここに来るまでは、「インド」というとひとつの国だと考えていた。しかしそうではないとじきに分かる。この頃、インドで勢力を持っているのは北のヴィジャヤナガル王国、そして南のビジャープル国だった。そして南部をはじめ各地に小国が存在していた。それらは小競り合いを繰り返し、平和とは程遠い状況だった。
これらの国が対立する理由は他にもあった。宗教である。ヴィジャヤナガルはヒンズー教の国家で、ビジャープルはイスラムの国なのだ。もともと、インドで古くから信じられてきたのはヒンズー教だったのだが、イスラム教国家が進出してきて版図を塗り替えていく。
ああ、アントニオ、あなたは知っているだろうが、仏教が生まれたのもインドの北方(現在のネパール)だった。仏教徒の国は私のいる辺りにはなかったと思うが、インドは宗教の源であるイェルサレムのような場所でもあるのだと思う。
イスラム王朝に抗して勃興したのが、ヒンズー教のヴィジャヤナガル国だ。もともとこの地で信仰されていたのだから、その勢いは強く、北部を征した後、南部の攻略に取りかかろうとしていた。領土を拡大したいというのがいちばんの目的だっただろうが、そこには「対イスラム教」、「対ヒンズー教」という宗教的な対立も深く絡んでいるのだ。そこに私たち、キリスト教国家ポルトガルも入っていくのだ。
そう、私たちは「ポルトガル人」としてここにいるのだ。セサルにそれをつぶやいたとき、彼はすぐさまバスク語で返してきた。
「Nafararrak zara. Nahiz eta nazioa ez da ezaguna, eta inon ez dago. Portuguesaiekin bizi zaren arren, Nafararrak zara. Eta zu bakarrik apostolu zara. Inoiz ez da aldatzen.」
(おまえは、知られた名かどうか、今あるかどうかは別にして、ナヴァーラ人だ。ポルトガルに付いてはいるが、ナヴァーラ人だ。そして、ひとりの使徒だ。それは変わらない。)
「Eskerrik asko.(ありがとう)」と私は微笑んだ。
セサルはいくつの言葉を話すのか。スペイン語、イタリア語、ラテン語、フランス語、バスク語、ポルトガル語も……私も語学には一日の長があると考えているが、彼には敵わないように思う。はなから争う気もなかったが。彼が語学に長けているのは、その生い立ちにもよる。スペイン人としてローマの周辺で生まれ育ち、聖職者になるべくラテン語を覚え、ピサ大学で青春を過ごし、フランスの女性と結婚した。彼にとって、言葉は風のように自然と頭に入るものなのだろう。それが当たり前のことだったのだ。
人はそれを天才などと呼ぶのだろうが、彼の目指すものはもっとはるか遠くにあって、言葉は情報とか道具にすぎない。
私はナヴァーラ人にも関わらず、ポルトガル人として過ごしていることに多少の寄る辺なさを感じていた。しかし、セサルは何人であるかということに頼らずここまで来たのだ。それを支えているのは何だろう、と私は思う。どれほど遠くまで行っても、彼の目指していた野望が叶うことはもうないだろう。長い潜伏生活を越えて、一人の老人となった彼が求めているものは何だろう。
私はふと、モザンビークで少年が私たちに尋ねてきた時のことを思い出した。セサルはなぜ少年の言うことが理解できたのだろう。
「Tienes que mirar a los otros puramente, para mirar en su corazón.」
(心の中まで見るように、純粋に他人を見ることだ)
野望というなら、ソーザ総督もなかなかなものだった。
総督はインドは初めてではない。4年前にはポルトガル艦隊の総司令官として、インド西岸の攻略にかかっていた。そしてディウ、カリカットに拠点を築くことに成功したのだ。生え抜きの、名うての軍人だ。とは言うものの、私はこのときまで軍人というものに会ったことがなかった。私の兄たちもナヴァーラの自由のために戦ったし、イニゴ(イグナティウス・ロヨラ、イエズス会の総長)もパンプローナでカスティーリャ側として武器を取った。ただ、彼らは生粋の軍人ではなかったし、そうはならなかった。
総督はインドに出来る限り拠点を築いて、最終的にはインドをポルトガルの属州にしようと考えていた。「拠点」というのは表向きにはアジアの海の拠点であるが、インド攻略の拠点でもあった。インド西岸から南部にかけての拠点はすでにいくつもできている。そして海の道を通じてマラッカ海峡まで要塞が築かれている。要塞があるというのは拠点があることと同義である。
総督は情勢を調べて、陸地からインドを攻めていくには南部から始めたほうがよいと考えた。そして実際にそれを始めていたのだ。
セサルが私に懸念を告げたのは、的を射ていたということになる。
「聖職者を先遣か斥候のように行かせるのは、方法として望ましくない。双方になにがしかの了解や合意があるのならば、調停役として赴くことは珍しくないが、ここにそのようなものはないだろう。分かっているだろう。おまえはそれでいいのか」
憮然とした表情でセサルは私に言う。
私はセサルの心配をありがたく感じていたのだが、それで止めるわけにはいかない。
「セサル、人の思惑がいろいろあることは分かっています。時には、それに従わなければならないことも。ただ、やはり聖トマスに倣うべきだと私は思うのです。人の思惑がどうであろうと、インドの人々と話す機会が与えられたことには変わりありません。それが私の果たすべき使命なのです」
「そうだ……神から賜りし祝福だ。ただ、私は聖職者も軍人も経ているから分かるが、二者に主従関係ができるとろくなことにならない。だからこそ、利用されるな」
「はい」と私はうなずいた。
セサルはふっと苦笑いを浮かべる。そして、「南行きには私もともに行く」とつぶやいて、自分の部屋に去った。
もう9月も終わろうというのに、ここはまだまだ暑い。
蚊はまだまだ皮膚を刺し続けている。
アントニオ、これは私にとって長く続く課題になったのだ。あなたも知っているマラッカのアタイデ総督まで、ずっと。
私たちは現地出身の助祭二人を含む4人で、ゴアより南方への旅に出発した。
助祭の二人は片言のポルトガル語を使うが、母語はマラバル語である。このマラバル語がたいへん手強いものだった。ソコトラ島で文字のない言語というのに出くわして驚きもしたのだが、マラバル語(※1)は文字がある。しかし、私たちヨーロッパ人の使っているアルファベットとはまったく違う文字なのだ。助祭に書き起こしてもらったが、それぞれの区別が初めは全くできなかった。現地出身の人がいなければ歯が立たなかっただろう。旅の連れに言葉を学ぶ毎日だった。さすがのセサルもこの文字には難儀していた。
私たちは、マナバルという村に着いた。
この村は海辺にあって、ゴアからもそれほど離れていない。しかし、ゴアのような町では決してない。それでは控えめに過ぎる。人が住んでいるのかというほど、さびれた村だった。村人の服装もかなりぼろぼろに見える。ポルトガル人はここには一人もいない。
この村は8年前にキリスト教に改宗したという。しかし、助祭が間に入って聞いてみると、司祭などの聖職者がそれ以降入ったこともなく、礼拝どころか祈る習慣もなく、洗礼も秘跡も受けたことがないという。ただ、「キリスト教徒です」と繰り返すだけなのだ。
私はメリンデで見た、人の集まらないモスクのカシズのことを思い出した。
形だけ改宗しても、信仰は根付かない。
私の負けん気に火がついた。
そして、自分がするべきだと思うことに取りかかった。まずは、使われていないあばら家にしばらく逗留させてもらうよう、村人と交渉して許しを得る。
居場所ができるやいなや、私たちは祈りの言葉や使徒信条の翻訳に取りかかる。この前ポルトガル語でしていたものをマラバル語で作るのである。これには従者として付いてきたセサルも付き合うことになる。助祭の二人はマラバル語は堪能だが、片言のポルトガル語から翻訳するのに苦労している。もちろん、筆記したものを私たちは声に出して読み下せない。お互いさまだ。一同で大声を出しながら、音も書き取りながら、二つの言葉を噛み合わせていったのだ。
この後、このようなことに何度か遭遇したが、この時がいちばん苦労したのではないだろうか。
その、やや滑稽にも見える私たちの熱意は村人に届いたのだ。
外国人が現地の人を連れてやってきた。しかし、武器を持って攻めてくるわけでもない。海辺のあばら家で、ああでもない、こうでもないと大声で言葉を繰り返して書き留め、何か伝える用意をしている。マラバル語も聞こえてくる。もしかして、私たちのためにしているのだろうか。
私たちのことを奇妙な目で見ていた村人が、だんだん近寄ってくるようになった。
私たちは準備が整うと、村人に集まってもらうように呼びかけた。
私たちが海岸に赴くと、そこには大勢の村人がいた。老人も大人も子どもも、男性も女性も、この村にこれほどいたのか、と思うほどの人が集まっていたのだ。
この地の人々は褐色の肌に目鼻立ちのくっきりした人が多い。その人々の大きな目がじっとこちらに向けられている。私たちは息を飲んだ。
みんな興味津々で私たちが話しはじめるのを待っている。
私はこほんと咳払いをして、イエス・キリストの誕生から語りはじめた。すでにさんざん文字と音をやりとりしたので、助祭もすらすらと通訳できる。
「すでにみなさんはキリスト教徒であるとおっしゃっていましたが、キリスト教徒になるためには洗礼という約束の儀式を受ける必要があります。特にこどもの洗礼は重要です。私は洗礼を授けることができますので、希望される人は知らせてください」
最後にこのように呼びかけると、村人が一人、二人と私たちの前に寄ってきて、「洗礼を」と言う。こどもを抱いた母親も次々とそこに加わる。私たちは急造の小屋で、彼らに洗礼を授けていった。
この近辺の村をいくつか回ったが、どこでもたいへん好意的に受け止められた。特にこどもたちは始終私たちの回りについて離れなかった。みな洗礼を受けたことがたいへんな喜びだったようで、私にもっと祈りの言葉を教えてほしいとせがんできた。私たちは先生が生徒に教えるように、祈りの言葉を繰り返し教え続けた。
「நாங்கள் பிரார்த்தனை செய்கிறோம். தயவுசெய்து」
(お祈りするから、言ってください)※2
翻訳の作業はたいへんだったが、それ以上のものが返ってきたと、私は心から嬉しく感じていた。ソコトラ島でこどもたちに洗礼を授けたときの感覚を思い出した。このような純粋さに出会うと、心の隅々まで清められるのだ。
ポルトガル艦隊の最終的な目的はインドの征服だろう。為政者からすれば、私たちはそのためのひとつの道具と考えられているのかもしれない。場合によっては、その方向にもとづいて行動しなければならないかもしれない。
それでも人々に出会い、語りかけて、それを純粋に受け止めてもらえる喜びがある。
それさえあれば、私は前に進むことができる。
セサルはマナバルのこどもたちの様子を脇から見ながら、静かにたたずんでいた。夜になり皆が去った後、セサルは聖具の手入れをしている。急造の小屋には、ろうそくがほのかに灯っている。彼のような経歴を持つ人が聖具の手入れをしていることを私は不思議に感じたが、当の本人はまったく頓着していない。助祭ももう眠りについている。
手入れをしながらセサルはつぶやく。
「私たちが必死になって、祈りの言葉や使徒信条を作っている様子を見ていたから、彼らは話を聞く気になったのだ。私たちがまっすぐな熱を持って相手に向かえば、それはきちんと相手に伝わる。彼らが素直に洗礼の列に並んだのは、物珍しさからではない。そうだろう」
セサルも感動している。
私の気持ちも満ち足りていた。
「天国はこのような者たちのものである」というマタイ伝の一節が心の奥までしみ渡るようにも思えたのだ。
南へ、いくつかの村をそのように通ったところで、私は一人の男性に呼び止められた。まだ若い、青年のようだった。彼は私たちの話をどこかで聞いたらしい。そして、妻に会ってほしいというのだ。私たちは乞われるまま彼の家に付いていった。
私たちが滞在した海辺のあばら家と同じぐらい、粗末な家に男性の妻は臥せっていた。見ると臨月に近いと思わせるお腹をしていた。もう三日間も陣痛で苦しんでいるという。
その村は領主が改宗を許さなかったため、一人も信者がいなかった。なので、本来ならば私に何かを頼むことはその家族にとって危険な行いだった。それが領主に知られたら、私たちもただでは済まないかもしれなかった。
しかし、間断ない痛みに脂汗を流して呻き声を上げ、苦しんでいる人が目の前にいる。そしてその腹には、世に出ることを望む新たな命がいるのだ。何もしないでおくことこそ、大きな罪ではないか。
私はまず祈った。そして、キリスト教とはどのようなものか話をし、使徒信条などを読み上げる。そして、「あなたは洗礼を望みますか」と尋ねた。
「ஆம், நான் முழுக்காட்டுதல் பெற விரும்புகிறேன்」
(はい、私は洗礼を受けることを望みます)とその女性ははっきりと言った。
私はうなずくと、彼女に洗礼を授けた。
彼女は心から安心して、痛みの中で微笑みを浮かべた。その後すぐ、彼女は出産を迎えたのである。彼女も、生まれた子も無事だった。
彼女の夫とこどもたちが外で待つ私たちのところに駆け寄ってきて、感謝の言葉を口にした。
生まれてきた赤子とともに、夫とこどもたちも洗礼を受けた。
この話は村じゅうに広まった。
すぐに村の有力者、長老のような人たちが私たちのもとにやってきた。洗礼を受けた一家に何か危害が与えられてはいけないので、私たちは丁寧にキリスト教について説明した。この頃になると助祭はイエス・キリストの誕生から死、そして復活までの道行きを自身で語れるようになっていた。私と助祭の話に一同は耳を傾けてくれたのだが、領主が認めないと難しいとうなだれている。
そこに、領主の家臣が通りかかった。その家臣は村の有力者たちから難産の妊婦の話を聞いて、少し思案していた。そして……、
「そのような出来事があったのならば、信仰してもよい。私から領主に説明しておく」と言った。洗礼を受けることを許可したのだ。
私は喜んだ。また、いささかあっけない展開だとも思ったのだが、後になって、それがこの地の風土でもあるということに気づくのだ。
いずれにしてもその村で多くの信者を得て、私たちは次の土地に向かうこととした。
※1 マラバル語は現在のタミル語に近い言語と考えられています。
※2 こどもたちの言葉、その後の妊婦の言葉はタミル語で書いています。
インドのゴアに着いてから、私は王立病院と聖堂、あるいは留置場、ソーザ総督との相談などあちらこちらに動き回っていた。1542年の秋口にはゴアに聖職者を養成するための学校(聖パウロ学院と名付けられる)の建造がソーザ総督の命令のもと進められており、その敷地内に立派な聖堂も完成した。
それをじっくりと見る間もなく、私はゴアより南の地域マラバル地方に宣教の旅に出ることとなった。ゴアで必要なことは信徒のため、聖職者のための環境を整えることだったが、南の地方はそうではない。ポルトガル人がいない場所に赴くことになる。
「南部はビジャープル王国が勢力を弱めたが、小国の君主がそれでなおのこと警戒を強めている。自国以外はみんな敵で、ポルトガルももちろんそうみなされているだろう。危険ではないか」とセサルは言う。
セサルは土地の情勢について把握しておく習慣があるようだ。従者として目立たずに働いている彼は、端から見れば物静かな老人にすぎない。そうでないことを知っているのは、今のところ私だけだ。イタリア半島と大国の動向を常に注意深く見て行動してきた彼にとって、それはごくごく自然な習慣だったことだろう。
そして今、インドで土地の情勢について知っておくことは、たいへん重要なことだった。
私もここに来るまでは、「インド」というとひとつの国だと考えていた。しかしそうではないとじきに分かる。この頃、インドで勢力を持っているのは北のヴィジャヤナガル王国、そして南のビジャープル国だった。そして南部をはじめ各地に小国が存在していた。それらは小競り合いを繰り返し、平和とは程遠い状況だった。
これらの国が対立する理由は他にもあった。宗教である。ヴィジャヤナガルはヒンズー教の国家で、ビジャープルはイスラムの国なのだ。もともと、インドで古くから信じられてきたのはヒンズー教だったのだが、イスラム教国家が進出してきて版図を塗り替えていく。
ああ、アントニオ、あなたは知っているだろうが、仏教が生まれたのもインドの北方(現在のネパール)だった。仏教徒の国は私のいる辺りにはなかったと思うが、インドは宗教の源であるイェルサレムのような場所でもあるのだと思う。
イスラム王朝に抗して勃興したのが、ヒンズー教のヴィジャヤナガル国だ。もともとこの地で信仰されていたのだから、その勢いは強く、北部を征した後、南部の攻略に取りかかろうとしていた。領土を拡大したいというのがいちばんの目的だっただろうが、そこには「対イスラム教」、「対ヒンズー教」という宗教的な対立も深く絡んでいるのだ。そこに私たち、キリスト教国家ポルトガルも入っていくのだ。
そう、私たちは「ポルトガル人」としてここにいるのだ。セサルにそれをつぶやいたとき、彼はすぐさまバスク語で返してきた。
「Nafararrak zara. Nahiz eta nazioa ez da ezaguna, eta inon ez dago. Portuguesaiekin bizi zaren arren, Nafararrak zara. Eta zu bakarrik apostolu zara. Inoiz ez da aldatzen.」
(おまえは、知られた名かどうか、今あるかどうかは別にして、ナヴァーラ人だ。ポルトガルに付いてはいるが、ナヴァーラ人だ。そして、ひとりの使徒だ。それは変わらない。)
「Eskerrik asko.(ありがとう)」と私は微笑んだ。
セサルはいくつの言葉を話すのか。スペイン語、イタリア語、ラテン語、フランス語、バスク語、ポルトガル語も……私も語学には一日の長があると考えているが、彼には敵わないように思う。はなから争う気もなかったが。彼が語学に長けているのは、その生い立ちにもよる。スペイン人としてローマの周辺で生まれ育ち、聖職者になるべくラテン語を覚え、ピサ大学で青春を過ごし、フランスの女性と結婚した。彼にとって、言葉は風のように自然と頭に入るものなのだろう。それが当たり前のことだったのだ。
人はそれを天才などと呼ぶのだろうが、彼の目指すものはもっとはるか遠くにあって、言葉は情報とか道具にすぎない。
私はナヴァーラ人にも関わらず、ポルトガル人として過ごしていることに多少の寄る辺なさを感じていた。しかし、セサルは何人であるかということに頼らずここまで来たのだ。それを支えているのは何だろう、と私は思う。どれほど遠くまで行っても、彼の目指していた野望が叶うことはもうないだろう。長い潜伏生活を越えて、一人の老人となった彼が求めているものは何だろう。
私はふと、モザンビークで少年が私たちに尋ねてきた時のことを思い出した。セサルはなぜ少年の言うことが理解できたのだろう。
「Tienes que mirar a los otros puramente, para mirar en su corazón.」
(心の中まで見るように、純粋に他人を見ることだ)
野望というなら、ソーザ総督もなかなかなものだった。
総督はインドは初めてではない。4年前にはポルトガル艦隊の総司令官として、インド西岸の攻略にかかっていた。そしてディウ、カリカットに拠点を築くことに成功したのだ。生え抜きの、名うての軍人だ。とは言うものの、私はこのときまで軍人というものに会ったことがなかった。私の兄たちもナヴァーラの自由のために戦ったし、イニゴ(イグナティウス・ロヨラ、イエズス会の総長)もパンプローナでカスティーリャ側として武器を取った。ただ、彼らは生粋の軍人ではなかったし、そうはならなかった。
総督はインドに出来る限り拠点を築いて、最終的にはインドをポルトガルの属州にしようと考えていた。「拠点」というのは表向きにはアジアの海の拠点であるが、インド攻略の拠点でもあった。インド西岸から南部にかけての拠点はすでにいくつもできている。そして海の道を通じてマラッカ海峡まで要塞が築かれている。要塞があるというのは拠点があることと同義である。
総督は情勢を調べて、陸地からインドを攻めていくには南部から始めたほうがよいと考えた。そして実際にそれを始めていたのだ。
セサルが私に懸念を告げたのは、的を射ていたということになる。
「聖職者を先遣か斥候のように行かせるのは、方法として望ましくない。双方になにがしかの了解や合意があるのならば、調停役として赴くことは珍しくないが、ここにそのようなものはないだろう。分かっているだろう。おまえはそれでいいのか」
憮然とした表情でセサルは私に言う。
私はセサルの心配をありがたく感じていたのだが、それで止めるわけにはいかない。
「セサル、人の思惑がいろいろあることは分かっています。時には、それに従わなければならないことも。ただ、やはり聖トマスに倣うべきだと私は思うのです。人の思惑がどうであろうと、インドの人々と話す機会が与えられたことには変わりありません。それが私の果たすべき使命なのです」
「そうだ……神から賜りし祝福だ。ただ、私は聖職者も軍人も経ているから分かるが、二者に主従関係ができるとろくなことにならない。だからこそ、利用されるな」
「はい」と私はうなずいた。
セサルはふっと苦笑いを浮かべる。そして、「南行きには私もともに行く」とつぶやいて、自分の部屋に去った。
もう9月も終わろうというのに、ここはまだまだ暑い。
蚊はまだまだ皮膚を刺し続けている。
アントニオ、これは私にとって長く続く課題になったのだ。あなたも知っているマラッカのアタイデ総督まで、ずっと。
私たちは現地出身の助祭二人を含む4人で、ゴアより南方への旅に出発した。
助祭の二人は片言のポルトガル語を使うが、母語はマラバル語である。このマラバル語がたいへん手強いものだった。ソコトラ島で文字のない言語というのに出くわして驚きもしたのだが、マラバル語(※1)は文字がある。しかし、私たちヨーロッパ人の使っているアルファベットとはまったく違う文字なのだ。助祭に書き起こしてもらったが、それぞれの区別が初めは全くできなかった。現地出身の人がいなければ歯が立たなかっただろう。旅の連れに言葉を学ぶ毎日だった。さすがのセサルもこの文字には難儀していた。
私たちは、マナバルという村に着いた。
この村は海辺にあって、ゴアからもそれほど離れていない。しかし、ゴアのような町では決してない。それでは控えめに過ぎる。人が住んでいるのかというほど、さびれた村だった。村人の服装もかなりぼろぼろに見える。ポルトガル人はここには一人もいない。
この村は8年前にキリスト教に改宗したという。しかし、助祭が間に入って聞いてみると、司祭などの聖職者がそれ以降入ったこともなく、礼拝どころか祈る習慣もなく、洗礼も秘跡も受けたことがないという。ただ、「キリスト教徒です」と繰り返すだけなのだ。
私はメリンデで見た、人の集まらないモスクのカシズのことを思い出した。
形だけ改宗しても、信仰は根付かない。
私の負けん気に火がついた。
そして、自分がするべきだと思うことに取りかかった。まずは、使われていないあばら家にしばらく逗留させてもらうよう、村人と交渉して許しを得る。
居場所ができるやいなや、私たちは祈りの言葉や使徒信条の翻訳に取りかかる。この前ポルトガル語でしていたものをマラバル語で作るのである。これには従者として付いてきたセサルも付き合うことになる。助祭の二人はマラバル語は堪能だが、片言のポルトガル語から翻訳するのに苦労している。もちろん、筆記したものを私たちは声に出して読み下せない。お互いさまだ。一同で大声を出しながら、音も書き取りながら、二つの言葉を噛み合わせていったのだ。
この後、このようなことに何度か遭遇したが、この時がいちばん苦労したのではないだろうか。
その、やや滑稽にも見える私たちの熱意は村人に届いたのだ。
外国人が現地の人を連れてやってきた。しかし、武器を持って攻めてくるわけでもない。海辺のあばら家で、ああでもない、こうでもないと大声で言葉を繰り返して書き留め、何か伝える用意をしている。マラバル語も聞こえてくる。もしかして、私たちのためにしているのだろうか。
私たちのことを奇妙な目で見ていた村人が、だんだん近寄ってくるようになった。
私たちは準備が整うと、村人に集まってもらうように呼びかけた。
私たちが海岸に赴くと、そこには大勢の村人がいた。老人も大人も子どもも、男性も女性も、この村にこれほどいたのか、と思うほどの人が集まっていたのだ。
この地の人々は褐色の肌に目鼻立ちのくっきりした人が多い。その人々の大きな目がじっとこちらに向けられている。私たちは息を飲んだ。
みんな興味津々で私たちが話しはじめるのを待っている。
私はこほんと咳払いをして、イエス・キリストの誕生から語りはじめた。すでにさんざん文字と音をやりとりしたので、助祭もすらすらと通訳できる。
「すでにみなさんはキリスト教徒であるとおっしゃっていましたが、キリスト教徒になるためには洗礼という約束の儀式を受ける必要があります。特にこどもの洗礼は重要です。私は洗礼を授けることができますので、希望される人は知らせてください」
最後にこのように呼びかけると、村人が一人、二人と私たちの前に寄ってきて、「洗礼を」と言う。こどもを抱いた母親も次々とそこに加わる。私たちは急造の小屋で、彼らに洗礼を授けていった。
この近辺の村をいくつか回ったが、どこでもたいへん好意的に受け止められた。特にこどもたちは始終私たちの回りについて離れなかった。みな洗礼を受けたことがたいへんな喜びだったようで、私にもっと祈りの言葉を教えてほしいとせがんできた。私たちは先生が生徒に教えるように、祈りの言葉を繰り返し教え続けた。
「நாங்கள் பிரார்த்தனை செய்கிறோம். தயவுசெய்து」
(お祈りするから、言ってください)※2
翻訳の作業はたいへんだったが、それ以上のものが返ってきたと、私は心から嬉しく感じていた。ソコトラ島でこどもたちに洗礼を授けたときの感覚を思い出した。このような純粋さに出会うと、心の隅々まで清められるのだ。
ポルトガル艦隊の最終的な目的はインドの征服だろう。為政者からすれば、私たちはそのためのひとつの道具と考えられているのかもしれない。場合によっては、その方向にもとづいて行動しなければならないかもしれない。
それでも人々に出会い、語りかけて、それを純粋に受け止めてもらえる喜びがある。
それさえあれば、私は前に進むことができる。
セサルはマナバルのこどもたちの様子を脇から見ながら、静かにたたずんでいた。夜になり皆が去った後、セサルは聖具の手入れをしている。急造の小屋には、ろうそくがほのかに灯っている。彼のような経歴を持つ人が聖具の手入れをしていることを私は不思議に感じたが、当の本人はまったく頓着していない。助祭ももう眠りについている。
手入れをしながらセサルはつぶやく。
「私たちが必死になって、祈りの言葉や使徒信条を作っている様子を見ていたから、彼らは話を聞く気になったのだ。私たちがまっすぐな熱を持って相手に向かえば、それはきちんと相手に伝わる。彼らが素直に洗礼の列に並んだのは、物珍しさからではない。そうだろう」
セサルも感動している。
私の気持ちも満ち足りていた。
「天国はこのような者たちのものである」というマタイ伝の一節が心の奥までしみ渡るようにも思えたのだ。
南へ、いくつかの村をそのように通ったところで、私は一人の男性に呼び止められた。まだ若い、青年のようだった。彼は私たちの話をどこかで聞いたらしい。そして、妻に会ってほしいというのだ。私たちは乞われるまま彼の家に付いていった。
私たちが滞在した海辺のあばら家と同じぐらい、粗末な家に男性の妻は臥せっていた。見ると臨月に近いと思わせるお腹をしていた。もう三日間も陣痛で苦しんでいるという。
その村は領主が改宗を許さなかったため、一人も信者がいなかった。なので、本来ならば私に何かを頼むことはその家族にとって危険な行いだった。それが領主に知られたら、私たちもただでは済まないかもしれなかった。
しかし、間断ない痛みに脂汗を流して呻き声を上げ、苦しんでいる人が目の前にいる。そしてその腹には、世に出ることを望む新たな命がいるのだ。何もしないでおくことこそ、大きな罪ではないか。
私はまず祈った。そして、キリスト教とはどのようなものか話をし、使徒信条などを読み上げる。そして、「あなたは洗礼を望みますか」と尋ねた。
「ஆம், நான் முழுக்காட்டுதல் பெற விரும்புகிறேன்」
(はい、私は洗礼を受けることを望みます)とその女性ははっきりと言った。
私はうなずくと、彼女に洗礼を授けた。
彼女は心から安心して、痛みの中で微笑みを浮かべた。その後すぐ、彼女は出産を迎えたのである。彼女も、生まれた子も無事だった。
彼女の夫とこどもたちが外で待つ私たちのところに駆け寄ってきて、感謝の言葉を口にした。
生まれてきた赤子とともに、夫とこどもたちも洗礼を受けた。
この話は村じゅうに広まった。
すぐに村の有力者、長老のような人たちが私たちのもとにやってきた。洗礼を受けた一家に何か危害が与えられてはいけないので、私たちは丁寧にキリスト教について説明した。この頃になると助祭はイエス・キリストの誕生から死、そして復活までの道行きを自身で語れるようになっていた。私と助祭の話に一同は耳を傾けてくれたのだが、領主が認めないと難しいとうなだれている。
そこに、領主の家臣が通りかかった。その家臣は村の有力者たちから難産の妊婦の話を聞いて、少し思案していた。そして……、
「そのような出来事があったのならば、信仰してもよい。私から領主に説明しておく」と言った。洗礼を受けることを許可したのだ。
私は喜んだ。また、いささかあっけない展開だとも思ったのだが、後になって、それがこの地の風土でもあるということに気づくのだ。
いずれにしてもその村で多くの信者を得て、私たちは次の土地に向かうこととした。
※1 マラバル語は現在のタミル語に近い言語と考えられています。
※2 こどもたちの言葉、その後の妊婦の言葉はタミル語で書いています。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
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