16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第6章 海の巡礼路(東洋編) フランシスコ・ザビエル

ディディモはここにいた 1542年 ソコトラ島(イエメン)

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〈フランシスコ・ザビエル、ソコトラ島の住民、カシズ、アルフォンソ・デル・ソーザ新総督、セサル・アスピルクエタ、ピエール・ファーブル、聖トマス〉



 インドのゴアに到達する前の寄港地ソコトラ島に、新しいインド総督を含むポルトガルの艦隊乗員はしばらく滞在することになった。

 大きなキノコのように傘をいっぱいに張るシナバル(竜血樹)の木を縫うように、ヤギの群れが悠々と闊歩する。乾いたのどかな風景が私たちの目の前に広がっている。

 アフリカとアラビアの間にあるこの島に、私もセサルもいたく心をひかれていた。それはこの島の自然の不思議な景観もあったし、書き文字のない言語もそうだった。
 不思議なことはまだある。島民の多くがキリスト教を信仰していたことである。
 島には教会もあったし、十字架もあった。司祭はいないもののカシズはいた。カシズというのはキリスト教、イスラム教などの宗教を問わず、それを指導する人の呼称である。私は礼拝を見たのだが、カシズの言葉はもちろんラテン語ではない。そして不思議なことに、ソコトラの言葉でもなかった。
 さて、どこの言葉なのだろうと私は考えて、カシズの言葉をいくつか書き留めた。それを検討して、古代から使われている言葉、古代ギリシア時代に交易で栄えたバビロニア地方カルデアの言葉ではないかと推測した。

 この島には作物が育たない。その不毛さゆえによその土地の者に侵略されることなく、交易の中継地という役割を地味に重ねて世代を継いできたのだ。長い歳月を経た現在、それが結果として人々の言葉や文化を守った。だとしたら、不毛は豊かな実りをもたらすものだったのではないか。

 その推測を伝えると、セサルも興味津々で聞いてくれた。
「さすが、パリ大学でアリストテレスの教授だっただけのことはある。これからは教授と呼ばなければならないな」
「いや、アリストテレスはあなたですよ。私は『アテナイの学徒』にすぎません」
 そう答えたら、セサルは首をかしげた。

 ああ、かつて教皇庁の住人だった彼は、画家ラファエロ・サンティの描いた『アテナイの学堂』を見る前にスペインに去ったのだった。私はその絵やシスティーナ礼拝堂の天井画『天地創造』(ミケランジェロ作)の話をした。セサルはふむふむとうなずきながら聞いていたが、「ああ、『ピエタ像』の彫刻家だな。あれは見事なものだった……」とだけつぶやくと、遠い目になった。

 私は彼の記憶が今世紀の初めに戻っていると感じた。それはセサルにとって、あまり楽しいことではないのかもしれない。少し黙っているとセサルの方が話題を変えた。

「フランシスコ、おまえはアレクサンドロス大王だな」
 私は驚く。
「私は王ではありませんし、そもそも剣を持ちませんよ、セサル」
「ああ、武力ではないな。だが、これから赴くインドはアレクサンドロス大王が東征で到達したところだろう」
「ああ、そうですね。でもセサル、倣うべきなのは聖トマスですよ」と私は微笑む。

ーーーーー

 アントニオ、あなたに聖トマスの話をしたことがあっただろうか。ゴアにいるときはよくその話をしたものだったが。
 彼はイエス・キリストの12人の使徒のひとりだ。この人は、「疑い深い」あるいは「信じることができない」ことでよく知られている。
 イエスが十字架の死ののちに復活したとき、使徒たちはそれをじかに見ていなかったトマスに伝えた。しかし、トマスは、「自分の目で見ていないものは信じない」とかたくなに認めようとしない。さらに、イエスの姿だけでなく受けた傷に指を入れなければ信じられないとまで言う。そのようなトマスの前にイエスは現れる。
「見えないものを信じる人は幸いである」とイエスはさとす。トマスは自身の疑い深さを反省し、心を改めるのだ。

 見なければ信じない。
 そのようなかたくななところは、昔の私と似ていなくもない。トマスはそのあと宣教の旅に出てはるばるインドまでたどり着き、そこで亡くなった。そして、インドの守護聖人となったのだ。
 私が倣うべき人だと考えた理由がわかるだろう。

 もう1つ理由がある。
 トマスは「ディディモ」とも呼ばれる。ふたごという意味だ。なぜそう呼ばれていたのかは、はっきりと分かっていない。この、「ふたご」という言葉を聞くと、私は必ず、ピエール・ファーブルのことを思い出すのだ。

「Je me sens comme si nous étions comme des jumeaux. Je ne peux pas croire que nous  sommes rencontrés en premier cette fois.」
(まるで、君と僕はふたごの兄弟のようなものだね。何となく他人のような気がしなかったんだよ)
 出会った頃のピエールはそう言っていた。
 私が4月7日生まれ、ピエールは4月13日生まれ、1週間しか違わない。本当に、私たちはお互いの存在をふたごのきょうだいのように感じたのだ。もし、聖トマスにふたごのきょうだいがいたならば、それはピエールのような人間だろうと私は考えた。バルバラ学院の時分に、他の学生が言っていたのを聞いたことがあるが、私とピエールは黄道十二宮での牡羊宮の位置で生まれたらしい。占星術によれば、牡羊宮は先頭に位置付けられ、何事も率先して行動するのを好むという。イニゴは蠍宮にあたり、熟慮を好むとのことだ。占いのことなど当時は気にも留めなかったが、その後を考えてみると、当たっているようにも思う。
 インドとヨーロッパ、赴く地域は違っても、やはり私とピエールはふたごのように行動しているのだ。叶うものならばセサルにピエールを紹介したかったが、それはたいへん難しいことだった。

ーーーーー

 ディディモ、すなわち聖トマスはソコトラ島にも生きていた。

 島の人々と交流して、私はたいへん驚いた。

 書き文字のないソコトラ島のキリスト教徒は聖トマスの名を次々と口にしたのだ。老人も、大人も、子供も、男性も、女性も。
 1500年前の人の名を。
 しかもみな、聖トマスに導かれて信徒になったものの子孫だと言うのだ。
 彼らは日に四度の礼拝を行うが、カシズが唱える文句はみな口伝で暗記したものだという。実際に私たちも礼拝に参加した。聖堂に鐘はない。カシズが拍子木を打って人々を集める。そして礼拝が始まるが、カシズの言葉はソコトラの言葉ではないので、誰も理解していない。

 彼らは礼拝でカシズの先導に続き、「アレルヤ、アレルヤ」と繰り返した。

 われわれと同じように。

 私は震えるほど感動していた。
 側に付いていたセサルも目を見開いて驚いていた。礼拝が終わって、粗末な石造りの小さな聖堂を出ると、セサルは私の顔をまじまじと見て言う。
「聖トマスが伝えた言葉が残っているというのか。1500年も前の口伝が残っているというのか。信じられない……」
「あなたもディディモですね」と私はセサルに告げる。セサルはふっと笑うと、粗末な小さな聖堂を見る。

「ここのキリスト教徒には洗礼がないらしい。カトリックの儀式もろくにない。聖書もない。祈りの文句は……言葉を理解できないので何ともいえないが私たちのものとは異なるだろう。形という意味ではこの聖堂と同様に粗末としかいいようがないが、そもそも聖トマスの時代に、1500年前に、カトリックの典礼があったはずはない」
 セサルの言葉に私は大きくうなずいて、つい興奮気味に話しはじめる。

「ここで聖トマスがイエス・キリストの話をする。自身が見た、生身のイエスの話をする。言葉が異なる人々に一生懸命に説明する。人々が心を動かされる。十字架のしるしを身につける。祈るための聖堂をみんなで建てる」

 セサルも微笑んでうなずき、「S. Thomam de narrat Jesum Christum. Qui narrat.」(※1)とつぶやいた。

 このソコトラ島での経験は、私に大きな喜びを与えるものだった。ローマやヴェネツィアの荘厳な、形として完成したカトリック教会の姿が大人だとすれば、ここは生まれたばかりの赤子を思わせた。赤子を育てるのは親の役目だとするなら、私は親になるべきではないか。そこで、子どもたちに洗礼を授けたいと私は村のカシズに伝えた。カシズは喜んで承諾し、その地の子どもたちは進んで洗礼を受けるために行列を作った。私は宝物を扱うように、一人一人丁寧に洗礼を授けた。洗礼を受けた子どもと親はたいへん喜び、私に礼だと言って、捧げられる最高のものを持参する。すなわちヤシの実などである。
 それは私にとって宝石にも等しい貴重な品だった。
 ヴェネツィアで司祭になって以降、洗礼を授ける喜びを心から感じたのはこの時だったと思う。その話が伝わると、他の村からも招かれた。私たちはそれで村から村へ動き回ることになる。
 しかし、クロイン号の出発は近づいていた。

 私は停泊中の船にいるソーザ新総督に伺いを立ててみた。この島には十分、キリスト教の根付く素地がある。実際にいくつもの村で聖堂を中心に礼拝を行っているし、洗礼を望む者も多い。ぜひ、私たちをこの島に留めて宣教につとめさせてほしい。そう頼んでみたのだ。しかし、新総督の答えは、「否」だった。
 この島にはポルトガル人が住んでいない。アラビア半島からオスマン・トルコの艦船もやってくる。悪くすれば異教徒として捕縛される可能性もある。ポルトガル国王が期待しているのは、ゴアでの宣教活動であることーーなどと説明した。気分を害してはいないようだったが、やんわりと拒否された格好だ。私が返せる言葉はなかった。

 ソコトラ島での宣教は船が出航するまでの間となった。

 私は約束した村を訪れて、時間の許す限り人々に洗礼を授けようと思った。そこで、列に並んでいた子どもや大人に洗礼を授けていたところ、女性がひとり、大変な剣幕で私のところにやってきた。ちょうど、きょうだいふたりの子どもに洗礼を授けようとしていた時のことだった。
 女性はその子どもたちの手を引き、私の側から離した。そして大きな声で泣きながら何か言っているのだが、私には聞き取れない。そうこうするうちに、彼女は子どもとともに去っていった。
 私はその姿を見送ることしかできなかったが、カシズが身振り手振りで私に伝えたところによれば、彼女はイスラム教徒だということだった。ソコトラ島には数が少ないものの、イスラム教徒もいるのだ。地理的なことを考えればまったく不思議はない。彼女の子どもは何の行列か知らずに並んでしまったらしい。行き違いによる出来事で、カシズは彼女の行動に不満げな反応を見せていたが……それが素朴な信仰を守る人々のことであるだけに複雑な気持ちだった。
 宗教の違いを認め合う難しさを感じたのだよ、アントニオ。

 島をあくる日に去ろうという晩、私ははじめに礼拝に訪れた聖堂のドアを叩いた。そして、晩課の祈りをセサルとともに捧げる。カシズは祈りの言葉を唱えていたが、それはたっぷり一時間はかかった。私もセサルもその不思議な響きにひたすら耳を傾けた。小さく粗末な聖堂は彼の声を隅々まで曇りなく届ける役割をしていた。
 それが終わった後、カシズは自身が断食中であることを微笑んで知らせてくれた。
 四旬節(※2)の大斎を彼らも厳粛に守っていたのである。

 私とセサルは人々の去った聖堂で、しばらく祈りを捧げた。そして、石造りの聖堂の外に出た。
 静かな夜、明るい夜だった。
 星が無数にまたたき、月も満ちようとしていた。
「Jerusalem hurbil dago?」(イェルサレムは近いのだろうか)と私はつぶやく。
「Jerusalem oso urrun dago. Ipar-mendebaldean dago.」
(近くはないな。北西のあちらだ)

 セサルは星空を見上げながら答えた。




〈本文注〉
※1 ラテン語で「聖トマスはイエス・キリストについて語った。彼は語った」の意。
※2 イエス・キリストの復活の記念日である「復活祭(イースター)」前の46日間をさす。この期間に潔斎をする習わしがある。
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