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第5章 フィガロは広場に行く3 ニコラス・コレーリャ
ソッラからの手紙 1539年 ヴェネツィア、ヴァリャドリード
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〈ソッラ、ニコラス・コレーリャ、ラウラ・ピアッジョ、フランシスコ・ボルハ、イザベル王妃〉
1539年が明けてようやく、ヴェネツィアのニコラスのもとに手紙が届いた。
〈愛しいニコラス!
ああ、何から書いたらいいのかしら。ニコラス、私は興奮していて、だって、あなたの字を見たのは何年ぶりかしら。ちょっと待って、深呼吸するわ。
あなたの手紙を、スペインのフランシスコ・ボルハさんの従者の方がわざわざ持参してくださったの。あ、ポルトガルのリスボンまでわざわざ来てくださったのよ。私は驚くばかりでした。
ボルハさんのことはそのときに聞いたわ。チェーザレ・ボルジアさんの血縁者なのね。何かとても不思議なものを感じています。その人があなたやエルコレ坊っちゃまとやり取りをしてることが。従者の方にはアルフォンソ様の訃報も聞きました。
天国のチェーザレさんやルクレツィア様や、ミケーレが聞いたら、きっとにっこり微笑むと思うわ。
あなたの手紙にもびっくりさせられました、父さんが亡くなったフィレンツェ包囲の時のことも、人づてに聞いただけで……どうしているのかとても心配していたの。あなたがヴェネツィアで無事だったので、よかったと思います。
何より、ニコラス、あなたは結婚していたのね。おめでとう!ああ、ヴェネツィアの結婚式なんてとても美しいでしょうし、花嫁はさらに美しいのでしょう。見たかったです。子どもはいないということだけれど、まだかしら……会いたいわ。
私は、そうね、どこから話したらいいのか分からない。アルヴァロと結婚してフィレンツェを離れて、スペインに渡って……はじめはアラゴン地方のヴァレンシアだったわ。片言のスペイン語はルクレツィア様に教わっていたけれど、慣れるのは大変だった。でも、アルヴァロは私にとても優しくしてくれたし、不安はなかった。ただ、異端審問という制度が厳しくなっていって、コンベルソ(キリスト教に改宗したユダヤ教徒)のアルヴァロにも召喚がかかるようになって、商売にも影響が出るようになったので、私たちは転々としなければならなくなった。グラナダ、マラガ、セビーリャ……地中海沿岸を西に移動し続けたの。結局、商人仲間のつてを頼ってポルトガルのリスボンに移りました。
でも、リスボンに移ってすぐに、アルヴァロは3日ごとの熱(マラリア)にかかって逝ってしまった。私たちの間には子どもがいなかったから、私は本当にひとりぼっち。慣れないリスボンでひとりぼっち。あのときほど途方に暮れたことはなかった。
ミケーレを亡くしたときはすぐにルクレツィア様が呼んでくださったけれど……もうフィレンツェに戻ろうと思っていたの。でも、アルヴァロの仲間で奥さまを亡くしていた方がいて、後妻として来てくれないかと言われた。彼には子どもがいるから、大変だったのね。私も子どもが好きだったから、お受けしたのよ。
フィレンツェに戻ってもちゃんと暮らしていけるのか不安だったの。あなたはミケランジェロさんのところにいるけれど(あ、今は違うのね)、そこにいきなり頼るのも気が引けたの。
あなたを置いてスペインに行ったのは私だから、都合のよすぎる話だと思ったのです。
今は何とか暮らしているわ。近所の人も親切だし、あなたの小さい頃に似ている子もいるの。ルイスというのだけれど、その子を見るたびにあなたのことを思い出すわ。でも、今度の8月であなたはもう31歳になるのね。どんな大人になったのか見てみたいけれど、リスボンはとても遠いから難しいわね。
こんなに長く手紙を書いたのは久しぶり。これぐらいにしておきます。あなたのかわいいお嫁さんにもよろしくお伝えください。ニコラスをよろしくねって。
フランシスコさんの従者の方に返事を託します。少し慌てて書いてしまったのだけど、許してね。
どんなに離れていても、あなたのことを思っています。
愛を込めて。
ソッラ〉
ニコラスは手紙を握りしめて泣いていた。
自分は母についていくべきだった、という後悔の念に襲われたのだ。側でラウラもニコラスを見つめている。何と言葉をかけるべきか、迷っていたのだ。
無事でよかった……だろうか。
もちろん、それは最も大切なことだ。
でも、いまニコラスが泣いているのは別の理由なのだ。
「フランシスコさんが、ここまでしてくださるなんて、本当に感謝してもしきれないわね……」
ラウラの差し出したハンカチーフでニコラスは涙を拭く。そして改めてラウラの顔を見た。彼女もつらそうな目をしている。
「そうだね……本当に感謝してもしきれない。でも、無事でよかったけれど、やっぱり母さんのことは心配だ。ポルトガルで始まった異端審問がどのようなものか分からないけれど……」
ニコラスはそこで言葉を切ったが、ラウラにはニコラスの気持ちがよく分かった。
「ポルトガルは遠いけれど、行けない場所ではないわ。少し余裕ができたら、行ってみるのもいいのではないかしら。お母様も新しい家庭をお持ちだから少し気兼ねするかもしれないけれど」とラウラはニコラスの気持ちを汲んで言う。
ニコラスは静かにうなずいた。
ソッラからの便りを追いかけてくるかのように、もうひとつの報せがフェラーラのエルコレから届いた。
イザベッラ・デステがマントヴァで逝去した。享年64歳だった。
◆◆
「そうか、手紙は無事に届いたのだね」
ヴァリャドリードの宮廷に赴いた従者の報告にフランシスコはほっとした顔をしてうなずく。
「ええ、きちんとお届けできました」
「今後橋渡しをしてあげてもいいのだろうな。スペインとポルトガルが戦争にならない限りは」とフランシスコが言う。従者はぎょっとしてあるじに返す。
「王妃様はポルトガルの方なのですから、滅多なことをおっしゃっては……」
フランシスコが笑う。
「冗談だよ。それを言ったら私の妻もポルトガル人だ」
「さようですね」と従者はうなずいて去っていった。
話に出たスペイン王カルロス1世(くどいようだが神聖ローマ皇帝カール5世でもある)の妻イザベルはポルトガルとスペイン王家の血筋を継ぐ女性だった。父はポルトガル王マヌエル1世、母王妃マリアはスペイン王フェルナンドの娘だ。
イザベルとカルロス1世夫妻は母方のいとこ同士ということになる。カルロス1世の母親はファナと言う。だいぶ前の節(第1章『自由への逃走』)でも書いた、悲運のカスティーリャ女王である。
このとき、王妃イザベルは第三子を妊娠していていた。三度目の妊娠であったが、悪阻(つわり)もひどく、身体も前の時よりむくんでいた。そして、その結果は最悪の形であらわれることになる。
1539年5月、臨月にはまだ間があるはずの王妃が突然産気づいた。すぐに宮廷の医師らが集められ、出産の仕度が整えられる。しかし、王の医師らをもってしても、王妃の出産を無事に済ますことはできなかった。
王妃イザベルは小さな赤子を産んだ。
しかし、子は呼吸をしなかった。
そして、その母も容態が悪化しその日のうちに息を引き取った。
ずっとヴァリャドリードの宮廷で、王妃(皇妃)と皇子の側に付いていたフランシスコ・ボルハは、このできごとにたいへんな衝撃を受けた。もちろんその衝撃は、出先から宮廷に戻ろうとしていた王の比ではないだろう。比ではないのだが、王妃と同じ場にいた時間はフランシスコの方が長かった。王はほうぼうに出かけていて、王宮にあまりいなかったのだから仕方のないことだ。
そのような事情もあり、フランシスコは王妃の葬儀から埋葬の手配一切をカルロス王から任されることになった。もちろん、ずっと仕えていたあるじのことなので、異存のあろうはずはない。
葬儀はつつがなくすすめられたのだが、埋葬が問題だった。ヴァリャドリードからグラナダまで遺体を運ばなければならなかったのだ。およそ120レグア(600km)の距離である。現代ならばさほど問題にはならないのだろうが、この頃には大問題だった。加えるならイベリア半島の5月後半はもう夏と同義である。
是非もない。フランシスコは棺に納められた王妃の遺体をグラナダまで運ぶ責任者として出発した。遺体に傷をつけないよう慎重に運ばせるが、炎天下の昼、乾いた大地を進む一行が早く進めるはずがない。遺体はどんどん腐敗していく。フランシスコは時おり遺体の様子を確かめなければならない。それは彼にとってとてもつらい作業だった。
フランシスコは一行の誰よりも生前の王妃を知っている。夫が不在の間に宮廷をしっかり守り、子どもにも愛情深く接していた。常に慎ましげに振る舞って、周囲の家臣にも気を配っていた。ほっそりとして清楚な美人であると、夫も常に自慢していたのである。その美しい王妃が、イベリア半島の熱に灼かれて見るみるうちに腐敗していく。
この様子は、王カルロスの両親、美王フィリペと王妃ファナの話を思い起こさせる。最愛の夫を亡くしたファナは夫の遺体が入った棺を家臣に運ばせ、ともにカスティーリャの荒野をさまよったのだった。
フランシスコはこの葬送の旅の後、再び気が塞ぎがちになった。人というものがいかに脆い存在であるか改めて思い知った。そして、大事に仕えてきたあるじの、あまりにも哀れな姿に打ちのめされた。
「このような思いをするのなら、もう二度と生きている人間には仕えたくない」とまで思い詰めるようになっていく。それが、フランシスコを別の道に招くきっかけのひとつになった。
それでも、このときフランシスコはまだ、スペイン王の側近であった。
1539年が明けてようやく、ヴェネツィアのニコラスのもとに手紙が届いた。
〈愛しいニコラス!
ああ、何から書いたらいいのかしら。ニコラス、私は興奮していて、だって、あなたの字を見たのは何年ぶりかしら。ちょっと待って、深呼吸するわ。
あなたの手紙を、スペインのフランシスコ・ボルハさんの従者の方がわざわざ持参してくださったの。あ、ポルトガルのリスボンまでわざわざ来てくださったのよ。私は驚くばかりでした。
ボルハさんのことはそのときに聞いたわ。チェーザレ・ボルジアさんの血縁者なのね。何かとても不思議なものを感じています。その人があなたやエルコレ坊っちゃまとやり取りをしてることが。従者の方にはアルフォンソ様の訃報も聞きました。
天国のチェーザレさんやルクレツィア様や、ミケーレが聞いたら、きっとにっこり微笑むと思うわ。
あなたの手紙にもびっくりさせられました、父さんが亡くなったフィレンツェ包囲の時のことも、人づてに聞いただけで……どうしているのかとても心配していたの。あなたがヴェネツィアで無事だったので、よかったと思います。
何より、ニコラス、あなたは結婚していたのね。おめでとう!ああ、ヴェネツィアの結婚式なんてとても美しいでしょうし、花嫁はさらに美しいのでしょう。見たかったです。子どもはいないということだけれど、まだかしら……会いたいわ。
私は、そうね、どこから話したらいいのか分からない。アルヴァロと結婚してフィレンツェを離れて、スペインに渡って……はじめはアラゴン地方のヴァレンシアだったわ。片言のスペイン語はルクレツィア様に教わっていたけれど、慣れるのは大変だった。でも、アルヴァロは私にとても優しくしてくれたし、不安はなかった。ただ、異端審問という制度が厳しくなっていって、コンベルソ(キリスト教に改宗したユダヤ教徒)のアルヴァロにも召喚がかかるようになって、商売にも影響が出るようになったので、私たちは転々としなければならなくなった。グラナダ、マラガ、セビーリャ……地中海沿岸を西に移動し続けたの。結局、商人仲間のつてを頼ってポルトガルのリスボンに移りました。
でも、リスボンに移ってすぐに、アルヴァロは3日ごとの熱(マラリア)にかかって逝ってしまった。私たちの間には子どもがいなかったから、私は本当にひとりぼっち。慣れないリスボンでひとりぼっち。あのときほど途方に暮れたことはなかった。
ミケーレを亡くしたときはすぐにルクレツィア様が呼んでくださったけれど……もうフィレンツェに戻ろうと思っていたの。でも、アルヴァロの仲間で奥さまを亡くしていた方がいて、後妻として来てくれないかと言われた。彼には子どもがいるから、大変だったのね。私も子どもが好きだったから、お受けしたのよ。
フィレンツェに戻ってもちゃんと暮らしていけるのか不安だったの。あなたはミケランジェロさんのところにいるけれど(あ、今は違うのね)、そこにいきなり頼るのも気が引けたの。
あなたを置いてスペインに行ったのは私だから、都合のよすぎる話だと思ったのです。
今は何とか暮らしているわ。近所の人も親切だし、あなたの小さい頃に似ている子もいるの。ルイスというのだけれど、その子を見るたびにあなたのことを思い出すわ。でも、今度の8月であなたはもう31歳になるのね。どんな大人になったのか見てみたいけれど、リスボンはとても遠いから難しいわね。
こんなに長く手紙を書いたのは久しぶり。これぐらいにしておきます。あなたのかわいいお嫁さんにもよろしくお伝えください。ニコラスをよろしくねって。
フランシスコさんの従者の方に返事を託します。少し慌てて書いてしまったのだけど、許してね。
どんなに離れていても、あなたのことを思っています。
愛を込めて。
ソッラ〉
ニコラスは手紙を握りしめて泣いていた。
自分は母についていくべきだった、という後悔の念に襲われたのだ。側でラウラもニコラスを見つめている。何と言葉をかけるべきか、迷っていたのだ。
無事でよかった……だろうか。
もちろん、それは最も大切なことだ。
でも、いまニコラスが泣いているのは別の理由なのだ。
「フランシスコさんが、ここまでしてくださるなんて、本当に感謝してもしきれないわね……」
ラウラの差し出したハンカチーフでニコラスは涙を拭く。そして改めてラウラの顔を見た。彼女もつらそうな目をしている。
「そうだね……本当に感謝してもしきれない。でも、無事でよかったけれど、やっぱり母さんのことは心配だ。ポルトガルで始まった異端審問がどのようなものか分からないけれど……」
ニコラスはそこで言葉を切ったが、ラウラにはニコラスの気持ちがよく分かった。
「ポルトガルは遠いけれど、行けない場所ではないわ。少し余裕ができたら、行ってみるのもいいのではないかしら。お母様も新しい家庭をお持ちだから少し気兼ねするかもしれないけれど」とラウラはニコラスの気持ちを汲んで言う。
ニコラスは静かにうなずいた。
ソッラからの便りを追いかけてくるかのように、もうひとつの報せがフェラーラのエルコレから届いた。
イザベッラ・デステがマントヴァで逝去した。享年64歳だった。
◆◆
「そうか、手紙は無事に届いたのだね」
ヴァリャドリードの宮廷に赴いた従者の報告にフランシスコはほっとした顔をしてうなずく。
「ええ、きちんとお届けできました」
「今後橋渡しをしてあげてもいいのだろうな。スペインとポルトガルが戦争にならない限りは」とフランシスコが言う。従者はぎょっとしてあるじに返す。
「王妃様はポルトガルの方なのですから、滅多なことをおっしゃっては……」
フランシスコが笑う。
「冗談だよ。それを言ったら私の妻もポルトガル人だ」
「さようですね」と従者はうなずいて去っていった。
話に出たスペイン王カルロス1世(くどいようだが神聖ローマ皇帝カール5世でもある)の妻イザベルはポルトガルとスペイン王家の血筋を継ぐ女性だった。父はポルトガル王マヌエル1世、母王妃マリアはスペイン王フェルナンドの娘だ。
イザベルとカルロス1世夫妻は母方のいとこ同士ということになる。カルロス1世の母親はファナと言う。だいぶ前の節(第1章『自由への逃走』)でも書いた、悲運のカスティーリャ女王である。
このとき、王妃イザベルは第三子を妊娠していていた。三度目の妊娠であったが、悪阻(つわり)もひどく、身体も前の時よりむくんでいた。そして、その結果は最悪の形であらわれることになる。
1539年5月、臨月にはまだ間があるはずの王妃が突然産気づいた。すぐに宮廷の医師らが集められ、出産の仕度が整えられる。しかし、王の医師らをもってしても、王妃の出産を無事に済ますことはできなかった。
王妃イザベルは小さな赤子を産んだ。
しかし、子は呼吸をしなかった。
そして、その母も容態が悪化しその日のうちに息を引き取った。
ずっとヴァリャドリードの宮廷で、王妃(皇妃)と皇子の側に付いていたフランシスコ・ボルハは、このできごとにたいへんな衝撃を受けた。もちろんその衝撃は、出先から宮廷に戻ろうとしていた王の比ではないだろう。比ではないのだが、王妃と同じ場にいた時間はフランシスコの方が長かった。王はほうぼうに出かけていて、王宮にあまりいなかったのだから仕方のないことだ。
そのような事情もあり、フランシスコは王妃の葬儀から埋葬の手配一切をカルロス王から任されることになった。もちろん、ずっと仕えていたあるじのことなので、異存のあろうはずはない。
葬儀はつつがなくすすめられたのだが、埋葬が問題だった。ヴァリャドリードからグラナダまで遺体を運ばなければならなかったのだ。およそ120レグア(600km)の距離である。現代ならばさほど問題にはならないのだろうが、この頃には大問題だった。加えるならイベリア半島の5月後半はもう夏と同義である。
是非もない。フランシスコは棺に納められた王妃の遺体をグラナダまで運ぶ責任者として出発した。遺体に傷をつけないよう慎重に運ばせるが、炎天下の昼、乾いた大地を進む一行が早く進めるはずがない。遺体はどんどん腐敗していく。フランシスコは時おり遺体の様子を確かめなければならない。それは彼にとってとてもつらい作業だった。
フランシスコは一行の誰よりも生前の王妃を知っている。夫が不在の間に宮廷をしっかり守り、子どもにも愛情深く接していた。常に慎ましげに振る舞って、周囲の家臣にも気を配っていた。ほっそりとして清楚な美人であると、夫も常に自慢していたのである。その美しい王妃が、イベリア半島の熱に灼かれて見るみるうちに腐敗していく。
この様子は、王カルロスの両親、美王フィリペと王妃ファナの話を思い起こさせる。最愛の夫を亡くしたファナは夫の遺体が入った棺を家臣に運ばせ、ともにカスティーリャの荒野をさまよったのだった。
フランシスコはこの葬送の旅の後、再び気が塞ぎがちになった。人というものがいかに脆い存在であるか改めて思い知った。そして、大事に仕えてきたあるじの、あまりにも哀れな姿に打ちのめされた。
「このような思いをするのなら、もう二度と生きている人間には仕えたくない」とまで思い詰めるようになっていく。それが、フランシスコを別の道に招くきっかけのひとつになった。
それでも、このときフランシスコはまだ、スペイン王の側近であった。
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