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第5章 フィガロは広場に行く3 ニコラス・コレーリャ
海を渡る風が吹き抜ける 1537年 リスボン、ヴェネツィア
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〈ソッラ、ルイス・デ・アルメイダ、ジョアン3世、ニコラス・コレーリャ、ラウラ・ピアッジョ、修道僧の一団〉
リスボンは坂の多い都市だ。
そこはイベリア半島の西の端である(地勢上、正確な西の端は少し離れたロカ岬)。坂の上に向かって人びとは建物を築き、ポルトガルの首都として発展させてきたのだ。
坂の上から眼下に広がる景色を初めて眺める者は、その素晴らしさに感嘆の声を上げる。人びとが築きあげてきた町並みと、その下に広がる大海原の醸し出す雰囲気に圧倒されるのだ。
ここは絶対的な涯(はて)の町だ。
誰もが強く吹く海風に身をさらしながら同じことを思う。海の町と言っても、ここはヴェネツィアやマルセイユとは異なるのだ。
リスボンの先に広がっているのは大西洋で、地中海ではない。
地中海は彩り豊かで美しい海だ。そこを行けば必ずどこかに当たることを皆分かっている。地中海はイオニア海、リグリア海、エーゲ海、アドリア海と海域によって細かく呼び名が変わる。半島や島を無数に抱え、そこに古くから人びとが定住してきたからだ。
スペインから南東にはローマを擁するイタリア半島があり、イタリア半島から南東に進めばギリシア、ギリシアの奥には東欧、オスマン・トルコの領土が広がっている。「涯(はて)」、という言葉はこの海にはそぐわない。どこかの陸地につながる回廊のようなものでもあるから。
この時代の少し前まで、大西洋は「涯(はて)」だった。その先には何もない、何かあるにしても到達できない、と長く信じられていた。ポルトガルの船乗りがボジャドール岬(アフリカ大陸の西岸)で海が終わり、滝のように落ち込んでいると信じていたのはその例であろう。
正確な、という以前に世界の全容を捉えた地図がない。コロンブスがアメリカをインドと間違えたのはそのような事情による。西欧では、地球が丸いということも、ましてや地球が回転していることも、確かな事実として捉えられていなかったのである。
あまたの航海者によってその伝説がひとつずつ崩されていく。大西洋も、進んでいけば必ず陸地に当たるということが実証されていったのだ。
リスボンは涯(はて)の都市ではない。
そこから西にまっすぐ大西洋を突っ切れば、北米大陸の東岸にたどり着く。現代ならば小学生でもわかる。地図帳に定規をあててみればよいだけの話だ。
インドへの海路が開かれて30年が経っているこの年、リスボンはイベリア半島とヨーロッパの西端ではあるが、地の果てではなくなっている。アフリカ大陸西岸のミナ、東岸のメリンデ、モガディシュなどに拠点を築き航海の中継地とした。拠点、と簡単に述べたがそこを得るためには軍事的行動が必須だった。
征服した拠点と書くのが正確だろう。
(インド航路の開拓については第二章の『海は開かれていく』もご覧ください)
そのように大西洋は涯(はて)の海でなくなっていたが、リスボンには地の涯(はて)特有の空気がまだ残っていた。船で旅立つのは、航路があっても未知の世界に赴くのと同義だった。恐ろしく順調に進んでも半年、風待ちがあればさらに長期に渡って船に揺られ続けなければならない。
そして、多くの人びとが目的地にしているゴア(インド)は猛烈に暑い、遠い異国だ。
センチメンタルな気分を抱く旅人が多いのも納得できるだろう。
◆ ◆ ◆
リスボンの、海からそれほど離れていない場所にアルファマと呼ばれる地域がある。比較的富裕な商人などが住んでいるが、活気のある場所である。
「おはようございます。ソッラさん」
そう呼ばれた女性はふっと後ろを振り返る。
「ああ、ルイス。今日も早いのね、またお買い物?」
そう呼ばれた12歳の少年はニッコリとしてうなずく。背がそれほど高くないので年齢よりやや下に見える。大人しく素直な子どもといった印象である。
「母さんが最近からだを壊しているので、僕が手伝わないと」と少年は答える。
「親孝行なのね……あなたは私の息子にそっくり。いつもあなたの姿を見ると思い出してしまうのよ」と女性は寂しそうに笑う。
ルイスは、ソッラの寂しさを受け止めるように少し首を傾けて微笑む。
「ルイスは将来何になりたいの? 絵描きじゃないわね。お父様のアルメイダさんみたいに商人になる?」
ソッラの問いに少年は即座に答えた。
「僕は、医者になろうと思っています。それで、母さんみたいに病気で苦しむ人を減らしたい」
ソッラは満面の笑みになって、少年の頭を撫でた。少年は照れ臭そうに続ける。
「僕の祖父まではみんな、医業に就いていました。レコンキスタまでは、アラビアの進んだ医学を取り入れてたくさんの患者を救ったと聞きました」
「レコンキスタか……あ、お母さまが待っているわね。私も行かなくちゃ」とソッラはつぶやいて、ルイスの背中に軽く手をあてた。ルイスは会釈して、自宅の方に走っていった。
その背中を眺めながら、ソッラは息子のことを思い出していた。
ニコラスとフィレンツェで別れたのは今のルイスより小さな頃だった。まだ、ミケランジェロさんのところで絵を描いているのかしら。ラファエロさんが亡くなって、マルガリータはどうしているだろう。
彼女の回想する内容はどこかで時間が止まっているようだ。
スペインに移ってから、はじめのうちはニコラスや父親のディエゴ、フェラーラのアルフォンソ・デステから便りが来ていた。しかし、夫のアルヴァロ・ノヴェルダの都合で転居することが続き、手紙は追いかけてこなくなった。スペインの沿岸に次々と居を変えても、夫のコンベルソ(キリスト教に改宗したユダヤ教徒)という烙印が外れることはなかった。土地の総督から召喚されて官吏に審問を受け、放免されても近隣の住人に噂される。その繰り返しで一ヶ所に長く留まることができなかったのだ。
アルヴァロが病気で亡くなったとき、ソッラはフィレンツェに戻ろうと考えていた。ポルトガルに移って以降、スペインの時のような迫害はなかったが、スペインよりさらに遠い異国で暮らすことに心細さを感じていたのだ。
フィレンツェにしてもフェラーラもそれほどの迫害はなかった。ソッラの家系も辿っていけばユダヤ教徒だ。ソッラの父母はレコンキスタのあと、知人の伝手でフィレンツェにやって来たのだ。フィレンツェで彼らは普通のキリスト教徒として暮らしていた。
しかし、アルヴァロと懇意にしている商人仲間から後妻として迎えたいという申し出があり、ソッラはリスボンに留まることにした。今フィレンツェに戻っても、自分の場所があるのか分からなくなっていたのだ。
リスボンの町で海風に吹かれていると、ソッラはなんとも言いようのない寂寥(せきりょう)に襲われる。スペインの乾いた景色にも感じたことがあるのだが、リスボンはそれとはまた違う。
地の涯(はて)に来たような錯覚に陥るのだ。
ミケーレもこんな気持ちになったことがあるのかしら。誰にも上手く説明できない。生まれ育った場所から遠く離れて、ここが行き止まりのような……いいえ、ミケーレならば船乗りのように、新しい世界に飛び出そうとしたに違いない。
でも、女の私には無理だわ。
ミケーレ、ここで行き止まりなのかしら。
あなたとイタリアを旅した日々のことを思い出す。それはあなたにとって、つらい思い出を辿る旅でもあったのだけれど。私にはあなたという人を深く知るための冒険のようなものだった。
チェゼーナで、私はあなたを深く、深く、心と身体をすべてかけて……愛したわ。
私は今でも、ニコラスを授かったのがあの晩だったと信じている。
でも、それはミラノで突然、行き止まりになった。あなたは雪の昼に殺された。あなたの身体から溢れる血を、雪があっという間に覆ってしまった。
ソッラは、30年近く前の出来事を頭のなかでゆっくりと再生して、涙をこぼした。
悪いことばかりではない。
再婚した夫は留守が多いけれど、私を信頼して家のこともすべて任せてくれる。夫の子も私を慕ってくれている。まだポルトガル語は不得手だけれど、誰もそれをからかったりしない。逆にイタリアの話を面白そうに聞いてくれる。
さっき会ったルイス・デ・アルメイダのように、素直で優しくて、私に気さくに接してくれる近所の人もいる。
不意に、ルイスの顔が別れた時の息子に重なった。
「ニコラス……」
人混みの中で、ソッラは息子の名をつぶやいた。
海風が強く吹いている。
ポルトガルの王はジョアン3世、1502年生まれでこの年35歳になる。
この国では先代のマヌエル1世の時代から航海者を全面的に支援し、海外に拠点を築くことで国力を上げてきた。それはイベリア半島の西端に位置し船を出すのに他国の干渉を受けづらいということが大きい。地の利というものであるが、それが災いしている点も多々あった。
イベリア半島において、ポルトガルの占める割合は概ね15%で残りはスペインである。ヨーロッパのどこに行くにしても、陸路なら必ずスペインを通らなければならない。イベリア半島の付け根に横たわるピレネー山脈はしばしば境界の壁と例えられたが、ポルトガルにとってはスペインの国土85%が「壁」だったのだ。
レコンキスタが完遂するまでは共通の敵(イスラム教の王朝国家)が存在したので、スペインもそちらにかかりきりになる。しかもその間はアラゴン、カスティーリャ、ナヴァーラなどの国家が存在し、スペインはひとつになっていなかった。
それが結婚によって一つになった上に、イスラム王朝も追い出した。しまいには神聖ローマ帝国が乗じて一大連邦ができあがってしまった。
ポルトガルが戦々恐々とするのも仕方のない面がある。
ポルトガルはいち早く新大陸の発見やインド航路の開拓に取り組み、海外拠点をほうぼうに築いた。他に自国を生き延びさせる道がなかったからである。
それが、いつスペインに併合されてもおかしくはない15%の国の処方箋だった。
ジョアン3世の代になると、インド航路とその拠点を維持するのに膨大な費用がかかるようになっていた。当初は、金銀財宝や香辛料の収益で賄えると考えられていたが、思ったようには進まない。ジョアン3世は他の国と協同していく必要性を痛感していた。スペインではダメだ。しかし、離れた国と同盟を結べばスペインが必ず介入してくるだろう。
結果、ジョアン3世が進めたのはローマの教皇庁と結び付くことだった。その際に、ジョアン3世は前世紀末にスペインのイザベラ女王とフェルナンド王の方法を踏襲した。大まかに言うならば、下記の通りである。
・ポルトガルはカトリックの国であり国王はじめ国民すべてがその忠実な僕(しもべ)であること。
・それを現実の形とするために、ローマから聖職者を招き、自国の聖職者・貴族に精神的指導を与えてもらうこと。
・ルター派をはじめとするプロテスタント、異教徒はこの国に入れない、あるいは出ていってもらう。そのために国内に複数の異端審問所を設置する。
踏襲が顕著だったのは『異端審問所』である。
先例となったスペインのことを先に書いておこう。
イベリア半島からイスラム王朝が追放されたとき、女王と王はキリスト教徒が勝利したことを対外的に印象づける目的もあって、キリスト教を基盤にした国作りを行うこととした。
二人の統べる国土にはキリスト教に改宗したイスラム教徒が存在した。そして、ユダヤ教徒、キリスト教に改宗したユダヤ教徒が多数存在した。両王はまず彼らの改宗をすすめ、従わない者を追放することにした。
もともと、二つの宗教に属する人々は居住区に固まって暮らし、独自の共同体を構成していた。改宗が義務になったところで、その結束は大きく揺らぐことになる。
先んじて改宗したユダヤ教徒の中には、医者・弁護士・富裕な商人など社会的に高い職に就いている者も多く、そうでない層との軋轢(あつれき)が顕著になっていた。「自分たちは律法を守って忠実に生きているのに」という憎悪が改宗した富裕層(コンベルソ)に向けられるのである。
そして、改宗の真偽を確かめる機関として異端審問所が設けられた。着目すべきは、これが教会の機関ではなく、国の行政機関であることだ。宗教側の長である教皇からも当初は国家行政が異端審問を行うことについて懸念する意見は出されたが、結果として認可された。
これらの法令が施行されて共同体は崩れ、ユダヤ教徒はポルトガル、ネーデルラント、オスマン・トルコ領など各地に分散していった。大変皮肉なことに、異教徒の国であるオスマン・トルコは寛容な政策を取っていた。
改宗したユダヤ教徒の中には、商人になり船乗りになり、海外に出ていく者も多かった。少なくとも海では陸地ほどの差別は受けなかったし、独自のネットワークを築くことができたのである。そのネットワークは世界へと広がっていくのである。
スペインのユダヤ教徒はセファルディームと呼ばれている。ドイツ語圏ではアシュケナジームである。
一方、スペインのやり方を踏襲することにしたポルトガルである。ポルトガルは1506年、スペインにならい、ユダヤ教徒に対して追放令を出している。ただ、これは比較的寛容なものだったと思われる。
1536年の異端審問所制度創設に、寛容さはない。ローマの教皇庁にごく分かりやすい形で、敬虔(けいけん)さを示す必要があったからである。
ローマの教皇パウルス3世は悩ましい日々を送っている。
ユダヤ教徒のせいではない。ルター派を中心とするプロテスタント勢力のせいである。神聖ローマ皇帝であるカール5世(スペイン王カルロス1世も兼ねている)はスペインにおいては、カトリック国であることを明確に示している。しかし、神聖ローマ帝国(現在のドイツなど)領内ではプロテスタントの力を抑えられない。それどころか、フランスや周辺国でもプロテスタントの影響が日に日に強くなっている。
このままではカトリックの威厳は失墜するばかりである。
そこにポルトガル王からカトリックに恭順し、他の勢力を一掃したい旨の申し出があった。
渡りに船である。
教皇はジョアン3世の申し出を追認する教書(公式文書)を発した。
それが、亡命したユダヤ教徒を厳しく追い詰めることになるのである。ただ、1537年のこの時点でそれはまだ表に出てきていない。
◆ ◆ ◆
ヴェネツィアではニコラスとラウラが変わらずに共働きの暮らしをしている。
イタリア戦争に乗じてオスマン・トルコがアドリア海に進出していることは、ヴェネツィアにとって大きな脅威ではあったが、それはギリシアの島々に留まっており、まだこの都市に大きな損害を与えるに至っていない。
それでも、きな臭い話は噂として市民にも伝わってくる。海辺に寄せる船も大型のガレー船(人力船)など、実戦に使われるものが増えているのだからそれも自然な話だろう。
ニコラスは相変わらず、よく海にふらりと出かける。この時はラウラも一緒だった。いつものサン・マルコ聖堂、クーポラといくつもの小さな尖塔が大きな聖堂にいっそう、堂々とした威厳を与えている。
二人は聖堂の前で、話をしている修道僧の一団を見つけた。
5人いる。
粗末な衣服を身につけているのはフランシスコ会やドメニコ会の修道僧も同じなのだが、彼らの服はそれよりも粗末だった。
ニコラスは服装ではなく、彼らのはつらつとした様子に目を奪われた。みんな若い。そして、どこの国の言葉なのだろう。外国語で話している。
ラウラがニコラスにささやく。
「ニコラス、あの修道僧はフランス語を話しているわ。レナータ様とおんなじだもの」
「ああ、フランス語……そうだね、そうだ」とニコラスはうなずく。
ニコラスとラウラは彼らに喜捨(寄付)をしようと近づいていく。それを受け取った青年が礼を言う。
「Obrigado.」
ニコラスはその言葉を聞いて目を見開いた。イタリア語でも、スペイン語でも、フランス語でもない……。
「お国はどちらですか? 」とニコラスは思わず聞き返した。そう問われた相手が今度はキョトンとしている。すると、脇に立っていた黒髪の男がニコラスの方にやってきて、たどたどしいイタリア語で言う。
「シモンはポルトガル人なのです。われわれは普段フランス語で話しているのですが、あなたが喜捨を下さったのがよほど嬉しかったのでしょう。それで母国語が出たようです」
ニコラスは言葉を失った。
それに気がついたラウラがさらに尋ねる。
「他にポルトガルの方はいらっしゃるのですか?」
黒髪の男は仲間を見ながら続ける。
「ポルトガル人はシモンだけです。あとは、スペイン、ナヴァーラ、フランス……ニコラはポルトガル語を使えますが……」
「私はサヴォイアです」と亜麻色の髪の男性がフランス語で言う。
ラウラがうなずきながら、説明する。
「夫の母がリスボンにいるのですが、なかなか連絡が取れないのです。いい方法がないかと思っていて」
黒髪の男がシモンに話すと、シモンは残念そうな顔をして何か言っている。ニコラもそれについて、フランス語で話している。
それをまたイタリア語で通訳する。
「残念ですが、シモンは大学で学ぶためパリに長く住んでいて今のポルトガルの状況がよく分からないのです。でも、何かできることがあるか相談してみます。私たちはしばらくヴェネツィアに滞在します。この広場で集まるようにしていますので、またお会いしませんか」
ラウラは思いもかけない親切な言葉に感激して、黒髪の男の手を握りしめる。男はにこやかにうなずく。
「ありがとうございます。またここで、ぜひ。あ、私はラウラ、夫はニコラスです。あなたのお名前は?」とラウラが尋ねる。
「フランシスコ……フランシスコ・ザビエルです」と黒髪の男は名乗った。
そして、ニコラスとラウラはその場を去った。
修道僧というと無愛想な場合も多い(実際はあまり話さないようにしているだけだが)。それに比べて彼らは初めから人に心を開いているーーとラウラは彼らを絶賛した。
ニコラスは微笑んで、空を飛ぶミサゴの姿を追う。その猛禽類は帆船よりも尖塔よりもずっと高いところを飛んでいる。
「あのミサゴは……僕らには思いもつかないほど、たくさんのものが見えるんだろうな」
ラウラは彼に身を寄せる。
そして、ミサゴが遠くに去るさまをしばらく一緒に眺めていた。
リスボンは坂の多い都市だ。
そこはイベリア半島の西の端である(地勢上、正確な西の端は少し離れたロカ岬)。坂の上に向かって人びとは建物を築き、ポルトガルの首都として発展させてきたのだ。
坂の上から眼下に広がる景色を初めて眺める者は、その素晴らしさに感嘆の声を上げる。人びとが築きあげてきた町並みと、その下に広がる大海原の醸し出す雰囲気に圧倒されるのだ。
ここは絶対的な涯(はて)の町だ。
誰もが強く吹く海風に身をさらしながら同じことを思う。海の町と言っても、ここはヴェネツィアやマルセイユとは異なるのだ。
リスボンの先に広がっているのは大西洋で、地中海ではない。
地中海は彩り豊かで美しい海だ。そこを行けば必ずどこかに当たることを皆分かっている。地中海はイオニア海、リグリア海、エーゲ海、アドリア海と海域によって細かく呼び名が変わる。半島や島を無数に抱え、そこに古くから人びとが定住してきたからだ。
スペインから南東にはローマを擁するイタリア半島があり、イタリア半島から南東に進めばギリシア、ギリシアの奥には東欧、オスマン・トルコの領土が広がっている。「涯(はて)」、という言葉はこの海にはそぐわない。どこかの陸地につながる回廊のようなものでもあるから。
この時代の少し前まで、大西洋は「涯(はて)」だった。その先には何もない、何かあるにしても到達できない、と長く信じられていた。ポルトガルの船乗りがボジャドール岬(アフリカ大陸の西岸)で海が終わり、滝のように落ち込んでいると信じていたのはその例であろう。
正確な、という以前に世界の全容を捉えた地図がない。コロンブスがアメリカをインドと間違えたのはそのような事情による。西欧では、地球が丸いということも、ましてや地球が回転していることも、確かな事実として捉えられていなかったのである。
あまたの航海者によってその伝説がひとつずつ崩されていく。大西洋も、進んでいけば必ず陸地に当たるということが実証されていったのだ。
リスボンは涯(はて)の都市ではない。
そこから西にまっすぐ大西洋を突っ切れば、北米大陸の東岸にたどり着く。現代ならば小学生でもわかる。地図帳に定規をあててみればよいだけの話だ。
インドへの海路が開かれて30年が経っているこの年、リスボンはイベリア半島とヨーロッパの西端ではあるが、地の果てではなくなっている。アフリカ大陸西岸のミナ、東岸のメリンデ、モガディシュなどに拠点を築き航海の中継地とした。拠点、と簡単に述べたがそこを得るためには軍事的行動が必須だった。
征服した拠点と書くのが正確だろう。
(インド航路の開拓については第二章の『海は開かれていく』もご覧ください)
そのように大西洋は涯(はて)の海でなくなっていたが、リスボンには地の涯(はて)特有の空気がまだ残っていた。船で旅立つのは、航路があっても未知の世界に赴くのと同義だった。恐ろしく順調に進んでも半年、風待ちがあればさらに長期に渡って船に揺られ続けなければならない。
そして、多くの人びとが目的地にしているゴア(インド)は猛烈に暑い、遠い異国だ。
センチメンタルな気分を抱く旅人が多いのも納得できるだろう。
◆ ◆ ◆
リスボンの、海からそれほど離れていない場所にアルファマと呼ばれる地域がある。比較的富裕な商人などが住んでいるが、活気のある場所である。
「おはようございます。ソッラさん」
そう呼ばれた女性はふっと後ろを振り返る。
「ああ、ルイス。今日も早いのね、またお買い物?」
そう呼ばれた12歳の少年はニッコリとしてうなずく。背がそれほど高くないので年齢よりやや下に見える。大人しく素直な子どもといった印象である。
「母さんが最近からだを壊しているので、僕が手伝わないと」と少年は答える。
「親孝行なのね……あなたは私の息子にそっくり。いつもあなたの姿を見ると思い出してしまうのよ」と女性は寂しそうに笑う。
ルイスは、ソッラの寂しさを受け止めるように少し首を傾けて微笑む。
「ルイスは将来何になりたいの? 絵描きじゃないわね。お父様のアルメイダさんみたいに商人になる?」
ソッラの問いに少年は即座に答えた。
「僕は、医者になろうと思っています。それで、母さんみたいに病気で苦しむ人を減らしたい」
ソッラは満面の笑みになって、少年の頭を撫でた。少年は照れ臭そうに続ける。
「僕の祖父まではみんな、医業に就いていました。レコンキスタまでは、アラビアの進んだ医学を取り入れてたくさんの患者を救ったと聞きました」
「レコンキスタか……あ、お母さまが待っているわね。私も行かなくちゃ」とソッラはつぶやいて、ルイスの背中に軽く手をあてた。ルイスは会釈して、自宅の方に走っていった。
その背中を眺めながら、ソッラは息子のことを思い出していた。
ニコラスとフィレンツェで別れたのは今のルイスより小さな頃だった。まだ、ミケランジェロさんのところで絵を描いているのかしら。ラファエロさんが亡くなって、マルガリータはどうしているだろう。
彼女の回想する内容はどこかで時間が止まっているようだ。
スペインに移ってから、はじめのうちはニコラスや父親のディエゴ、フェラーラのアルフォンソ・デステから便りが来ていた。しかし、夫のアルヴァロ・ノヴェルダの都合で転居することが続き、手紙は追いかけてこなくなった。スペインの沿岸に次々と居を変えても、夫のコンベルソ(キリスト教に改宗したユダヤ教徒)という烙印が外れることはなかった。土地の総督から召喚されて官吏に審問を受け、放免されても近隣の住人に噂される。その繰り返しで一ヶ所に長く留まることができなかったのだ。
アルヴァロが病気で亡くなったとき、ソッラはフィレンツェに戻ろうと考えていた。ポルトガルに移って以降、スペインの時のような迫害はなかったが、スペインよりさらに遠い異国で暮らすことに心細さを感じていたのだ。
フィレンツェにしてもフェラーラもそれほどの迫害はなかった。ソッラの家系も辿っていけばユダヤ教徒だ。ソッラの父母はレコンキスタのあと、知人の伝手でフィレンツェにやって来たのだ。フィレンツェで彼らは普通のキリスト教徒として暮らしていた。
しかし、アルヴァロと懇意にしている商人仲間から後妻として迎えたいという申し出があり、ソッラはリスボンに留まることにした。今フィレンツェに戻っても、自分の場所があるのか分からなくなっていたのだ。
リスボンの町で海風に吹かれていると、ソッラはなんとも言いようのない寂寥(せきりょう)に襲われる。スペインの乾いた景色にも感じたことがあるのだが、リスボンはそれとはまた違う。
地の涯(はて)に来たような錯覚に陥るのだ。
ミケーレもこんな気持ちになったことがあるのかしら。誰にも上手く説明できない。生まれ育った場所から遠く離れて、ここが行き止まりのような……いいえ、ミケーレならば船乗りのように、新しい世界に飛び出そうとしたに違いない。
でも、女の私には無理だわ。
ミケーレ、ここで行き止まりなのかしら。
あなたとイタリアを旅した日々のことを思い出す。それはあなたにとって、つらい思い出を辿る旅でもあったのだけれど。私にはあなたという人を深く知るための冒険のようなものだった。
チェゼーナで、私はあなたを深く、深く、心と身体をすべてかけて……愛したわ。
私は今でも、ニコラスを授かったのがあの晩だったと信じている。
でも、それはミラノで突然、行き止まりになった。あなたは雪の昼に殺された。あなたの身体から溢れる血を、雪があっという間に覆ってしまった。
ソッラは、30年近く前の出来事を頭のなかでゆっくりと再生して、涙をこぼした。
悪いことばかりではない。
再婚した夫は留守が多いけれど、私を信頼して家のこともすべて任せてくれる。夫の子も私を慕ってくれている。まだポルトガル語は不得手だけれど、誰もそれをからかったりしない。逆にイタリアの話を面白そうに聞いてくれる。
さっき会ったルイス・デ・アルメイダのように、素直で優しくて、私に気さくに接してくれる近所の人もいる。
不意に、ルイスの顔が別れた時の息子に重なった。
「ニコラス……」
人混みの中で、ソッラは息子の名をつぶやいた。
海風が強く吹いている。
ポルトガルの王はジョアン3世、1502年生まれでこの年35歳になる。
この国では先代のマヌエル1世の時代から航海者を全面的に支援し、海外に拠点を築くことで国力を上げてきた。それはイベリア半島の西端に位置し船を出すのに他国の干渉を受けづらいということが大きい。地の利というものであるが、それが災いしている点も多々あった。
イベリア半島において、ポルトガルの占める割合は概ね15%で残りはスペインである。ヨーロッパのどこに行くにしても、陸路なら必ずスペインを通らなければならない。イベリア半島の付け根に横たわるピレネー山脈はしばしば境界の壁と例えられたが、ポルトガルにとってはスペインの国土85%が「壁」だったのだ。
レコンキスタが完遂するまでは共通の敵(イスラム教の王朝国家)が存在したので、スペインもそちらにかかりきりになる。しかもその間はアラゴン、カスティーリャ、ナヴァーラなどの国家が存在し、スペインはひとつになっていなかった。
それが結婚によって一つになった上に、イスラム王朝も追い出した。しまいには神聖ローマ帝国が乗じて一大連邦ができあがってしまった。
ポルトガルが戦々恐々とするのも仕方のない面がある。
ポルトガルはいち早く新大陸の発見やインド航路の開拓に取り組み、海外拠点をほうぼうに築いた。他に自国を生き延びさせる道がなかったからである。
それが、いつスペインに併合されてもおかしくはない15%の国の処方箋だった。
ジョアン3世の代になると、インド航路とその拠点を維持するのに膨大な費用がかかるようになっていた。当初は、金銀財宝や香辛料の収益で賄えると考えられていたが、思ったようには進まない。ジョアン3世は他の国と協同していく必要性を痛感していた。スペインではダメだ。しかし、離れた国と同盟を結べばスペインが必ず介入してくるだろう。
結果、ジョアン3世が進めたのはローマの教皇庁と結び付くことだった。その際に、ジョアン3世は前世紀末にスペインのイザベラ女王とフェルナンド王の方法を踏襲した。大まかに言うならば、下記の通りである。
・ポルトガルはカトリックの国であり国王はじめ国民すべてがその忠実な僕(しもべ)であること。
・それを現実の形とするために、ローマから聖職者を招き、自国の聖職者・貴族に精神的指導を与えてもらうこと。
・ルター派をはじめとするプロテスタント、異教徒はこの国に入れない、あるいは出ていってもらう。そのために国内に複数の異端審問所を設置する。
踏襲が顕著だったのは『異端審問所』である。
先例となったスペインのことを先に書いておこう。
イベリア半島からイスラム王朝が追放されたとき、女王と王はキリスト教徒が勝利したことを対外的に印象づける目的もあって、キリスト教を基盤にした国作りを行うこととした。
二人の統べる国土にはキリスト教に改宗したイスラム教徒が存在した。そして、ユダヤ教徒、キリスト教に改宗したユダヤ教徒が多数存在した。両王はまず彼らの改宗をすすめ、従わない者を追放することにした。
もともと、二つの宗教に属する人々は居住区に固まって暮らし、独自の共同体を構成していた。改宗が義務になったところで、その結束は大きく揺らぐことになる。
先んじて改宗したユダヤ教徒の中には、医者・弁護士・富裕な商人など社会的に高い職に就いている者も多く、そうでない層との軋轢(あつれき)が顕著になっていた。「自分たちは律法を守って忠実に生きているのに」という憎悪が改宗した富裕層(コンベルソ)に向けられるのである。
そして、改宗の真偽を確かめる機関として異端審問所が設けられた。着目すべきは、これが教会の機関ではなく、国の行政機関であることだ。宗教側の長である教皇からも当初は国家行政が異端審問を行うことについて懸念する意見は出されたが、結果として認可された。
これらの法令が施行されて共同体は崩れ、ユダヤ教徒はポルトガル、ネーデルラント、オスマン・トルコ領など各地に分散していった。大変皮肉なことに、異教徒の国であるオスマン・トルコは寛容な政策を取っていた。
改宗したユダヤ教徒の中には、商人になり船乗りになり、海外に出ていく者も多かった。少なくとも海では陸地ほどの差別は受けなかったし、独自のネットワークを築くことができたのである。そのネットワークは世界へと広がっていくのである。
スペインのユダヤ教徒はセファルディームと呼ばれている。ドイツ語圏ではアシュケナジームである。
一方、スペインのやり方を踏襲することにしたポルトガルである。ポルトガルは1506年、スペインにならい、ユダヤ教徒に対して追放令を出している。ただ、これは比較的寛容なものだったと思われる。
1536年の異端審問所制度創設に、寛容さはない。ローマの教皇庁にごく分かりやすい形で、敬虔(けいけん)さを示す必要があったからである。
ローマの教皇パウルス3世は悩ましい日々を送っている。
ユダヤ教徒のせいではない。ルター派を中心とするプロテスタント勢力のせいである。神聖ローマ皇帝であるカール5世(スペイン王カルロス1世も兼ねている)はスペインにおいては、カトリック国であることを明確に示している。しかし、神聖ローマ帝国(現在のドイツなど)領内ではプロテスタントの力を抑えられない。それどころか、フランスや周辺国でもプロテスタントの影響が日に日に強くなっている。
このままではカトリックの威厳は失墜するばかりである。
そこにポルトガル王からカトリックに恭順し、他の勢力を一掃したい旨の申し出があった。
渡りに船である。
教皇はジョアン3世の申し出を追認する教書(公式文書)を発した。
それが、亡命したユダヤ教徒を厳しく追い詰めることになるのである。ただ、1537年のこの時点でそれはまだ表に出てきていない。
◆ ◆ ◆
ヴェネツィアではニコラスとラウラが変わらずに共働きの暮らしをしている。
イタリア戦争に乗じてオスマン・トルコがアドリア海に進出していることは、ヴェネツィアにとって大きな脅威ではあったが、それはギリシアの島々に留まっており、まだこの都市に大きな損害を与えるに至っていない。
それでも、きな臭い話は噂として市民にも伝わってくる。海辺に寄せる船も大型のガレー船(人力船)など、実戦に使われるものが増えているのだからそれも自然な話だろう。
ニコラスは相変わらず、よく海にふらりと出かける。この時はラウラも一緒だった。いつものサン・マルコ聖堂、クーポラといくつもの小さな尖塔が大きな聖堂にいっそう、堂々とした威厳を与えている。
二人は聖堂の前で、話をしている修道僧の一団を見つけた。
5人いる。
粗末な衣服を身につけているのはフランシスコ会やドメニコ会の修道僧も同じなのだが、彼らの服はそれよりも粗末だった。
ニコラスは服装ではなく、彼らのはつらつとした様子に目を奪われた。みんな若い。そして、どこの国の言葉なのだろう。外国語で話している。
ラウラがニコラスにささやく。
「ニコラス、あの修道僧はフランス語を話しているわ。レナータ様とおんなじだもの」
「ああ、フランス語……そうだね、そうだ」とニコラスはうなずく。
ニコラスとラウラは彼らに喜捨(寄付)をしようと近づいていく。それを受け取った青年が礼を言う。
「Obrigado.」
ニコラスはその言葉を聞いて目を見開いた。イタリア語でも、スペイン語でも、フランス語でもない……。
「お国はどちらですか? 」とニコラスは思わず聞き返した。そう問われた相手が今度はキョトンとしている。すると、脇に立っていた黒髪の男がニコラスの方にやってきて、たどたどしいイタリア語で言う。
「シモンはポルトガル人なのです。われわれは普段フランス語で話しているのですが、あなたが喜捨を下さったのがよほど嬉しかったのでしょう。それで母国語が出たようです」
ニコラスは言葉を失った。
それに気がついたラウラがさらに尋ねる。
「他にポルトガルの方はいらっしゃるのですか?」
黒髪の男は仲間を見ながら続ける。
「ポルトガル人はシモンだけです。あとは、スペイン、ナヴァーラ、フランス……ニコラはポルトガル語を使えますが……」
「私はサヴォイアです」と亜麻色の髪の男性がフランス語で言う。
ラウラがうなずきながら、説明する。
「夫の母がリスボンにいるのですが、なかなか連絡が取れないのです。いい方法がないかと思っていて」
黒髪の男がシモンに話すと、シモンは残念そうな顔をして何か言っている。ニコラもそれについて、フランス語で話している。
それをまたイタリア語で通訳する。
「残念ですが、シモンは大学で学ぶためパリに長く住んでいて今のポルトガルの状況がよく分からないのです。でも、何かできることがあるか相談してみます。私たちはしばらくヴェネツィアに滞在します。この広場で集まるようにしていますので、またお会いしませんか」
ラウラは思いもかけない親切な言葉に感激して、黒髪の男の手を握りしめる。男はにこやかにうなずく。
「ありがとうございます。またここで、ぜひ。あ、私はラウラ、夫はニコラスです。あなたのお名前は?」とラウラが尋ねる。
「フランシスコ……フランシスコ・ザビエルです」と黒髪の男は名乗った。
そして、ニコラスとラウラはその場を去った。
修道僧というと無愛想な場合も多い(実際はあまり話さないようにしているだけだが)。それに比べて彼らは初めから人に心を開いているーーとラウラは彼らを絶賛した。
ニコラスは微笑んで、空を飛ぶミサゴの姿を追う。その猛禽類は帆船よりも尖塔よりもずっと高いところを飛んでいる。
「あのミサゴは……僕らには思いもつかないほど、たくさんのものが見えるんだろうな」
ラウラは彼に身を寄せる。
そして、ミサゴが遠くに去るさまをしばらく一緒に眺めていた。
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