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第5章 フィガロは広場に行く3 ニコラス・コレーリャ
『最後の審判』に着手する 1533~36年 ローマ
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〈ミケランジェロ・ブォナローティ、教皇クレメンス7世、トンマーゾ・ディ・カヴァリエーリ、新教皇パウルス3世、ヴィットリア・コロンナ〉
フィレンツェに戻る気になかなかなれず、ローマにとどまっているミケランジェロ・ブォナローティについて、もう少し先まで書いておこう。
ローマの暮らしでミケランジェロの心に光を与えたのは「恋」だった。1532年に出会った青年貴族、トンマーゾ・ディ・カヴァリエーリがその対象である。
若く美しい青年にミケランジェロが夢中になったことは前回も触れた。以後、彼とは頻繁に手紙のやりとりがなされ、ミケランジェロはソネット詩やデッサンを惜しげもなく捧げている。
例えば、このような手紙である。
〈(前略)私が貴方のお名前を忘れる時というのは、すなわち自分の生きる糧である食べ物を忘れる時であるということを、私はよくわきまえております。それどころか、生きる糧である食べ物のことは、貴方のお名前よりも先に忘れてしまうでしょうーーあいにく食べ物が育んでくれるのは肉体だけですが、貴方のお名前は肉体と魂とを満たしてくださるのですから。それも、肉体と魂をまことに甘美に満たしてくださるがゆえに、貴方の記憶が私の中に残っている限り、私は死の苦しみや恐怖を感じずにすむのです。
考えてもみてください。目がその役割を果たしているのならば、私がどのような状況にあるかおわかりでしょう。
愛する者というのはたいへん優れた記憶力を備えているものです。それゆえ、餓えた者が生きる糧となる食べ物のことを忘れ得ぬのと同じく、愛する者が熱烈に愛するものを忘れようもありません。
(中略)
と言いますのも、愛するものというのは肉体と魂を養ってくれるからです。肉体はつとめて慎ましやかなものでも養えますが、魂は幸福なる静謐(せいひつ)と永遠の救済を期待することによってこそ育めるものなのです。
(後略)〉
(引用・抜粋『レオナルド×ミケランジェロ展』図録 2017)
純粋な思いがあふれる愛の手紙である。ミケランジェロはカヴァリエーリにこのような思いを捧げ続けた。おそらく、彼の人生でもっとも重要な恋愛になるだろう。
カヴァリエーリは異性愛者だったが、大芸術家のまっすぐな愛情をむげにすることはなかった。もともとカヴァリエーリは芸術に対する造詣が深く、ミケランジェロが男性の理想の肉体を創ろうとしていることを知っている。その理想が自分に重ねられたことには誇らしい気持ちもあったかもしれない。
カヴァリエーリは親愛の情を込めて返事を書き、またミケランジェロから便りが届く。それは長い間続く。
ごく初期の段階でお互いに、肉体で結ばれることはないという暗黙の了解はあっただろう。それが厳密に守られたからこそ、長く関係を続けることができたのかもしれない。
同性愛でも異性愛でも通ずる部分がある。
アベラールとエロイーズの話をご存じだろうか。
中世フランスの実在の人物である。
男女は教師と教え子として恋をした結果、引き離され二人とも別々の場所で神に仕えることになる。アベラールにいたっては、男性器を切り落とされてしまう。二人はじきに手紙のやりとりをはじめ、それはずっと続けられる。神という媒体があるにせよ、二人の関係は昇華されていくのだ。その往復書簡や手記は現在も愛の古典として人々に読み継がれている。
手紙というものの持つ魔法かもしれない。
ミケランジェロが美しい文字で、切々と綴る手紙もまた、絵画や彫刻と同様に美しい芸術品である。
そして、カヴァリエーリとの出会いがあったからこそ、ミケランジェロは再び創作に向かう気になったのかもしれない。
思えば、システィーナ礼拝堂の天井画を4年かけて描いたあと、ミケランジェロの仕事にはさまざまな横やりが入った。元教皇ユリウス2世の廟所制作は後の教皇に邪魔されて進まず、遺族から訴えられ難航している。フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂の仕事も完遂しないうちに計画の変更やフィレンツェ包囲の政変があって頓挫している。フィレンツェを囲む市壁はできたが、そのときに壊されてしまった。
ミケランジェロがニコラスに告げたように、彼は長く作品を完成させることができなかった。現代にも名を残す芸術家がそれほど長く作品を完成させられなかった例はまれだろう(彫刻や絵画などいくつかは完成した)。本人もフィレンツェ包囲以降は情熱を失っていた。この頃も教皇クレメンス7世からはシスティーナ礼拝堂に新たな祭壇画を描くように依頼されているが、題材などで折り合いがつかずまだ請け負うか決めていない。
そして、創作に対する情熱の喪失は孤独とも重なっていた。
それにカヴァリエーリが手を差しのべたのである。
カヴァリエーリに捧げるデッサンではあったが、とにもかくにもミケランジェロは熱心に手を動かすようになった。1530年代前半のこのときに、ミケランジェロはようやく再生を果たすこととなったのだ。
このあと、ミケランジェロは少しずつではあるが、中途の仕事の進行や依頼されているシスティーナ礼拝堂の祭壇画に取り組みはじめるのである。
もう少しだけ、先に進もう。
1534年に教皇クレメンス7世は天に召された。コンクラーベで新たに選出されたのはアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(すうきけい、すうききょう)、転じてパウルス3世である。
メディチ家から自由になった新教皇だったが、その前には難問が山積していた。レオ10世の時代からのツケが回った形の財政問題や、新教(プロテスタント)の台頭などである。マルティン・ルターの論題に端を発した運動はすでに無視できない勢いで広がっている。新教皇はローマ・カトリック教会の存続をかけて、これと立ち向かわなければならなかった。
ファルネーゼ枢機卿について、少し補足したい。彼が若くして枢機卿に選出されたのはもう前世紀の話になる。彼はイタリア半島カニーノ出身の貴族であるが、さらに特筆すべきことがある。彼を抜擢したのがチェーザレ・ボルジアの父、アレクサンデル6世なのである。そして、それには理由があった。
アレッサンドロの妹、ジュリアはアレクサンデル6世の愛人だ。ジュリアはルクレツィア・ボルジアの養育係として教皇庁の邸宅に住んでいた。
ボルジア家と深い関係があった新教皇である。彼は教皇庁の財政を引き締めなければならなかったが、クレメンス7世がミケランジェロに依頼した祭壇画制作については先代と同様熱心に依頼し続けた。
彼もカヴァリエーリのように、ミケランジェロを偉大な芸術家だと考えていた。彼は枢機卿になって以降、ミケランジェロがまだ20代前半のころに完成させた『ピエタ像』の美しさを称賛していた。
加えて、新教皇はその作者が依頼者の都合で創作に専念できないことに同情も感じていた。だからこそ、ローマにとどまって創作できる道を与えようとしたのだ。
ミケランジェロは61歳になろうとしていた。
新教皇パウルス3世に熱心に口説かれてもまだ腰が重いミケランジェロがようやく祭壇画の制作に着手する頃、また新たな出会いが訪れる。1536年のことだった。
トンマーゾ・ディ・カヴァリエーリがミケランジェロに会わせたい女性がいるという。
「とにかく、会ってお話してみて下さい。自由な魂を持つ最高の詩人、最高の女性です」
激賞するカヴァリエーリの言葉を、半信半疑で聞いていたミケランジェロだったが、彼は詩人と親しく交流したことがない。さらに女性の詩人は多くはなかったので、興味を持った。大芸術家は詩作もたしなみ、カヴァリエーリにもソネットを贈っているのだ。
そこまで言うならと、ミケランジェロはカヴァリエーリとともに彼女の住む邸宅に赴いた。広い邸宅に招き入れられた二人はさっそく、その女性に出迎えられた。
「まあ、カヴァリエーリ様、今日はまた素晴らしいモデーロ(モデル)をお連れくださって。でも、わたくしが描くと言ったらきっとダヴィデに石をぶつけられてしまうわ」
彼女の言葉にカヴァリエーリは思わず笑ったが、ミケランジェロはあっけに取られていた。その女性の機知にあふれる言葉に魅せられてしまったのだ。
この女性は、自分がどのような人間か分かった上で、初対面の緊張をほぐそうとしているのだ。本当に賢い女性なのだ。
女性はミケランジェロよりはかなり若いようだった(15歳年下)。そして修道女の衣服に身を包んでいた。寡婦なのだろう。その気さくな態度には心から歓迎しているようすが感じられる。ミケランジェロも落ち着いた口調で彼女に応じる。
「大丈夫ですよ。ダヴィデが石を投げても、ローマまでは届きません」
カヴァリエーリも彼女も笑う。
彼女の名はヴィットリア・コロンナという。教皇領において有力なコンドッティアーレ(傭兵隊長)であるコロンナ家の女性だった。
そして、その母はウルビーノ公モンテフェルトロ家の娘である。イタリア半島きっての名家の血筋だった。彼女は早くから文才を認められ、詩人たちと交流を持った。貴族の女性ならば、芸術家や詩人を集めてサロンを開くのが通例だが、ヴィットリアの場合は自身が他から詩人として認められる存在になっていく。
彼女は他にもいくつか書くべき点がある。
彼女は自分で選んだ相手と結婚して、ナポリの南西にあるイスキア島に移り住んだ。そして、戦乱の頃に夫を亡くして以降は再婚の勧めを拒んできたのである。
いろいろな土地を知っていることは彼女に生き生きとした情景をもたらし、詩に豊かさを与えた。夫を亡くしてしばらく、思い出のイスキア島に暮らしたあと、ローマに移り住んでからも彼女を慕ってくる人が引きもきらなかった。
カヴァリエーリもその一人だった。
そして、ミケランジェロ・ブォナローティもヴィットリア・コロンナの聡明で気さくな様子にすっかり魅せられてしまったのだ。そしてカヴァリエーリと同じように、彼女とも手紙のやりとりをはじめることになる。
カヴァリエーリとヴィットリア、二人の男女はミケランジェロが新しい方向に向かう後押し役となった。
そして、ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の祭壇壁画に本格的に着手する。
『最後の審判』である。
フィレンツェに戻る気になかなかなれず、ローマにとどまっているミケランジェロ・ブォナローティについて、もう少し先まで書いておこう。
ローマの暮らしでミケランジェロの心に光を与えたのは「恋」だった。1532年に出会った青年貴族、トンマーゾ・ディ・カヴァリエーリがその対象である。
若く美しい青年にミケランジェロが夢中になったことは前回も触れた。以後、彼とは頻繁に手紙のやりとりがなされ、ミケランジェロはソネット詩やデッサンを惜しげもなく捧げている。
例えば、このような手紙である。
〈(前略)私が貴方のお名前を忘れる時というのは、すなわち自分の生きる糧である食べ物を忘れる時であるということを、私はよくわきまえております。それどころか、生きる糧である食べ物のことは、貴方のお名前よりも先に忘れてしまうでしょうーーあいにく食べ物が育んでくれるのは肉体だけですが、貴方のお名前は肉体と魂とを満たしてくださるのですから。それも、肉体と魂をまことに甘美に満たしてくださるがゆえに、貴方の記憶が私の中に残っている限り、私は死の苦しみや恐怖を感じずにすむのです。
考えてもみてください。目がその役割を果たしているのならば、私がどのような状況にあるかおわかりでしょう。
愛する者というのはたいへん優れた記憶力を備えているものです。それゆえ、餓えた者が生きる糧となる食べ物のことを忘れ得ぬのと同じく、愛する者が熱烈に愛するものを忘れようもありません。
(中略)
と言いますのも、愛するものというのは肉体と魂を養ってくれるからです。肉体はつとめて慎ましやかなものでも養えますが、魂は幸福なる静謐(せいひつ)と永遠の救済を期待することによってこそ育めるものなのです。
(後略)〉
(引用・抜粋『レオナルド×ミケランジェロ展』図録 2017)
純粋な思いがあふれる愛の手紙である。ミケランジェロはカヴァリエーリにこのような思いを捧げ続けた。おそらく、彼の人生でもっとも重要な恋愛になるだろう。
カヴァリエーリは異性愛者だったが、大芸術家のまっすぐな愛情をむげにすることはなかった。もともとカヴァリエーリは芸術に対する造詣が深く、ミケランジェロが男性の理想の肉体を創ろうとしていることを知っている。その理想が自分に重ねられたことには誇らしい気持ちもあったかもしれない。
カヴァリエーリは親愛の情を込めて返事を書き、またミケランジェロから便りが届く。それは長い間続く。
ごく初期の段階でお互いに、肉体で結ばれることはないという暗黙の了解はあっただろう。それが厳密に守られたからこそ、長く関係を続けることができたのかもしれない。
同性愛でも異性愛でも通ずる部分がある。
アベラールとエロイーズの話をご存じだろうか。
中世フランスの実在の人物である。
男女は教師と教え子として恋をした結果、引き離され二人とも別々の場所で神に仕えることになる。アベラールにいたっては、男性器を切り落とされてしまう。二人はじきに手紙のやりとりをはじめ、それはずっと続けられる。神という媒体があるにせよ、二人の関係は昇華されていくのだ。その往復書簡や手記は現在も愛の古典として人々に読み継がれている。
手紙というものの持つ魔法かもしれない。
ミケランジェロが美しい文字で、切々と綴る手紙もまた、絵画や彫刻と同様に美しい芸術品である。
そして、カヴァリエーリとの出会いがあったからこそ、ミケランジェロは再び創作に向かう気になったのかもしれない。
思えば、システィーナ礼拝堂の天井画を4年かけて描いたあと、ミケランジェロの仕事にはさまざまな横やりが入った。元教皇ユリウス2世の廟所制作は後の教皇に邪魔されて進まず、遺族から訴えられ難航している。フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂の仕事も完遂しないうちに計画の変更やフィレンツェ包囲の政変があって頓挫している。フィレンツェを囲む市壁はできたが、そのときに壊されてしまった。
ミケランジェロがニコラスに告げたように、彼は長く作品を完成させることができなかった。現代にも名を残す芸術家がそれほど長く作品を完成させられなかった例はまれだろう(彫刻や絵画などいくつかは完成した)。本人もフィレンツェ包囲以降は情熱を失っていた。この頃も教皇クレメンス7世からはシスティーナ礼拝堂に新たな祭壇画を描くように依頼されているが、題材などで折り合いがつかずまだ請け負うか決めていない。
そして、創作に対する情熱の喪失は孤独とも重なっていた。
それにカヴァリエーリが手を差しのべたのである。
カヴァリエーリに捧げるデッサンではあったが、とにもかくにもミケランジェロは熱心に手を動かすようになった。1530年代前半のこのときに、ミケランジェロはようやく再生を果たすこととなったのだ。
このあと、ミケランジェロは少しずつではあるが、中途の仕事の進行や依頼されているシスティーナ礼拝堂の祭壇画に取り組みはじめるのである。
もう少しだけ、先に進もう。
1534年に教皇クレメンス7世は天に召された。コンクラーベで新たに選出されたのはアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(すうきけい、すうききょう)、転じてパウルス3世である。
メディチ家から自由になった新教皇だったが、その前には難問が山積していた。レオ10世の時代からのツケが回った形の財政問題や、新教(プロテスタント)の台頭などである。マルティン・ルターの論題に端を発した運動はすでに無視できない勢いで広がっている。新教皇はローマ・カトリック教会の存続をかけて、これと立ち向かわなければならなかった。
ファルネーゼ枢機卿について、少し補足したい。彼が若くして枢機卿に選出されたのはもう前世紀の話になる。彼はイタリア半島カニーノ出身の貴族であるが、さらに特筆すべきことがある。彼を抜擢したのがチェーザレ・ボルジアの父、アレクサンデル6世なのである。そして、それには理由があった。
アレッサンドロの妹、ジュリアはアレクサンデル6世の愛人だ。ジュリアはルクレツィア・ボルジアの養育係として教皇庁の邸宅に住んでいた。
ボルジア家と深い関係があった新教皇である。彼は教皇庁の財政を引き締めなければならなかったが、クレメンス7世がミケランジェロに依頼した祭壇画制作については先代と同様熱心に依頼し続けた。
彼もカヴァリエーリのように、ミケランジェロを偉大な芸術家だと考えていた。彼は枢機卿になって以降、ミケランジェロがまだ20代前半のころに完成させた『ピエタ像』の美しさを称賛していた。
加えて、新教皇はその作者が依頼者の都合で創作に専念できないことに同情も感じていた。だからこそ、ローマにとどまって創作できる道を与えようとしたのだ。
ミケランジェロは61歳になろうとしていた。
新教皇パウルス3世に熱心に口説かれてもまだ腰が重いミケランジェロがようやく祭壇画の制作に着手する頃、また新たな出会いが訪れる。1536年のことだった。
トンマーゾ・ディ・カヴァリエーリがミケランジェロに会わせたい女性がいるという。
「とにかく、会ってお話してみて下さい。自由な魂を持つ最高の詩人、最高の女性です」
激賞するカヴァリエーリの言葉を、半信半疑で聞いていたミケランジェロだったが、彼は詩人と親しく交流したことがない。さらに女性の詩人は多くはなかったので、興味を持った。大芸術家は詩作もたしなみ、カヴァリエーリにもソネットを贈っているのだ。
そこまで言うならと、ミケランジェロはカヴァリエーリとともに彼女の住む邸宅に赴いた。広い邸宅に招き入れられた二人はさっそく、その女性に出迎えられた。
「まあ、カヴァリエーリ様、今日はまた素晴らしいモデーロ(モデル)をお連れくださって。でも、わたくしが描くと言ったらきっとダヴィデに石をぶつけられてしまうわ」
彼女の言葉にカヴァリエーリは思わず笑ったが、ミケランジェロはあっけに取られていた。その女性の機知にあふれる言葉に魅せられてしまったのだ。
この女性は、自分がどのような人間か分かった上で、初対面の緊張をほぐそうとしているのだ。本当に賢い女性なのだ。
女性はミケランジェロよりはかなり若いようだった(15歳年下)。そして修道女の衣服に身を包んでいた。寡婦なのだろう。その気さくな態度には心から歓迎しているようすが感じられる。ミケランジェロも落ち着いた口調で彼女に応じる。
「大丈夫ですよ。ダヴィデが石を投げても、ローマまでは届きません」
カヴァリエーリも彼女も笑う。
彼女の名はヴィットリア・コロンナという。教皇領において有力なコンドッティアーレ(傭兵隊長)であるコロンナ家の女性だった。
そして、その母はウルビーノ公モンテフェルトロ家の娘である。イタリア半島きっての名家の血筋だった。彼女は早くから文才を認められ、詩人たちと交流を持った。貴族の女性ならば、芸術家や詩人を集めてサロンを開くのが通例だが、ヴィットリアの場合は自身が他から詩人として認められる存在になっていく。
彼女は他にもいくつか書くべき点がある。
彼女は自分で選んだ相手と結婚して、ナポリの南西にあるイスキア島に移り住んだ。そして、戦乱の頃に夫を亡くして以降は再婚の勧めを拒んできたのである。
いろいろな土地を知っていることは彼女に生き生きとした情景をもたらし、詩に豊かさを与えた。夫を亡くしてしばらく、思い出のイスキア島に暮らしたあと、ローマに移り住んでからも彼女を慕ってくる人が引きもきらなかった。
カヴァリエーリもその一人だった。
そして、ミケランジェロ・ブォナローティもヴィットリア・コロンナの聡明で気さくな様子にすっかり魅せられてしまったのだ。そしてカヴァリエーリと同じように、彼女とも手紙のやりとりをはじめることになる。
カヴァリエーリとヴィットリア、二人の男女はミケランジェロが新しい方向に向かう後押し役となった。
そして、ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の祭壇壁画に本格的に着手する。
『最後の審判』である。
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