16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第5章 フィガロは広場に行く3 ニコラス・コレーリャ

潰されたフィレンツェ 1530年

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〈神聖ローマ皇帝カール5世、フランス王フランソワ1世、教皇クレメンス7世、ミケランジェロ・ブォナローティ、ニコラス・コレーリャ、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、ジョルジョ・ヴァザーリ〉

 ニコラスがヴェネツィアに赴くためにフェラーラを発った頃、また戦争の様相は変わっていた。
 戦争とは、前世紀末から断続的に続く「イタリア戦争」である。チェーザレ・ボルジアがまだ枢機卿(すうききょう、すうきけい)だった1494年に始まったのだが、それが35年経っても完全な決着をみていないのだ。
(その発端については第一章の『フランスの侵攻 チェーザレの来た道2』をご参照ください)

 これまで、イタリア半島に大きな影響を与えたことがらを挙げると、
・1499年、ミラノがフランスに占領される。
・1503年、ナポリがスペイン(アラゴン)の領地となる。
・1527年、ローマ劫略。
 ということになるだろう。

 この戦争について追っていくことは、その渦中で生きた人間を見ることでもある。  
 チェーザレもルクレツィアもマキアヴェッリも皆その流れの中にいたのである。

 今回の話の前半は情勢の説明になるが、ご容赦いただきたい。


 1527年のローマ劫略で、フランスに対する神聖ローマ帝国の優位が確定した。
 フランスは歴代の王の悲願である「イタリア半島の支配」から手を引くことを考えはじめている。
 1529年7月、カンブレーで和議の会議がもたれた。これは当事者同士ではなく、ネーデルラント総督マルグリット大公女(カール5世の叔母)と、フランス王フランソワ1世の母ルイーズ・ド・サヴォワの2人で行なわれた。当事者同士だと一即触発の状況になると考えられたのだろうか。この2人が締結させた条約は「貴婦人の和約」と呼ばれた。

 フランスは手にしていたフランドル、アルトワ、トゥルネーの宗主権を手放した。マドリードで人質生活を送っていたフランソワ1世の2人の息子、フランソワとアンリは200万エキュの身代金を支払い解放されることとなる。 ブルゴーニュ公国はかろうじて守ることができた。

 これでフランスはイタリア半島を手放し、自国の内政に専念していく方向になる。度重なる外征が国の財政を圧迫し、また、有力な家臣の戦死も相次いだ。これ以上戦争をけしかけることはできなくなったのである。

 様相が変わったというのは、まずその点である。

 神聖ローマ帝国が優位に立ったのはフランスに対してだけではない。ローマを含むイタリア半島についても同じである。

 カール5世はバルセロナで教皇と会談しローマ劫略の後処理について取り決めた。稀有なことだが、教皇がスペインのバルセロナまで赴いたのである。その結果、教皇はローマ劫略を赦し、カール5世がイタリア王と神聖ローマ皇帝として戴冠することを認めた。その見返りに教皇は神聖ローマ帝国のものとなっていたラヴェンナとチェルヴィアを得る。
 領土の割譲(かつじょう)だけではない重要な決定もここに含まれていた。
 「イタリア王」の称号を与える、ということである。すなわち、教皇領を除く全イタリア半島の皇帝の支配権を認めるということだ。この称号はこれまでにたびたび与えられたことがある。15世紀から16世紀にかけては神聖ローマ帝国皇帝に与えられていたので、それ自体は珍しいことではない。ただ、これまでは単に名誉称号で実態が伴っていない場合も多かった。今回のように実質的な軍事支配を意味するわけではなかったのである。
 メディチ家出身である教皇クレメンス7世はそれに乗じて、フィレンツェにおけるメディチ家の世襲支配を、「イタリア王」に認めさせることにした。合わせてメディチ家に「公爵」の位を与えることも了承させた。

 少し話が逸れるが、この時、フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレはミラノに行くことになる。ウルビーノからヴェネツィアへと移りミラノに。彼の流転は生涯続くことになる。

 1529年の秋以降、バルセロナの和議を受けて、イタリアの各国と神聖ローマ帝国が密接な関係を持つようになる。

 イタリア半島の各国諸侯はローマに大挙して押し寄せる皇帝のランツクネヒト(傭兵団)を目の当たりにした。圧倒的な武力をもってキリスト教の首府ローマを何の躊躇(ちゅうちょ)もなく破壊し尽くした姿に皆心から恐れを抱いていた。和睦の結果を知ったイタリア半島の各国もそれに追随しカール5世との関係を築こうとするのだ。
 まず、イタリア北部のジェノヴァが神聖ローマ帝国と同盟を組み、他の諸侯もボローニャで会議を行い、神聖ローマ帝国に付くことを決めた。
 カール5世は同じボローニャでイタリア王と神聖ローマ皇帝の戴冠を受ける。

 ここで、フィレンツェだけは神聖ローマ帝国に付く道を採れない。さきのバルセロナの和議でフィレンツェが矢面に立たされる形になったからである。当然のことだが、あくまでも共和国として独立した立場を保ちたかったのである。皇帝側の申し入れに、フィレンツェは「否」を突きつけた。

 1529年10月24日、4万からなる皇帝軍はフィレンツェを包囲する。市民軍は籠城し、堅固な城壁の向こうで抵抗した。神聖ローマ帝国軍の司令官はオラニエ公フィリベール・ド・シャロン、フィレンツェ市民軍の司令官はフランチェスコ・フェルッチョである。この包囲戦の当初は、市民軍もよく応戦し皇帝軍も決定打を撃つことはできなかった。シャロン司令官は持久戦に持ち込むことに決め、籠城のフィレンツェが疲弊するのを待った。
 年を越えて1530年、籠城も10カ月になる頃、最後の決戦の火蓋が切って落とされる。ガヴィナーナの戦いである。ここでフィレンツェは力を振り絞るようにシャロン司令官を戦死させた。しかし、それが最後だった。10日間の激闘の末、フィレンツェ共和国は投降する。
 フィレンツェ側は3万人もの犠牲を払うこととなった。


 さて、ここまで書いたことで、一人の男がいかにこの苦境を抜け出したか、ということを知らせる助けになるだろう。

 ミケランジェロ・ブォナローティである。

 彼は共和国政府の依頼で防御壁などを設計・施工してきたのだが、それだけではない。あわせて共和国政府の重役にも任ぜられていたのだ。
 フィレンツェが投降した後、皇帝と教皇の約束通りメディチ家のアレッサンドロが国の当主としてフィレンツェに戻ることになる。それに先立つ共和国政府関与者への粛清は凄まじかった。ほぼ全ての者が処刑され、フィレンツェは恐怖の都となった。

 当然、ミケランジェロもその咎(とが)から逃れられない。


 ヴェネツィアでニコラスはただそのことだけを心配していた。
 ローマに赴いているジョルジョ・ヴァザーリに手紙を出した。ヴァザーリも同じように心配しており、危険を省みずフィレンツェを見下ろす辺りまで出かけた話を書いて送ってきた。ちょうど、ガヴィナーナの戦いの前のことだったという。

〈何万もの兵が取り囲むフィレンツェは今まで見たこともない「戦場」になっていた。皆で作った防御壁も土塁も、あれだけの大軍に襲われてはひとたまりもない。壁の向こうに行くことも、いや、壁に近づくことすらできない。師匠が、工房のみんながどうしているかも分からない。
 ニコラス、もしかして僕たちがローマとヴェネツィアに出されたのは、師匠もこうなることが分かっていたからではないのか、などと思ったりするんだ。僕はサルト師匠のことも心配だから、落ち着いた頃をみはからってまたフィレンツェに行くよ。きみにもまた手紙を書く。どうか元気で過ごしてくれ。

ジョルジョ〉

 ジョルジョ・ヴァザーリが手紙に書いていたアンドレア・デル・サルトはこの年の1月に亡くなっている。

 ニコラスはジョルジョの手紙を懐にしまうと、自分の前にある板絵を見て、ため息をつく。そこに彼の新しい師匠であるティツィアーノ・ヴェチェッリオがやってくる。

 今年42歳になるヴェネツィアの大家(たいか)はこの新しい弟子にいくつかのテーマで彩色画を描くよう命じている。いくつかのデッサン、アルフォンソ・デステ公の推挙、ミケランジェロの工房に長くいたことなどから、その実力はすぐに分かった。今は小さい宗教画を任せるつもりで、準備として習作を描かせている。
 もちろん、ニコラスの師匠であるミケランジェロのいるフィレンツェが大変な事態になっていることを知っている。通常、芸術家というのは為政者、あるいは裕福な層の庇護を受けて活動するので、戦乱に巻き込まれることは少ない。あるいは、そのような気配があったら他の土地に移るだろう。しかし、ミケランジェロの場合は特殊だ。彼は打倒された共和国政府側の人間なのだ。粛清されても不思議ではない。
 なので、その弟子だったニコラスが心配するのも仕方のないことだと理解できる。

「ニコラス、すべては運だと思うのだよ。きみの前の師匠が強い運を持っているのならば、生き残って仕事を続けるだろう。そうでなければ……あとは神のみぞ知るということか。ここヴェネツィアは情報のるつぼだから、もし、ミケランジェロほどの人に何かあればそれがヴェネツィアに広まらないはずはない。だから、まだ希望を捨てずにいよう」

 優しい言葉にニコラスは感謝する。
 そしてこの美しい水の都で、元気に復活を果たしたミケランジェロに見せても恥ずかしくない作品を描こうと決意するのだった。


 さて、ここで読者諸姉諸兄には、かのミケランジェロ・ブォナローティがこの時どうしているかを明かしておく。

 ミケランジェロはフィレンツェ包囲が始まった頃、今ニコラスがいるヴェネツィアかあるいはフランスに逃亡しようと考えていたようだ。実際に一度は壁を抜けるのだが、共和国政府の要人でミケランジェロの友人でもあるバッティスタ・デッラ・パッラが追いかけてきて、説得する。そして、ミケランジェロは再び籠城のフィレンツェに戻るのである。
 そして、フィレンツェが陥落するのと同時にミケランジェロは再び姿を消した。

 彼の行方を誰も知らない。

 彼は生きている。
 粛清の嵐が吹き荒れるフィレンツェの街中で、生きている。
 身を隠していたのである。
 たった一人で隠れていた。

 彼が身を隠していたのは、フィレンツェの中心地、サン・ロレンツォ聖堂内、メディチ家礼拝堂の地下室だった。まさに、建築に携わった者しか入ることのできない隠れ場所だった。ジョルジョ・ヴァザーリは後年、ミケランジェロの伝記を書いたが、この地下室のことは書いていない。ミケランジェロも口外しなかったのだろう。メディチ家礼拝堂も、付属のラウレンティーナ図書館も後年完成するが、この地下室については長く知られることがなかった。

 それが分かったのは1975年、20世紀になってからのことである。メディチ家礼拝堂に観光客が増えたために、出口を別の場所に設置することになった。その際に放置されていた地下室を改めたところ、壁に描かれたスケッチ群が現れたのである。この地下室には井戸があり、飲み水など確保することができた。また、多少の採光もあったのだろう。隠れ家として最低の機能があったわけだ。食糧を運ぶ協力者もいただろう。

 しかし、何週間、何ヵ月かの間か定かではないものの、この隠れ家生活はミケランジェロのその後の人生に影を落とすことになる。

 彼を説得したバッティスタ・デッラ・パッラも処刑された。

 のちに、そのバッティスタの処刑を命じた人間の依頼でミケランジェロは一体の彫刻を手掛けることになる。
 先般日本にも来ていた、『ダヴィデ=アポロ像』である。この彫刻は完全に仕上げられていない。ダヴィデともアポロとも判別しづらいポーズを取っていて、現代まで論議されている。制作に取りかかった年もはっきりしていないが、1532年には完成したと見られている。
 
 それよりも筆者には、ミケランジェロがあえて、聖書のダヴィデともギリシア神話のアポロ(アポロン)とも決めなかったこと。また、完全に仕上げなかったことに彼の抱えた相克が透けて見えるように思う。

 「市民による市民のための国」を創ろうとしていた者たちの理想に共鳴しながらも、それを難なく踏み潰した者のために創り続けなければいけない。
 その相克である。
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