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第4章 フィガロは広場に行く2 ニコラス・コレーリャ
フィガロをぐるりと回す 1517年 フィレンツェ
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〈ソッラ、ニコラス、教皇レオ10世、ミケランジェロ・ブォナローティ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティ、マルティン・ルター〉
フィレンツェにある実家の鍛冶屋で新しい生活を始めたソッラ、その子ニコラスである。ソッラは以前と同じように鍛冶屋の店番として客の応対をする。9歳になったニコラスは絵画の工房に働きに出ようと、フィレンツェ中の工房を見て回っていた。と言うよりも、フィレンツェの街を丹念に歩き回るほうに時間を費やしているというのがより正確かもしれない。そして、気に入った場所を見つけると道端に座り込んで、スケッチを始めるのだ。
彼の母親が言う通り、フィレンツェはイタリア半島でも指折りの美しい街だ。
ニコラスが生まれてからずっと過ごしてきたフェラーラも、初めての旅で通ってきたボローニャもキアンティの森も、そしてシエナもたいへん美しい街だった。しかし、母の故郷であるこの街は格別に素晴らしいとニコラスは思っている。街全体の雰囲気が華やかなのである。それは前世紀のメディチ家の栄華の遺産でもある。
ニコラスにとっては建物のみならず、絵画や彫刻、数々の装飾品すべてが魅力的だった。
その中でもニコラスが特に気に入っているのは、『ダヴィデ』の像である。イスラエルの王ダヴィデが巨人ゴリアテに向かって石を左手に構える姿のものである。
ニコラスは毎日一度、シニョリーア広場の端に座り込み、あるいは立ったままでこの像をスケッチしている。
ニコラスがスケッチしている姿を背後から眺める中年の男がいた。
実はニコラスが気付く前から、その男はニコラスが『ダヴィデ』像をスケッチする姿を認めていたのである。ただ、すぐに近寄って声をかけるようなことはしなかった。男は気さくな性格ではなく、自分の血縁者ならまだしも、見知らぬ子どもに話しかけたことなどなかったからである。
その男はニコラスがスケッチするさまと、ニコラスの描いているものをただじっと背後から見ている。
対して、ニコラスは物静かではあったが、人に心を閉ざす型の子どもではなかった。1枚描き終えると、ニコラスは立ち上がって後ろを向き、中年の男をじっと眺めた。男はまっすぐな少年の瞳に一瞬ぎょっとしたが、自身もぶしつけな態度だったことを省みたらしい。
「よければ……スケッチを見せてくれないか」
「はい」とにっこり笑って、ニコラスは自分の紙ばさみごと紙の束を渡す。
男は何十枚もある紙の束を凝視し次から次へとめくる。ニコラスはその鬼気迫る勢いに目を丸くしている。ふと1枚の紙を見て、ニコラスに尋ねる。
「これは? ヴェッキオ宮の窓から見て描いたのか?」
そこには真上から見た『ダヴィデ』像が描かれていた。ニコラスは脇にそびえるヴェッキオ宮を見上げた後、首を横に振る。
「おじさん、ぼくはあそこには入れないよ。えーっと、ぐるりとダヴィデを回してみるんだよ」
「どんなふうに?」と男は聞く。
「うんっと……前と斜めと……後ろも何とか見える。でも、ぼく背が小さいでしょう。近いと見上げることしかできない。離れて見れば真っ正面に見えるようになる。自分がいろんなところに動いて描くと、頭の中でだんだんダヴィデがかたちになっていく。そうしたら、ぐるりとダヴィデを回すんだ。そうしたら、ぼくの見えないところも描くことができるでしょう」
ニコラスの言葉を男はじっと聞いていた。そして、紙の束をニコラスに返す。
「ぼうず、どこかの工房にいるのか?」
「ううん、今ね、工房に入ろうと思って、いろいろ見ているんです。本当は街やダヴィデを描く時間のほうが長いんですけど、ママに怒られちゃうので内緒です」とニコラスはペロッと舌を出す。
男はじっと腕組みをして考えている。そしてダヴィデを見上げると、ぶっきらぼうに言う。
「俺は工房を持っていない。弟子もいない。だが、今度仕事場を見に来るか。おまえが興味を持つものもあるだろう。少なくとも、俺はおまえに興味がある」
ニコラスはきょとんとしている。男の言うことがよく分からなかったからだ。
「おじさんは、絵描きさんですか。ひとりでお仕事をしているんですか」
ニコラスの質問に、男ははじめて、かすかな微笑を浮かべて、落ち着いた声で告げた。
「俺がダヴィデを作ったんだよ……ミケランジェロ・ブォナローティだ」
ニコラスはぱちぱちと目をしばたいた。
少年はレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロ・サンティとともに、ミケランジェロ・ブォナローティのこともフェラーラのエステンセ城で学んだ。たいへん有名な彫刻家であり、画家である。特に彫刻について、他の追随を許さない孤高の存在……その印象が目の前にいる中年の男と重ならないのだ。
したがって、目の前の男が何を言っているのか、理解するのに困難をきたしていたのだ。ニコラスはようやく、ポツリとつぶやいた。
「でも、おじさん、ダヴィデに似てないよ……」
ミケランジェロはギョッとした顔をして、「ハッ、ハハハハッ!」と笑いだした。
「こんなデカイ自分の像など作るものかっ! おまえ、面白い子どもだな。まぁ、明日にでも仕事場に顔を出せ。あ、紙は分けてやる。そんなに紙を使うんじゃ、おっ母さんが痩せ細っちまうぞ」
そう言って仕事場の場所を告げると、ミケランジェロは去っていった。ニコラスはしばらくぼうっと広場の一角で立ち尽くしていたが、ハッとして慌てて走り出した。
「ママに早く伝えなきゃ!」
ミケランジェロ・ブォナローティはこの頃、フィレンツェにいた。教皇レオ10世にサン・ロレンツォ聖堂(フィレンツェ)のファサードの設計を依頼されたからだ。
ふたりともフィレンツェ人で旧知の仲ではあるのだが、ソリが合わなかった。一方の現教皇は派手好きの、大富豪の坊々(ぼんぼん)である。ミケランジェロはこれまでにも説明しているが、そのような風を好まない。名誉欲はあったものの、頑固な性格の先代教皇とは相通じるものがあったが、今度の教皇と良好な関係を築くのには無理があった。お互いにその認識が一致していたので、ミケランジェロは特に未練を抱くこともなくローマを離れた。
サン・ロレンツォ聖堂はメディチ家代々のために造られた聖堂である。建屋は前世紀に高名な建築家ブルネルスキの設計で築かれた。煉瓦造りのどっしりとした建物である。ミケランジェロはこのファサードの設計を依頼されたのだ。
ファサードとは簡単にいえば外装で、特に正面玄関のデザインに重きが置かれる。サン・ロレンツォ聖堂のファサードを、メディチ家の栄華を後世に伝えるような豪華なものにしてほしい、というのがレオ10世の希望だ。
しかし、このファサード設計に関して、ミケランジェロはあまり楽しくない経験をしなければならなかった。当初から共同で設計することを命じられたからである。この男に誰かと共同で作業をしろというのは、禁固刑に等しい苦痛だった。
したがって、この時のミケランジェロはあまり機嫌がよくなかった。
ふと、ミケランジェロは12~3年前に中途で終わった仕事のことを思い出す。
ヴェッキオ宮(市庁舎)の会議場を飾るはずだった『カッシーナの戦い』という壁画である。当時の大統領ピエロ・ソデリーニに依頼されて制作を始めたものだ。しかしそのさなか、当時の教皇ユリウス2世の廟(墓)制作を依頼されて急きょローマに赴かねばならなくなった。
『カッシーナの戦い』は下書きまで完成したところで中断した。それ以降、作業が再開することはなかった。ミケランジェロはローマのシスティーナ礼拝堂天井画に注力することになったし、その後、メディチ家が復帰してソデリーニは失脚した。その頃に、『カッシーナの戦い』の下絵は破られてしまう。再度制作するという依頼は来なかった。
会議場にはもうひとつの壁画がある。レオナルド・ダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』である。『カッシーナの戦い』もそうだが、フィレンツェが勝利を得た瞬間がテーマである。二つは同じ時期に制作された。
『アンギアーリの戦い』も制作には困難を極めた。これまでにも書いたが、新しい油絵具の配合がうまくいかなかったのだ。壁面に定着せず流れ出したのである。
結局補修の末、絵は完成したのだが、だいぶ後にこの壁画は建物の改修の際に移されてしまった。
21世紀の今日、この壁画は建屋の壁の奥に塗り込められていると報道されている。
いわくつきの結末にはなったが、後世に名を残す二人の大芸術家が同じ部屋で作業をしていたことはたいへん興味深い。しかし、ミケランジェロはダ・ヴィンチとも親しく交流することはできなかった。
今は、レオナルド・ダ・ヴィンチもフランスに去っていってしまった。ミケランジェロは何か世の空気が変わってきたことを感じている。
ラファエロがローマで活躍していることには嫉妬や羨望をさほど感じない。逆に、過去の芸術についてしっかりと吸収して、制作に邁進しているさまを素直に称賛している。過去の成果を吸収することは大切なのだ。内心で賞賛していても、それを表に出すことは決してないのだが。
いつかローマに呼ばれることがあるならば、「まあまあの出来だな」程度にはラファエロを褒めてやろうと思っている。
「いやいや、人のことを考えている場合ではない。サン・ロレンツォ聖堂のことに集中しなければ」とミケランジェロは苦笑する。
そして、今日シニョリーア広場で会った少年のことを思う。
ただ絵が上手いだけの人間ならいくらでもいる。ただ、あの少年は対象を平面から立体に変換することを自然に身につけている。俺だって、レオナルドだってさんざん試行錯誤してきたことだ! そんな話をあんな子どもから聞いたことがない。
そもそも、ミケランジェロは子どもと話したことが、あまりないのだが。
ソッラは息せききって帰ってきたニコラスの話を聞くと、やはり目を丸くした。
「えっ! ダヴィデを作った人と会ったの?」
「会っただけじゃないよ! 仕事場を見に来いって言われたんだ。ママ、明日行ってくるからね」
はしゃいでいるニコラスを見ながら、ソッラは嬉しいような、さびしいような、不思議な気持ちになる。
この子と私にも、またどんどん変化が訪れるのだろう。できるだけ長く、この子と一緒にいられたらいいのだけれど……。
ローマにも、フィレンツェにも、じわじわと変化の波が寄せて来ている。
神聖ローマ帝国の一部ではすでに、ローマの教皇庁に対する不信に火が付き、燃え始めようとしていた。ヴィッテンベルグ大学の神学教授マルティン・ルターの投げかけた『論題』が多くの人間の目に触れ、広まっていたのである。
フィレンツェにある実家の鍛冶屋で新しい生活を始めたソッラ、その子ニコラスである。ソッラは以前と同じように鍛冶屋の店番として客の応対をする。9歳になったニコラスは絵画の工房に働きに出ようと、フィレンツェ中の工房を見て回っていた。と言うよりも、フィレンツェの街を丹念に歩き回るほうに時間を費やしているというのがより正確かもしれない。そして、気に入った場所を見つけると道端に座り込んで、スケッチを始めるのだ。
彼の母親が言う通り、フィレンツェはイタリア半島でも指折りの美しい街だ。
ニコラスが生まれてからずっと過ごしてきたフェラーラも、初めての旅で通ってきたボローニャもキアンティの森も、そしてシエナもたいへん美しい街だった。しかし、母の故郷であるこの街は格別に素晴らしいとニコラスは思っている。街全体の雰囲気が華やかなのである。それは前世紀のメディチ家の栄華の遺産でもある。
ニコラスにとっては建物のみならず、絵画や彫刻、数々の装飾品すべてが魅力的だった。
その中でもニコラスが特に気に入っているのは、『ダヴィデ』の像である。イスラエルの王ダヴィデが巨人ゴリアテに向かって石を左手に構える姿のものである。
ニコラスは毎日一度、シニョリーア広場の端に座り込み、あるいは立ったままでこの像をスケッチしている。
ニコラスがスケッチしている姿を背後から眺める中年の男がいた。
実はニコラスが気付く前から、その男はニコラスが『ダヴィデ』像をスケッチする姿を認めていたのである。ただ、すぐに近寄って声をかけるようなことはしなかった。男は気さくな性格ではなく、自分の血縁者ならまだしも、見知らぬ子どもに話しかけたことなどなかったからである。
その男はニコラスがスケッチするさまと、ニコラスの描いているものをただじっと背後から見ている。
対して、ニコラスは物静かではあったが、人に心を閉ざす型の子どもではなかった。1枚描き終えると、ニコラスは立ち上がって後ろを向き、中年の男をじっと眺めた。男はまっすぐな少年の瞳に一瞬ぎょっとしたが、自身もぶしつけな態度だったことを省みたらしい。
「よければ……スケッチを見せてくれないか」
「はい」とにっこり笑って、ニコラスは自分の紙ばさみごと紙の束を渡す。
男は何十枚もある紙の束を凝視し次から次へとめくる。ニコラスはその鬼気迫る勢いに目を丸くしている。ふと1枚の紙を見て、ニコラスに尋ねる。
「これは? ヴェッキオ宮の窓から見て描いたのか?」
そこには真上から見た『ダヴィデ』像が描かれていた。ニコラスは脇にそびえるヴェッキオ宮を見上げた後、首を横に振る。
「おじさん、ぼくはあそこには入れないよ。えーっと、ぐるりとダヴィデを回してみるんだよ」
「どんなふうに?」と男は聞く。
「うんっと……前と斜めと……後ろも何とか見える。でも、ぼく背が小さいでしょう。近いと見上げることしかできない。離れて見れば真っ正面に見えるようになる。自分がいろんなところに動いて描くと、頭の中でだんだんダヴィデがかたちになっていく。そうしたら、ぐるりとダヴィデを回すんだ。そうしたら、ぼくの見えないところも描くことができるでしょう」
ニコラスの言葉を男はじっと聞いていた。そして、紙の束をニコラスに返す。
「ぼうず、どこかの工房にいるのか?」
「ううん、今ね、工房に入ろうと思って、いろいろ見ているんです。本当は街やダヴィデを描く時間のほうが長いんですけど、ママに怒られちゃうので内緒です」とニコラスはペロッと舌を出す。
男はじっと腕組みをして考えている。そしてダヴィデを見上げると、ぶっきらぼうに言う。
「俺は工房を持っていない。弟子もいない。だが、今度仕事場を見に来るか。おまえが興味を持つものもあるだろう。少なくとも、俺はおまえに興味がある」
ニコラスはきょとんとしている。男の言うことがよく分からなかったからだ。
「おじさんは、絵描きさんですか。ひとりでお仕事をしているんですか」
ニコラスの質問に、男ははじめて、かすかな微笑を浮かべて、落ち着いた声で告げた。
「俺がダヴィデを作ったんだよ……ミケランジェロ・ブォナローティだ」
ニコラスはぱちぱちと目をしばたいた。
少年はレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロ・サンティとともに、ミケランジェロ・ブォナローティのこともフェラーラのエステンセ城で学んだ。たいへん有名な彫刻家であり、画家である。特に彫刻について、他の追随を許さない孤高の存在……その印象が目の前にいる中年の男と重ならないのだ。
したがって、目の前の男が何を言っているのか、理解するのに困難をきたしていたのだ。ニコラスはようやく、ポツリとつぶやいた。
「でも、おじさん、ダヴィデに似てないよ……」
ミケランジェロはギョッとした顔をして、「ハッ、ハハハハッ!」と笑いだした。
「こんなデカイ自分の像など作るものかっ! おまえ、面白い子どもだな。まぁ、明日にでも仕事場に顔を出せ。あ、紙は分けてやる。そんなに紙を使うんじゃ、おっ母さんが痩せ細っちまうぞ」
そう言って仕事場の場所を告げると、ミケランジェロは去っていった。ニコラスはしばらくぼうっと広場の一角で立ち尽くしていたが、ハッとして慌てて走り出した。
「ママに早く伝えなきゃ!」
ミケランジェロ・ブォナローティはこの頃、フィレンツェにいた。教皇レオ10世にサン・ロレンツォ聖堂(フィレンツェ)のファサードの設計を依頼されたからだ。
ふたりともフィレンツェ人で旧知の仲ではあるのだが、ソリが合わなかった。一方の現教皇は派手好きの、大富豪の坊々(ぼんぼん)である。ミケランジェロはこれまでにも説明しているが、そのような風を好まない。名誉欲はあったものの、頑固な性格の先代教皇とは相通じるものがあったが、今度の教皇と良好な関係を築くのには無理があった。お互いにその認識が一致していたので、ミケランジェロは特に未練を抱くこともなくローマを離れた。
サン・ロレンツォ聖堂はメディチ家代々のために造られた聖堂である。建屋は前世紀に高名な建築家ブルネルスキの設計で築かれた。煉瓦造りのどっしりとした建物である。ミケランジェロはこのファサードの設計を依頼されたのだ。
ファサードとは簡単にいえば外装で、特に正面玄関のデザインに重きが置かれる。サン・ロレンツォ聖堂のファサードを、メディチ家の栄華を後世に伝えるような豪華なものにしてほしい、というのがレオ10世の希望だ。
しかし、このファサード設計に関して、ミケランジェロはあまり楽しくない経験をしなければならなかった。当初から共同で設計することを命じられたからである。この男に誰かと共同で作業をしろというのは、禁固刑に等しい苦痛だった。
したがって、この時のミケランジェロはあまり機嫌がよくなかった。
ふと、ミケランジェロは12~3年前に中途で終わった仕事のことを思い出す。
ヴェッキオ宮(市庁舎)の会議場を飾るはずだった『カッシーナの戦い』という壁画である。当時の大統領ピエロ・ソデリーニに依頼されて制作を始めたものだ。しかしそのさなか、当時の教皇ユリウス2世の廟(墓)制作を依頼されて急きょローマに赴かねばならなくなった。
『カッシーナの戦い』は下書きまで完成したところで中断した。それ以降、作業が再開することはなかった。ミケランジェロはローマのシスティーナ礼拝堂天井画に注力することになったし、その後、メディチ家が復帰してソデリーニは失脚した。その頃に、『カッシーナの戦い』の下絵は破られてしまう。再度制作するという依頼は来なかった。
会議場にはもうひとつの壁画がある。レオナルド・ダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』である。『カッシーナの戦い』もそうだが、フィレンツェが勝利を得た瞬間がテーマである。二つは同じ時期に制作された。
『アンギアーリの戦い』も制作には困難を極めた。これまでにも書いたが、新しい油絵具の配合がうまくいかなかったのだ。壁面に定着せず流れ出したのである。
結局補修の末、絵は完成したのだが、だいぶ後にこの壁画は建物の改修の際に移されてしまった。
21世紀の今日、この壁画は建屋の壁の奥に塗り込められていると報道されている。
いわくつきの結末にはなったが、後世に名を残す二人の大芸術家が同じ部屋で作業をしていたことはたいへん興味深い。しかし、ミケランジェロはダ・ヴィンチとも親しく交流することはできなかった。
今は、レオナルド・ダ・ヴィンチもフランスに去っていってしまった。ミケランジェロは何か世の空気が変わってきたことを感じている。
ラファエロがローマで活躍していることには嫉妬や羨望をさほど感じない。逆に、過去の芸術についてしっかりと吸収して、制作に邁進しているさまを素直に称賛している。過去の成果を吸収することは大切なのだ。内心で賞賛していても、それを表に出すことは決してないのだが。
いつかローマに呼ばれることがあるならば、「まあまあの出来だな」程度にはラファエロを褒めてやろうと思っている。
「いやいや、人のことを考えている場合ではない。サン・ロレンツォ聖堂のことに集中しなければ」とミケランジェロは苦笑する。
そして、今日シニョリーア広場で会った少年のことを思う。
ただ絵が上手いだけの人間ならいくらでもいる。ただ、あの少年は対象を平面から立体に変換することを自然に身につけている。俺だって、レオナルドだってさんざん試行錯誤してきたことだ! そんな話をあんな子どもから聞いたことがない。
そもそも、ミケランジェロは子どもと話したことが、あまりないのだが。
ソッラは息せききって帰ってきたニコラスの話を聞くと、やはり目を丸くした。
「えっ! ダヴィデを作った人と会ったの?」
「会っただけじゃないよ! 仕事場を見に来いって言われたんだ。ママ、明日行ってくるからね」
はしゃいでいるニコラスを見ながら、ソッラは嬉しいような、さびしいような、不思議な気持ちになる。
この子と私にも、またどんどん変化が訪れるのだろう。できるだけ長く、この子と一緒にいられたらいいのだけれど……。
ローマにも、フィレンツェにも、じわじわと変化の波が寄せて来ている。
神聖ローマ帝国の一部ではすでに、ローマの教皇庁に対する不信に火が付き、燃え始めようとしていた。ヴィッテンベルグ大学の神学教授マルティン・ルターの投げかけた『論題』が多くの人間の目に触れ、広まっていたのである。
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