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第3章 フィガロは広場に行く1 ニコラス・コレーリャ
時代は変わる 1515年~ ヨーロッパ
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1515年、カンブレー同盟戦争は当初の敵味方にいくらか立ち戻った状態になっている。
当初とは1508年の、神聖ローマ帝国とヴェネツィアの闘いである。
「カンブレー同盟戦争」というのはこの戦争の名称であるが、便宜上のものだ。カンブレー同盟じたいは、ころころと敵味方が変わる中で、どこかに落としてしまったらしい。前教皇ユリウス2世がその中心となっていたのだが、現教皇レオ10世はその轍(てつ)は踏まない。よく言えば守勢、悪く言えば日和見(ひよりみ)になっていた。そうすると、大国同士は教皇に礼を見せつつも、領地争いに専念できることになる。特にフランスは。
神聖ローマ帝国はスペイン、イングランドと手を組み教皇側につく。そして、フランス、ヴェネツィア、スコットランド、フェラーラがそれに対抗する。イングランドやスコットランドも加わっているが、それぞれ、対フランス、対イングランドという目的である。もう自国の権益でしかない。
教皇レオ10世の就任直後の1513年5月、フランスはミラノを再度狙って山を越えて大軍を派遣した。フランスがミラノから追い出したスフォルツァ家が復帰していたものの、市民の評判はあまり芳しくなかった。押し寄せたフランス軍にミラノは門を開ける。あっけないものである。
ただそれでトントン拍子にフランスの天下となったわけではない。そのまま兵を進めていったフランス軍はノヴァーラでスイス傭兵軍と激突する。ここでフランス軍は大敗を喫する。またもやフランスは撤退せざるを得ない。その後、劣勢になったフランスの本土にイングランドは進攻をはじめる。イギリスとフランスが対決した100年戦争からの宿題のようである。イタリア半島が狙われているように、フランスも狙われているのだ。
戦線は複数、国をまたいで展開されることになる。次の世紀に繰り広げられる30年戦争の先例といえるだろう。
フランス側についたナヴァーラ王国がスペインに本格的な進攻を受け始めるのもこのときである。詳しくは第2章の「海の巡礼路」を参照いただきたい。ナヴァーラ王国はカンブレー同盟戦争に直接関与していないが、そのような「余波」はいたるところで起こったのである。
これが、「国際的な戦争」というものである。大国が自国の領土と権勢を拡大しようと、大義名分を押し付けて周辺の小国を巻き込み、泥沼化していく。
ただし、参加国数やその規模に比して、実際の被害は局地的なものだった。
フランスはまた態勢を整え直さなければならない。ヴェネツィアも同様である。神聖ローマ帝国やローマ教皇はまだ表だって動いていない。自分が得をする場面になったら動きはじめようと、ときを待っているのだ。
戦争の様相とともに、時代も変わろうとしていた。
その端緒はどこだっただろうか。教皇ユリウス2世の死がそうだったと言えるかもしれないが……。それに続くように、ヨーロッパの大国の君主が次々と舞台を降りていくのである。
1515年1月1日、フランス王ルイ12世が病に倒れ、この世を去った。次いで娘婿がフランソワ1世として王となる。ルイ12世はこの娘婿にあまり信を置いていなかったが、新王は先代の道をきちんと辿ることになる。ミラノをその手に取り戻して、さらにイタリア半島の領地を増やすこと、である。
いや、フランソワ1世は先代の王よりはるかに、イタリア半島を欲していたのかもしれない。王になると同時に、ミラノ奪還を期した進攻の準備を始めるのである。
加えて、この王は先代よりも戦術や戦略を重視していたようだ。カンブレー同盟戦争のこれまでの戦いで活躍した有能な将軍、司令官を再度引き入れて計画を練り直したのである。その筆頭は、イタリア人ながらフランス軍に多大な貢献をしてきたトリヴルツィオである。アニャネッロの戦いでヴェネツィアを敗退させたのが彼である。あのとき敵だったヴェネツィアは今回、同胞である。何とも不思議ではあるが、名うてのコンドッティアーレ(傭兵隊長)にとって大したことではない。それはヴェネツィアも同じで、かの戦いで活躍したダルヴィアーノがフランスと戦いの進め方について調整をはじめる。
1515年7月、フランソワ1世は軍勢をグルノーブル付近に集結させた。もちろん敵方もその動きを掴んでいる。スイス傭兵を擁する教皇軍はミラノの北方に集まり守備を固めた。
しかし、フランソワ1世はいつもと同じ道を使うような愚を犯さなかった。老練なトリヴルツィオが助言を与えたのである。迂回し回り込んだフランス軍はイタリア領内にやすやすと突入する。ミラノに向かったフランスの先陣隊は守備していた騎兵隊をヴィッラフランカで破り、敵方のコンドッティエーレ、コロンナを捕えた。また、フランソワ1世のいる主軍はマリニャーノでスイス傭兵軍と激突した。ここではフランス軍の騎兵隊・砲兵隊に加えて、ヴェネツィア軍も活躍した。ダルヴィアーノも大いに面目を施した。
フランスとヴェネツィアは勝った。砲兵で協力したフェラーラもである。
このマリニャーノの戦いで、7年を数えるカンブレー同盟戦争の大勢が決した。
フランスは1515年10月にミラノ公位を手に入れた。暮れの12月14日にはフランソワ1世がボローニャで教皇レオ10世と会談する運びとなる。
その結果、教領領のパルマとピアチェンツァは教皇領の権利を放棄すること、モデナはフェラーラ公国に渡すことなど、教皇とフランスが満足できる内容が取り決められた。
翌年、1516年にはフランスとスペイン(フランスの同盟と教皇の同盟という意味合いだろう)の間で終戦条約が締結される。
8年越しの戦争は、結局、戦争前の状態とほぼ変わらない状態に戻すことで終結したのだ。教皇もフランスも、ナポリをまた担保されたスペインも不満はなかった。しかし、神聖ローマ皇帝はそうではなかった。
彼らの取り分はなかったからである。
フランス王が交替した後、他の大国の王も立て続けにみまかることになる。
1516年、スペインのフェルナンド2世が亡くなった。
そして、1519年の年明け、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が亡くなる。
このとき15世紀が完全に終わり、時代は変わることになる。
当初とは1508年の、神聖ローマ帝国とヴェネツィアの闘いである。
「カンブレー同盟戦争」というのはこの戦争の名称であるが、便宜上のものだ。カンブレー同盟じたいは、ころころと敵味方が変わる中で、どこかに落としてしまったらしい。前教皇ユリウス2世がその中心となっていたのだが、現教皇レオ10世はその轍(てつ)は踏まない。よく言えば守勢、悪く言えば日和見(ひよりみ)になっていた。そうすると、大国同士は教皇に礼を見せつつも、領地争いに専念できることになる。特にフランスは。
神聖ローマ帝国はスペイン、イングランドと手を組み教皇側につく。そして、フランス、ヴェネツィア、スコットランド、フェラーラがそれに対抗する。イングランドやスコットランドも加わっているが、それぞれ、対フランス、対イングランドという目的である。もう自国の権益でしかない。
教皇レオ10世の就任直後の1513年5月、フランスはミラノを再度狙って山を越えて大軍を派遣した。フランスがミラノから追い出したスフォルツァ家が復帰していたものの、市民の評判はあまり芳しくなかった。押し寄せたフランス軍にミラノは門を開ける。あっけないものである。
ただそれでトントン拍子にフランスの天下となったわけではない。そのまま兵を進めていったフランス軍はノヴァーラでスイス傭兵軍と激突する。ここでフランス軍は大敗を喫する。またもやフランスは撤退せざるを得ない。その後、劣勢になったフランスの本土にイングランドは進攻をはじめる。イギリスとフランスが対決した100年戦争からの宿題のようである。イタリア半島が狙われているように、フランスも狙われているのだ。
戦線は複数、国をまたいで展開されることになる。次の世紀に繰り広げられる30年戦争の先例といえるだろう。
フランス側についたナヴァーラ王国がスペインに本格的な進攻を受け始めるのもこのときである。詳しくは第2章の「海の巡礼路」を参照いただきたい。ナヴァーラ王国はカンブレー同盟戦争に直接関与していないが、そのような「余波」はいたるところで起こったのである。
これが、「国際的な戦争」というものである。大国が自国の領土と権勢を拡大しようと、大義名分を押し付けて周辺の小国を巻き込み、泥沼化していく。
ただし、参加国数やその規模に比して、実際の被害は局地的なものだった。
フランスはまた態勢を整え直さなければならない。ヴェネツィアも同様である。神聖ローマ帝国やローマ教皇はまだ表だって動いていない。自分が得をする場面になったら動きはじめようと、ときを待っているのだ。
戦争の様相とともに、時代も変わろうとしていた。
その端緒はどこだっただろうか。教皇ユリウス2世の死がそうだったと言えるかもしれないが……。それに続くように、ヨーロッパの大国の君主が次々と舞台を降りていくのである。
1515年1月1日、フランス王ルイ12世が病に倒れ、この世を去った。次いで娘婿がフランソワ1世として王となる。ルイ12世はこの娘婿にあまり信を置いていなかったが、新王は先代の道をきちんと辿ることになる。ミラノをその手に取り戻して、さらにイタリア半島の領地を増やすこと、である。
いや、フランソワ1世は先代の王よりはるかに、イタリア半島を欲していたのかもしれない。王になると同時に、ミラノ奪還を期した進攻の準備を始めるのである。
加えて、この王は先代よりも戦術や戦略を重視していたようだ。カンブレー同盟戦争のこれまでの戦いで活躍した有能な将軍、司令官を再度引き入れて計画を練り直したのである。その筆頭は、イタリア人ながらフランス軍に多大な貢献をしてきたトリヴルツィオである。アニャネッロの戦いでヴェネツィアを敗退させたのが彼である。あのとき敵だったヴェネツィアは今回、同胞である。何とも不思議ではあるが、名うてのコンドッティアーレ(傭兵隊長)にとって大したことではない。それはヴェネツィアも同じで、かの戦いで活躍したダルヴィアーノがフランスと戦いの進め方について調整をはじめる。
1515年7月、フランソワ1世は軍勢をグルノーブル付近に集結させた。もちろん敵方もその動きを掴んでいる。スイス傭兵を擁する教皇軍はミラノの北方に集まり守備を固めた。
しかし、フランソワ1世はいつもと同じ道を使うような愚を犯さなかった。老練なトリヴルツィオが助言を与えたのである。迂回し回り込んだフランス軍はイタリア領内にやすやすと突入する。ミラノに向かったフランスの先陣隊は守備していた騎兵隊をヴィッラフランカで破り、敵方のコンドッティエーレ、コロンナを捕えた。また、フランソワ1世のいる主軍はマリニャーノでスイス傭兵軍と激突した。ここではフランス軍の騎兵隊・砲兵隊に加えて、ヴェネツィア軍も活躍した。ダルヴィアーノも大いに面目を施した。
フランスとヴェネツィアは勝った。砲兵で協力したフェラーラもである。
このマリニャーノの戦いで、7年を数えるカンブレー同盟戦争の大勢が決した。
フランスは1515年10月にミラノ公位を手に入れた。暮れの12月14日にはフランソワ1世がボローニャで教皇レオ10世と会談する運びとなる。
その結果、教領領のパルマとピアチェンツァは教皇領の権利を放棄すること、モデナはフェラーラ公国に渡すことなど、教皇とフランスが満足できる内容が取り決められた。
翌年、1516年にはフランスとスペイン(フランスの同盟と教皇の同盟という意味合いだろう)の間で終戦条約が締結される。
8年越しの戦争は、結局、戦争前の状態とほぼ変わらない状態に戻すことで終結したのだ。教皇もフランスも、ナポリをまた担保されたスペインも不満はなかった。しかし、神聖ローマ皇帝はそうではなかった。
彼らの取り分はなかったからである。
フランス王が交替した後、他の大国の王も立て続けにみまかることになる。
1516年、スペインのフェルナンド2世が亡くなった。
そして、1519年の年明け、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が亡くなる。
このとき15世紀が完全に終わり、時代は変わることになる。
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