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拝啓、ナポレオン閣下
しおりを挟む最終締め切りがフランスから示された。
再認可が一八四九年八月に下りたのを受けてブレット兄弟は『English Channel Submarine Telegraph Co.,』を設立し、すでに事業化していたガッタパーチャ社に二五海里(約四六km)分のケーブルを発注した。スミス君、君の予想よりも長かったな。そこで一〇〇ヤード(九一四四m)ずつを一単位として繋げていく形でケーブルを製造したのだ。どうかな、計算すると一単位を五〇本以上繋げなければならないことになる。時間はそれなりにかかっただろう。
次はケーブルを敷くための船だ。
これには、ゴライア号という直径七フィート(約二・一m)、長さ一五フィート(約四・五m)の船を調達した。その後に同じ目的で使われた船のことを考えると意外に小さいだろう。いや、小さい。本当にそれほど小さかったのか!これに二トンの鉄製のドラム缶を据え付けて、総重量五トンのケーブルを巻いたのさ。ケーブルをある程度固定する鉛製の重りも大量に積んでいた。
よくこれで沈まなかったものだ。
陸上のケーブル運搬の件も明解だよ。ドーバーまでは『South Eastern Railway』が伸びていたのでそこまでは鉄道、駅からは荷馬車で港へ運んだのだ。技術の進歩というのは有機的に助け合えるものなのだと感動するね。
さて、もろもろの準備を終えてゴライア号が出帆したのは一八五〇年八月二八日のことだった。締切ギリギリだからやり直すのは不可能だ。文字通り一発勝負だ。まったく素晴らしい冒険としかいいようがない。
ドーバーを発った船から作業員がケーブルに重りを付けて慎重に海底に沈めていく。他の船に引っかけられたり、魚に食われてはいけないので海底まで沈めずに浮かせておかなければならなかったのだ。そして一時間おきに積んだ通信機で通信状況を確認する。この地道な作業が延々と繰り返された。ゴライア号はどんどん軽くなりながら、フランスの沿岸までたどり着いた。陸揚地には岩礁の多いグリズネ岬が選ばれた。ケーブルにはやや厳しい環境だが、他の船舶に巻き込まれないことを最優先にしたのだ。陸揚げまで無事に終了した後、クック氏とホィートストン博士の開発した指針型通信機にケーブルが接続される。
通信がはじまった。
信号が発信されている。
イギリスとフランスの間で海を隔てて信号が行き来している。
初のメッセージはこの接続の主であるドーバー側のジョン・ワトキンス・ブレットからフランスのルイ・ナポレオン・ボナパルト閣下にあてたものだった。このときは大統領だったか、皇帝だったか。まあ、国家元首への表敬電信といったところだな。
成功したのだ。
閣下への通信の他に送信したものも順調に受信でき、同日の夜に通信はいったん閉じられた。
この画期的な出来事を同年八月三一日付の『ザ・タイムズ』紙では大々的に報じている。
〈電信による英仏間の通信がついに実現された。
約三〇〇〇年前にホーマーは『天駆ける』言葉について語った。しかし、これほどの速さで言葉が空間を進むと考えたのかは疑問である。(中略)海底電信の場合、世界のもっとも先進的、かつ明瞭な効果は人類の進歩を促進し、世界の平和を維持するためのすべての計画における両国の協力を確保し、共同の利害において両国を密接に結合させるであろう〉
確かに明瞭な効果の第一歩ではあったのだが……残念なことにゴライア号とケーブルと人が成し遂げた英仏通信は翌日に途絶してしまった。一日しか通信ができなかったのだ。
この晴れがましい歴史的快挙に文字通り水を差した理由はすぐに判明した。フランスの漁師がケーブルを新種の海藻だと思い、切断して持ち去ってしまったのである。細長い物体が海藻でないことはすぐに理解できたようだが、今度は黒いケーブルの中の銅線を金だと思ってしまったそうだよ。やれやれ……。
世の中そんなに棚ぼたのような幸運が降って湧いてくるわけはないだろう。新種の海藻ならまだしも、金とは……まったく欲をかいた想像力だよ。この時の銅線はわずかの金よりもはるかに意義があって貴重なものだったのに。
とまあ、最初の通信は笑えない冗談のように終わってしまったのだが、ブレット兄弟にとっては顔面蒼白の事態になってしまったのだよ、スミス君。理由がすぐに分かったので、早速もろもろの改良を加えて再度敷設に取り組もうとしたのだが、周囲の反応が一気に冷めてしまったのだ。
兄弟はあの漁師のことをさぞかし恨んだだろうと思う。
ケーブルの再度の改良と調達は喫緊の課題だったが、ブレット兄弟は資金難に直面していた。「失敗するリスクが高いものには……」とこれまでの投資者も尻込みしてしまったのだ。ここで事業継続の望みは半ば絶たれたように思えた。そこに一筋の希望、全面的に協力しようという人が現れたのだ。
ああ、きみと同じファーストネームだよ。
トーマス・ラッセル・クランプトン。
土木技師だった彼は以前から海底ケーブル事業に並々ならぬ興味を持っていて、より耐久性の高いケーブルを自身で試作していた。クランプトンは必要な資金の半分、一万五〇〇〇ポンドを提供した上に、残りの半分も自身で呼び掛けて集めると請け負ったんだ。その熱意にほだされたマンレー卿、カーマイケル卿らが出資することになり、以降順調に資金が集まった。そうだね、クランプトンがいなければ、ブレット兄弟は枕を涙で濡らすことになっただろう。
クランプトンのアイデアで製造されたケーブルはたいへん優秀なものだった。銅線にガッタパーチャを二層被覆し、その線四本を束ねて核部分にする。隙間にはタール染めのヘンプを充填していた。それを亜鉛メッキした鉄線十本でぐるぐると巻いていくという念の入れようだ。頑丈に作られたので重量は一気に増えたが、海の中ならば重い方が安定させることができる。
このケーブルを製造するのに法律上の問題も起こったし、ケーブルの重量の関係で海中に下ろす速度を調整できないため、予定の敷設ルートから外れてしまうなどの紆余曲折はあった。それでも時計が巻き戻ってしまうことはなかった。
翌年の一八五一年一一月一三日、いよいよ捲土重来の日がやって来た。
クランプトンみずから乗り込んだ老朽船ブレイザー号が英国・サウスフォアランドーフランス・サンガット間に海峡横断ケーブルを敷設し、安定した通信を開通することに成功したのである。
これが世界における正式な海底通信事業のスタートとなった。ブレット兄弟とクランプトンにとってもそうだが、英国の歴史に残る記念日なのだよ。ロンドンの万国博覧会の会期にはわずかに遅れたが、世界一番乗りの快挙が晴れがましい年に花を添えたのだ。
特に兄弟の故郷ブリストル市民の喜びはひとしおで、市内のザ・シップ・ホテルでは祝賀会が開かれたと記録に残っている。
その後ブレット兄弟は順調に、いや時には失敗しながら海底通信事業を展開していった。
一八五三年には英国ーアイルランド間のケーブル敷設を成功させ、翌年にはフランスとイタリア政府の要請で、イタリア・スペツィアーフランス・コルシカ島間、コルシカ島ーイタリア・サルディーニャ間の敷設に取り組み、サルディーニャー北米間の敷設にも着手している。ただ、大西洋を越えてアメリカやカナダに線を伸ばすのは成功に至らなかった。海の距離もそうだが深度の壁は高い。いや、深い……だな。最も深い地点で五マイル(約八km)にもなるのだから、ドーバー海峡とは比べ物にならない。
大西洋海底ケーブルの本格的な敷設計画はこのときすでに始まっている。
それを入念に検討していたのが、アメリカ・ニューヨークの実業家サイラス・フィールドだった。彼はこの事業に関心を持ち専門家に実現の可能性があるかどうか聴取を始めたが、聞いていくうちにできるという確信を得るに至った。いよいよ決心を固めたフィールドはロンドンを訪問し、先達であるジョン・ワトキンス・ブレットらと長い会談の機会を持ち、意見の一致を見た。
その場の三人が発起人となり、アイルランドーカナダ東岸・ニューファンドランド島間に海底ケーブルを敷設するのを事業内容とする会社、『The Atrantic Telegraph Co.,』の設立を決定した。
一八五六年のことだ。
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