福山ご城下開端の記

尾方佐羽

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ダン、ダンと進む足音

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 ほんの十日ほどの間の藩主不在の間にも、城の作事と城下町の築造は進んでいた。

 この時、元和七年(一六二一)の春先は城地でも城下町になる土地の方々からも、トンテンカン、トンテンカンと木に釘打つ音が響いているのだった。大工の絶対数が足りないので、かじったことがある程度の人も近郷近在から多く呼び出されていた。人によってはそれまでの家がある。その家を解体してその材でまた家を建てようとする者も多い。
 そこらかしこで材がドスンと置かれて土ぼこりがあがっている。
「コホンコホン」と咳をして、裾で顔を覆っている人がいる。

「お武家様のお屋敷の方はできてきたようやな」と畳商の丸屋七左衛門がつぶやいている。
 彼はいつものように備後藩の西にあたる赤坂村周辺の畳製造者と藺草農家を見て回った帰りで、城下の見聞もしようと思って現在工事中の区画に来たのだ。
 城南東の入川までたどり着くと、船の荷揚げの差配をしている奈良屋才次郎の姿を認めたので丸屋はそちらに向かう。お互いに大和郡山から藩の商いを請け負っていて昵懇の間柄である。

「ああ、丸屋はん。あんじょうしてはりますか」と奈良屋の方から声をかけてきた。
「はは、まだこれからですな」と丸屋は笑う。
「去年の献上表はもう江戸に送ったとうかがいましたが、今年の分ですな」と奈良屋は確かめるように尋ねる。
「それが奈良屋はん、今年の分は献上やのうて、御用品に切り替えるという御命がありましてん」
「御用品ということは、幕府が買うてくれるいうことでっしゃろか」と奈良屋は言いつつ、ふうむと思案している。
「さようです。さっそく商いになるということで、出来がようなかったら、今後の備後表の評判にも関わる一大事。せやけ今からそわそわしとりますのんや」
「ああ、それでしじゅう沼隈の方へ出かけとるんか。お大尽さんもびっくりの通いようやなあ」
「あほう、傾城の元に通うとるんと違うわいな」と丸屋は苦笑する。

 新規築城や城下町を作る大事業があっても、毎年していることはきちんと済ませなければならない。一年半ほど前の城と藩の引き渡しの際、ごくごく手短に必要な事柄は引き継いだ。しかし書類を除けば懇切丁寧に、手取り足取り十分な説明を受けたともいえない。
 それで福島正則を責めるのは酷というものだろう。急な命令で期限も定められていたのに加えて、安芸と備後に分けなければならなかったのだから。
 そのすったもんだはともかく、農家は藺草をきちんと育てて刈り取り保管し、畳製造者がきっちり品質を揃えて幕府への献上表を仕上げた。元和六年は福島の畳改役が付いて無事に済ませたが、翌年はもう新藩の御役である。丸屋もそこに全面的に関わって、去年の献上表を差し出せたのだった。
 ただし、今年はまた様相が違う。備後表を名産品として全国に広める一歩でもあるのだ。出来がよければ評判になり、江戸城に使われるだけでなく、諸藩の城中や庄屋や寺社、あまねく広める好機になるかもしれない。一方その逆ならば、目も当てられない事態になるだろう。丸屋はそのような思いを抱いていたので、今期は自分が種まきから見守りたいと足しげく通っているのである。

 藺草は芽を出し、すくすくと育っていた。



 さて、幕府がなぜ今年は備後の畳表を買い上げることにしたのか、その点だけ補足しておく。備後は新規築城および城下町の造成にかかっているため、与えた禄高が不足するとみなし、その分を補填するために「この年は畳表を買い上げる」と決定したのだ。藩にとってはありがたい決定だが、あくまでも暫定措置である。先のことはわからない。

 この大事業においては「先がわからない」ところが多々見られる。いったん事が起これば考えて改善するのも珍しくない。それが「やり直し」に近い作業になっても、である。
 ただ、「先がわからない」というのは、作業に従事して、ことにあたり解決した者だけが感じられる醍醐味なのかもしれない。



 父が不在の間、芦田川の現場には勝重がしばしば訪れている。勝重家臣の藤井靱負や三村親良も供に付いている。
 水普請の責任者である神谷治部長次は年頃で言えば靱負や親良よりやや若い。鞆に近いのはもちろんだが、他の普請場よりも芦田川には足を向けやすいのだった。
 芦田川沿いの草むらは淡い緑に染まっている。その一角に大小たくさんの石を積んだ一角があって、普請場はその辺りだと見当がつくのだ。勝重一行がそちらに向かっていくと、神谷の姿とともに土木普請奉行の小場兵左衛門も見えた。勝重は二人の方へ寄っていく。
「今日は小場どのもお越しなのですね」
 小場はゆっくりと礼をしてから城地の方を見る。
「もうすぐ、貯水池の掘削を始めますので相談に来ております。若さま、相談は現場で話した方がはかどる場合もあるのです」
「もうそこまで進めとるんか!」と勝重が驚きの声を上げる。
「貯水池は相当深く掘りますし、上水として使えるよう水を濾過する仕組みを作らねばいけません。特殊なものですので導水に先だってしておこうと、さような次第でございます」
 勝重は「なるほど」とうなずいている。
 小場は思案顔をしてから、話し始める。
「若さまはもしかすると、奉行は持ち場にずっとおった方がいいとお考えになるやもしれませぬな。確かにそうなのですが、自分の持ち場のみ見ておると、他との齟齬をきたすこともございます。私は一奉行といえどもできる限り全体を見て、最善の方策を常に話し合えるようにしたいと思うております。場合によっては全面的に手伝いますで……それは中山さまも神谷どのも同じにございます。それが全体をスルスルと回していく秘訣とも思うとります」
 勝重はうん、うんとうなずいている。
「ああ、わしゃ皆持ち場におれとは思うとらんよ。兵左衛門の言う通り、全体を見るのは肝要とわしも思うぞ。さきほど驚いたんは、日進月歩で普請が進んどるのに対してぞ。もうひとつ、父がおらんでも普請は進んでいくのじゃなと思うたけえな、それぐらいじゃ」
 小場は勝重の言葉を聞いてホッとした表情になる。勝重はそれを見てさらに付け加える。
「それを言うたらわしはもっとお小言を頂戴せんといかん。何しろ方々に出ていって、あれこれ請けおうとるのじゃから」
 一同は「ハハハ」と笑う。
 神谷もそこで口を開く。
「若さま、わしら普請の間、草戸のお稲荷さまや常福寺の五重塔に毎日手を合わせております。寺社を真っ先に手当てせいと殿が仰ったのはまったく正しいと思いますで、そこに携わってくださった若さまにも頭が上がりません。若さまがあれこれ請け合うてくださるんはありがたいばかりでございますぞ」



「いや、礼を言われると、わしが直にやったというわけでもござらんし、何とも返答に困るんじゃが」と勝重が頭をかく。
 そこでまた一同が笑う。
 風がそうっと、笑い声を春の草の香りとともに運んでいった。

 藩主はそれからしばらくして、備後に帰ってきた。
 総普請奉行の中山将監から不在中の進捗報告を受ける。城郭では本丸天守、二之丸の作事にそれぞれかかること。城下町では、武家屋敷の築造が大分進んで、土地の開墾も一部始まっていた。商人町はほぼ出揃って城の東南は賑やかになった。魚売りや野菜売りが鞆や笠岡や近隣の村からも入ってきて、小規模な市が立つようになっている。水普請がらみでは、芦田川と高屋川の分流水路の作業はほぼ完成、芦田川の取水口と貯水池の作業にじきにかかれそうである、云々。
 そのようすは戻ってくる勝成の目にも映っていた。
「やはり、町を作るのも盛り立てるんも人なんじゃのう」
「そうですな」と中山も頷いているが、ハッとして付け加える。
「伏見城より拝領した能舞台、どれほどの規模のものか測るために一端組んでおりますが、ぜひごらんください。門、櫓や橋の組み立てはもう少々後になりますが、能舞台は当面設置しないという取り決めでしたので見る機会もしばらくはないでしょう」
「おお、そうか。それは是非見ておこう」


(現在、沼名前神社にある伏見城の能舞台)

 城地の空いた一角に能舞台がしつらえてある。それはかつて、太閤秀吉が行く先々で芸能を楽しむために作らせた組立式の舞台だった。役者が登場する道である橋がかりは付いていないが、役者や囃子が何人乗っても大丈夫なほど頑丈と思われる。
 舞台に立った勝成はダン、ダンと舞台を踏んでみる。
「おお、何やら役者みたいじゃ。かような愉しみを早く取り戻したいもんじゃのう。あとしばらくじゃ、しばらくじゃ……」

 春風に吹かれて、勝成は覚えている謡曲をひとつふたつと、ゆっくり舞っていくのだった。
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