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鉄板の謎が明かされる
しおりを挟む波乱万丈の元和六年(一六二〇)ももうじき暮れようとしている。瀬戸内の風はまださほど冷たくはないが、銀杏もすっかり黄色い葉を落としている。鞆の津には弁才船(べざいせん)が一艘着いており、もうじき出港するところだ。津には見送る人々が集まっている。その中には勝成や勝重、中山将監、小場兵左衛門、神谷治部ら普請奉行の顔が見える。
送られて船に乗り込むのは藩の使役(つかいやく)と幕府の目付役である。これから一行は一路堺に出て、そこから江戸に向かうことになっている。勝成は使役と話をしている。
「難儀することもないと思うが、よろしく頼んだぞ。江戸詰めの皆にもよう子細を伝えてやってくれや」
「ははっ」
そこに幕府の目付が挨拶に来る。
「いやいや、世話になり申した。しかし、あれだけの城地普請が滞りなく迅速に済んだのはまことに見事という他ない。わしからも老中の土井さまにしかと申し添えよう」
「こちらこそお世話になり申した。心より御礼申し上げまする」と勝成も感謝の意を表す。
この年の十二月に、城地の造成や石垣普請、濠周り、山の開削と連動した吉津川の城東域の拡張、海から城域に直接入れる入川の掘削整備など、いわゆる基礎・土台工事が終了した。それを幕府に報告するのだ。使役は礼として幕府に献上する品も携えていくので肩の荷の重い旅である。ただ、江戸常駐の藩士もいるのでずっと緊張を強いられるわけではない。報告さえ無事に済ませれば万事安泰なのだった。
船が出航するのを見届けて、見送り組は鞆の祇園社に詣で道中の無事を祈願する。勝成はずいぶん長い間手を合わせていた。
勝重は祈る父の背中を見つつ、早く自分も彼ほどの器量を持つ人にならねばと思っている。息子は父の若い頃を知らないが、周りに聞けば聞くほどその破天荒な経歴に驚いたものだった。
武田と対峙した高天神城の戦いで、忠告を聞かず一人斬り込んでいき齢十五にして一番鑓を果たし敵の首を取った。父はそれで信長に感状を頂いたのだった。しかし小牧・長久手の戦いで祖父の忠重と衝突した上、咎めた家臣を斬って出奔した。以後は四国や九州で鑓を振り回し、佐々成政、立花宗茂、黒田長政、加藤清正らとの交誼を得た。どれもかぶき者、バサラ者と呼ぶに相応しい話だ。京では獣の皮で作った羽織ものを着て、茶筅髷をあり得ないほど逆立てて、クルスを首からぶら下げて意気がっていたとも聞いた。
まるで出雲阿国の演ずる傾奇野郎(かぶきやろう)そのものではないか。
勝重は大坂の陣での父を思い出す。
確かにあの激闘においても父は些かも動じず皆を指揮していた。それは積み重ねてきた経験があってこそのものだろう。若気の至りを思う存分やって、鑓を振るってきたからこそ……。
自分にはそのような経験はない。子どもの頃から小姓となって江戸に上がり、組の務めを果たしてきた。「ぐれた」ことなど一度もないのである。方々で鑓働きもしていない。追放されて命を狙われたこともない。放浪して野宿するようなこともなかった。そのような自分に、父のような器量が備わるのだろうか。
そのようなことを考えていると、勝成が振り返る。
「美作、ずいぶん長う手を合わせとったのう」
「はい、父上のような器量がほしいとお願いしておりました」と勝重は素直にいう。
勝成はしばし黙る。
そのまま祇園社の石段まで進むと瀬戸内海を眺めつつつぶやくようにいう。
「美作には美作の器量がある。それはわしにはないもんじゃ。前にもそう言うておるじゃろう。おぬしはおぬしじゃ、わしになる必要はない」
勝重は噛み締めるように父の言葉を聞き、ゆっくりうなずく。勝成は勝重の方に向き直り、まっすぐ息子を見る。
「わしゃ恩返しがしたかった。器量などではない。何より先に恩返しなんじゃ」
そうきっぱりと言った。
恩返し、それは備中成羽の領主だった三村親成(ちかしげ)へのものに違いないと勝重にも合点がいった。自身も刈屋に赴くまで母のお登久と世話になっていたので、なおさらよく分かるのだ。
勝成は、刈屋で親成の死を知った時のことを思い出す。
ただただ、悔しかった。
修羅の場で無茶苦茶に荒れまくって、結果どこにも行けず野垂れ死にするしかなかったこの身を、丸ごとすべて受け入れ、人としてあるべき道を教えてくれた。それどころか、わしを追っていた者まで払ってくれた。自分を危機にさらしてまで、わしの味方についてくれとった。帰参するまで、いや帰参してもずっと、わしを支えて見守ってくれた。それなのに……。
もう遅い。
親父殿には何の恩返しもできぬ。今のわしにできることは……。
わしは男泣きに泣いた。涙も鼻水も垂れ流して泣いた。そして誓った。
「親父殿、それがし必ずやかの地に戻る。そして、過去の因縁を一切合切、木っ端微塵に追い払ってやろうぞ。鬼日向の意地、見せてやるわ」
そのとき領主として戻るという確証は何もなかったが、きちんと身を立てて生きていくことで親成の恩に報いるという強い決心を持ったのである。それから十年ほどのちに、彼は備中に程近い地に知行を得るに至った。
彼の誓いは現実のものとなったのだ。
そして今、ここにいる。
「のう、普請奉行だけちょっと連れていきたい所がある。後はもう常興寺山に戻ってよいぞ。ああ、美作も来てくれんか」
勝成は残った一行を引き連れて、鍛冶屋の集まる一画に向かう。カン、カンと叩く音が方々から聞こえ、冬なのにこの辺りだけ温かいように感じる。普請奉行らはあまり見たことがない光景なので、キョロキョロしながら歩いている。
一軒の鍛冶屋に顔を見せると、すぐさま長兵衛が出迎えた。勝重も最初に訪れた、鞆鍛冶の顔役である。
「おや、殿さまに若殿さまもお出ましにございますか。これはこれは……」
「ああ、普請奉行も連れてきた。いよいよ城の作事に移るけえの」と言って三人を紹介する。
「ほう、かように鉄を叩いて形にするのですなあ」と神谷が感心して見ている。中山と小場は鍛冶の様子に興味を惹かれながらも、どうして主がここに自分たちを連れて来たのかと思案している。
「長兵衛、あの鉄板を持って来てくれんか」
「はい、かしこまりました。今取りかかっているものですな」と長兵衛は奥から完成品を数枚持ってくる。勝成はそれを受け取ると、普請役にそれを回す。
「これは何に使われるものでございましょうや」と中山が尋ねる。小場は奥に同じものが相当な数置いてあるのを見つける。
「かなり大量に作っておるのですな。大量の鉄板を貼るといえば鉄甲船でしょうか」
鍛冶屋の長兵衛も興味津々なようで耳を澄ませてその答えを待っている。
「いや、これは天守の壁に張るんじゃ」と勝成はケロリと言う。話を内々に聞いていた勝重以外、一同は目を丸くする。
「天守に鉄板を張るのでございますか!?」
「そのような城は見たことがございませんぞ」
「それは、確かに大量に必要になると思いますが……」と、一同の反応は一様に戸惑い気味である。
「貼るといっても全面ではない。前に城地の選定を話し合うた際、常興寺山では北側が低い山で守りが弱いという指摘があった。確かに弱いのう。じゃけえ、天守北側の壁面をすべて鉄板で覆うことにしようと思うた。それならばいざという時、多少の攻撃にも耐えられよう」
勝成の明快な解答にも、一同はしばらく唖然としていた。天守の壁面を黒く塗るのはしばしば見られる。ただ、黒く塗るのと鉄板で覆うのでは、遠目の色こそ同じだが、まったく別の手間がかかる。釘で念入りに打ち付けなければならないのだ。勝重もこの話を父から聞いたとき、かなり面食らったのを思い出す。もともとの発想は鉄甲船(安宅船)であると推察したが、城でそれをした例はない。そんなことができるものなのだろうかと思ったし、それが通るとも思っていなかった。
でも、通った。それも父から聞いた。
一方、ようやく自分たちの作っているものの用途が分かった長兵衛はいたく興奮していた。
「わしらの打った板が、新しいお城の壁になる。備後の皆が日々見るお城にこの板が……何と誇らしいことじゃ。殿さま、鞆の鍛冶衆に知らせてもよろしいので?」
「おう、構わんよ」と勝成がうなずく。
「いやあ、それを聞いたら板を打つ者も、釘を叩く者も皆いっそう張り切ってかかること間違いごぜえません。わしらにこんな大きな仕事をいただき、お礼申し上げます」と長兵衛は深々と頭を下げた。
(令和の大普請で新しく作られた天守北面の鉄板)
「北面すべてというと、いったい何枚になるのか」と帰途中山が勘定を始める。
「二千枚と見込んでおる。天守の図面を見てわしが数えた」と勝成が言う。
「殿ご自身で!?算木を使われてということでしょうや?」と小場が別の意味で目を丸くしている。
「悪いか」と勝成は小場をにらんだ。
「しかし、殿は誰も思い付かないような新しいことに挑まれるのですなあ。大いに学ばせていただいとりますで」と神谷が感服して言う。
「ここからじゃ。城の作事も、水普請も、城下町作りもここから始まる。ここからまたひとつ気持ちをがっちりと合わせ、約束の三年ギリギリまで力を尽くして取りかかってまいろうぞ」
「ははっ」と一同が声を揃える。
元和六年十二月八日、城地の普請大成の報告が幕府に提出され、将軍の意を受けた老中の土井利勝が黒印(認可)を発行した。
〈就其地普請出来、令満息、使者並銀子百枚、小袖到来、喜覚候、猶土井大炊助可申し候
(元和六年)閏十二月八日 秀忠 黒印
日向守どの〉
ここからが 勝成にとっても一世一代の正念場になる。
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