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石垣・能舞台・鉄板
しおりを挟む元和六年(一六二〇)の秋も段々と深まってきた。野には鴨や雉など野鳥が集い、季節の実をついばんでいる。
「もうずいぶん、ご城地普請は進んだようじゃのう」
常興寺山を見やって、通りがかった男がつぶやいている。そこにはせっせと働く人の姿がある。
「そうじゃね。お堀も結構できとるわ。こうして見ると本当に広い」
「お城ができたら、どうなるんかのう」
同じように普請の進捗を遠巻きに眺めている人がちらほらといる。夫は妻にいう。
「そりゃ、皆気になるもんじゃ。わしも今さらじゃが普請に加わろうかのう」
「へえ、まだ人を集めておるんじゃろうか。お城の方は大工さんが建てるのじゃろ」と妻は首をかしげる。
「おまえ、見とらんのか。また高札が出とって、ここ、この地面を埋め立てて増やすそうじゃ。川での力仕事もまだある」
女性はほうと息をつく。
「まことに、大きな大きな普請なんじゃねえ……」
「おうよ、どんな城が建つんかのう。ぶち楽しみじゃ」と男性がうなずく。
城地の普請、いわゆる基礎工事の方はほぼ完成していた。石垣も積まれている部分の方が多くなった。石垣が積まれるとただただ壮観である。今は石垣と濠の工事が集中的に行われている。石垣は石垣奉行の指導のもと、北木島から運ばれた石の切り出しと加工が進められていた。
備後の石垣は打込接(うちこみはぎ)を主にして四辺の角には算木積(さんぎづみ)の手法が用いられている。
ここで、石垣の種類についてもう少し述べる。
石垣の加工は通常大きく分けて野面積み(のづらづみ)、打込接、切込接(きりこみはぎ)となっている。
自然のままの形の石を使い、加工をしないのが野面積みである。江戸時代以前によく使われていた手法で、間に間詰石を埋める。崩れないように積む高度な技術が必要だが、隙間が適度に生じるのでよく排水し強度が高い。例としては浜松城、小倉城などの石垣で見られる。
今回備後で用いられる打込接の加工は、石の隙間を減らすため角や面を叩いて一部加工する手法だ。積んだ後にできた隙間は野面積みと同様に間詰石で埋めていく。例としては姫路城や津山城である。
切込接は石を叩いて削って角や面を平たく、四角く加工して石を隙間なく密着させる手法だ。積まれた煉瓦を想像してもらうと分かりやすいかもしれないが、見た目が非常に美しい加工である。ただしたいへんな手間がかかる。家康の命によって築かれた江戸城・大阪城・名古屋城などで見られる、比較的新しい手法である。もっともどの城でもひとつの手法で全ての石垣が積まれているわけではなく、混在していることは珍しくない。
また、積みかた(並べ方)にも布積みと乱積みという方法がある。布積みは織物のように横を揃えていく(石の高さを合わせる)方法、乱積みは横(高さ)を揃えない方法である。備後の場合、布積みか乱積みかは箇所によって柔軟に変えていたようである。
なお、四方の石の向きを入れ子にし強度を増やす方法が算木積み(さんぎつみ)である。四方の角を強化する一般的な方法で備後だけでなくさまざまな城で見られる。
備後の場合、石垣普請奉行が幕府から派遣されていたのもあるので、江戸城の例に倣ったと推察される。例えば打込接は江戸城白鳥濠、北桔橋などで見られ、切込接は中之門で、野面積みも西桔橋門で見られた。そのように普請の細部で変化を付けるのも、あるいは築き手の技能にもとづいて自由な裁量ができる部分だったかもしれない。ただし、石垣奉行の許可は必要不可欠であった。
いずれにしても、山の開削の際に運んだ石もあったので大和郡山城のように材料が不足することはなかったようだ。
城地の区割り図面を手に、中山将監は細部の確認をしている。
本丸天守、本丸御殿、二の丸、三の丸、筋鉄(すじがね)御門、棗御門などの城門、曲輪(くるわ)、湯殿、伏見からじきにやってくる櫓、神辺城のものなど櫓は都合二十二基、それぞれ建てる場所を綿密に確認する。もうすでに一度や二度はしているが、それでは気が済まないようだ。
「あっ」と中山は突然気づく。
そして区割りの図面に目を凝らす。そして、何かがないことに気づく。慌てた中山は急ぎ勝成のもとへ駆けつける。
「どうしたんじゃ」と勝成が目を丸くする。
「殿、伏見からの材に能舞台がございましたな」
「ああ、追加で拝領となった、能舞台じゃな。太閤さまが愛でておられたという……わしゃ太閤さまには縁がなかったので当時は見とらんかったがのう」と勝成はしみじみと語る。
見ると、中山ががばっと伏している。
「申し訳ございませぬ、殿。能舞台を区割りに入れておりませなんだ」
勝成は中山をじっと見る。
しばらく沈黙が流れる。
頭を下げて伏していた中山がおそるおそる頭を上げる。その途端に「たわけ」という声が飛んできた。普通の声で、特に怒っている風でもない。
「記してあったと思うが……あの能舞台は組立式でどこにでも運ばせて使えるものじゃ。もちろん常設にしてもええんじゃが、とりあえずは畳んでおこうと思うとる。じゃけえ、畳んでおける場を確保してもらえばええ。それも厳しいか」
中山はため息とともに肩を落とす。
「はあ、早とちりしてしまいました。あいすみませぬ。もちろん、組み立て前の能舞台を置く場は用意できまする。はあ……」
勝成もふっと微笑む。
「将監には、はなから世話になっとるのう」
中山は話の流れが変わったので、キョトンとする。
「は、はい」
「思えば、わしが刈屋に帰参して真っ先に付いてくれたんがおぬしじゃった。まだ父も健在で、すぐに親子で伏見の権現さま(家康)の警固役になり刈屋ではほとんど過ごせなかった頃じゃ。おぬしは上杉討伐の勢に加わり、わしと行動をともにしてくれとった」
「そうでございましたな……」と中山も思い返す。
「小山まで来たところで、父が討たれた急報を聞いてトンボ帰りじゃ。権現さまは急いで書状を持たせてくれたが、あまりにも急で気が動転しておった。父が亡うなるとはまこと思うとらんかったでよう。刈屋の皆が十五年も不在だったわしを認めてくれるかも分からんかった。さようなとき、おぬしは常にわしを見守って小山から刈屋まで付き合うてくれた。あれは沁みたのう。まことに有難かったぞ。今さらじゃが、礼をいう」
中山は少し気恥ずかしくなる。
「確かに、家中には弟ぎみを推す声もあったように思いますが、殿は……殿でございます。先代はたいへん痛ましい事件に見舞われまことに残念でございますが、今の殿を御覧になりましたら、さぞ満足されると思いますで」
勝成は小さく何度もうなずく。
「おぬしは、いささか思い違いがあったり心配しすぎるところがあるが、それも転ばぬ先の杖じゃ。まあ、くよくよすることではないけえな。それでのうても普請総奉行というんは大変な仕事じゃ。あまり無理せんで勤めてくれ」
「ははっ」と中山は伏しているが、その目にはキラリと光るものがあった。
中山はそれからまた、城地の確認に戻った。
城地の広さは、この時点の正確なものではないが、二十五万七四〇六平方メートルあったと伝わっている。参考までに、加賀百万石の金沢城の敷地面積が二十八万五〇〇〇平米といわれているので、規模としてはかなり大きいものだ。
さきに書いたが備後の石高は十万石である。本来ならば城の築造は法度、修理にも厳しい制限がかかる時世で、ここまで大がかりな普請は不可能なのである。親藩で新規築城を認められた例は他にもあるが、この規模は特筆すべきものである。
一方、鞆の城館に移り住んでいる勝重はそのとき鍛冶屋の一画に赴いていた。そろそろ城用の鉄釘と鉄板製造に取りかかるのだという。見本を手に鍛冶が思案している。
「半端な数ではないですけえ、この辺りの鍛冶総勢でかかりますが、春までかかりそうですなあ」
「ええ、十分じゃと思います。しかしその見本も美麗にできとる」と勝重は応じる。
「さきのお手火(おてび)祭りでも、城の作事が無事に済むよう、たっぷりと祈願しましたけえ、うまくいかせます」と鍛冶が自信たっぷりにいう。
「ああ、わしは行けんかったのう。見に行きたかったんじゃが」と勝重は残念そうな顔になる。
お手火祭りとは鞆の祇園社の夏の大祓の儀式である。社に太鼓が響き渡り、祝詞が奏上されると、火打ち石で起こされた神火を大手火(お手火)に移す。お手火は神木の天木香樹(むろのき)などで作られ、氏子衆がそれを担いで石段の上に運び上げる。夏の暑い中、灼熱の炎を神に捧げる神事なのだ。もちろん危険を伴う。重さ約四〇貫(一五〇kg)の燃え盛るたいまつを担いだ氏子衆は頭に水をかけられながら熱に堪えて石段を進む。鞆の人々はこの神火を小手火に移し、清めの品として持ち帰るのだ。
鍛冶は軽くかぶりを振る。
「ああ、若殿さまはお寺の修繕にかかられとったけえ、そちらの方がよっぽど大事じゃと思います。鞆の者もですが皆それは感じ入っておりますよ。お城より先に寺を修繕してくれとる言うて」
勝重もかぶりを振る。
「いや……しかし来年は必ず見たいもんじゃ」
鍛冶はそこで鉄板を再び手に取って勝重に尋ねる。
「若殿さま、釘の注文もいささか多いんじゃが、そもそもこの鉄板は何に使われるんですかいのう。やはり安宅船(鉄甲船)なんじゃろうか」
勝重は天井を見上げて思案したのちにいう。
「もうじき、もうじきお知らせしますけえ、待っとってつかあさい」
鍛冶屋は引き続き、思案し続けるのだった。
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