福山ご城下開端の記

尾方佐羽

文字の大きさ
上 下
23 / 35

名誉ある仕事と人々の心

しおりを挟む

 勝成のもとに、神嶋の市の衆が城下に移転するのを承諾するという報せが届いた。
 持ってきたのは材木商と廻船問屋を兼ねている伊予屋善右衛門で、市の皆の連名書状も携えていた。勝成はそれを眺めながらいう。
「早急にきちんと取りまとめてくれたことに礼を申す。反対は出なかったんか」
 伊予屋は苦笑いをしていう。
「最初は一同、『ええっ、それは無理じゃ』という感じでしたな。私と同じです。ですが、殿さまが仰せになったことをひとつひとつ説いていきますと、なるほどとうなずく者が一人二人と出てきまして……何しろ洪水があったばかりですけえな。商いと水浸しを天秤にかけるのにはよい頃合いだったように思います。喉元過ぎれば熱さも忘れてしまうというのは世の理で……」
「そうじゃのう、忘れてしまうのう」と勝成はあごを撫でる。
「ですが、藩の方がたに道を整えてもろうたのもございまして、皆恩を感じとるというのもございます。そこで殿さまの真似をして、最後に地子銭の話をいたしました」
「ほう」
「すると、承諾するものが大半になりましてございます」
「それはそれは、わしが策士のようになってしもうとるが……」と勝成は苦笑する。
「ただ、最後まで粘っとる者もわずかにおりました。そこで私は、以前出されていた高札のことを思い出したのでございます。自身で整地し家を建てる者にはその土地を与えるというお触れでございます。そちらは相違ございませんでしょうか」
 伊予屋の質問に、勝成はうなずいている。
「ふむ、確かにさような高札を出したが、神嶋の移転先は新たに開墾する必要がなかったかと。条件が少し異なるのう」
 伊予屋は渋い顔になる。
「殿さま、家を建てるのにもそれなりの元手と手間がかかります。大工もあがりがないと仕事をせんでしょう。そこはぜひ……それで皆の承諾を得たのです。わやなら、私は神嶋にようよう戻られませんのじゃ」
 勝成はハハハと笑い出す。
「そりゃもっともじゃ。よう高札を見ておったのう。ああ、家を自前で建てた者にはその土地をさしあげよう。おっと、そこでじゃが、そなたにはもうひとつお願いの儀がござる」
「はい、どのような」と伊予屋はかしこまる。
「ここにおる土木普請役の小場が城下町の区割りを決めておる。神嶋の区域の縄張りは済んだそうじゃけえ、内々の区割りを詰めてもらえんか。もちろん持ち帰って相談してもろうたらええ。できる限り今と同じようにしてもらいたい。でないと争いの元になるけえ」
「かしこまりましてございます。殿さまはまことに俊敏なお方でございます」と善右衛門は平伏する。

「拙速になってはいかんがのう」と勝成はつぶやくようにいう。



 商人といえば、備後の新藩に関してまた一人、大きな仕事を引き受けた者がいた。
 兵庫津で商いをしている高田宗樹という人である。畿内と瀬戸内海を結ぶ重要な港で廻船問屋と染物屋を営んでいるのだが、新たに幕府から仕事の発注をされるのである。話に来たのは尼崎藩の代官と京都所司代の用人であった。相当に重たい顔ぶれである。話を聞いて宗樹は目玉が飛び出るほど驚いた。
 現在解体している伏見城の材を備後まで運ぶ仕事の依頼だった。
「伏見城といえば、さきの将軍さまが建てられたお城やないですか。壊しはるんですか、それはえろうもったいない」
「それは上様が決めることぞ。それにもう解体にかかっとるわ」
 所司代の用人は愛想なしでいう。宗樹はしまったと思い、仕事の話にかかる。
「ええ……恐れながら、想像ができひんですよってご教示いただきたいのですが、いかほどの重さになりましょう」
 用人は持参の書面をパラパラとめくる。
「運ぶものは決まっておる。櫓(やぐら)、御殿、大手門、筋鉄(くろがね)門、練塀四百間、橋三基。後は能舞台も追加されておる。それぞれに専門の大工頭が付いて管理をする」
 宗樹はあんぐりと口を開けて聞くが、すぐさま慌てて尋ねる。
「練塀四百間(約七二七メートル)!それだけでも大変な重さでございます」
 尼崎藩の代官が慌てて補足する。
「一時にすべて運べんのは承知の上じゃ。それをいい案配で備後に納めてほしい。話だけではようわからんだろうから、いったん伏見に見積もりに行ってもらえんか。伏見城の破却材は他にも送ることになっておる。それぞれ廻船問屋に白羽の矢を立てておるが、備後についてはぜひ高田屋に頼みたい。何しろおぬしが申した通り、伏見城は東照大権現さま(家康)の築かれた城、粗相があってはいかん。元の材のまま、ひとつの汚損や欠け割れもないよう運んでもらわねばならぬ」
 これは難儀な仕事が来た……と宗樹は軽いめまいを覚える。それを見ていた所司代用人がちらりと宗樹を見て言う。
「どうも、この仕事はおぬしの手に余るようだな。他は皆二つ返事で快諾したというに……他の津であたってみるか」
 今度は尼崎藩の代官が青くなる。
 京都所司代といえば西国全体の監督も任される幕府の重要機関である。ここで、兵庫津の商人に失格の烙印が押されてしまうと、藩の体面に傷がついてしまう。
「高田屋はできぬなどとは一言も申しておりませぬ。さっそく伏見に上り、段取りを整えますゆえ……」
 尼崎の代官を見ていると、宗樹は何やら無性に可哀想に思えてきた。ここで自分が否と言うことはとてもできるものではない。
「かしこまりました。さっそく私が伏見に行き、お城の材を見て参ります。なにぶん商人ですので、じかに見ないことには算段が付けられませんのんや。安請け合いはいたしませんが、お引き受けするからにはしかと備後に運ばせていただきまする」
 代官はそれを聞いてほっと胸を撫で下ろしたし、所司代の用人もふむという顔でうなずく。
「これは名誉ある仕事と心得て、しかと務められよ。よろしく頼んだぞ」
「ははっ」と宗樹は頭を下げる。
 二人はそこまで聞くと、代官所の方角に去っていく。見送っていると、代官がこちらを振り返って「済まぬ」と言いたげな表情をしている。宗樹は軽くうなずくと店に戻り、番頭に告げる。
「大きなご公儀の仕事が入ったんや。明日にも伏見に向かってものを見てくるわ。次第によっては請けた仕事をいくつか断らねばならん。船は空いとるか?」
 突然の話で番頭も目を丸くしているが、主の表情は真剣である。急いで帳面をめくると大きな声で告げた。
「一隻空いております。いつお発ちになりますのんや」
「明朝一番」
「承知しました。人やらすぐ手配しますよって」

 そこまで言うと、宗樹は店を出て海の方へ向かう。
 兵庫津はかつて平清盛が整備した大輪田泊が基であり、堺を出て次の港である。現在の神戸といった方が分かりやすいだろう。船は大阪湾から兵庫の津を経て瀬戸内海に入ると、室津・坂越・牛窓あるいは塩飽と進んで鞆の津に至る。距離としてはそう遠くはない。
 このようなとき自分の船を念のために見ておくのは常識である。宗樹は穏やかな入江の奥に自分の船があるのを確かめる。そして、カモメが水面の魚を狙っているのをぼんやりと眺める。狩りが下手なカモメのようで、トンビに横からさらわれている。
「わしはトンビかカモメかどちらなんやろな」と宗樹はつぶやいて、しばらくその様子を見ている。
「ご公儀はずいぶんムスっとしとったな。あのものの言い様はどうかと思うわ。伏見はまああんなもんやろうが、備後のお役人も同じやろか。せやったらお愛想ようなぞようしとられへん。ずっとムスッとしとったろか」
 いささか仏頂面で宗樹は翌朝の仕度のため店に戻っていった。



 神嶋の市の移転が決まったと聞いた勝重は草戸の常福寺の修築現場に立ち会っていたが、足を伸ばして三村親良とともに神嶋に顔を出した。もう顔を覚えられているようですぐに声をかけられる。年配の男性である。
「あ、鞆の若殿さま、今日は見回りでございますか」
「ええ、今常福寺の修築にかかっとりますけえ、こちらはいかがされとるかと思いまして」
「修築にはどれぐらいかかるんじゃろうか」と端にいた年配の女性が尋ねる。
「そうですな、二か月三か月ぐらい……秋には済むじゃろうか」と親良が答える。
「その頃にはここの景色もいくらか変わっとるんじゃろうねえ」
 その言葉を聞いた勝重は辺りの光景を見回してみる。
 常福寺の修復された姿、変わらず高くそびえ立つ五重塔、悠々と流れている芦田川、その中洲には草戸稲荷の赤い鳥居、葦の草むらには赤蜻蛉が舞い、背後に座す低山の緑は朱に色づき始める……そのような秋の風景を思い浮かべることができる。しかし、ここ神嶋はがらんどうになってしまうのだ。川岸に繋いである船、陸に置いている船もすべて移っていくだろう。勝重は寂しげな表情で女性に尋ねる。
「ここを移ること、気が進まんのじゃろうか」
 女性は微笑んで答える。
「若殿さま、そういった寂しい気持ちはもちろんございます。じゃが、殿さまが仰せになっとられることもよう分かるのです。またいつ何時水に襲われるかという怖さもありますけえ、移るのがいやということではございませんのんじゃ。何といいましょうか、今は名残を惜しむ時なのでしょうなあ」
 勝重は寂しそうな表情のまま微笑みで返す。
 すると女性が満面の笑みを湛えて明るい声になる。
「まことに若殿さまはお優しいんじゃねえ。神嶋の衆は皆、ここよりもええ町を作るんじゃと張り切っております。若殿さまが辛気臭い様子をしとったらいけんよ」
「ああ、そうじゃな」と勝重も笑う。


「あの洪水で仕切り直しが多く、作業が増えましたな」と常福寺に戻る途上で親良が不意にいう。
「ああ、まったくじゃ」と勝重は応じる。
「しかし、返ってそれでよかったような気もいたします」
 すぐそばの川岸にゴイサギかカワウがつがいで遊んでいるのが見えたが、どちらかと確かめる間もなくすぐに葦原に隠れてしまった。勝重はその姿を遠目で探したが、見つけることができない。それだけ葦が背高く生い茂っているのだ。
「それでよかったか」と勝重は尋ねる。
「それがあって、この土地の民との関わりを深めることができるのではございませんか」
 親良の言葉は父の言いそうなことでもある。勝重はふっと笑う。
「ああ、わしもそう思う」

 二人はゆっくりと、五重塔めざして歩いていった。

 ふたつの大移動がじきに行われる。
 城地を決めた段階で承諾を得た野上村の民の移転と、水害の後で急遽決めた神嶋の市の移転である。全員の合意を取り付けて平和裡に移転してもらうというのは、実はそう簡単なことではない。藩が命令し威圧して、時には力を行使して人々に強いるようなことがあれば、少なからず遺恨を残すことになっただろう。

 このふたつの移転を無事に済ませることは、藩が民の信頼を得られるかどうかの試金石でもあった。
 
しおりを挟む

処理中です...