福山ご城下開端の記

尾方佐羽

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虎之助の虎の巻

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 丸屋七左衛門はずんぐりして穏やかな風体の商人で、見ようによってはお地蔵さまのようでもある。大和の盆地で商いをしていた気風だろうか。ただし、彼は非常に勉強熱心で、畳表の商いについて勝成に与えられた宿題を懸命に解いている。城や城下町ができるまでは閑古鳥が鳴いているも同然だが、藺草と畳表の一大生産地である沼隈郡(鞆が先端になる半島)に出かけて顔つなぎがてら藺農家や畳の織り職人と話をするなどしている。
 ある日、城地から西に一里半ほどの赤坂へ赴いたときのことである。顔見知りになった畳表の織り職人・喜八が丸屋を見つけていう。
「おう、丸屋さま、さきにお話されとった御定め書きですが、写しがございましたんじゃ」
「ああ、門外不出の御定め書き、よろしければぜひ拝見したいですな」
 喜八の家に移動して板間に招き入れられた丸屋の前に巻紙が広げられる。
 そこには畳表の不良品についての内容が事細かに記してあった。福島正則が安芸・備後の藩主だった頃に定められたものだ。元は畳表改め役の持ち物だったようだが、織り職人にも写しが配られたらしい。
 丸屋は確かめるように読み上げてみる。
「赤藺、藺田の植え付けが悪く赤くなってしまったもの。どみ藺、雨天に刈り取ったもので褐色になったもの。黄色藺、雨に濡れたか長く干しすぎたことによる。入れ藺、傷のある藺を刈り取って他と混ぜてしまったもの。枯れ藺、肥料が不十分で葉先が枯れたか、刈り取った後で風に当てて枯れたもの。またそれを混ぜて織り上げたものか……まだまだ延々と。藺の出来だけでも相当細かく見ておられるんですな」



「丸屋さまも畳表改め役だったのですから、かようにされておったのでございましょう」と職人が言う。
「いえいえ、書かれたものに合点はいきますが、ここまで厳しくは見ておりませんでした。まあ、えらいことですわ。ただ、これほどの目安があれば献上品としてまことにええもんでございましょう。実にええもんや……」と丸屋はただただ感心している。
 喜八は丸屋の様子を眺めていたが、不意に思い出したように尋ねる。
「そういえば丸屋さま、神嶋の市(商人町)に移転の話が出とるというのはまことでございましょうか」
 丸屋は目を丸くする。
「それはきのう私も聞いた話ですが、もうこちらまで来ておるんかいな。まったく人の口は足が早いこと。ですが、打診があったというだけで、神嶋の皆さまが寄り合いで決めるはずです。確かに、今まで住んでいたのを急に移れといわれてもようせんでしょう。商人町に入ってもろたら皆でええ商いができるとは思うんですけどな」

 思案顔の丸屋に喜八がさらに尋ねる。

「丸屋さまは、大和からこちらに来られましたが、移るんがお厭ではなかったのでしょうか」
 丸屋はハハハと笑う。
「いや全然。すぐに店を畳んで、荷物をまとめて付いて来ましたなあ」
「はあ、それはどうしてでしょう」
 丸屋は一瞬首を傾げたが、笑って答える。
「それは……殿さまを始め、何やお天道さまのごとく明るい藩だからでしょうか。あとはもちろん、畳商人にとって備後表の扱いができるのは、最高の幸せにございますよってなあ。畳筵の始まりは山城国ともいわれておりますが、当世間違いなく備後が一番です。せやから一もニもなく来ましたんや」
 喜八は心底から嬉しそうにいう。
「それほど高く買うてもらえるとは何とも嬉しいことじゃ。今後とも何卒よろしゅうお願いいたします」
「いや、こちらこそ。また藩のお役人が付くでしょうが、ええもんを日本中に広げましょうや」と丸屋は激励した。

 帰る道すがら、丸屋は藺草の畑をゆっくりと見ながら進む。先般の荒天でいくらか不良は出るだろうが、生育は良好ではないかと思う。検品するのが楽しみでもある。この人は畳が根っから好きらしい。いずれにしても、初夏の雨が上がれば一斉に藺草の刈り取りになる。
 その時が本格的な仕事始めや、気を引き締めてかからんと……と丸屋は一人うなずきながら歩いていった。



 一方、普請奉行と勝成は先般の会議を受けて、作業の日程を詰めていた。そこに勝成はいくつかの巻物を運んできていた。中山将監は詰まれた巻物を見て、「何だろう」と思ったが勝成が何も言わないので特に尋ねることはしなかった。たいていこのようなとき、殿はわれわれを驚かす方に話を持ってくる、そのように解釈していたのである。さすがの慧眼、といえるかもしれない。
 小場がここでは主人公のようだ。
 城地の普請、いわゆる基礎工事はおおむね順調で、掘と石垣を積む段階が見えてきている。夏の暑さや冬の寒さ、あるいは荒天で作業は遅滞することが見込まれたため、日程に余裕を持って一年をそこに宛てていた。そこを今後一気に進めて、秋には掘まで完成させた方がよいと彼は考えた。幕府からの石垣奉行も城地普請に同行して、先に進められると判断している。
「中山どの、神谷どの、秋には城地普請の衆を一部水普請に出せますぞ。神嶋の移転の話もありますで、吉津川の延長および入川の造成を先んじてしておいた方がよろしいかと」
 中山もそれに同意する。
「うむ、そちらは小場どのにも持ってもらうこととして、やはりかかるのは西側の方か。さきの話では高屋川合流地点をより下手に替えるのが優先となろうが、そこに人を多く入れねばなるまい。小場どの、もっと人を集めんといかんで。何しろ、常福寺の修築もあるでよう」


(常福寺、現在の明王院の五重塔)

 そこで勝成が付け加える。
「常福寺の修築については、美作(勝重)にも噛んでもらおうと思うとる。美作本人からも申し出があった。靱負と親良もおるし、任せてもええんじゃなかろうかのう。幸い、こちらの大工衆はまだ手が空いておるし、鞆には宮大工もおるそうじゃ。さっそく取りかかるよし。中山には事後報告になってしまい、済まぬ」
 中山はぶんぶんとかぶりを振る。
「いえ、真にありがたきことにございます。美作さまがかように頼もしきお方とは、失礼ながらついぞ思いませなんだ。あれやこれやでどうにも行き届かぬようになっておりますので、助けていただくのは大歓迎にございます。ぜひお任せしとう存じまする」
 勝成は苦笑している。
「まあ、なかなか思うた通りにはいかんもんじゃのう」
 神谷はずっと神妙な顔をして黙りこんでいる。自分の持ち場の作業が大きく変更になり、全体の進捗に影響してしまった申し訳なさが先に立って思い詰めているのだ。周りがあれこれと考えてくれることがなおさら重荷に感じるようになっていた。芦田川の氾濫後の様子を見て「自分に川普請の指揮が取れるのだろうか」と及び腰になってしまっているのもある。自分が五日間考え抜いて出した対策案については、それしかないと決めているのだが、どうにもこれまでのように能動的にはなれなかった。要は頭の中がそれらの堂々巡りになってしまっているのである。

「治部、それで高屋川の方の工事の人数は、小場が言うた通りでええんか」と勝成が尋ねる。
 神谷はハッとしてから答える。
「はい、結構でございます。まず一帯を検分して新たな流路の開削にかかりまする。石積みの作業がございますが、当面の数は小場さま仰せの通りでよろしいかと。もし不足あらば、またお諮りしたく……」
「もし、入り用ならばまだ声をかけられるが、人ははなから十分におった方がええと思うのだが……」と中山も尋ねる。
 神谷は困ったような表情をしている。

 勝成はふっと息をついて、脇に置いてある巻物の束を手繰り寄せる。
「治部、これにいったん目を通せ。それから心新たに普請にかかるがよい」
「は、巻物でございますか」
「うむ、慶長の頃の熊本城周りの川を整備した記録の写しじゃ。もう、だいぶ前に頼んでおったんじゃが、過去のものとはいえ藩の内の記録じゃけえなかなか……差し障りのない部分だけでもと言うて写しをもろうた。かなには真に頭が上がらんのう」
 神谷はもちろん、中山も小場も一様に目を見開いて驚く。
「そのようなもの、よう融通下さいましたな」と中山が声を上げる。
「いや、内々にじゃ。用済みになったら燃やさねばならん」と勝成は神妙な顔をする。
「神谷どの、ちょっと見せてもらえぬか」と小場が言う。神谷は小さくうなずく。少しずつ巻紙を広げて、広げる側から読んでいく。ちょっとと言ったものの、紙はコロコロと滑るように転がっていく。神谷も小場の後を追って床に顔を近づけて見ている。
 いくつか挙げると、以下のようなことがらが書かれている。

・肥後熊本の白川と坪井川の分流工事において、ふたつの川の合流位置を下流に移すため川の背を割るように石を積んでいく。これを背割り石塘という。
・堰は白川の瀬田堰、馬場楠堰、渡鹿堰。緑川の鵜ノ瀬堰、糸田堰、麻生原堰。球磨川の遥拝堰など。取水口は扇状地形の頂点にあたる箇所から取るのがよい。できる限り低水量とすること。
川の湾曲部はその勢いの強い箇所に広く浅い斜堰を築く。流れが堰を越えた場合は川岸が堅固ならばそちらに向けさせ、そうでない場合は下流の川の中心に向くように堰を築く。
・堤塘について。白川の石塘、加勢川の清正堤、緑川の大名塘、桑鶴の轡塘など。著しく増水した場合は遊水部に溢れさせるように計画する。あるいは比較的低い堤を越えても、外側にも高い堤を設けていればある程度氾濫は防げる。

 小場も神谷も、背後から目を凝らしていた中山も一通り一巻を一気に見終えると、勝成の方に向き直った。
「殿、これはどえりゃあ有用なものですぞ!なぜ隠しとったんでしょうや」
「わしも頼んだのを忘れとったんじゃ。これはきのうようやく届いた。だいたい、隠すなどと……そんないけずなことをすると思うとるんか」と勝成は自分に矛が向いたのを避けようとする。
 神谷はただただ、広げられた文字通りの「虎の巻」に感動している。もう三十年前のものながら、そこには神谷が困り果てて考えてきたことへの明確な示唆が溢れていた。川の分流、堰の設けかた、石の積みかた、遊水地の必要性……すべてが彼にとって天啓のようにさえ思えたのだ。
「殿、そちらの巻物も全部まるごと読ませてくださいませ」と神谷は半ば叫ぶような調子でいう。

「うむ、持ち帰ってよう目を通したらええ。わしもきのうざっと見たんじゃが、まあ、おぬしが悩んどったようなことを、虎之助(清正)も考え抜いておったんじゃのう。城造りの名手ではあるが、水普請も日の本随一。それをきちんと家臣に書き取らせとったから、わしらも見ることができるんじゃ。改めてどえりゃあ男だと見直したわ。もっと生きとったらよかったのう……」

 とにもかくにも、神谷はひとつの光明を見いだしたようだ。普請奉行も勝成も神谷の様子を見て安堵する。そこで、中山がハッとする。

「そうでした!幕府のお目付役のもとに報せが届いとったそうにございます。伏見城の解体進み、備後に櫓などの材を運び入れる段取りがあらかた秋口に決まったそうにございます。何でも兵庫の廻船問屋が任されたそうで……高田屋と申したか」
「どんどん進んでいくのう。兵左衛門、おぬしものんびりしとられんようになるぞ」と勝成はにかっと笑う。
「私はのんびりなぞしとりませんで。殿のお言葉とはいえ聞き捨てなりませぬな」と小場が口をとがらせる。

 一同はハハハと笑う。
 この朗らかな空気が、上意下達ではないざっくばらんなやりとりが、この藩を明るくしているともいえる。
 伏見城の遺構が届く。
 それはすなわち本丸築城を開始するという合図にもなるのだ。
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