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鍛冶屋から耳にした秘密
しおりを挟む勝重は鞆の祇園社、同じく境内に鎮座する渡守神社を参拝した後で宮司と面会した。宮司は一行をにこやかに迎え、社殿の脇にある建屋に彼らを案内する。一行はそこで、なぜこの土地が「鞆(とも)」と呼ばれるようになったのかを宮司から聞く。
「今から千四百年ほど前、第十四代仲哀天皇御世の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦にお寄りになられました。この地に社がないとお聞きになられますとお側の者らに申し付けられ、斎場を設けられたのです。この浦には海中より涌出た霊石がございました。それを神璽(しんじ)として綿津見命(わたつみのみこと)を祀り海路の安全を祈願されたのです。
よほどこの浦をお気にかけて下さったのでしょうか。皇后さまはお帰りの際にまたこちらに立ち寄られ、綿津見神の神前に稜威の高鞆(いづのたかとも)を納めお礼をされたのです。以降この地が鞆と呼ばれるようになりました」
「宮司さま、お恥ずかしながら、とも、たかともとはいったいどのようなものでしょうや」と親良が質問する。
「弓を射る際に左腕を保護するための鹿革製の腕輪ですな。弾いた弦が当たると強い音がいたします」と宮司はいう。
「それは弽(ゆがけ、鹿革の手袋)ではないのですか、普通は右手ですが鷹狩の折には両手にすることもございました」と勝重が尋ねる。彼は実戦で弓を使ったことはないが、将軍秀忠に従って鷹狩に出たことがあったのだ。
「手首に付けるものなのです。ご存じないのも無理はございません。使われていたのは奈良に都があった頃までだったと伝わっております。まことに古い道具でして、天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのをのみこと)をお迎えされたときに付けておわせられた、応神天皇はお生まれになった際に鞆を咥えていらっしゃったなど、神道皇統にまつわる伝承がございます。『古事記』にも記述がございますが竹鞆とされておりますから鞆と弓かもしれませぬな」
一行はひたすら感心しつつ話を聞いた。
「いや、珍しい名とは思うておりましたが、実に奥深いもので、学ばせていただきました」と勝重は言う。父がなぜ、ここに行けと行ったのかも十分理解できた。
「それでは、よろしければ引き続き鍛治町の方をご覧いただきましょう。こちらからすぐでございます」
漁師町の方へ行くのかと思っていた一行は少し意外に思いつつも、社から移動する。
途中で藤井靱負が口を開く。
「靱負いうんも弓に由来します。ご存じの通り、靱(ゆき)は矢筒のことにございますが、古来よりの呼び名だと聞いたことがございます」
それを聞いていた宮司がうなずく。
「さようですな。鞆にしても靱にしても単なる戦いの道具ではなく、上代より尊いものとして扱われてきたのかと存じます。当社では由緒に因んだ御弓神事を例年執り行うております。ですので、その名をお持ちなんも、誇りに思うてよろしいのかと存じます」
話す間もそこそこに、一行は鍛治屋町に着く。それは宮司が説明しなくとも分かった。なぜならば「カン、カン」という音がそこらかしこから響き、冬だというのに気温が少し高いと感じたからである。チラリと見たところ、通りのどの家屋も同じ作業をしているようだった。宮司はすれ違う人にあいさつしながら一軒の鍛治に勝重らを導く。
「長兵衛さん、精が出ることですなあ」
薄暗い屋内には腰掛けながら作業をしている初老の男がいた。それは頭髪が白髪だから初老と取れるだけで、日灼けか火灼けのゆえか見事な褐色の肌に精悍な身体つきである。
彼はふっと振り返る。
「おう、祇園社の宮司さま」
宮司は勝重一行を鍛治に紹介する。
「この前話しとった、水野様の若君がお越し下さいましたぞ」
「ああ、それではこれだけ仕上げてしまいますので、しばしお待ち下され」
宮司は勝重らにいう。
「水野さま、こちらの長兵衛さんは鞆の鍛治衆のまとめ役をされとります。もちろん一番の腕利きで、鞆鍛治のことならば何でもご存じじゃ。いろいろお話してもろうたらええかと思います」
勝重はふと思う。
はて、もう自分がここに来るまでの段取りがとうに組まれとるようじゃ。
しかし、鍛冶屋の仕事を見るのは生まれて初めてだ。父の差配なのはありありと分かるが、確かにひどく興味深い。ここはひとつ、父の思惑にはまってみるのもいいだろう。
「拙者、水野美作守勝重と申します。さて、今は何を作られとるんでしょうか」
長兵衛は火床で熱した鉄をハシで取り出し、金床に載せて小槌で叩く、様子を見てまた火床に突っ込む。その繰り返しであるが、叩くごとに見事な先折れの道具が仕上がっていく。
水に浸けて冷ましたら完成である。
あっという間の仕事だった。
「こちらは船に使う貝折釘(カヨリクギ)でございます。さて水野の若さま、ようお越し下さいました。お話はうかがっとりますけえ。遠慮なさらず、かように粗末な普請ですがどうぞ奥までお入りになってつかあさい」
宮司はそこまで見届けると「では、私はここで」とあいさつして去っていった。
(現代の鞆の町並み)
長兵衛がさらに奥へと先導して歩いていく。勝重も靱負も親良も珍しそうに道具の掛けてある一画を見ている。
「掴む道具もいろいろあるんですのう」
長兵衛はニッコリする。
「ハシと呼びますんじゃ。マルバシ、ヒラバシ、サキバシ、イボバシ、ツボバシ、カッテバシ、オオバシでございます。まだ他にもございます。熱い中に始終放るものでもありますし、作るものによって叩きやすいハシを選ばねばなりませぬ。まあ、わしらの手の代わりに熱い目に合うとるんですけえな。古くて黒いばかりですが、これなしに鍛冶屋は成り立たないちゅうぐらい大事なものにございます」
その流れで長兵衛は鍛治の道具について説明しはじめた。
まずは火床、しっかりとした土台の上に仕込まれており、ここに炭を入れ火を燃やす。そして鞴(ふいご)、持ち運びのできる箱型の装置で風を発生させ火床に送風し火力を保つ。精錬など大規模な作業になると鑪(たたら)を使用するがここにはない。続いて、火床で熱した素地を叩いて成型するための金床という台が用途に合わせて幾種類か。叩くばかりではなく鉄を流し込む鋳型もある。鉄を叩く大槌、小槌も数多く見られた。製品の仕上げに使うヤスリ、キサゲなども箱にきちんと納められていた。一行はじっくりそれらの道具を見て回る。
(鞆の鍛冶用具、ハシ各種、鞴、大槌、小槌など。図録『特別展 鞆鍛冶~船釘・錨の日本一~』福山市鞆の浦歴史民俗資料館発行より転載)
中国山地を囲む備前・備中・備後の吉備国、美作・因幡・伯耆・出雲・石見・安芸・周防国の地域、いわゆる中国地方は砂鉄を多く産出する土地である。そして採取された後は精錬され割鉄・包丁鉄・帯鉄・角鉄などの材料素地となる。それを鍛冶がさまざまな製品に仕上げるのだ。原料の産出量が多いのもさることながら、中国地方は製造加工においても国内有数の規模と技術を誇っている。
また、砂鉄だけではなく石見銀山(島根)や吹屋銅山(岡山)も産地として有名である。
「確かに、備前の刀工の手による刀剣は逸品揃いです。幼少より鍛治の盛んな土地とは思うとりましたがどうにもこうにも不勉強でしたな」と親良が頭を掻いている。靱負も同感とばかりうなずいている。
長兵衛は先ほど打っていた船釘を紐でくくりながら話を続ける。くくられた船釘は木箱に納められる。
「刀剣といえば長船(おさふね)でございましょうが、こちらでも刀鍛治専門の者がおったこともございます。まあ、鞆は古来より船が多く入ってくる津ですけえ、船釘や錨(いかり)が多く求められます。後の世になって全国から注文が入るようになり、海を介した商いが広がっていきようたんです。船釘もですが、鞆錨(ともいかり)といえば日本のどこでも通用しますんじゃ」
誇らしげに胸を張る長兵衛に、勝重は気持ちのよい職人気質を見た。鞆鍛治は日本において船にまつわる鉄製品の中心であるという誇りがあるのだ。知らなかった世界に触れ、ひたすら感心するばかりであるが、勝重はふっと思う。
父上はわしをこちらに導いた。確かに大いなる学びとなった。しかしそれだけなのだろうか。鞆鍛治について知ることができれば、それでええんじゃろうか。江戸を出たときからずっと感じとるが、どうも父の考えは一筋縄では図れぬ。のほほんとしとると見落としてしまう。鞆鍛治についても、ただ鍛治の仕事を知ればええいうもんでもなさそうじゃ。
勝重は思案しつつ、ふっと奥の方を見た。そこには扉ほどに大きい鉄の板が立て掛けてある。あれは何に使うものじゃろうか。
「あれは何じゃろうか?ずいぶん大きいですな」
「ああ、あれは鉄盾(てつじゅん)でございます。徳川将軍家からのご要請があり、福島(正則)様のご治世で多く作っとったものです。大坂の陣で使われとったとのこと」
それは勝重には初耳だった。
自身の記憶を辿ってみる。
鉄盾は鉄砲での攻撃に耐えるためのものだ。鉄板で四方を囲めば相当の防備になる。父の軍は随時動き回っていたので、鉄盾を持って歩くことはしていなかった。おそらく、高齢で出陣する家康や将軍秀忠を守るために誂えさせたのだろう。
「それは存じませんでした。もともと鉄盾は作られとったんでしょうか」と勝重は尋ねる。
「そうですな、美作の森さまからご注文いただいたのが大きかったですな。頻繁に作っとったわけではございません。若さま、鍛治は寸法や何やら確かなものならば、何でも作りますけえ」と長兵衛は笑う。
「これほど大きいものも作られとるとは真に見事です」と勝重は感嘆の言葉を伝える。
すると長兵衛は意外なことを言う。
「水野の殿様も先頃お越しの際、同じように驚かれとりました。それでたくさんご注文をいただきまして……」
「はて、釘の?」と勝重は聞く。城に釘を使うのは明らかだったからだ。しかし長兵衛は首を横に振った。
「いえ、若さま。釘もですが同時に鉄板の注文もいただきました。鉄盾ほど大きくはございませんが、その数二〇〇〇枚」
「二〇〇〇枚! いったい何に使うんじゃ?城と合わせて鉄甲船でも築造されるんか?」
長兵衛は勝重の驚きように苦笑しながら答える。
「入り用になるんが一~二年先じゃということでしたけえ、やはり鉄甲船ですかのう。一隻ではないのかもしれませぬ。釘のほうもございますし、二〇〇〇枚言うたらいくら何でもすぐには用意できませぬ。殿様はそれを見越しておっしゃって下さったのでしょうな」
勝重は目をぱちくりさせている。
また、父の考えが分からなくなった。
鉄甲船とは、戦への備えじゃろうか。
城や大普請とは、また違うんじゃが、
わしに船隊を任せよういうおつもりなんか。
どういうことなんじゃろうかのう。
鍛冶屋町を通り抜けたところに小烏神社(こがらすじんじゃ)という社があると長兵衛から聞き、一行は参詣してから帰ることにする。鞆鍛治の守り神として篤く崇敬されている社だ。
その社はこじんまりとした社であったが、拝殿に天という文字を◯で囲んだ印の提灯が下がっているのが特徴的だ。それはこの社の祭神の一である天目一箇神のしるしである。
一行は礼をしてゆっくりと境内に足を踏み入れる。その瞬間一陣の風がひゅうと皆の頬を撫でていく。
「潮のええ香りじゃのう」
勝重はそうつぶやいて、拝殿に向かい手を合わせた。
それから勝重一行は常興寺山に戻った。そのとき勝成はちょうど天神山の開削現場を見て戻ってきたところでバッタリ出くわした。
「おう美作、戻ったか。どうじゃった?」
勝重は低い太陽に照らされている父をじっと見る。馬から下りるのはさすがにゆっくりになったが変わらず逞しく、自由闊達な気が全身に満ち満ちている。
この父を越えることができるのだろうか。
ふっとそのような考えが勝重の頭をよぎる。
勝成に鞆でのことを報告する際に、勝重は鉄板の注文について尋ねた。すると、父はしばらく何と言おうか思案していた。
「うむ、あれは今後必要になるものなんじゃ。ただ、まだ家中にはつまびらかにはしとらん。じゃけえ……」
「じゃけえ……」と勝重は父の言葉を繰り返す。
「じゃけえ、まだおぬしとわしの秘密じゃぞ」
そう言うと、勝成は勝重の側に寄って、ひそひそ声で耳打ちした。勝重はそれを聞きながら、ぎょっとした風に目を見開いてしばらく固まったままだった。
勝成はといえば、大きな秘密をようやく打ち明けることができて嬉しいらしく、子どものようにニコニコしていた。
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