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◼️番外編  中津城の惨劇

官兵衛 又兵衛と六左衛門に褒美を渡す

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※このお話には、一部残酷な表現があります。あらかじめご了承ください。


 二日後、鶴姫と十三人の侍女たちは、白装束に身を包んで、細い腕を背中で縛られて千本松川原に引き立てられた。よく晴れた空の下、彼女らには死の時が迫っていた。
 侍女らは時折、こらえきれずに嗚咽の声を漏らす。
 みずからのことではない。まだわずか十三歳にしかならない姫が命を絶たれる無念さゆえである。それを察して鶴姫は背筋をしゃんと伸ばし、座していた。美しく利発な姫である。

 隣に座す乳母が涙を流しながら言う。
「お生まれになってからこのかた、心を尽くしてお育て申し上げた姫様が、かような惨い目にあわねばならぬとは。お屋形様は卑怯にも、卑怯にも、卑怯にも謀(たばか)られ、姫様までこのように晒し者にされて……こんなことになると知っていたら、いっそわたくしが手にかけて、侍女皆自刃すべきでございました」
「わたくしこそ、皆を逃がすこと叶わず、あい済まぬ」
 健気な言葉にすすり泣きの声がいっそう広がっていく。

 長政が現れる前、六左衛門は姫の側にすっと向かった。
 二日前のいきさつを皆知っているので、誰もとがめる者はいない。長政以外は。
「かような仕儀になり、慙愧(ざんき)に耐えぬ。誠に済まない」
 六左衛門の言葉を受けて、姫は静かに、しかしきっぱりとした口調で言う。
「あなたさまが命じたことではありませぬゆえ、詮なきこと。父も討たれ、兄も討たれるとあらば、わたくしは生きるよすがもございませぬ。かくなる上は立派に最期を迎えましょうぞ」
 侍女たちは溢れる涙を抑えることができない。
 六左はあまりの哀れさに胸が潰れそうだった。

 ひとつだけ、彼は姫に伝えなければならなかった。

「松田小吉殿は最期まで姫様のことを案じておられた。それなのに……」

 鶴姫ははっとしたように眼を見開いて六左衛門を見たが、すぐに遠くを見やった。
 空を見ているようでもあり、もう戻らない時がさまよう虚空を見ているようでもあった。

「そう、小吉も逝ってしまったの。小吉は……竹細工が得意でわたしによく竹とんぼや水でっぽうを作ってくれました……皆あの世で待っていてくれまする」

 又兵衛が、「六左、若がお越しじゃ」と小声で呼びかけたので、六左衛門は一礼して姫の側を離れた。すると、背後からかすかな、まだあどけない少女の声が聞こえた。

「ろくざ、ありがとう」

 六左衛門は振り向かず、そのまま頭を下げて歩いた。その顔は涙で溢れみっともないほどに濡れていた。

 磔の柱が十四、次々と建てられていく。
 そのさまを見ながら、鶴姫は辞世の句を詠んだ。


  なかなかに きいて果てなん 唐衣 
          わがために織る はたものの音


 磔の柱を建てる音を、冥途に着ていく衣を織る音に例えたのである。年端もいかない姫の死を覚悟した立派な態度に、座していた長政は怖れをなした。表情は変わっていなかったが、その額には脂汗がにじんでいた。

 腋から鑓を刺し貫かれるそのときまで、少女は毅然としていた。六左衛門は離れた片隅で嗚咽を上げながら、その姿に手を合わせ続ける。
 いつしか、又兵衛が背後に立っていた。
「おぬしがわしらの言えぬことを言ってくれたんじゃ」

 それだけ言うと、又兵衛は十四の遺体を埋葬するために去っていった。



 この件については、長政自身が中津城に戻った官兵衛に伝えた。官兵衛はひとしきり黙って聞くと、中津城にいた家臣を一人ひとり呼んで、それぞれに話を聞いた。

 一方、六左衛門は旅支度をしていた。何度目になるか分からないほどなので、慣れたものである。これでもう、黒田家も放逐(ほうちく)されるに違いない。あの若君はどうも根に持つ性分なようだで、わしのことも許すまい。
 城井鎮房に軽くいなされたことが、あの磔刑に至る理由かもしれぬが……わしもナメられるのは好かん。しかしそれはあくまでも戦う相手に対してのこと、その一族朗党、女子供まで憎むちゅうことはないで。

 あの若君はそうらしい。
 素牢人の分際で――表立って主を諌めたのだから、わしも討つつもりかもしれぬ。一刻も早く出た方がよいか。次はどこに流れるか……九州はもう潮時きゃ。

 そんなことを考えていると、後藤又兵衛が声をかけてきた。
「去ぬるか。あてはあるのか」
 六左衛門は首を横に振って、又兵衛のほうに向き直り、深々と頭を下げた。この男には詫びなければ。あるじの性格を知っていて、それでもよそ者の自分を正面からかばってくれたのだ。
 又兵衛はかぶりを振って、六左衛門を見た。
「頭を上げや。おぬしは間違っておらぬ。まあ、わしが間に入ったゆえ、若も引っ込みがつかなくなったんや。今、わしもその辺りは話してきた。後生や、しばし待たれい」
 六左衛門は又兵衛を無言で見つめて、どかっと胡座を組んだ。又兵衛は、少しためらいがちに、彼には珍しくしんみりした声で言う。
「お屋形は、昔妹君を亡くしておる。かの姫は、浦上家に嫁いだ婚礼の夜に、赤松の夜襲を受けて婿ともども殺された。婚礼のその日にやぞ」
 六左衛門は目を見開いた。花嫁装束の官兵衛の妹が、磔になった鶴姫の姿で浮かんだ。またこみあげてくる嗚咽を六左衛門は必死でこらえた。

 又兵衛は続ける。
「せやから、こたびのようなことは、お屋形ならば決してすまいよ。まあ、そういうこっちゃ」
 二人はそれきり黙り込んだ。
 そこに家臣の黒田一政が又兵衛を呼びに来た。
「又兵衛、お屋形がまたお呼びやぞ。おう、六左衛門殿も」

 黒田官兵衛孝高は二人が姿を見せると、驚くほど静かに出迎えた。
「ああ、そこに座りや」
 二人は神妙な顔をして、言われた通りに座した。官兵衛は二人を交互に見ると、胡座のまま深々と頭を下げた。六左衛門は何事かと驚いて又兵衛を見た。又兵衛も平伏している。官兵衛は頭を下げたまま言った。
「せがれに諫言をもろうたこと、礼を申す。あやつはそれに耳を傾けるどころか逆に激昂し、あるまじき非道を働いた。六左衛門、わしがかつて妹を亡くしたのを知っておるか」
「先ほど、又兵衛殿に聞き申した」と六左衛門が言う。
「それならば説明の要はあるまい。ついては、又兵衛、六左衛門にはこれを」と言うと、官兵衛は不自由な脚をかばうように、腕をついてゆっくりとと立ち上がり、背後に置いた刀を二振り取ると、二人に渡した。
「お屋形様、これは……」と又兵衛が受け取りながら官兵衛を見る。
「褒美や。これがわしの心根である。この褒美がどのような意であるか、せがれも心得るやろ。六左衛門も、旅支度をしておるようだが、貴殿さえよければ引き続きよろしくお願い申す」

 又兵衛がほっとしたように六左衛門を見る。六左衛門は少しうつむいて、思いきって尋ねた。
「しかし、若殿は余計ご立腹なさるんではないんかや」
 官兵衛はうーむ、と腕組みをした。
「せやな、わしからは厳に戒めるつもりやが、貴殿には少々難儀やもしれぬな」


 官兵衛の言葉だけが、又兵衛と六左衛門の耳に残った。晴天にじわじわと寄せる黒雲のように。
 ほんとうに難儀なことだった。
 六左衛門はほどなく、黒田家を出奔した。

 官兵衛は中津城の件から一年ほどして、家督を息子に譲り剃髪した。そして如水と名乗るようになった。ときの最高権力者である豊臣秀吉が強く慰留したものの、決して翻意することはなかった。

 その官兵衛が世を去って二年後、後藤又兵衛基次は一族朗党揃って黒田家を出た。
 そこから八年の長きに渡り、ひとつ処に落ち着けない暮らしを送ることになる。

 中津城の顛末である。

(番外編 おわり)
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