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激闘 大坂夏の陣

おとく、勝成のもとを去る

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 水野日向守勝成の大恩人、三村越前守親成がこの世を去ったことは、水野家にも大きな影響を及ぼした。

 おさんから三村親良に文が届いた。
 三宅家が親成を篤く葬ってくれたことに、一族の生き残りとして、三村家の頭領として心から謝意を示してほしいと頼む内容だった。
 その書状の締めにさりげなく、「余生は出家して一族の菩提を弔って生きたい」というおさん自身の希望が書かれていた。彼女は落飾しひっそりと余生を過ごす決意であった。

 親良から聞いてそれを知ったおとくは矢も盾もたまらず、江戸から戻った勝成に、自分と離縁しおさんを迎えるよう懇願したのである。

 勝成もおさんのことを気にかけていた。おとくがいうまでもなく、おさんを迎えることも考えていた。しかし迎えるのならば側室、または客人という立場しかない。いかに姉妹のように仲が良かったといっても、三村家では主従であった二人の関係が逆転する。しかも側室などというのは当人たちにとっても辛いことだろう。勝成も悩んでいた。

 おとくは勝成に話した時点ですでに刈屋を去る決意を固めていた。
 病気がちなおさんを一人で放ってはおけない。もとより、彼女は勝成を慕っていたのを押し殺し、自分を送り出してくれたのだ。
 一方の夫はおとくと別れるつもりは微塵もない。勝成は困り果てて母の妙舜(みょうしゅん)尼に相談した。
「おとく殿を呼んでください。二人で話がしたい」と母は言った。

 勝成はおとくを呼んだ。おとくは、深々と妙舜尼に頭を下げた。
 妙舜は枕のように、孫のことをつぶやいた。
「長吉が江戸に出てしまったら淋しいのう」
「はい」とうなずくおとくも、妙舜の心は分かっている。
「あの子は父親と違って素直で思慮深い。将軍様にも目をかけられているようじゃ。長吉の父母をずっと世話して下さった三村殿にも感謝せねばなぁ。もし今も息災であったなら、おばばが出向いたのに。みまかられてしまうとは……叶うことなく本当に残念です」
「三村のお屋形様は私にとって、父も同然でした」とおとくがしんみりと言う。
 妙舜はうん、うんと言うようにうなずく。
「おとくも世の習いとはいえ、慣れぬこの地に嫁して心煩うこともあったであろうに」
「いえ、お母上が私を大事にしてくださいましたので、気詰まりなことはございませんでした」

 妙舜は健気な言葉に目を潤ませた。
「おとく殿、日向から話は聞いた。おばばも何か力になりたいと思う。ただ、それで本当によいのか。せっかく夫婦として暮らせるようになったのじゃ。何か他の手だてがあるのではないか。それほど、あのたわけには我慢ならないか」
 おとくは首を横に振って母をまっすぐ見る。
「いいえ、殿をお慕いする気持ちに何の変わりもありません。おさん様をお迎えしたいというのは、私のお仕えした方だからというだけではありませぬ。おさん様ははじめから六左……いえ、殿のことを慕っておられたのです。私はそれに気づいていながら、身ごもるようなことになってしまいました」と正直に述べた。
「それで身を引くというわけか。しかし、日向がそなたを選んだのではないか。致し方のないことじゃ。そこまで気に病まずとも」
 おとくははらはらと涙をこぼした。
 妙舜はため息をひとつついた。
「まったく、水野の女子は苦労するのう。日向の祖母も、叔母も再嫁させられておる。そなたで三代じゃ。でも、自ら出て行くというのはそなただけか」
「申し訳ございません」とおとくがひれ伏す。
「いいえ、あなたが決めたことならば、もう私が口を出すことではありますまい。私は礼を申しますぞ。あのたわけがまがりなりにも家を継ぎ、家臣をうまくまとめあげるまでになったのは、放浪のゆえもあろうが、三村家の皆様、そしておとく殿のおかげです」
「もったいない、もったいないことでございます。わがままを通すこと、何とぞお許しくださいませ」とおとくは涙をはらはらとこぼした。
 妙舜尼はおとくの傍らに寄って嫁の細い肩をしっかりと抱きしめた。

 後日、妙舜は自身の甥にあたる都築右京の後添(のちぞえ)として、おとくを嫁がせてはどうかと勝成に提案した。すでに内諾は得たという。都築家にとってもよい縁談であると乗り気になっている。勝成にとっても事情が事情だけに、身内ともいえる都築家に嫁ぐのであれば異存のあろうはずもない。
 しかし、もとより憎くて別れるわけではない、まだ三十路にもならない若い妻を他の男に差し出すのは勝成にとって身を捩るほどにやりきれなかった。しかし、もう後には戻れない。
「母上…………かたじけない」
 ようやく言葉を発した勝成を、妙舜は静かに見つめた。
「あとは日向しだいじゃ。おまえ様は粗相をしない限り、これからも譜代として取り立てられていく。しかし、それに驕ることなく大恩を忘れることなく、しかとつとめられよ。おとくは何も申しておらぬであろうが、禄を増した暁には、おとくの藤井、嫁してくる三村の縁者を家に招いておやり。それが母のたった一つの願いじゃ」
 勝成は無言で平伏して、座を辞した。

 別れの日はすぐにやってくる。

 明日はおとくが都築家に入るという日、勝成は朝からおとくと一緒に過ごしたがった。しかし、おとくは仕度があるからとなかなか部屋から出てこなかった。
 勝成は、「行くな」と言いそうになるのをこらえた。
 もう何度も話して決めたことなのだ。
 昼餉の後、麦飯をかきこみながらも、勝成はうつろな表情だった。もう今日で夫婦ではなくなるのだ。何かおとくにしてやれることはないか。
「おとく、わしに付き合うてくれんか」
「はい、まだ仕度が済んでおりませんで。あまり遠くには行けませぬが、いずこへ」
「定福寺じゃ」
 夫婦は数年前に誕生した女児を生後間もなく喪っていた。その追善供養のため勝成が建立したのが定福寺である。
「さようですね。私も行きたいと思うておりました」とおとくも同意する。
 勝成はおとくの顔をまじまじと見た。まだ三十路前、初めて会ったときのあどけなさは残っているが、妻になり母になり、成熟した美しさを湛えている。美しい、本当に美しい。勝成は切なくなるばかりである。
 いつか高屋から成羽に帰るときしたように、二人は馬に乗って定福寺に向かった。
 あのときは遠慮していたおとくだが、今日はしっかりと勝成の腰につかまっていた。

 わしらにもそれそれなりの月日が過ぎたんじゃのう。
 勝成は感慨に耽っていた。

 二人で吾子の墓前に手を合わせると、おとくが静かに言った。
「この子の死が一番悲しゅうございましたが、本当にいろいろなことがありました」
「最初の数年はともに暮らすこともかなわなんだ」と勝成は静かに言う。
「遊女に入れあげておられたときも辛うございましたが」
「済まぬ」
 勝成が素直に詫びると、おとくは微笑んだ。
「もうすべて済んだことにございますから」
 その微笑を見ていると、六左はたまらなくなる。
「おとく、わしら夫婦としてはもう終わってしまうが、家族であることは未来永劫変わらぬ。何かあったらわしに、いや長吉にでもよいから言ってきてくれ」
 勝成の必死の懇願におとくも悲しく微笑むばかりである。
「あと……今宵はともに過ごしてくれ」
「わたくしは明日、嫁に出るのです。それはできません」とおとくが首を横に振る。
「今宵が最後なんじゃ。おとくを抱いて眠りたいんじゃ。離したくない、今宵ばかりはわしのものでいてほしいんじゃ。ずっと忘れぬために」
 勝成の必死の懇願は止みそうにない。
「そんな……ありていにおっしゃらないで。私も行きたくなくなってしまう」
 おとくはかつて六左衛門に思いを告げられて困ったときのように、眉毛を八文字にしていた。

 その晩、行灯がちらちらとささやかな光を照らす中、勝成はおとくを一晩中離さなかった。

 朝、勝成が目をさますと隣におとくの姿はなかった。がばっと飛び起きて、襖を開けた。
「おとくっ、もういないのかっ?」
 驚いた家人が現れて、主に告げた。
「奥方様は朝餉のお仕度中でございます」
「は、そんなことは他の者が」
 そこへ妙舜が現れて言った。
「おとく様は今日が最後だからと、みずから城中皆みなの朝餉をこしらえております。殿もようようお仕度なされませ」
 しばらくしておとくが女中とともに勝成の膳を運んできた。
 麦飯に三河湾の朝穫れの魚、ほどよくつかった瓜の糠漬け。そして菜っ葉の入った赤だしの味噌汁が湯気を立てていた。
「わたくしも少し寝坊してしまいました」
 おとくが膳を置いて恥じらいの表情を見せて笑った。
 そんな小さなことも、勝成にはかけがえのないものに思えた。涙をこぼしながら、手を合わせた。
「殿、いやです。涙など」
「泣いてはおらぬ。汗じゃ」
 勝成はぽろぽろ涙をこほしながら、朝餉を食べた。
「うまい。うまいのう。飯も汁も魚も漬け物も、こんなうまいものは食うたことがないわ」
 おとくの目にも光るものか見えた。
 夫婦最後の朝はこうして過ぎていった。
 ほどなく都築家からの迎えが到着し、妙舜がてきぱきと采配して、刈屋城は慌ただしさに包まれた。あっという間に出立の時間が来た。

 その間、勝成は嵐が過ぎ去るのをじっと待つかのように、部屋にこもっていた。妙舜も、そして城内の誰もがおもんばかって勝成のことには触れなかった。

 すべてが済んだ後、妙舜が勝成の部屋に様子を見に来た。
「これでよかったんかねぇ。都築は悪い家ではないが、何しろおとくが不憫で」
「わしが一番不憫じゃ」と勝成がふてくされたように言う。
 妙舜はさすがに息子が哀れに思われたのか、優しい口調になった。
「確かに、殿も哀れじゃ。しかし、これも恩返し。おとくはよう決心なされ、けじめをつけられたこと。おまえさまもいい加減繰り言を重ねるのはやめなされ。これから来るおさん殿にも失礼であろう」
「わかっておる。わかっておりますぞ、母上。今日でけじめを付けますゆえ、しばらく放っておいてくださいませぬか」と勝成は頭をかきむしった。
 妙舜はそれ以上は何も言わず、部屋を辞した。勝成はため息をひとつつくと、ごろんと寝ころんだ。

 その晩、刈屋城はひっそりと静まり返り、このはずくの声すら立たなかった。


 おとくが去り、おさんが刈屋城に入ってしばらく後の慶長十五年(一六一〇)、家康の子義直が主となる名古屋城普請のため大勢の諸将が集結した。当然勝成も加わっていたが、その中には加藤清正の姿もあった。
 勝成は清正に嫁いだ妹かなのことを聞きたくなり、つい話しかけた。
「加藤殿、今度は肥後より遠路はるばる、まことに大儀なことにございます」
 清正は一瞬きょとんとしたが、すぐに大声ではっはっはと笑った。
「おう、一番鑓の六左衛門、もとい、兄上。やっとかめだがや。何を気取っとりゃあすか。おかしゅうて、笑ってまうわ」
「いや、おかしいか」
「何ぞ尾張に戻ると、言葉が出てまうんだわ。かなと話すときもそうだで、気取りゃあすのはなしにしてくれみゃあ。兄上も刈屋を継いでよう治めとると妻も感心しとるでよ。まあ何よりだわ。話すのはいつ以来でや、宇土辺りか」
 宇土城の戦いはもう二十年以上前のことである。
「そんな昔ではなかろう。たわけとるでいかん。かなは息災か」
「ああ、息災も息災。てきぱきと采配を振るっとるもんで、子も側室も家臣も皆素直に従っとるでよう。安心して城を空けられる」
 かつて、清正を「馬面の熊」とからかったとき、かながムキになって反駁したことを思い出し、勝成は言った。
「かなはおぬしに惚れて嫁いだんじゃ。よその思惑など気にも留めておらんかったのう。さすがわが妹だわ。ところで八十姫(やそひめ)はもう十にもなろうか。嫁いだか」
「いいや、まだだで。先頃ようやく婚約の運びとなった」
 八十姫はかなと清正の間に生まれた子である。
 かなは家康の養女として嫁いだので、義理の外孫ということになる。そして、家康の母と勝成・かなの父はきょうだいであるから、血縁としてはいとこの子になる。何ともややこしい。

 八十姫を産むとき、かなは大変な思いをしていた。
 それは関ヶ原の直前、石田三成が諸将の妻子を軟禁しはじめた頃のことである。かなは家臣に伴われ、身重の体で大坂の屋敷からはるばる肥後まで逃げた。そして、清正に迎えられ肥後で無事に出産したのである。それに感じ入ったのか、かなのたっての希望か、家康はその赤子と自身の子、頼宣を添わせると約束していた。
 それがようやく婚約まで辿りついたと、清正は安堵している。

 この頃には、豊臣恩顧の外様大名に対する公儀普請の負担は控えめに言っても過重になっていた。加藤清正、黒田長政らは築城の名人と言われていたから重用されるにやぶさかではない。しかしそのための人員と資材調達など、金銭の負担は藩政を傾けるほどの大きさであったかから、不満をこぼす者もいた。
 例えば福島正則である。この名古屋城普請の際も、清正にとって竹馬の友であるこの男は失態をやらかした。仲間うちの酒宴で、「なんで大御所様のご子息様の城まで、われらが普請せんといかんのじゃ」とグチを並べ立てたのである。公儀普請の場で誰が耳をそばだてていても不思議ではない。

「そういう考えなら、今すぐ安芸に戻り戦備えをなさるこっちゃ」
 やんわりと清正がたしなめる場面もあった。
 小姓から豊臣秀吉に仕えてきたこの二人は、徳川家康、秀忠に根っからの信を置かれていないことをよく分かっている。どんな小さなことも改易の理由になるのだから、行動は厳に慎まねばならない。それを分かっているのに、福島正則は脇が甘い。この発言も家康に筒抜け、のちの大坂の陣でも豊臣方に兵糧を入れるなど、家康と秀忠の不信を増大することしかできず、結局改易されることになる。
 その点、清正は慎重だった。
 豊臣家から離れた後は再接近することなく、肥後を治めることに専念していた。地元の民や旧来の有力者からも信頼を得ている。それは日蓮宗に帰依して信仰深いもともとの性質によることもあろうが、かなの影響もあると勝成は見ている。
 勝成は感慨深げに嫁ぐ前の妹の言葉を思い出した。
「かなは言っとった。私が清正様を徳川一の忠臣にしてみせると。大御所の前で堂々とな」
 それを聞いて突然、清正は思いもよらず優しい顔になった。勝成は面食らった。
「わしは豊臣家のためにずっと尽くしてきたで、報恩の思いはあるが、今は肥後の民に尽くすことが唯一の役目と思うとるわ。かなはわしと徳川家を繋ぐため、よう心を砕き、また肥後を故郷とも慈しみ尽くしとる。尾張の刀鍛治のせがれが、素晴らしい姫御をいただいたもんだと感謝するばかりじゃ」
 そこには、かつて虎と戦ったという武張った士の面影はない。何と表現したらよいか、今の清正は穏和で、どこか達観している。南無妙法蓮華経と大書きされた旗印を思い出し、勝成は不思議な心持がした。
 何も言わずにいると、清正はにこりとして言った。
「わしが万が一、去ぬることがあったら、兄上、どうか、かなと子をよろしくお願い申す。わしが心底頼れる譜代はかなの兄である貴殿だけだで」
 かつての猛将の、殊勝すぎる言葉に勝成は大いに慌てた。
「何を弱気なことを申されるか。貴殿は殺しても死なぬわい。それに、そんなことは頼まれんでもするに決まっとるわ」
「例えばの話だで。まあ、こんどはゆっくり宇土の戦話でもしよまい」
 そう言って、清正は去っていった。
 勝成は清正の言葉にいくばくかの不安を感じた。三つ年長の清正はまだ五十に届いていない。戦がなければ、いや、あってもまだまだ活躍できる年齢である。
 その時、勝成は不意に弟の忠胤の死を思った。
「いかんいかん。そんなことありえんわ」
 大きくかぶりを振って、勝成は持ち場に戻っていった。

 しかし、その不安は現実となる。
 加藤清正は翌慶長十六(一六一一)年、京都・二条城で家康と豊臣秀頼の仲裁役を果たした帰途、突然に不帰の人となった。病のためと言われるが、よほど急だったためか遺言もない。跡を三男の忠広が継ぎ、かなも後見に付くこととなった。

 勝成は死を予見していたかのような清正の言葉を思い出し、無常の念に駆られた。あれほどの逞しく勇敢な将が、こんなにあっけない死を迎えるとは。また、妹の悲しみを思うと矢も楯もたまらない。京都から駿河の帰途で刈屋に立ち寄った家康に、「肥後は加藤家に安堵されるんじゃろうな」と直談判したほどであった。
 家康は、「こたびの改易、減封はない」と答えた。
 勝成は安堵したが、それを永劫に約束していないことは承知していた。
「かなもこれからが大変になる。力を貸してやらねばのう」
 勝成はつぶやきながら、すでに自分が若くないことを感じていた。

 清正は豊臣と徳川をつなぐ太い糸の一本であった。
 それがぷつんと切れてしまったのだ。
 そして、大きな嵐がやってこようとしていた。
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