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六左衛門、勝成に駒を進める

放蕩息子の帰還 家康の臣下になる

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 太閤豊臣秀吉がこの世を去り、情勢は急激に変わろうとしていた。

 おとくとの婚姻、男子の誕生という人生の大きな変化を迎えた六左衛門も、今が決断すべき時機なのだと思う。成羽で暮らすにせよ、他の道を行くにせよ、父水野忠重との和解をはからなければいけない。それが男のけじめというものだ。
 しかし、それを親成に告げるのは勇気が要ることだった。さんざん世話になり、ろくに恩返しもしていないのである。そのことが心に引っかかってはいたが、親成も六左衛門の本心を理解していた。

「お屋形様には何から何まで世話になっておきながら、何ら恩をお返しすることもできず申し訳ない」と六左衛門は告げた。
 親成は首を横に振り、「それはええ、しかしおとくと長吉はどうする」と続けた。

「まずはいとこ、徳川家康の元を頼り父と話ができるよう取り計らいを頼む所存。ただ、京や大坂は物騒なので、妻子を連れていくのは難しい。しばらく預かっていただけると助かります」
「承知した」と親成はうなずいた。
「ありがとう存じます」
 六左衛門の心を十分に理解している親成は、すでにその先を考えていた。
「しかし、ただいきなり上洛するというのも、知恵がないのう」
「仰せの通りで」と六左衛門はうなずく。
「おまえはまず、詫び状を書くとよい。家康殿と父君にな」
「詫び状ですか……」
「さよう、家康殿にはあわせて上洛の目処と父君へのとりなしも頼むとよい」
「それならばいとこの母、於大(おだい)の方とわが母にも一筆書いたほうがよいかもしれぬ」
「そうじゃ、女子を味方にしたほうがよい」と親成が同意する。

 しかし、実際の段になると、何通も書くのだから面倒なことこの上ない。六左衛門は、「いい歳をしてこんなもの方々に書けんわっ」と匙を投げかけた。しかし、「たわけがっ、一国を預かる身となればもっと大量の書状を扱うんじゃ」と親成に一喝され、何とか最後まで書き上げた。

 六左衛門は頭を左右に傾けながら、「あぁ、わしも祐筆(ゆうひつ)がほしいのう」とつぶやいた。
 今度は拳固が落ちてきた。
「いってぇ」
 文の内容は簡潔であった。

 永年の不行状と出奔をはじめこれまでの親不孝を詫び、心を入れ換えてつとめるので、奉公構を解いてもらうようお願いしたい、または父を説いていただきたい。

 この際、六左衛門には明かしていなかったが親成は再度吉川広家に文を出していた。
 六左衛門が帰参のため京都に向かうこと、彼が家中の娘と子を成したことなどをつづった。非常に難しい立場であるが心情としては、六左衛門をきちんと送り出してやりたい。彼は徳川家康のいとこであるから、誰に付くことになるかは自明である。しかるに成羽のことお含みおきいただき、広家殿にとっても何がしかの縁と思い取り計らってもらえないか、というものである。

 具体的なことは書いていない。ぼんやりとしている。
 しかし、これは三村家も徳川家康を支持すると暗に示したものとも受け取れる。この頃、吉川広家は小早川隆景亡き後、毛利の屋台骨として豊臣政権でも重用されていたが、石田三成とは距離を置いていた。親成は広家が心の奥では豊臣の天下に忸怩(じくじ)たる思いを持っていることを分かっていた。備中高松城と鳥取城落城の悲惨、度重なる戦の賦役、無理を押して参戦した広家の父元春の死。いくら秀吉に重用されても、その芯の部分が変わることはない。親成はそう信じていたが、まさにその通りであった。
 吉川広家からは、子の誕生の祝い文句と六左衛門の活躍を期待する旨の返書が届いた。



 慶長四年(一五九九)の霜月、六左衛門は京都・伏見の地に立っていた。親成が餞別を包んでくれたので道中そこそこに過ごせたが、凍えるほど寒い。もっと早く出立すればよかったと少し後悔した。

 長吉が生まれた後どうにも備中を離れがたく、出るのが遅れてしまった。家康や父に詫び状も出したのだから、もう出立した方がよいと親成にもおとくにも言われていたのだが、誕生の慶事に沸く成羽の館を離れるのはなかなかに辛いことだった。


「ややこのことは何も心配いりゃあせんで、早よ出んと寒うて行き倒れになりゃあす」
 きよに連日ハッパをかけられ、ようやく重い腰を上げたというのが正直なところだった。
 加えて、親成にもきちんと礼をしたかったのだが、気の利いたことができないかと思いあぐねているうちに見送られてしまった。それも大いに悔やむところである。何とか言えたのは、たった一つだけだった。
「お屋形、もう主従のつながりはいったん反故になってしまうが、一つお願いがござる」
「何じゃ」
「これからは成羽の親父とか三村の親父と呼んでもええじゃろうか。親と思ってもええじゃろうか。わしには二人の父がおると言ってもええじゃろうか」
 六左衛門の精一杯の思いだった。

 一瞬にして親成の表情がゆがんだ。
 何かをこらえるように口を結ぶと、うつむいてしまった。六左衛門が言い過ぎたかと思って様子を伺っていると、親成は顔を上げて微笑んだ。
「もとより、わしはおぬしのことを息子じゃと思うとったけ、ええに決まっとろうが」
 その瞳には涙が滲んでいた。


 徳川家康はその時、伏見にいた。備中の山中にいた六左衛門に事情を把握することは難しかったが、太閤秀吉亡き後の覇権を巡って丁々発止の駆け引きをしていることは容易に想像がついた。

 伏見の往来で耳をそばだてていると、家康が自身の娘や養女を諸大名と婚約させたことで、大層な騒ぎになっている。ちょうど昨年の暮れ辺りに公になり、「大老に全く諮っていない」と石田治部少三成が激怒して、家康の暗殺を謀ろうとしているらしい。
 皆一様に、「また戦になるんやろうな。応仁の乱のようになったら、えらいことや。くわばらくわばら」とひそひそ話をしている。

「あのいとこのやりそうなことじゃのう。火を熾して油をたっぷりとかけるようなもんじゃな。一触即発か」と六左衛門は軽くつぶやく。

 家康とは戦でも平時でもしばしばやりとりをしたが、性格的にはまったく合うところがない。
 しかし家康のほうが相当年上なので、逆らう気にもならない。家康もバカ正直ないとこになら、気を遣わずに話ができる。性格の違いが功を奏し、なかなかうまく調子が合っていた。

 家康の下でならば、わしの働く場もある。
 六左衛門はまず家康の直属として仕官を願い、それから父への取りなしを頼もうと考えていた。あの父は詫び状を見たからと言って、「ああ、おかえり」などとは決して言うまい。家康の近辺を警固して怪しい者をひっ捕まえるほどの手柄を立てれば、すんなりとゆくかもしれない、と六左は思っていた。

 しかし、そう世間は甘くない。
 六左衛門が夜半過ぎ、家康の向嶋の屋敷周りで鑓を持ちうろうろしていたところ、武装した十人ほどの一団がガチャガチャと音を立てて駆け寄ってきた。
「おぬしっ、そこで何をしとるきゃ」
「げっ!?」
 振り向いた六左衛門は、驚きのあまりドタッと後ろにひっくり返った。
 先頭に立つ声の主は間違いなく三河刈屋城主、水野和泉守忠重、すなわち六左衛門の父であった。よくよく見れば、父の後ろに付く者たちも皆見覚えのある顔である。しかし、こみあげる懐かしさは、和泉守忠重の一喝で吹き飛んだ。
「内府様のお屋敷周りを鑓片手にうろついとる者がおるっちゅうて、来てみたらぬしかや、このどたわけがっ。まさか、内府様を狙っとるんではなかろうな」
 六左衛門はひっくり返った体勢を変えられず、必死に弁明した。
「誤解じゃ、親父殿。文は見とらんのかや。わしは内府殿の警固につこうと馳せ参じ……」
 忠重は聞く耳を持たない。周りの者は忠重を止めるべきか迷い困っている。
「文など見とらんわっ、おぬし、誰の許しを得とるんか。十五年もふらふらしとって、この有り様とは情けない、あまりにも情けないぞ。いっそここで叩き斬ってやるわっ!」

 六左衛門は頭の中が真っ白になった。
 いかんで、この親父は本当にやるで。とにかく逃げるしかない。
 素早く身を翻すと一目散に逃げ出した。
「待て、このどたわけがあっ!」
 背後から父が怒鳴るのを、六左衛門は必死に逃げながらもどこか懐かしく聞いていた。提灯に照らされた顔は少し老けていたが、確かに父だった。
「親父は息災じゃ、よかったよかった」
 駆けながらも、口の端がゆるんでくるのは止められない。感極まって駆けながら叫んだ。
「親父ぃ、久方ぶりじゃあ」

 しかし、それもつかの間、六左衛門は途方に暮れたまま寝ぐらにしている寺に戻った。ここには油掛地蔵という有名な地蔵が鎮座している。六左は思わず地蔵に手を合わせてぶつぶつとこぼし始めた。
「親父はわしの詫び状なんぞ見とらんそうじゃ。刈屋におるとばかり思うとったがや。親父に話が通っておらんと、内府殿に仕えるなど夢のまた夢、万事休すじゃ。お地蔵様よ、何とかしてくれまい」
 
 六左衛門は頭を抱えた。しかし、もう退くことはできない。
 こうなったら、内府に直談判じゃ。何とか警護の目をくらまして……といろいろ思案したが、妙案は思いつかない。
 それでも六左衛門は次の日また向嶋に出向き、刈屋衆の姿を認めるとささっと隠れた。それが何日か続いて、さすがに屋敷の門をくぐるのは難しいと思い始めた頃、地蔵様の思し召しか手をさしのべる人物が現れた。

「そこのお方、和泉守のご子息ではないか」
 六左衛門は反射的に身構えた。ただ、見たところ僧形で、穏和な雰囲気である。男は丁寧に名乗った。
「いや、失礼した。わしは山岡道阿弥と申す。貴殿が内府様にお目通りを望まれておるならば、ご助力いたそうかと思うてや」
 六左衛門は耳を疑った。そして、まじまじと山岡という初老の男を見た。
「なぜ、見ず知らずの貴殿がそれをご存じなのか。確かに拙者、父に奉公構を言い渡され十有五年、帰参まかり越した次第じゃが」
 道阿弥はうんうんとうなずいた。笑いをこらえているようにも見える。
「数日前の貴殿と父上のやりとり、向嶋で知らぬ者はおらん。傍から見れば何やら滑稽ではあるが、あのままでは親子ともども不本意であろう。どれ、これから内府様のところに行きますよって」
「これから?」
「さよう。善は急げや」

 この時声をかけた山岡道阿弥はただの坊主ではなかった。山岡八郎左衛門景友、六角氏家臣の山岡家嫡流であり、足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉にも重用され、かつては山城国の守護を任ぜられたほどの人物である。今は家康と誼(よしみ)を通じ、甲賀衆を任されていた。
 ありていに言えば、六左衛門の帰参を耳にした家康が自ら表立って動けないため、代理として現れたのだ。
 いずれにしても、願ってもない申し出である。六左衛門には道阿弥がさぞかし眩しく見えたことであろう。
 油掛地蔵は商売の神様として名高いが、牢人の仕官にも霊験あらたかだったようだ。

 わずかな後、六左衛門は道阿弥とともに家康の前にいた。
 出奔直後に会ったきりだから、やはり十五年近くの歳月が経っている。六左は家康の髪がずいぶん白くなったことに驚いたが、家康も六左衛門の様子を見てその変化に目を見張った。以前のようにヒリヒリするような殺気立った雰囲気はない。

「わしはまだおまえを心底信用する気にはなれぬ。どこかの回し者かもしれぬ」と家康はおもむろに切り出した。その程度の突きならば避けられる、と六左衛門は思う。
「そう思うのは当然じゃ、ずっと西国におったしのう。しかし、わしがそんな細かい謀りごとのできる性分かは内府殿が一番よう知っとるはずじゃ。自分の来た道に言い訳はせぬ。しかし父母にはどえらい不孝をした。今しか帰参の好機はないと思ったんじゃ。それに……」
「それに?」と家康が首をかしげる。
「孫の顔を見せてやりたい」
 家康はかかかと笑いだした。
「わしはおぬしを見とると無性に腹が立つが、その正直さは嫌いではない。それにおぬし、わしの母にも文を書いたろう。母からも仲立ちせいと急っつかれていかんがや。わしが母に頭が上がらぬのは知っておるくせに」と家康がくだけた調子でしゃべる。
「ああ、於大の伯母はわしも怖いで」
「文を方々に出すなど、おぬしの頭で考えつく知恵ではない。この暴れ馬をかように改悛させるなど、おぬしの雇い主は見上げたものだで。毛利に滅ぼされた一族とか」
 さすがはいとこ殿、あらかじめ調べていたのか、と六左衛門は感心する。
「さよう。三村越前守親成殿なくして、今のわしはない」と力強く言い切った。

 部屋を辞するところで六左衛門は、黒く煤けた木像に目をやった。
「あの阿弥陀様はずいぶん昔から内府様が大切にしておった像じゃな」
「そう、わしの守り神じゃ」と家康は何をいまさら、という調子で答える。
 六左衛門は仏像ににじりよって、その顔をまじまじと見つめた。
「久方ぶりに見ると実にいい顔じゃ。わしの息子の寝顔にそっくじゃ。祝いにいただけないかのう」
 そう言うと、仏像をそのまま持ち上げて運ぼうとした。
「た、たわけっ、何を申すか。無理に決まっとるわ」と家康が立ち上がった。
 六左衛門は残念そうに仏像を元に戻したが、家康の機嫌は見る見るうちに悪くなった。

 家康は件の阿弥陀像を誰にも触れさせたことがない。
 高さ二尺六寸の黒く煤けた像は平安時代の恵心僧都の作といわれ、源義経や母の常盤御前に由縁があると言われている。家康は出陣の際は必ずこの仏像を持参し戦勝を祈願していた。勝手に持って行こうとしたら怒るのは当然である。いや、六左衛門でなければ曲者として斬られてしまうだろう。
 阿弥陀像をきれいに置きなおすと、家康は改めて手を合わせた。
「やっと帰ってきたか」

 父の許しを得たらという条件で、六左衛門は家康の側に付くこととなった。同時に道阿弥は親子の仲裁役を請け負った。道阿弥の動きは早い。翌日には和泉守忠重に面会し、数日後に親子と道阿弥の三者で対面することとなった。

 万事が即断即決の風である。あれよあれよという間に、今後の途が決まっていく。

 六左衛門帰参の件に限らず、この時期の天下を巡る情勢の変化は急流のごとく早い。
 この二十日ほど前、片桐貞隆の屋敷に逗留していた家康を石田三成が襲撃しようとしたが、未遂に終わっている。和泉守忠重が急遽京に向かったのも、それを受けてのことであった。その後、徳川方の弁明に赴いた使者の堀尾吉晴が石田三成から門前払いをくらうことになるが、それほど三成の態度は硬化していた。この時点で、家康の身辺は常に危険な状況になっていたといえる。
 変化の急流はただ一点、石田三成と家康の激突へと向かうしかなかった。

 そのまっただ中に六左衛門は放り込まれたのである。親子の仲裁にしても、この時だからこそ迅速に進んだのは間違いない。水野親子が共に付くことは、家康にとっても心強いことだった。

 これでええんじゃろうか。逆に六左衛門は少し不安になった。
「これまで備中の山あいでのんびりし過ぎたか。慣れるのにちぃと時がかかりそうじゃ」
 六左衛門は頬をパシン、パシンと叩いて気合いを入れた。
 ここで帰参ならざれば、送り出してくれた成羽の皆に申し訳が立たん。

 六左はまだはっきりと気が付いていなかった。放浪生活が行き詰まるまで、彼は誰かのために戦おうとしたことはなかった。もちろん、幾多の戦に出て功を上げてはきたが、それは一番鑓の栄誉を得ることが最上の目的で、言うならば「自分のため」だった。しかし、この時の六左はそうではなかった。
 家康も直に六左衛門と対面した後、控えていた本多忠勝に言った。
「暴れ獅子に一本芯が通ったようだぎゃ」
「さようですな。和泉守と首尾よく和解成ればよいですが」と忠勝が心配そうに言う。
「だで、道阿弥を仲裁に立てたんじゃ」
 家康はふん、と鼻息を立てた。

 翌日、和泉守忠重は道阿弥の説得を受けていた。忠重が仏頂面で黙っているのを見て、道阿弥は静かな声で話した。
「私は四男ですんや。はなから坊主になると決まっとりましてん」
 忠重は小さく頷いた。
「わしも九男でござる。内府様の母、於大とも一回り以上違いますで」
「さようか。貴殿もわしも本来ならば家を継ぐなどありえんことでしたな」と道阿弥が笑う。
「はい」
「和泉守殿、あなた様ならお分かりになりましょうが、血を分けた兄が没落する様を目の当たりにし、私は再び僧形に戻ることにしましたんや。はからずも手に入れたこの座は、えろう儚い、苦いものではないでしょうや。それでもわれらはそれを守らねばならぬ」と道阿弥はみずからの来し方を振り返るように話す。

 信長の死後、道阿弥は豊臣秀吉に、兄たちは柴田勝家に付いた。
 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗れて自害し、道阿弥の兄たちも所領を没収され、結局山岡の跡を道阿弥が継いだのである。一方の忠重も同様である。水野家当主だった兄信元は佐久間信盛の讒言により織田信長に切腹を命じられ、忠重が跡を継いだ。

「いささか気性の激しいご子息なれど、あなた様と袂を分かつことなく戻られたのは喜ばしいこと。われわれもそろそろ道を譲ってよい頃合いなんや。今きちんと迎えてやらねば、後悔しますぞ」
 道阿弥の言うことはことごとくもっともである。忠重もさすがに観念する気になった。
「おしなべて道阿弥様のおっしゃる通りにござる。あなた様を仲裁に立てるとは、内府様もよう分かっとるもんだで」
 それでもまだ、表情の硬い忠重に道阿弥は言う。
「和泉守殿とご子息はよう似ておられる。獅子は千尋の谷に子を突き落とし、その器量を量るというが、ご子息は無事戻られたんや。親として、それだけでよいのではないか」
 忠重は道阿弥をまじまじと見つめた。そのまなざしから険は消えていた。
「山岡殿、面倒をかけ申す。なにとぞよしなにお願い申す」

 和解はつつがなく進んだ。
 六左衛門が詫びを入れ、忠重が帰参を了承し、奉公構を解く。
 実際の対面は双方ともぎこちなく、人々に感動を与えるようなものではなかったが、それは仕方がない。戦続きの、天正から慶長に至る十五年の歳月は確かに長かった。

「藤十郎、おぬしは六左衛門の方が通りがよくなってまったがや」と忠重がぽつりと言う。
 六左衛門は叱られると思い首をすくめたが、すぐに平伏して詫びた。
「元服の際に戴いた名を粗末にした。申し訳ない」
 しかし、忠重が叱ることはなかった。
「まあええ。今は何より、風雲急を告げておる。内府様によくよく尽くさんといかんで」
 忠重はそれだけ言うと、杯を一気に飲み干した。

 親父は老けた、と六左衛門は思う。
 酒がやけに苦く感じたのは、後悔の味か。
 忠重はずっと猛き将であった。はるか昔、家康が三方ヶ原で武田勢に大敗を喫した際、家康の影武者を務めて敵に対峙し、生きて浜松城に帰ったのは今でも語り草である。親父はわしが不在の十五年間もずっと戦っていた。その修羅の暮らしが、親父を老け込ませたのか。
 六左は再び深々と頭を下げた。忠重はぽつりとつぶやいた。
「これまで、ええ主君に仕えとったな。わしも礼を言わねばならん」
 忠重は頷くと、道阿弥に告げた。
「内府殿の警固はこやつと共に務めますで、お取り次ぎの向きよろしくお願い申す」


 無事に帰参した六左衛門は家康から新たに三百人扶持をあてがわれ、正式に家康に臣従することになった。そしてしばらくの間、親子ともども伏見に詰め、家康の警固にあたる。
 卯の四月には、見舞のため大坂の藤堂屋敷に逗留した家康を石田三成が襲撃しようとする事件が起こるが、この時も親子で家康を守っている。

 万事うまくいくように思えたが、ここで横鑓を入れるのが黒田長政である。
 伏見城に登城し六左衛門が家康に近侍することに対する苦情を家康に述べ立てた。
「ふむ、しかしおぬしらの黒田家にもおったと聞いておるが」と家康が言う。
「だから申し上げるのでござる。あれほど無礼な輩は見たことがござらん。しかも早々に逃げ出しましてございます」
 まくしたてる長政の話に辟易しつつ、家康は話題を変えた。
「所詮おぬしほどの禄もない。相手にすることもなかろう。さて、内応の件じゃ。どうなっておる」

 その後で六左も呼ばれて、黒田長政の苦情について知らされた。
「まぁ、おぬしの気性はよう分かっとる。手出しをせんかったならええわ。しかし、ありゃあ気いつけた方がええで」と家康が言うほどで、六左衛門にもその様子がひしひしと伝わった。
 あぁ、あやつともこれからは膝を突き合わせていかねばならんのう。

「ははっ、内府殿にご助言いただくとは恐悦至極。長政は才があるで、あのねちっこささえなければ人徳も上がろうかというもの。もったいない奴じゃ」
 家康は六左衛門に同感とばかり続けた。
「元々は父官兵衛への対抗心よ。わしによう尽くすのも父に先んじるためのように映るが」
「はあ、そういうもんかのう。昔はわしも父に刃向こうたが、父は常に先にいるけえな。怖い存在じゃ」
「おぬしと長政は違うわ。だで、なおさら長政はひがむ」と家康もこぼす。
「ひがみ、ひがみじゃ。子供のいたずらと変わらんで」
 家康はかっかっかと笑った。
「おぬしがそう思うておるなら、言うことはない。わしも長政の扱いに迷わずに済む」
 六左衛門はひょうげて家康に問う。
「わしの扱いには迷わんのか」
 家康はニヤリと笑った。
「あいにくと。おぬしには金子二百枚の貸しがあるでや」
「うへっ」と六左衛門は肩をすくめた。

 十五年前に出奔したとき、家康は金二百枚を融通してくれた。
 そのことを言っているのである。六左衛門も忘れたわけではなかったが、もう帳消しだろうと高を括っていた。
 後世に吝嗇家(りんしょくか)として名を残す家康が、それを忘れるはずはない。
 しかし、こんなときに出すとは食えんいとこじゃ。ひとりごちて六佐は小さくなった。



 伏見で六左衛門は家康や実父だけではなく、さまざまな人と会うことになる。
 嬉しいものもあれば、苦い薬のようなものもある。これまでの居候暮らしとは違う新しい世界に名実ともに移ったのである。政治も文化もすべての中心である京都だからこそ、その出会いはいっそう強烈な印象を残すのだともいえる。

「この姫御が誰か分かるか。わしの養女に来てもらったのじゃ」
 家康の言葉に目を向けると、そこにはまだうら若い姫が座していた。物凄い美人というほどではないが、愛嬌のある顔である。
「はて、どこのお家の姫君でござろうか」と六左衛門は見当がつかない、という顔をする。
 家康はかかかと高笑いするが、当の姫君はぷぅとふくれている。六左衛門はまだその理由が分からない。たまりかねたように姫が言った。
「かなです、兄様。血を分けた妹も分からないなんて、あんまりです」
 六左衛門は仰天した。
 かなと言えば、六左初陣の年に生まれた妹ではないか。わしが奉公構をくらった時にはまだ三つぐらいだったはず。
 それが年頃の娘になって唐突に現れ、浅黄に竜胆柄の爽やかな小袖を着て微笑んでいる。
 分かるはずがなかろう。
 そうか、わしはそれほど長く不在をしておったのだな、と妙な感慨を抱く。

 難しい顔をしている六左衛門を、家康が面白そうに見ている。
「かな姫はの、この度わしの養女として加藤清正に嫁ぐこととなった」
 それは聞き捨てならない、と六左は目をむいた。
「なに、あんな馬面の熊のような男にか。それにもう結構な年ではないか。かなはそれでよいのか。嫌なら断ればええんじゃ」と急に妹を思う兄の態度になった。
 しかし、かなは何を言っているのだろう、ぐらいの顔をしてすましている。
「はい、嫌ではございません。清正様は勇ましきこと比類なきお方でござりますゆえ」
「ああ、それは確かにな。もう会うたのか」と六左衛門が問う。
「はい、私がお願いしました。兄様も一時、仕えておられたそうですね。水野藤十郎忠則、いや流れ牢人の六左衛門の妹君かと、それはそれは懐かしんでおられました。あの短気さえなければよいのにと……」
「余計なお世話じゃ」
「それに、兄様が娶られた備中の姫様、私と変わらない年だというではないですか。熊だの何だの、それこそ余計なお世話です」と鋭い切り返しを見せる妹である。
「のう、かなは於大の方、伯母上にずいぶん似てきたのう」
 家康はくくくと笑った。
「さよう、わしの母御にそっくりな喋り方をする。水野の女子は強いで。油断すると返り討ちにあう」
「まあ、ずいぶんなおっしゃりよう」
「だからこそ、清正の嫁に選んだのじゃ。しずしずとした娘では難しい」と家康は真顔で言った。
 かなはにこやかに宣言する。
「内府様、ご覧になっていて下さいましね。かなは清正殿を、必ずや徳川一の忠臣にしてみせまする」
「その意気やよし」
 家康がポンと膝を叩いて喜んだ。無論、家康には考えがあって決めた縁組みだ。清正の正室は亡くなったというから、縁談としては真っ当であるが、大名同士の縁組みが禁じられている時である。そのような事情を知ってか知らずか、素直に嫁いでいく妹を六左衛門はいじましく思う。
「かなが自分で決めたことならば、不肖の兄は何も言うことはあるまい」

 かなは、強くうなずき、六左衛門の顔をじっと見た。
「兄様、お会いするのは十五年ぶりですので、お顔なぞもう忘れておりましたが、こんなに親しく話せるのはなぜだろうと、先ほどから不思議に思うておりましたが、今分かりました」
「ほう」
「兄様は姿も声も父上にそっくりです」
「確かに、忠重に似ておるわい」と家康もうなずく。
「……そうか。似ておるか」
 六左衛門は頬をなでて感慨にふけった。
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