水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽

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居候、成羽の水に馴染む

居候、婿入りを打診される

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 おとくが九里離れた先祖の墓参に赴き、六左衛門はあまり有能ではなかったものの、供をつとめた。

 翌朝、親成は起きてきた六左衛門に尋ねた。
「どうじゃ、おとくの脚の傷は」
「数日安静にしていればよくなりましょう。あの娘、九里を半日で歩きましたぞ。見上げたものです」と六左衛門はおとくをほめた。
「あの娘ならやりおるわ。数えの十一で美作から成羽まで来たんじゃからのう。しかし、今更墓参などと。豊姫が逝ってもう大分経つが、なせ急に思い発ったのか」
「……おさん様の病が本復するようにと」
 親成は手を打って、「そうか」と声を上げた。
「合点がいった。おまえでなく、わしが行くべきじゃったのう」と親成が頭に手を当てる。
「いや、親父殿ではおとくの速さについていけませぬ」
 親成がむっとしかめ面になるのを六左衛門は笑顔で受け止めて続ける。
「いや失敬、それだけではございません。おとくは、芳井村も見ておきたかったようで」
 親成は大きく頷いた。
「それは分かっておった。芳井は藤井一族の地じゃが、おとくは行ったことがないんじゃ」
「ふるさとなんですな」
「ふるさとではちぃと軽いな。六左、わしらにとって生来の地というのは大切なものなんじゃ。西国は皆そうじゃ。あれだけ勢力を広げた毛利にしても、安芸が本拠地であることに変わりはない。その辺り、領地を頻繁に変える信長公や秀吉公らと違うのかのう」
 確かに信長は少し異質かもしれないと思う。

 六左衛門は昔、一度だけ信長とじかに対面したことがある。父水野忠重が三河刈屋十万石を任された時に随伴し、その姿を拝したのである。あの頃の信長は孤高の支配者であった。まだ少年の六左衛門は猛烈に信長に心酔し、婆娑羅者(ばさらもの)、かぶき者のなりをしていたこともある。なりだけではなく行動もである。ふと、親成に聞いてみたくなった。
「お屋形様は天下を取りたかったか」
「何じゃ、やぶからぼうに」と親成は六左をじっと見る。
「いや、他意はございません。知りたいだけで」
 親成は筆を置いて、六左衛門を見た。
「今はもちろん、昔でもわしには無理じゃ。身内を補佐し国や民を守るのが天命じゃとずうっと思ってきた。まぁ、それがわしの器っちゅうやつじゃ」

 三村親成に自身の立身出世を望む欲の匂いはない。身内から裏切り者と憎まれ謗られ、毛利に膝を屈しても備中の小さな領地を守ったのは、ひとえに一族への忠義からではないか。

「それもいいな」と六左衛門があごをなでて笑う。
「何がじゃ」
「信長殿のような孤高の王は男として憧れるが、わしには向かんわ」
「今頃分かったか。おぬしは人よ。鬼にはなれぬわ」と親成も笑う。
 鬼にはなれぬ、か。六左衛門はふっと笑う。「自分を鬼だと言うのなら、鬼になりきれ」とおとくは言っていたが、初めから、鬼になる器量もなかったんじゃ。
 親成は思案顔の六左を見て言った。
「しかし、おぬしには他の者にはない美点がある。一瞬で人をひきつける。裏表もない。じゃけ、人が寄ってくる。短気ゆえ敵も作るが、強いから問題ないのう。明快じゃ」
「あほう」と叱られるのが常なので、六左は少し照れた。
「お屋形、雪が降ります」
 親成は扇子を取り出し、パタパタとあおいだ。
「ああ、皐月でこれほど暑いと雪が恋しいわい。いやはや、おぬしもおとくもわしには子も同然。おぬしはまだ道を定めておらぬようじゃが、おとくには、しっかりした婿を取って、藤井を継がせる。それが能登守皓玄の遺志でもあるからな」
 親成のその話に全く異存はなかったが、六左は何か胸の奥がズキンと痛むのを感じた。
 しかし、その痛みの正体について、その時は深く考えることはなかったのである。


 地震の年を越した一五九七(慶長二)年、秀吉は再度の唐攻めを実行した。この時は親良が成羽勢を率いて毛利輝元軍に合流し肥前名護屋に向かっていた。
 そのとき、親成は六左衛門に成羽の守りを命じた。
 彼は最前線で戦うと考えるのが自然である。しかし、西国の領主が勢揃いする場である。六左衛門の前の雇い主たちと諍いが起こらないとも限らない。黒田長政には非常に恨みを買っている。
 もとより奉公構である。賢明な判断であった。
 六左衛門はこれだけの大戦には何を置いても参陣を果たしたいと抗議するかと思っていたが、そうではなかった。
「前の唐攻めもそうでしたが、ちぃとも気ぃが乗りゃあせんのです。親良殿には言えませぬが」と六左衛門は言いづらそうに告げる。
「わしにもあまり言うて欲しゅうない。しかし、この戦は先が見えないだけに難しい。朝鮮を占領したら次は明国か。前の戦いでその難しさは十分分かったはずじゃろうに」

 親成が六左衛門を残したのには、他にも理由があった。
 この頃になると成羽の民にも鬼の六左は随分有名となっていた。もっとも鬼というのは成羽を荒らす者たちに対してだったので、これは一種の愛称であった。子どもも六左衛門を見ると、わいわいと近寄るほどである。
 親成が感心したように言う。
「しかし戦に乗り気がしないなどと、鬼六左がつぶやくとはのう。夏に雪が降るわ。戦がないとつまらないのではなかったか」
「戦がないのも悪くはありませぬ」
 すねたように六左衛門が言い、親成ははっはっはと笑った。
「おまえは変わったのう。こんな片田舎で退屈なんじゃと思うたが」
「片田舎にも学ぶべきことは多くありと存じます」と六左衛門はつぶやく。

「そうか、ならばおさんをおまえにやってもよいぞ」と親成がまじめな顔で言った。
「は」と聞きかえす。六左衛門は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。
「それがしは荒くれた牢人ですぞ」
「そうじゃな」と親成がうなずく。
「気が短くて手に負えませんぞ」
「だいぶましになったがの」
「こっそり抜け出して遊女屋に行っております」
「知っとるわ。ほどほどにせい」
「おさん殿は……いくつも縁談を断られたと。わしが相手などとは承知しないはず」
 六左衛門は前におさんと一夜を共にしたことを親成が知っているのではと、おどおどして答えた。
「おさんには聞いとらん。じゃが、あれはおまえを好いとるよ。それは見ていればわかる。おまえは好きな女子がおるんか」
「それは……とりたててはおりませぬが」と六左衛門は曖昧に答える。
「まぁ、気長に考えてくれんかいの。今は戦で大変なときじゃ」
「ははっ」

 おさんは三村本家の血筋、縁組みするとはすなわち三村家を継ぐということになる。六左衛門はその意味の重さを改めて感じた。それを望んでいる親成の心を思う。
 成羽の地は本当に自分に合っていると思う。水が豊かで人々は穏やかである。一生この地で過ごしてもいいと思う。しかし、自分が親成の信頼に足る男であるのか。自らの生家をどうするのか。六左衛門は思い悩んだ。いちばん重要な点は別にあった。もしこの時、彼がおさんに惚れていたなら、二つ返事で婿入りしただろう。

 おさんは美しい。美し過ぎるほどである。
 もし、病を得ていなければいくらでもいい縁談が来ていただろう。
 ただ、六左衛門はおさんに惚れてはいなかった。あくまでも主家の姫君として見ているのである。
 そして、おとくに対してはまた違う感情を持っていた。
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