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居候、成羽の水に馴染む

おとくのひとり旅、六左衛門見守る

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「私の亡き伯母、豊姫様の墓参にゆきたいのです」

 おとくが親成に願い出たのは初秋のことであった。

 豊姫はおとくの父、小坂利直(藤井好恒)の姉である。すでに鬼籍に入って久しいが、もの静かな女性で常日頃からたいへん信心深く、特に天照大神を篤く信仰していたと伝えられている。
 おとくの父、藤井好恒は、備中から備後にかけて活躍した猛将、藤井皓玄(こうげん)の末子である。藤井氏はもともと有力な豪族で、この地域で勢力を持っていた。しかし、旧来の守護・地頭の制度が下克上の戦世で有名無実のものとなると、皓玄はじめ藤井一族もまた、毛利と一戦を交える羽目となってしまった。一族郎党が戦死、離散の憂き目にあったのである。その後おとくの父は三村家、美作の小坂家に世話になり、医師となったのだった。

 豊姫についてはこんな逸話がある。
 
 姫の父、皓玄は備後神辺城の攻防戦の末に命を落とした。
 そのときに兄弟もことごとく討ち死にし、自刃に追い込まれている。
 残された豊姫は奈落に落とされた。彼女はひどく嘆き悲しみ、間もなく重い病を得た。消渇(しょうかつ)の病である。これは今で言う糖尿病とされるが、姫の症状は婦人病の症状も出ていたという。容態は急激に悪くなり、起き上がることすらできなくなった。
 自分はもう長くないと悟った豊姫は周囲にひとつの願いを告げた。自分が儚くなったら小さな祠を作ってほしい。私は消渇の病から逃れられずに逝くが、もし同じ病の人が私に頼ってくるのなら、その助けになりたい。

 その願いを告げて間もなく、姫はこの世を去った。姫の墓の脇にはその願いの通り、小さな祠が建てられた。その土地、高屋をはじめ備中西南部の人々は――表立って口にしないものの――旧領主である藤井一族の運命に深い同情の念を持っていた。したがって豊姫の墓と祠は大切に保護され、いつしか婦人病や不妊に悩む者が続々と訪れるようになった。後世ここに「消渇神社」が建立されることとなる。

 おとくが訪れたいと告げたのは、そこである。
 父好恒に以前から話を聞いていたが、おさんの病の回復を祈願するために参ろうと発心したのである。もちろん、自分の一族が平和に暮らしていた頃を思い、祖霊に手を合わせたいという希望を強く持っていただろう。それほど遠くないとは言っても、徒歩(かち)立ちでは行き帰りに一泊かけなければいけない。
 おとくにとっては初めての一人旅である。皆には墓参とだけ告げてそっと出ようとしたが親成が大仰に心配した。もちろん、おとくの気持ちはわかっている。
「備中南部は元々藤井の領地じゃけぇ、行きたいのはよう分かる。しかし」
 同じ備中国とはいえ、馬がなければ日帰りすることはできない。人気のない道が多く、道中は昼でも物騒である。女子一人で行くのは危険だと親成は心配した。
「六左、親良、おとくについてやってくれ」
 おとくは仰天した。一人で行かなければ意味がない。それに、おさんの思い人である六左と行くなどとんでもない。おさんが余計身体を悪くしてしまう。

「いいえ、後生ですから一人で行かせてくださいませ」
 おとくは譲らなかった。
 普段はこれほど強情を張ることかない。何か思うところがあるのかもしれぬ。親成はそう考えた。おとくの墓参を許可したが、内緒で六左衛門を付けることにした。

「わしゃ、こっそり護衛するなどようせんけえ、同道するわけにゃいきませんかのう」と六左衛門はごちる。
「あほぅ、おぬしの世話をしてくれとるのは誰じゃ。だいたい、おぬしはいつも……」
 六左はばっとひれ伏した。
「あいわかりましてございます」
「それでよい」と親成が言う。

 おとくは朝早く出立した。
 成羽から高屋までは備中往来が通じており、距離は九里ほどである。高屋の少し手前で西国街道に合流するため、比較的人の多い道ではある。ただ、女子の足では一日でたどり着くかどうかというところである。気づかれぬよう六左衛門はその後に続く。やはり、気が急いているのか、おとくの足は早くわき目も振らない。六左は長く歩くのは久しぶりで、見失わないようにするのが精いっぱいである。
「やきが回ったもんじゃ」と六左衛門は軽く息を切らせている。
 おとくは成羽川から分岐した道を南に進む。十間ばかり後ろからその姿を見て、六左衛門は目をしばたいた。

 子供と思うておったが、もう立派な娘じゃ。お屋形が心配するのも無理はない。一人で旅なぞさせてはいかんな。

 おとくは昼までに六里を進んだ。芳井村の手前で木陰の岩に腰掛けようやく休憩である。と思ったら持参した握り飯を口にした後、おとくはすぐに歩き出した。腹が減っていた六左衛門は近くの茶屋で何か食べようとしていたが、あきらめて追いかけなければならなかった。
「飯ぐらい食わせてほしいもんじゃあ」

 六左衛門はぶつぶつとつぶやいた。すると、おとくが急に辺りを見回した。まずい、見つかったかと木陰に身をひそめたが、そうではなかった。おとくは道行く農夫に何かを尋ねていた。
「そうですか、ここが芳井村……」
 おとくの言葉だけ、妙にはっきりと六左衛門の耳に届いた。農夫が去った後もおとくはしばらく人里の方を眺めていた。

 それでも高屋には夕刻前に着いた。質素な造りの宿が宿が何軒か並び、年配の客寄せが手を擦っておとくに話しかけている。あまり有能ではない追尾者はハラハラして見ていたが、無事に宿屋に入った。六左衛門がほうっと胸をなで下ろすと、客寄せが側にやってきて耳打ちした。
「お侍さま、三村様のご家来でござりましょう」
 六左衛門はぎょっとして、客寄せを見た。
「何で知っとる」
「お嬢様とご家来が高屋で宿を取るからよきにはからえと、昼前に早馬の飛脚が」
 お屋形の差配か、わしがおる要がないではないか。親馬鹿というのはこのことじゃ。六左衛門が苦笑していると、客寄せはきっぱりと言った。
「あなた様のお部屋もとってございます。夜は外出をお控えいただきますので悪しからず」
「それもお屋形の……」と情けない顔で聞く。
 客寄せは頷いてニヤリとした。
「旦那、信用されとらんのですなぁ」
 六左衛門は苦りきった顔で宿に入った。

 翌朝、まだ日も明け切らぬ時分に宿の主に叩き起こされた。
「旦那、起きて下さい。お嬢様がお発ちになりますけぇ」
「何っ、そりゃいかん」
 六左衛門は猿股一丁である。がばっと飛び起きて、そそくさと衣服を身につけて帯をぎゅうと締め、刀と脇差を差した。
「宿代じゃ。それはそうと、朝飯は食えんかいのう」
 宿の主は金子と引き替えに竹皮の包みをぽんと渡した。
「道中、お召し上がりください」
 六左の顔がぐにゃりとほころんだ。
「かたじけない」と包みを抱えて、六左衛門は駆けた。

 高屋の宿場から豊姫の墓所までは二里ほどある。おとくにすぐ追いついた六左衛門はむしゃむしゃと握り飯にかぶりつきながら歩いた。行儀悪いことこの上ない。おとくは昨日より少し歩くのが遅いようだ。心なしか右脚を引きずっているように見える。
「痛めたのか」
 小さくつぶやいた。すぐ声をかけてやりたいが、できない。今にも飛び出していきそうになるのを、六左衛門はこらえた。これはおとくひとりの旅なのだ。

 おとくは脚を引きずりながらも、豊姫の墓所にたどり着いた。祠には花や線香が多く手向けられており、すぐにそれと分かるようになっていた。まず水場から桶を運び、回りの葉や土を細々と拾う。持参した布できれいに拭き掃除をして、線香を手向けた。
 六左衛門はそのきびきびとした動きを、まるで舞を鑑賞するように木陰から眺めていた。そして、おとくが手を合わせているのに合わせて一礼をし、ともに手を合わせた。

「伯母様、親きょうだいを亡くされ、ご自身も病でさぞ苦しまれたことでしょう。どうかどうか、安らかにお休みくださいませ。そして、どうか、どうか、私の主、おさん様の病を治して下さいませ。そして……」と少し間を空けておとくはきっぱりと言った。
「藤井の血を私がきちんと継げるよう、見守って下さいませ」

 六左衛門はそれを聞いて、頬を平手でぱんと叩かれたような衝撃を受けた。この娘はおさんの病本復を祈願するために来たのか。先祖に誓いも立てて……。

 おとくの心根の清らかさを見た気がして、六左衛門は神妙に手を合わせた。
 人の気配に気づいたおとくが後ろを振り向いた。六左衛門が手を合わせているのを見て、驚いた。しかしどことなく微笑ましく思えて、クスリとした。
「六左様」
 そう呼ばれて、六左衛門は慌てふためいた。
「あ、や、これはその」
「お屋形様に言われたのですね」とおとくは無邪気に笑う。
「うむ」とばつの悪い気分で答える。
 おとくに叱られるかと思ったのだが、それほどきつい口調ではない。
「六左様もお参りして下さったのですね。ありがとうございます」
 礼を言われて、六左衛門は気恥ずかしくなった。
「おさん殿のためじゃったんか」
「はい。伯母はきっとおさん様の苦しみをわかって下さるはずですし、私の伯母ですから、きっとお聞き届け下さると思いました」とおとくは素直に喋る。
「うむ。よう頑張ってここまで来たのう。わしも頑張ったが」
 くすくすとおとくが笑った。一人旅で張りつめていた気がほぐれたのだろう。
 年頃の娘というのは、些細なことでよう笑う。子供でもなく、艶かしい女でもない。不思議な生き物じゃ。

 六左衛門は思った。
 元服して以降は戦続き、女は覚えたが当然相手は玄人や年増ばかり。出奔しなければ、どこかの大名の娘を娶って落ち着いていたかもしれぬ。しかし、放浪するようになってから、女との縁は格段に増え、情を通じた数はかなりのものだった。他所からやってくる荒々しく逞しげな男というのは、どうも女の好むところらしい。ときには、逗留先でその家の娘と懇ろになり主と刃傷沙汰になったり、後家のすまいに転がり込んだら夫が突然戻り袋叩きになったこともあった。
 いろいろあったが、それぞれ佳い女だった。

 いま、三十路も半ばに差し掛かろうというこの頃、六左衛門は以前ほど女に執心しなくなっている自分に気が付いていた。おさんが自分を好いていてくれることは分かっているが、本気なのか量りかねて、距離を置いていた。もともと主従なのでそれは造作ないことではある。男女の機微というのは難しい。肌を合わせた夜のことも、過去の話になりつつあった。
 申し訳ないことだが、わしはおさんに惚れとらんのじゃの。
 そんなことを六左衛門はとりとめもなく思った。女の情というのは、時々うっとおしいが、おとくのように無邪気なのはよい。年の離れた妹のようで何も気を遣わずに済む。

 ただそれが、欲得のない純粋な好意であるということに彼はまだ気づいていなかった。

「脚は痛むのか」と六左衛門が尋ねる。
「はい、少し」
 足袋を脱がせてみると、まめがつぶれて血がでている。
「こりゃ痛いのも道理じゃ。どこかで馬を借りてやろう。それまで、ほい」
 六左はしゃがんでおとくにおぶさるよう促した。
「だめです。歩けますので」
 この言葉を、六左衛門は乙女の恥じらいと受け取ったが、それだけではなかった。おとくはおさんに遠慮したのである。
 とは言え、帰路を歩き通すのは難しかったので、高屋の宿場で馬を借りていくことにした。これもおとくには難儀だった。六左衛門の腰につかまらなければならない。仕方がないので、帯をつかんでいると六左衛門が怒鳴る。
「帯を掴むな。刀が外れたら危険じゃっ」
 しぶしぶおとくは彼の腰に腕を回す。すると馬は駆け出し、瞬く間に村を後にした。
「この分なら、明るいうちに十分成羽に着く」
 確かに馬は人より早かった。

 そして、また芳井村の辺りまで来た。きのう、おとくがしばらく立ち止まっていた場所である。六左は馬を止めておとくに声をかけた。
「おとく、この村に用があるのか」
「用はないですが、下りてもいいですか」
「ああ」
 おとくはまだ脚を引きずっていたが、ゆっくり歩いて村が見渡せる高台に出た。
「ここが芳井村、藤井の一族が備中に来て初めて住んだ土地なのです」
「そうか」と六左衛門がうなずく。
「ここから藤井氏は勢力を広げ、私の祖父、藤井皓玄が高屋城、正霊山城主となり、続いて備後神辺城の杉原氏の家老を務めました。そこが頂点でした。杉原氏の家督相続に毛利が口を出してきたことで、家中はバラバラになり祖父は家老を辞して巻き返す時機を待ったのです。それも十年も。そして神辺城が手薄になった時に城を攻め落とすことに成功したのです。でもそれは長くは続きませんでした。毛利方の将の反撃を受け、結局私の父、好恒だけを残し後は皆自刃したのです。その後も毛利方の詮議が厳しく、一族郎党が散り散りとなりこの地に戻ることは叶いませんでした」

 おとくの生家の話は、きよが少しだけ語っていた。しかしおとく自身が語るのを聞いたのは、初めてのことだった。そうか、おとくが三村家に奉公に出たのも、そのような、一家を滅ぼされた生き残りという事情によるものなのか。六左衛門は改めておとくを見た。藤井が備後神辺城の主としてい続ければ、おとくは姫様として大事にされていたに違いない。それが、母を亡くし、小さいうちに奉公に出なければならないとは。
 それでも、おとくにそんな影は少しも感じられない。くるくるとよく働き、真冬の早暁に嬉々として麦踏みにいく素直な娘である。

「それで、おとくの父上は小坂を名乗っとるんか」
 おとくはこくりとして、愛おしげに藤井家の地を見つめていた。六左衛門は中途半端な慰めもかけることができず、ただただ黙っているしかない。
「私の父は、いつか芳井に戻るのだと常々申しておりましたが、まだまだ無理なのでしょう」
 豊姫の墓前で藤井家の再興を願うおとくも、また戦の犠牲者なのだ。

 乱世はいつまで続くのか、やはりどこかでケリをつけねばいかん。
 わしの曖昧な客分という立場もだが――六左衛門は強く思うのだった。
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