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放浪者六左衛門、三村家の居候になる
田植え踊りにややこ踊り 六左衛門の帰参
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六左衛門が親成のもとを去ってふた月ほどが過ぎようとしていた。
成羽は正月を迎えた。
近在の民が三村屋敷を訪れ新年のあいさつを述べている。屋敷の周辺や寺社では例年、獅子舞や猿回し、地元の民による神楽などが興を競い賑やかである。特に今年は、京都で人気を博した『ややこおどり』の阿国一座が旅路の途中で成羽を訪れ、興行を張ることになっているため、他の庄からも噂を聞きつけて大勢の人がやってきていた。
この賑やかな正月に六左衛門の姿が見えないことは、三村家の面々には寂しいことだった。
特におさんは部屋に引きこもっているばかりで、なかなか外に出てこない。おとくが御節の膳を部屋まで運ぶものの、箸もほとんどつけない。気鬱の原因は逃げた居候であろうと容易に想像がつくが、それをおとくが言うわけにもいかないので、ほとほと対応に困っていた。
そんなさなか、三村屋敷に異装の一団が現われ、あいさつに踊りをさしあげたいと言上した。
異装というのは奇抜なわけではなく、真冬にも関わらず田植えの格好をしていることであった。
「おお、田植踊りか。今年は式年ではないが舞ってくれるのか」
親成は嬉しそうに一団を招きいれた。
田植踊りというのは伝統的な神事の際に演じられる、この地域ならではの芸能である。この辺りは神楽が盛んで毎年の荒神神楽、さらに式年という特別な年には何日間にも渡り神楽が奉納される。荒神神楽は天の岩戸に大国主命(おおくにぬしのみこと)の国引に素戔男尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治、はるか昔から変わらない定番の演目である。
『田植踊り』は神楽での締めの演目で、面をつけた男たちがひょうきんに田植えを模した舞を派手な動きで踊る。神様がさんざん出たあとで田植えというのがひょうげていて人々にとっては面白いのである。
親成たちは他の観客とともにその踊りを見ていた。
それが終わった途端、面をがばっとはがして親成の前に進み出た男がいた。
六左衛門である。親成は突然のことに、ぎょっとした顔をした。
彼はひたすら頭を地に付けて、言う。
「この度は拙者の短気ゆえ取り返しのつかないことをしてしまい、心より猛省しております。全く図図しきことなれど、今後心を入れ替えてお仕えする所存にござれば、帰参の段何卒お許しいただきたくまかり越しました」
すると、同じく田植え踊りを舞っていた炭焼人夫の長八が親成の前に進み、ばっとひれ伏して言った。
「三村の殿様、どうか六左衛門をお許し下さいますよう、わしからもお願いいたします」
親成には事態が飲み込めない。
「いったいどういうことじゃ」と話を促した。
一ヵ月半ほど前、長八が薪を拾うために山に入ったとき、岩屋で腹を抱えて唸っている男を見つけた。髭ぼうぼうの来たきり雀ではあったが、長八は村外れで見回りをしている六左衛門を幾度も見ていたので、すぐにそれと分かった。
月見の刃傷沙汰については親成がすぐに口止めしたため、城下に知る者はごくわずかだった。当然長八が知るはずもない。
六左衛門はとりあえず長八の家に連れていかれ手あつい看護を受けた。食あたりに寒さが加わり動けなくなったのだろう、と医者は言った。大したことはないと言われたものの、よほど体力を消耗したのだろう。快癒したのは七日後だった。
病人は目を覚ますなり助けてくれたことへの礼を告げ、自分の首に褒美がかかっているだろうから、斬りたければ斬ってよいと告げた。
「ほう、首に。そんな話は聞いたことないのう」と長八はつぶやいた。
とぼけているわけではない。本当に聞いたことがなかったのである。
「こんな薄汚れた首に金子は出んじゃろ」
長八の痩せぎすの妻、しのがからかい気味に言った。笑う長八夫婦に面食らった六左は不機嫌な顔になった。
「薄汚れていて悪かったな。首は洗えば済むこっちゃ」と拗ねてみせる。
長八は少しむっとして返す。
「どあほっ、せっかく元気になったもんをいらうかい。猪やキジなら食らうがの」
六左は再び平伏した。
「かたじけない」
長八の家でしばらく世話になる中で、六左は何度も家人に聞き返したが、おたずね者の布告は全く出ていないようだった。あまりにくどいので、いらいらした長八が炭を投げつけたこともあった。しかし、仔細は知らなくても六左衛門が何かやらかしたのだろうということは誰にでも分かる。
長八は言った。
「おまえさんは何か粗相をしたんじゃろうが、三村の殿様はお咎めなしとしたんじゃろ。探してもいないようじゃけぇ、自分で決めろっちゅうことじゃなぁ」
六左は全くその通りだと思ったが、自分のしたことを考えると、のこのこと帰参する気にはなれなかった。
「おまえさんはまだまだ働けそうじゃから、炭焼きを教えてやってもええがのう。まぁ、自分で決めることじゃあ」と長八が炭を束ねながら言う。六左衛門も見ようみまねで束ねるのを手伝っている。
それでもまだ悩んでいた六左衛門に、長八が助言を与えた。
「わしら、正月には三村様のお屋敷にあいさつに伺うけん、その時に一緒に行ったらええ。ただ、のこのこ行くのも何じゃのう。うーむ」
思案の末に出た結論は、式年神楽の時にしかやらない『田植踊り』を舞うことであった。それならば屋敷にもすんなり入れる。ひょうきんな演目であるため、皆が笑う。その時にすかさず帰参を願い出ればいい。そのような場で叱責や拒絶は人情としてしづらいものであろう。
長八はここに至るいきさつを語り終えると、改めて親成に言上した。
「六左は炭焼きのみならず『田植踊り』を繰り返し学び、十分人前に出せるほどの芸になりましてございます。次の式年神楽にはぜひ出てほしいと思っとります」
長八の言葉に、親成は思い切り笑った。
「ハッハッハ、長八よ、いくらでも六左を出すけ、持っていくがええ。そなたの考えは見事にはまっとるぞ。行き倒れの家人を篤く看護してくれたこと、心より感謝申す」
家人?
六左衛門はバッと顔を上げ、親成の顔を見た。
「お屋形様……ありがとうございますっ」と頭が地面に付くほどひれ伏した。
「今後、よくよくわが家に尽くしてくれい」と親成が言葉をかけた。
そのようすを見ていたおとくときよは、すぐにおさんの部屋に駆けていった。
六左衛門はお咎めなしで許されたのである。
彼が去り際に言った本名は、本人の意向でお蔵入りとなった。
相変わらずの水野六左衛門である。
帰参が成った六左衛門は、正月の賑やかな雰囲気も相まって、心底愉快になった。もちろんバツの悪さはあるから控えめにはしていた。そこで、さっそく評判の阿国一座を見たいという親成の供をしていくことにした。そこはすでに黒山の人だかりである。とはいえ領主が来るというので席はすでに用意してある。
その側に立っていると六左衛門に突然声をかけた者があった。
「あなた様、もしや?」
一座の女がいきなり六左衛門に話しかけてきた。
芸事用の化粧をしているため、はっきりとは分からないが二十代半ばぐらい。美女というよりは愛嬌のある面立ちである。その顔に覚えはなかったものの、六左はひやりとした。
またどこかで何かまずいことをしていたたのだろうか。せっかく帰参を許されたばかりなのに、まずいことになった。女は六左がぎょっとした顔をしているのを見て、いたずらっぽく笑った。
「申し遅れました。私はこの座の看板を任されております、阿国(おくに)と申します。あなた様は十年ほど前に、京におられましたでしょう。無頼無双の藤十郎様とおっしゃいましたか」
六左衛門は頭を抱えた。
よりによって、無頼無双の藤十郎ときた。自分が一番やけのやんぱちだった頃である。やっと帰参した日に、そんな話をしてくれるのか。しかし、女はそれ以上無頼云々の過去を並べ立てるようなことはしなかった。「それぐらいわきまえております」といわんばかりである。
「あの頃は私ども、まだ大きく勧進興行を張れる座ではございませんでしたが、今は出雲大社のお許しを得て、禁裏やお武家様にもごひいきをいただき日々精進しております。あの頃は藤十郎様のようなイキのいい男衆を見て惚れ惚れし、そんな役のできる男を探しておりましたが、なかなかおりません」
まずい、どの辺りがイキのいい男衆の根拠なのか、何が出てくるか分からない。六左衛門は必死に話題を変えた。
「ああ、わしのことはええわい。しかし、禁裏に武家もひいきとは立派なことじゃのう」
そう言いながら、六左衛門は汗をかいていた。
この女はわしが何かするのを見とったんか。
そう言えば昔、わしと酔っ払いの喧嘩から都合三十人ほどで乱闘騒ぎになったことがあった。一人二人お陀仏になったようじゃったが。あれはかなりまずかった。しかし、この女と何かあったことはない……はず。
あれこれ思いを巡らせて言葉少なになる彼の様子を気にもとめず、女はもう背を向けようとしていた。そして、六左衛門を見返し、一座の長の貫禄たっぷりに言った。
「さきほどの田植踊り、まことに見事でござんした。今度は私どものおどりをお楽しみくださいませ」
三味線と謡い手に合わせて、女性二人がひらひらと蝶のように舞う。着物の袖が羽のように舞い、本当に美しい。
身は浮草よ根を定めなの君を待つ去のやれ月の傾くに
小夜の寝覚めの暁は飽かぬ別れの鳥も鳴く
朧月夜の山の端に名残り惜しやつれなや
ううはらはらおろといづれたが情ぞ村雨
しはく船かや君待つは風をしづめて名のり会をと
花も紅葉も一盛りややこのおとりふりよやみよや
いとしないとしなさて若衆はな四方の山々木の数なをいとし
艶やかな「おどり」は一同を魅了し、成羽の正月に彩りを添えるものとなった。
貫禄たっぷりの座長、阿国はしばらくのちに、これまでになかった新しい芸能を生み出すのである。
→引用 「ややこおどり」 出雲のおくに―その時代と芸能 中公新書 小笠原 恭子著
成羽は正月を迎えた。
近在の民が三村屋敷を訪れ新年のあいさつを述べている。屋敷の周辺や寺社では例年、獅子舞や猿回し、地元の民による神楽などが興を競い賑やかである。特に今年は、京都で人気を博した『ややこおどり』の阿国一座が旅路の途中で成羽を訪れ、興行を張ることになっているため、他の庄からも噂を聞きつけて大勢の人がやってきていた。
この賑やかな正月に六左衛門の姿が見えないことは、三村家の面々には寂しいことだった。
特におさんは部屋に引きこもっているばかりで、なかなか外に出てこない。おとくが御節の膳を部屋まで運ぶものの、箸もほとんどつけない。気鬱の原因は逃げた居候であろうと容易に想像がつくが、それをおとくが言うわけにもいかないので、ほとほと対応に困っていた。
そんなさなか、三村屋敷に異装の一団が現われ、あいさつに踊りをさしあげたいと言上した。
異装というのは奇抜なわけではなく、真冬にも関わらず田植えの格好をしていることであった。
「おお、田植踊りか。今年は式年ではないが舞ってくれるのか」
親成は嬉しそうに一団を招きいれた。
田植踊りというのは伝統的な神事の際に演じられる、この地域ならではの芸能である。この辺りは神楽が盛んで毎年の荒神神楽、さらに式年という特別な年には何日間にも渡り神楽が奉納される。荒神神楽は天の岩戸に大国主命(おおくにぬしのみこと)の国引に素戔男尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治、はるか昔から変わらない定番の演目である。
『田植踊り』は神楽での締めの演目で、面をつけた男たちがひょうきんに田植えを模した舞を派手な動きで踊る。神様がさんざん出たあとで田植えというのがひょうげていて人々にとっては面白いのである。
親成たちは他の観客とともにその踊りを見ていた。
それが終わった途端、面をがばっとはがして親成の前に進み出た男がいた。
六左衛門である。親成は突然のことに、ぎょっとした顔をした。
彼はひたすら頭を地に付けて、言う。
「この度は拙者の短気ゆえ取り返しのつかないことをしてしまい、心より猛省しております。全く図図しきことなれど、今後心を入れ替えてお仕えする所存にござれば、帰参の段何卒お許しいただきたくまかり越しました」
すると、同じく田植え踊りを舞っていた炭焼人夫の長八が親成の前に進み、ばっとひれ伏して言った。
「三村の殿様、どうか六左衛門をお許し下さいますよう、わしからもお願いいたします」
親成には事態が飲み込めない。
「いったいどういうことじゃ」と話を促した。
一ヵ月半ほど前、長八が薪を拾うために山に入ったとき、岩屋で腹を抱えて唸っている男を見つけた。髭ぼうぼうの来たきり雀ではあったが、長八は村外れで見回りをしている六左衛門を幾度も見ていたので、すぐにそれと分かった。
月見の刃傷沙汰については親成がすぐに口止めしたため、城下に知る者はごくわずかだった。当然長八が知るはずもない。
六左衛門はとりあえず長八の家に連れていかれ手あつい看護を受けた。食あたりに寒さが加わり動けなくなったのだろう、と医者は言った。大したことはないと言われたものの、よほど体力を消耗したのだろう。快癒したのは七日後だった。
病人は目を覚ますなり助けてくれたことへの礼を告げ、自分の首に褒美がかかっているだろうから、斬りたければ斬ってよいと告げた。
「ほう、首に。そんな話は聞いたことないのう」と長八はつぶやいた。
とぼけているわけではない。本当に聞いたことがなかったのである。
「こんな薄汚れた首に金子は出んじゃろ」
長八の痩せぎすの妻、しのがからかい気味に言った。笑う長八夫婦に面食らった六左は不機嫌な顔になった。
「薄汚れていて悪かったな。首は洗えば済むこっちゃ」と拗ねてみせる。
長八は少しむっとして返す。
「どあほっ、せっかく元気になったもんをいらうかい。猪やキジなら食らうがの」
六左は再び平伏した。
「かたじけない」
長八の家でしばらく世話になる中で、六左は何度も家人に聞き返したが、おたずね者の布告は全く出ていないようだった。あまりにくどいので、いらいらした長八が炭を投げつけたこともあった。しかし、仔細は知らなくても六左衛門が何かやらかしたのだろうということは誰にでも分かる。
長八は言った。
「おまえさんは何か粗相をしたんじゃろうが、三村の殿様はお咎めなしとしたんじゃろ。探してもいないようじゃけぇ、自分で決めろっちゅうことじゃなぁ」
六左は全くその通りだと思ったが、自分のしたことを考えると、のこのこと帰参する気にはなれなかった。
「おまえさんはまだまだ働けそうじゃから、炭焼きを教えてやってもええがのう。まぁ、自分で決めることじゃあ」と長八が炭を束ねながら言う。六左衛門も見ようみまねで束ねるのを手伝っている。
それでもまだ悩んでいた六左衛門に、長八が助言を与えた。
「わしら、正月には三村様のお屋敷にあいさつに伺うけん、その時に一緒に行ったらええ。ただ、のこのこ行くのも何じゃのう。うーむ」
思案の末に出た結論は、式年神楽の時にしかやらない『田植踊り』を舞うことであった。それならば屋敷にもすんなり入れる。ひょうきんな演目であるため、皆が笑う。その時にすかさず帰参を願い出ればいい。そのような場で叱責や拒絶は人情としてしづらいものであろう。
長八はここに至るいきさつを語り終えると、改めて親成に言上した。
「六左は炭焼きのみならず『田植踊り』を繰り返し学び、十分人前に出せるほどの芸になりましてございます。次の式年神楽にはぜひ出てほしいと思っとります」
長八の言葉に、親成は思い切り笑った。
「ハッハッハ、長八よ、いくらでも六左を出すけ、持っていくがええ。そなたの考えは見事にはまっとるぞ。行き倒れの家人を篤く看護してくれたこと、心より感謝申す」
家人?
六左衛門はバッと顔を上げ、親成の顔を見た。
「お屋形様……ありがとうございますっ」と頭が地面に付くほどひれ伏した。
「今後、よくよくわが家に尽くしてくれい」と親成が言葉をかけた。
そのようすを見ていたおとくときよは、すぐにおさんの部屋に駆けていった。
六左衛門はお咎めなしで許されたのである。
彼が去り際に言った本名は、本人の意向でお蔵入りとなった。
相変わらずの水野六左衛門である。
帰参が成った六左衛門は、正月の賑やかな雰囲気も相まって、心底愉快になった。もちろんバツの悪さはあるから控えめにはしていた。そこで、さっそく評判の阿国一座を見たいという親成の供をしていくことにした。そこはすでに黒山の人だかりである。とはいえ領主が来るというので席はすでに用意してある。
その側に立っていると六左衛門に突然声をかけた者があった。
「あなた様、もしや?」
一座の女がいきなり六左衛門に話しかけてきた。
芸事用の化粧をしているため、はっきりとは分からないが二十代半ばぐらい。美女というよりは愛嬌のある面立ちである。その顔に覚えはなかったものの、六左はひやりとした。
またどこかで何かまずいことをしていたたのだろうか。せっかく帰参を許されたばかりなのに、まずいことになった。女は六左がぎょっとした顔をしているのを見て、いたずらっぽく笑った。
「申し遅れました。私はこの座の看板を任されております、阿国(おくに)と申します。あなた様は十年ほど前に、京におられましたでしょう。無頼無双の藤十郎様とおっしゃいましたか」
六左衛門は頭を抱えた。
よりによって、無頼無双の藤十郎ときた。自分が一番やけのやんぱちだった頃である。やっと帰参した日に、そんな話をしてくれるのか。しかし、女はそれ以上無頼云々の過去を並べ立てるようなことはしなかった。「それぐらいわきまえております」といわんばかりである。
「あの頃は私ども、まだ大きく勧進興行を張れる座ではございませんでしたが、今は出雲大社のお許しを得て、禁裏やお武家様にもごひいきをいただき日々精進しております。あの頃は藤十郎様のようなイキのいい男衆を見て惚れ惚れし、そんな役のできる男を探しておりましたが、なかなかおりません」
まずい、どの辺りがイキのいい男衆の根拠なのか、何が出てくるか分からない。六左衛門は必死に話題を変えた。
「ああ、わしのことはええわい。しかし、禁裏に武家もひいきとは立派なことじゃのう」
そう言いながら、六左衛門は汗をかいていた。
この女はわしが何かするのを見とったんか。
そう言えば昔、わしと酔っ払いの喧嘩から都合三十人ほどで乱闘騒ぎになったことがあった。一人二人お陀仏になったようじゃったが。あれはかなりまずかった。しかし、この女と何かあったことはない……はず。
あれこれ思いを巡らせて言葉少なになる彼の様子を気にもとめず、女はもう背を向けようとしていた。そして、六左衛門を見返し、一座の長の貫禄たっぷりに言った。
「さきほどの田植踊り、まことに見事でござんした。今度は私どものおどりをお楽しみくださいませ」
三味線と謡い手に合わせて、女性二人がひらひらと蝶のように舞う。着物の袖が羽のように舞い、本当に美しい。
身は浮草よ根を定めなの君を待つ去のやれ月の傾くに
小夜の寝覚めの暁は飽かぬ別れの鳥も鳴く
朧月夜の山の端に名残り惜しやつれなや
ううはらはらおろといづれたが情ぞ村雨
しはく船かや君待つは風をしづめて名のり会をと
花も紅葉も一盛りややこのおとりふりよやみよや
いとしないとしなさて若衆はな四方の山々木の数なをいとし
艶やかな「おどり」は一同を魅了し、成羽の正月に彩りを添えるものとなった。
貫禄たっぷりの座長、阿国はしばらくのちに、これまでになかった新しい芸能を生み出すのである。
→引用 「ややこおどり」 出雲のおくに―その時代と芸能 中公新書 小笠原 恭子著
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