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放浪者六左衛門、三村家の居候になる

茶筅髷の男

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<ご注意ください>今回のお話には残酷な表現、暴力的な表現が一部含まれています。
あらかじめご了承ください。

 当主の親宣を喪った三村家で獅子奮迅の活躍を見せたのは、きよとおとくであった。これまで以上に念入りに、隅から隅まで掃除に勢を出し、可能な限り館の襖を開け放つようにした。まだ寒い日もあったので、長い時間開け放つことは難しかったが、澱んだ空気だけは消えうせていく。それから川魚や穀物をふんだんに使って滋養の溢れるおいしい夕餉をこしらえ、訪ねてくる民には気さくに応対し、一にも二にも明るく振るまい続けた。すぐに効果は出なかったものの、まず親成が二人に丁寧に礼を言った。
「二人はようつとめとるのう。礼の言いようもない」
 それは家中の皆が思っていることであった。おさんも次第におとくに促され部屋の襖を開けるようになり、気分がいい時には庭を歩くようになった。おとくはおさんの健康を取り戻すため、外に出る時間を根気よく長くしていった。心の傷はそう簡単に癒えないことは分かっているので、親宣の話はあえてしなかった。おさんが心に抱えているものがまだ分からない上に、当の相手も世を去ってしまったのだから、決して思い出させたくなかったのだ。おさん自身ももうそのことは心の奥の奥に封印しようと決めたようだった。
 そんな生活が一年ほど続き、散歩の道行きは館を離れ、かなり遠くまで足を伸ばすようになっていた。おさんは特に鶴首城(かくしゅじょう)の奥の山にある滝を見に行きたがった。おとくには言わなかったが、そこは親宣が一人で考え事をするときによく出かけていた場所だったのだ。ただし、親宣は馬でその場所に出かけていた。歩くとかなりの距離であり、女だけで出かけるのに適した場所ではなかった。
 その日も、おさんは滝に行きたがった。おとくは出立が遅いので止めた方がいいと伝えたが聞かなかった。おさんが息を切らしてしまうので、あまり早足では進めない。帰る途中で日が暮れかかってきてしまった。おとくは早く戻らなければと気が急いてきた。
ああ、誰か供に付いてきてもらうべきだった。

 すると、木陰から人相の良くない男が四人、ぬっと二人の前に現れた。おとくはパッとおさんの前に立った。四人のうち、一番前に出た男がにやついた顔で近づいてくる。
「おう、美しいお嬢様がた。こんな時分に外歩きなど物騒じゃぞ。逢魔(おうま)が刻というのが今じゃ」
「そこをどきなされっ」
 おとくが勇気を出して相手に言った。その足は震えている。後ろに立つおさんもどうしたらよいか分からず、おとくの肩を掴んでガタガタ震えている。
「威勢のいいお嬢さんじゃのう。いやいや、大人しゅうしとってくれたらええ。あまり乱暴にはせんけん」
 おとくは瞬時にどうしたらよいか考えた。私が行けばよい。おさん様には逃げていただかなければ。そう決めて、おさんに逃げるよう促したがおさんは動くことができない。万事休すだ。男たちが息荒く近寄ってくるのに構えたとき、横から声が聞こえた。

「おぅ、おんしらぁ盛りのついた牛かや! 四つも雁首下げて、かよわい女子を手篭めにしようとはド外道じゃのう!」
 横を見ると、樹の陰から一人の男が現れた。バサバサの髪をひっつめて茶筅髷(ちゃせんまげ)の体にし、髭は伸び放題。年はよく分からないが、まだ若い様子だった。茶筅髷の威勢のいい言葉に、雁首を下げた男たちは一斉にいきり立った。
「なんじゃ、おぬしっ!」
「やるかっ、身体がなまっとったけえ、ちょうどええ」と茶筅髷は待ってましたと言わんばかりに一歩前に出た。すっとおさんとおとくの前に立つと、刀を抜いた。雁首下げた男たちの中で一番心得のありそうなものが正面から茶筅髷に飛びかかった。
「ぎゃああっ!」
一刀のもと眉間を割られたのは飛びかかった方だった。男はふらふらと真後ろに倒れた。度肝を抜かれた残りの三人が、狂奔する牛のように一気に襲い掛かる。
「どおりゃああああっ!」
 目にも留まらぬ素早い動きだった。茶筅髷が刀を振ると、ほとんど動きのとれぬまま一人が胴を割られ、一人が首から血を噴出し、最後の一人は胸を突かれた。三人とも呻くほかは何の声も発することができず、どっと倒れた。四人の遺体が見る見るうちに血だまりとなった。
 おさんとおとくは、その討ち合いをかなり後ろで見ていた。本能的に、ずりずりと後ろに下がっていたのだ。危機を救ってもらったことより、茶筅髷の殺戮(さつりく)の様子に震え上がっていた。二人とも、ここまですさまじい討ち合いを見たのは初めてだった。

 ことをなした後、返り血を浴びた刀を鞘に収め、袖でごしごしと顔をこすった男は二人のほうを振り向いた。そこには、先ほどまでの凄まじい惨劇など微塵も感じさせない、人懐っこい笑顔があった。にかっとした男は口を開いた。
「大事ないか、娘さんがた」
 その笑顔に二人は少し安心した。しかし、まだ身体の震えが止まらない。先に声を出したのはおさんだった。
「はい、ありがとうございます。助かりました」
 茶筅髷は首をかしげて二人を諌めるような目をする。
「そのような出で立ちならばいいお家のお嬢様じゃろう。従者をつけねばいかん。日暮れに娘二人で出歩くなぞ、野盗の格好の餌食じゃ」
 おさんが少し意地になって反論する。
「こんなに遅うなるはずではなかったのです。それに、おとくが守ってくれる。この娘は米一俵を抱えられるのじゃ」
 こんな時に何を言うのだろう。おとくは慌てた。
「めっそうもない。半俵が精一杯でございます」と言葉を継いだが、それもおかしい。
 男ははっはっはと大笑いした。
「あいわかった。勇ましい女丈夫よのう。備中の女子は強いものじゃ。まぁ、わしも暇だで送っていこう」
「かたじけのうございます」とおさんがすました調子で言う。おとくは先ほどまでの様子を思う。もう気分が戻られた。びっくりじゃ。
「さて、ここでひとつわしからも頼みがあるんじゃが」
「何でございましょう」
「わしに握り飯か何か分けてもらってもええじゃろうか。昨日から何も食べておらんで、もう倒れそうじゃ」
 おさんが珍しくほほほと笑った。おとくはその弾んだ声を聞き、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「武士は食わねど高楊枝、ではないのですか」とおさんが優雅に問う。
「いやいや、腹が減っては戦はできぬの方じゃ、頼む」
「握り飯だけでなく、からだの温まるものも馳走いたそう、なあ、おとく」
「かしこまりました」とおとくは首をかしげてみるのだった。野盗にも茶筅髷の登場にも驚いたが、何よりおさんが気さくに初対面の人に話すことに驚いた。しかも血まみれ泥まみれの男にである。三村家に来てから初めて見た光景であった。

 屋敷に戻ると、おさんとおとくの帰りが遅いので家中大騒ぎになっていた。一番慌てていたのは親成である。すでに家臣を探しに出させていたほどである。そこにひょいと二人が戻ってきて、後ろに血まみれの男がいたのだから、腰が抜けるほど仰天した。
「曲者めっ、成敗してくれるわっ」
 親成がいきなり抜刀して茶筅髷の鼻先に切っ先を突きつけた。
「違います。この方は私たちを助けてくださったのです」
 おさんが大きな声で制止したので、皆驚いた。
 男は切っ先には全く動じず、大きな声で自ら名乗った。
「拙者、六左衛門と申す流れ牢人でござる。この度、お嬢様方に襲い掛からんとする野盗あり、成敗申した次第。つきましては、たいへん不躾ながら食事を賜れないかと罷り越し候(そうろう)」
 血まみれだが、立派な口上だった。親成は茶筅髷の面構えを凝視していたが、すぐに頭を下げた。
「そうか、わしとしたことが話もよく聞かず刀を抜くなど失礼した」
「いえ、慣れておりますゆえ。しかし殿は相当な剛の者でござるな。抜刀の素早さ、正確なこと、ただ者ではござりませぬ」
 自分が世話になる家のあるじをしたり顔で語っている。親成もニヤニヤしはじめた。
「ふむ、貴殿も相当なものじゃろう。なりは汚いが」
「匂いも結構なものでして。湯を使わせていただければさらに有難いのですが」
 親成はそのあけすけな様子に思わず笑った。面構えもしっかりしとるし、かなりの剛の者じゃ。親成は六左衛門をまたたく間に気に入った。そしてこの流れ牢人に提案した。
「もし、禄が少なくてよければぜひ我が家に来んか。代を継いだ若い息子を唐入りで亡くしてしまった。まだ戦が続くけえ領地の守りが手薄での、おぬしのような男がいたら安心じゃ」
「禄はいかほど」
「そうさな、十七石ではいかがか」
 六左衛門は思わず目を丸くした。これまでの禄高と比べて桁がふたつみっつ違っていたからである。しかし、親成の言う通り台所事情が厳しいのは事実だろう。また、六左衛門自身もすでに高禄を期待できる立場ではなくなっていた。
 十七石、おそらくこの家で出せる限りの禄であることは容易に想像できた。
 ここでしばらく過ごすのも悪くはないか、と六左衛門は思う。
「こちらこそ、よろしくお願い申す」

 こうして、六左衛門は三村越前守親成の客分として成羽にとどまることになったのである。
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