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◼️番外編 はぐれやさぐれ藤十郎

ものもらいだけが悪くはないが

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 藤十郎は悩んでいた。
 今の自分のありように懐疑的になってきたこともあるし、「思い切り戦で暴れたい」という欲求がむくむくと沸き上がってくるのも感じていた。甲斐国で家康の側衆・井伊直政に言われたことも胸にズシンと響いていた。
「貴殿は甘えとる」
 その言葉を繰り返しては考え込んでいた。知多に戻ってから知ったことだが、齢二十二の井伊直政も徳川家康に負けず劣らず波乱の若年期を送っていたのだった。

 彼は今川に仕える井伊家庶流の家で嫡男として生まれた。幼名は虎松であるが、ここでは直政で通す。父は直政が二歳の時に讒言により謀殺された。井伊本家の当主直盛もすでに桶狭間で亡くなっている。
 お家の危機に直盛の娘・直虎が当主となり直政を引き取った。将来井伊家を継ぐものとして養育されたが、その領地を得ようとする今川氏真に命を狙われる。しかし今川重臣の新野親矩が助命を願い出たことが認められ、今度は新野家に引き取られた。
 そこも安泰ではない。親矩はその後戦で討ち死にしてしまう。そこで井伊家に復せればよかったのだが、今度は井伊家家老の小野道好が今川の命で直政を暗殺しようとしたため、母や直虎の手で出家させることになった。以降は浄土寺、三河の鳳来寺で過ごす。
 天正二年(一五七四)、直政が故郷の井伊谷を父の十三回忌で訪れたとき、龍潭寺住職の南渓瑞聞や直虎、母ら直政を守るために力を尽くしてきた人々が話し合い、徳川家康に仕えさせようと決める。母は徳川氏家臣の松下清景に再嫁し、虎松を松下氏の養子にした。翌年、家康に見いだされ小姓として出仕することになる。その際、井伊氏に復すること、井伊谷の領地を復することが認められ、井伊万千代という名を与えられた。直政という諱名になったのは藤十郎と話したこの年のことである。

 確かに、藤十郎が恵まれていると言われたのは分かる。家康に負けず劣らずの生い立ちである。だからこそ何がしかを感じ、松下家に来てすぐ小姓に取り立てたのかもしれない。なお、直政の場合は少し事情が複雑だが、家康はもと他家に仕えていた者を多く徳川に取り立てている。今川の、武田の旧臣という人が家臣団にもちらほらみられる。そこが織田信長とは異なる点かもしれない。

「ああ、立派。ご立派だがや。文句の付けようがない。それでわしと三つ四つしか違わんのに、北条の和議の使者を任されるほど信を得ているときた。わしに話すとき、みずからの生い立ちを何も言わんかったのも癪。これでは、わしは立つ瀬がないでや」
 真っ当なことを言われたのに、立つ瀬がないと言う。負けず嫌いの裏返しなのだ。ぐれた人が聖人にものを言われても、すぐ素直には聞けないようなものだろうか。あるいは釈迦に反発した提婆達多(だいばだった)のようなものだろうか。

 藤十郎もしばらく寺に入った方がいいのかもしれない。
 ただ、寺に入っている暇などはなかった。

 織田の家中は分裂から全面対決に突っ込んでいった。信長の子、信雄と信孝を表にしているがその実は羽柴秀吉と柴田勝家との対決である。
 ごくごく遠目に見れば、なぜ同じ家に仕えている者同士がお互いを滅ぼすために戦わなければならないのかと不思議になるが、それが権力欲ということか。ほぼ統一を目前にしているこの国をどのように治めていくかという視点があったかどうかは疑問である。
 天正十一年(一五八三)春、近江の賤ヶ岳で信雄(秀吉)と信孝(勝家)が激突したが、このとき柴田勢に付いたのは佐久間盛政、前田利家などわずかな将だった。ここで勝家は秀吉に敗れ、越前北之庄に戻る。そして、北之庄も秀吉勢に攻め込まれ柴田勝家と妻のお市の方は自害する。お市の方は信長の妹である。
 そして、勝家方に立った織田信孝も尾張で自害に追い込まれる。信長の係累まで死に追いやるというのは状況がそうさせたのかもしれないが、すでに本末転倒になっている。この段階で秀吉に付いていた織田信雄が不安を抱く。それはそうだろう。信孝に切腹をするように命じたのは信雄だと言われるが、そうせざるを得ない状況だった。将兵は皆、秀吉の命で動くのだ。実質は信雄のものではない。信孝にしても、兄弟喧嘩をしていたら他の人間に殺されたようなものである。しかも、おばのお市まで死に追いやられた。
 信雄が頼ったのは徳川家康だった。

 家康はこの事態と距離を置いていた。本能寺から清洲会議に至る期間、甲斐国に出兵していたこともあるが、様子を見ていたと見るのが正解に近いと思われる。そして天正十二年(一五八四)の春、織田信雄の呼びかけに応じて腰を上げるのである。

 大まかな流れを述べると、家康が三月十三日に尾張国へ到着し信雄と合流する。そこからいったん北伊勢に出兵、ここは信孝の旧領、現在は信雄の領地であるため、その奪回を目的としていたと思われる。十七日には家康方の酒井忠次が秀吉方の森長可(もりながよし)と交戦し勝利した。家康本隊は二十日に尾張の小牧に陣を構えた。
 対する秀吉率いる羽柴軍本隊は、尾張犬山城を陥落させると楽田に布陣し、四月九日には長久手で両軍が交戦した。
 この戦いは尾張の各地で家康勢と秀吉勢が各所で散発的に交戦し、また尾張の外で散発的な戦闘も起こったが、全軍が一気に雌雄を決するものではなかった。それだけに戦いはどちらかが圧倒的勝利を得ることなく八ヶ月も続くのである。


 この戦に従軍する多くの人がぼんやりと思うようなことを藤十郎もつぶやいている。
「ほうぼうで小競り合いが起こっとるが、もっとガツンとぶつかりゃあええがや。どちらが優勢なのかさっぱり分からんでいかん」
 どうにも投げやりである。彼らは知多の諸城の守りを固めながら、家康が尾張出兵を命じるのを待っている。それを耳にした杉野数馬という近習がびくっとして小声で藤十郎に言う。
「若、お父上の隊もおられますで、滅多なことを申されますな」
 藤十郎はそのまま地べたにどかっと胡座をかいて、春の空を見上げている。
「ああ、また小言が飛んでくるがや。つまらん」
「まあ、おっしゃることはわかるような気もしますが……若は甲州から戻られて以降、いくらか気落ちされているようです」と数馬が膝をつき、心配げな顔をして藤十郎を見る。
「気落ちか、そうだな。気落ちか……」
「また鑓を振るう機はすぐに来ますで、いつもの若に早よ戻ってちょうでぇませ」

 藤十郎の気持ちをおもんばかる人もいるのだ。
 いや、藤十郎に付いた者は皆、主のことを慕っていた。父親へは拗ねた態度のまま、戦ではカッとして暴走したり、上の者にも遠慮なく抗議するが、付いている衆には誰かれと区別せず公平に扱っていた。また、酒に飲まれたり色事を好んだりと端から見る素行はよくないのだが、楽しんでいるときはよく笑い、悲しい話を聞けばすぐにもらい泣きし、たいへん感情が豊かである。カッとする部分だけ抑えるようにすれば、鬼に金棒だと数馬も思っている。
 何より、藤十郎の一番の美点は正直なことだろう。自分でも「わしは嘘をついたことがない」と胸を張っているが、それが真実なのは側で見ていればすぐに分かるのだ。それが戦場であまり使えないのは残念なことだった。

 
 家康からの命が下され、水野惣兵衛・藤十郎隊は尾張小幡城(名古屋市守山区)に向かう。ここは家康が三河につながる中継基地として整備した城だ。水野隊は途中の星崎城(名古屋市南区)で敵と対峙する。城には信雄方の山口重勝が入っていたが、そこへ敵が襲来しようとしていたのだ。白江成定の隊が陣を構えている。

 そのとき、藤十郎の目にはものもらいができていた。兜をいったん被りはしたものの、烏帽子の端が目に触れるようで気が気ではない。直そうとして兜ごとずらしたら、今度は座りが悪くなって兜のつばが目にぶつかりそうになった。
 敵陣が遠巻きに見える。このまま戦うしかない。しかし、気になって気になって仕方ない。「ええぃ、しゃらくせえ」と低くつぶやくと、藤十郎はおもむろに紐をほどいて、兜を外して隅に置いた。烏帽子も脱いでその脇に置いた。
 事情を知らない惣兵衛は息子を見て、ひっくり返るほど仰天した。
「おぬし、何をしとるんきゃ!」と怒声が飛ぶ。
「いや、実は」と藤十郎は弁明しようとしたが惣兵衛はそれを遮った。
「兜を糞壺にして小便かいやっ。ぬしゃ、かような時に厠の用も済ませとらんかったんきゃ!」
 子どもに言うような台詞である。
 勝成はかあっとしてみるみるうちに真っ赤な顔になる。
「父上の言とはいえ、聞き捨てならん!兜なしで頭をカチ割られるかは時の運だみゃあ。一番首を取るか殺られるか、しかと見ておれやっ」
 そう言うと大鑓を握り締め、藤十郎は馬に跨がり一気に敵陣に向かって駆けていった。そして誰彼構わず鑓を振り下ろした。足に斬りつけ、腕を切り落とし、袈裟懸けに振り下ろし、勢いまかせに銅を割る。
 赤いものが辺りにほとばしる。
 惣兵衛はその様子を呆気に取られて見ていたが、慌てて皆に号令した。
「かかれっ、かかれいっ!」
 兜なしで髪をざんばらにした藤十郎の凄まじい攻撃を受けて、倒れたものが複数。すでに怯んでいる敵はずりずりと後退しはじめた。
「うわあああっ」
 敵は後退の体勢から後ろを向いて、一気に逃げ出した。

 水野隊は勝利を収めた。しかし、何とも素直に喜べない勝利となった。藤十郎は片目が腫れた状態で、「はぁ、はぁ」と荒い息を吐く。その手には血まみれの一番首がぶら下がっている。
 息子の前に惣兵衛が立つ。
「眼病なのは分かった。しかし、おまえの振る舞いは決して許さぬ」

 藤十郎は憮然とした表情のまま、その場を立ち去った。
 一番首を桶にも入れずぶら下げて小牧の家康に届ける。そのまま惣兵衛の陣には戻らなかった。

 惣兵衛の家臣の中には藤十郎をよく思わない者も出てきていた。この若者の行動で一同の士気が乱れるというのである。確かにそれは間違いではなかったが、このような状態で行軍を続けるのは藤十郎にとって難しいことだった。それは水野の頭領としても同じだったので、水野隊を離れるのも致し方ないことだった。

 藤十郎は道から外れていこうとしている。

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