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◼️番外編 清正の妻、福山の空を見上げる

清正の道と柳河の人々

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  ◆加藤清正という男

 なぜ加藤家は改易になったのだろうか。

 その理由の前に、初代藩主から少し語り起こしていこう。
 肥後熊本藩の初代藩主は加藤清正。虎退治の伝説も残る、戦国時代後期の勇将である。

 彼は小姓として幼少から秀吉(当時は木下もしくは羽柴、のちに豊臣)に仕えてきた。本能寺で織田信長が倒れた後、秀吉と柴田勝家の直接対決となった戦いで活躍し、賤ヶ岳の七本槍の一とされる。行政面でも手腕を発揮したが、以降は秀吉麾下での四国攻略・九州平定で活躍し、武将として名を上げた。その功を認められ、肥後国を半分ずつ小西行長と分けて領することになる。
 その頃はまだ隈本と呼ばれていた城を中心に清正は城下の整備を始める。
 九州平定と呼ばれる戦いで地元の国人(豪族)が反乱を起こしほとんどが処断されていた。人も土地も荒れ果ている。清正は荒れ地を耕し肥沃な大地を作ろうとしていた。そして大規模な治水工事など人手や時間のかかる大事業に取りかかった。

 その大事業は秀吉の朝鮮出兵でいったん中断した。

 朝鮮に渡海する兵站基地として九州は多大で過重な貢献を強いられた。各地から数千から万にのぼる兵を率いて、肥前から出発していく。九州の各地を任された将は領地の統治を丸々放り出すしかない。清正も小西行長も同様だった。そしてそれは断続的に6年も続いたのである。

 朝鮮出兵ーーのちに文禄・慶長の役と呼ばれるーーは豊臣秀吉の死で終結をはかることができた。そうでなければ、この時点で日本最大の外征は区切りをつけられなかったかもしれない。

 政権は、秀吉の遺児・秀頼を後継に立て、五大老・五奉行が補佐する形を取ることで維持される。しかし、五大老筆頭の徳川家康と五奉行の筆頭である石田三成の対立はいかんともしがたいものになっていた。

 慶長6年(1600)9月、ついに両者は雌雄を決することになる。
 関ヶ原の戦いである。
 この天下分け目の戦いは1日で勝敗を決し、徳川家康率いる東軍に軍配が上がる。石田三成、小西行長を始めとする敗軍の将たちは捕えられ、京都で処刑された。
 それに付随する戦闘は他の地域でも起こり、九州では収拾に時間がかかったことは記しておかねばならない。家康の側に付いた加藤清正はこのとき九州で、西軍に付いた立花宗茂(宗茂の名は後のもの)の柳河城開城や、小西行長の宇土城攻めにあたっている。

 戦後の論功行賞で清正は小西行長の領していた土地も含めて肥後一国まるまる54万石を任されることになった。清正は引き続き肥後を治めることに情熱を注いだ。

 それもつかの間、慶長16年(1611)、彼は大坂から肥後に戻る船上で体調を崩した。毒を盛られたのではないかという噂もあったが、症状じたいは脳梗塞のそれだった。何とか肥後まで持ちこたえ、人事不省に陥った。そして、家族に看取られてこの世を去った。享年49歳、誰もに衝撃を与えるほどの、突然すぎる死であった。


  ◆柳河から肥後国へ

 さて、ときをいったん進めよう。
 
 上使衆は小倉で熊本城の様子をあらかたつかむことができた。それによると、城内では籠城に出て上使衆と全面対決するつもりはなく、熊本城を明け渡すことで一致しているということだった。戦を辞さない覚悟で大挙集結した一行は少し気が抜けたような、安堵したような心持ちになっている。総司令官の稲葉正勝も張り詰めていた緊張が解けたようだ。
 城受け取りの段取りをきちんと果たすことさえ考えればいい。戦闘を回避できるのは、喜ばしいことだった。何しろ大坂夏の陣以降17年、戦らしい戦は起こっていないのだから。


 勝成は夜、外に出てひとり小倉の月を眺めていた。
 そこへ、息子の勝重がやってくる。
「殿、戦にならんのじゃったら、あまり大挙して押し寄せんでもええのじゃないでしょうや」と勝重は父親に問うてみる。
「いや、やはり皆で赴くんが肝要じゃと思う」
「相手を圧するためでしょうや」と勝重はさらに問う。
 勝成はふっと笑って、月を眺めて答える。
「加藤清正が人生をかけて育てた肥後の地を返上してもらうんじゃ。それに、ずっと在郷の家臣もおるじゃろう。いる人間皆で受け取らにゃあいかん。礼節というやつじゃ」
 勝重は納得してうなずく。
「父上は、清正公(せいしょうこう)をじかに知っとるんでしたな……」
「あやつは尾張の生まれで、わしは三河じゃ。それだけで通ずるものはあった。(肥後の)宇土城で反乱が起こったときはともに鑓を振るったで、いくさ場をともにした友じゃ。じゃけえ、肥後にはわしも並々ならぬ思い入れがある……かなもおるしのう」
「叔母上ですな。わしは会うたことがございませんが」
「わしも、嫁入りのときにしか会うとらん。いつの話か」と勝成は苦笑いする。

 勝重はひそかに叔母のかなに会うことを楽しみにしていた。もし籠城戦などになったら叔母の命も危険にさらされるので心配の方が大きかったのだが、今はそれも和らいだ。
「叔母上は開城後、どうされるのでしょう」
「かなの望みを聞いてからじゃが、とりあえずは福山に逗留してもらおうと思うとる。そこから紀州なり江戸なりに行くかもしれんな。それは、無事に城の受け渡しが済んでからのことじゃ。気を抜いたらいかんで。急に様子が変わることもある」
 勝重はうなずいて去っていった。

 勝成はその後もしばらく月を眺める。そしてポツリとつぶやく。
「わしは、肥後にえっと置いてきたもんがあるんじゃのう……」

 上使衆一行は翌日肥後に向けて出立した。小倉から肥後までは40里(160km)余り、山間を抜けて豊前街道を進んでいく。途中途中で勝成に過去の記憶が甦ってくる。彼が鑓を持って駆けていた頃のことを。
 山間を抜けて筑後に抜ける街道である。
 鳥栖、久留米、柳河、南関(なんかん)。
 南関からは肥後に入る。



 柳河では藩の一同が勢揃いし、一行を出迎える。
 勝成はふっと当時は統虎という名だった藩主・立花宗茂の姿を思い出す。このとき宗茂はほぼ江戸詰めになっていて、柳河にはいない。宗茂は先代将軍・秀忠に御相伴衆という役目を任ぜられ、以降は国許に戻ることがほぼなくなった。それでも勝成はなにやら懐かしく、きょろきょろと藩の人間を見ている。すると柳河藩留守居役の老臣がひとり、勝成を見て声をかけてきた。

「水野日向さま、拙者は柳河藩家老、由布惟次(ゆうこれつぐ)と申します。覚えておられっとか……山鹿(やまが)の附城に兵糧入れをしたときに同道した者です」※

 勝成は目を丸くして、満面の笑顔になる。
「おう、もしやあのとき立花の長老じゃった由布雪下(せっか)殿のご子息か。懐かしいのう……なにやら雪下殿によう似とる。親子じゃのう」
「親子ですからな……いや、長らえるとよいことがあるものです。まさか、ばり出世しんしゃった六左衛門殿に再びお目にかかることができるとは……」

 老臣の父、雪下はとうに鬼籍に入っている。皆、途切れなく続く戦いの日々を生き抜いてきた猛者であり、ときには敵味方に分かれても同朋だという意識があった。命を賭けて戦ってきた武士の矜持とでもいおうか。

 続いてまた、老いた男と中年の男が揃って勝成の前に出る。
「拙者、柳河藩家老の十時与左衛門(とときよざえもん、惟益)、こちらは同族の惟昌にございます」
「おう、十時……十時か! こりゃまた……摂津(連貞)はどこにいる?」と勝成はかつての鑓仲間を探して、キョロキョロと辺りを見回す。
「水野日向さま、父は今こちらに出られないのです」と惟昌が恐る恐る勝成に告げる。
「お、貴殿が摂津どののご子息か。摂津どのはいかがされた? 息災か?」
「父は脚を悪くしておりまして、今は家にて静養しとります。最近は物忘れもようしようけん……ここにはこれんやったとです」

 歳を取れば普通に現れる現象である。どんなに頭が切れようと、どんなに鑓がうまく使えてもそれは平等にやってくるのだ。それは十分に分かっているが、勝成は何ともいえない寂しさを感じていた。

 柳河藩きっての猛者、十時摂津連貞とは肥後の城に兵糧を入れる戦いで、同じ隊として鑓を振るいまくったもんじゃったが……もう昔話をするのも叶わんのじゃのう。

 勝成は、ここにしか書けないが、おいおい泣き出しそうになっていた。


 勝成が泣きそうなときにする仕草を、息子の勝重はよく知っている。場を選ぶようにはなったが、この父はとても涙もろいのだ。しかし泣きそうになる心情は理解できる。
 この頃まで勝重が父とともに戦に出たのは、大坂冬の陣と夏の陣だけである。それだけでも、父の武勇譚が口から出まかせではないことを身を持って知ることができた。大坂夏の陣の道明寺、天王寺の戦闘では鬼神のように強く、どんな敵もバッサバサとなぎ倒していく父の姿を目の当たりにし畏怖さえ覚えたものだった。50歳の父のあの姿を思えば、若い頃はさぞかし凄まじい男だったに違いない。
「殿は九州でも名が通っておるのですな」と勝重はしみじみと言う。
「ああ、しかし皆どえりゃあ歳を取った。生きとるちゅうだけでも御の字じゃ」と父は息子を見る。
「そがいいうても、九州ではいまだに六左衛門の方が高名なようです」と勝重が告げると、勝成は笑う。

「えっと通りようた道、山鹿ももうすぐじゃ」


・九州時代の勝成については本編のほか、本項番外編『中津城の惨劇』や『肥後の春を待ち望む』にも出てきます。特に柳河藩との関わりについては『肥後』をご参照ください。

・参考図書 『加藤清正と忠廣 肥後加藤家改易の研究』(福田正秀著 熊本城顕彰会)ブイツーソリューション/『人物叢書 立花宗茂』(中野等著 吉川弘文館)

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