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人外編【モノクロドクロ】

【モノクロドクロ】後編

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 数十カ月が経った頃。
 牛は異変に気が付いた。

 灯りを付けず。
 カーテンを閉め切り。
 家の中で閉じこもり。
 外に出ることも少なくなった。
 館はみるみる不気味になり、古びた洋館どころか廃墟とも言えそうなほど。

 三日。
 十日。
 十四日。
 二十二日。
 二十七日。
 三十一日。
 梟の姿を見無くなった。
 牛は考えた。

「梟がいなければ、この家はわたくしが自由に使える」

 妻なのだから当然だ。
 そうだ。
 そうだ。
 しんでてほしい。
 どうだろう。
 しんでいるだろうか。
 ここで待っていてはわからない。
 自分が動かないとわからない。
 ……このまま動かないのが怠惰だろう。
 けれど、動いたうえで怠惰の質を上げるのも、それはそれでよいのではないか。

 牛は立ち上がった。
 腰から生えた根っこを引き千切った。
 地面に宿るほど怠惰を全うしていたが、それは一時休止だ。
 よりよい怠惰のため、牛は自分の家に忍び込んだ。

 玄関。
 広間。
 食堂。
 自室。
 風呂場。
 庭。
 物置。

 ……いなかった。

 牛は立ち竦んだ。
 梟はどこかに行った?
 じゃあ、ここは今、無人?
 誰もいない?
 自分以外……だれも……。


「……じゃあ……」


 怠惰な牛は、何もせずに自由になった。


「やった……やった! やった! やった! やったあああ!」


 掠れた声で叫んだ。
 しばらく使っていなかった喉周りが震え、痛む。
 痛みを感じながら、悦びは続いた。
 体から溢れた。
 身悶えした。
 諦めていたものが手に入った。
 嬉しい。嬉しい。嬉しい!


「……おなかすいた」


 珍しく動き回った牛はエネルギーを使い果たした。
 それならばと、食品がある場所へ向かう。
 腐ったものが多い中、それでも何とか食べれそうなものを選ぶ。
 色が変わっていても。
 匂いがきつくても。
 手前に寄せようとした瞬間に潰れてしまっても。
 なぜかすべてが美味しそうに見えた。
 食べれそうと美味しそうは違うようで、その時ばかりは一緒だった。

 貪った。
 手についたものから、眼についたものまですべて。
 すべて。
 なんでも食べた。
 なんでも食べれた。
 苦ではなかった。
 むしろ食べても食べても足りなかった。

 ――だから、気付かなかった。


「貴様、何をしている」


 吐きはしなかった。
 窒息しかけた。
 牛は振り向けない。
 現実を見れない。
『見つからない』からと言って『いない』わけではない。
 その時はたまたま。
 本当にたまたま。
 三十一日ぶりに外出していただけだった。

 牛は息を潜める。
 猛禽に見つめられながら。
 見つかればもう、逃げられない。
 せめて。
 せめて。
 痛くないように。
 苦しくないように。
 そう願っていたら、口の中のものを垂れ流した。


「何をしているのか、と聞いている。答えろメイド」


 ……。
 ……メイド。
 メイド?

 口の中に残った残りかすを飲み込んだ。
 口の中はカラカラだった。


「腹が減った。なにかよこせ」


 梟は牛の後ろ姿を見ながら言った。
 言って、立ち去った。
 影と威圧感が消えたことで、牛はようやく、梟がいたところを視界に入れた。

 梟は牛だとわからなかった。
 夫は妻だとわからなかった。
 知人は知人だと思っていなかった。
 全くの新しい生き物だと判断した。
 今までの関係は、亡くなった。


「……妻では、なくなった」


 ポツリと呟いた。
 妻でないのは嬉しい。
 メイドという、雇用関係だが他人でいられる。
 この状況だ。
 仕事をせずにいてもバレないかもしれない。
 でも、今みたいに見られていては、やらないわけにはいかないか。

 遠くから声がする。
「飯をよこせ」と叫んでいる。
 牛は立ち上がった。
 汚れた衣類を見て、見ないふりをした。


「ころしてしまっても、バレないかな」


 思っても、やる気はなかった。


「――少々お待ちください」


 だれかやってくれないかな。


 怠惰は考えることを放棄した。





―――――……





「『主人』とは家の主のこと。もしくは雇用主。メイドからしたらどちらも当てはままります。皮肉と願望を込めて、そう呼んでいたのでしょう。言葉とは紛らわしいものです」
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