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人外編【モノクロドクロ】
第12話 契約
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―――――……
ああ、懐かしい。
いまだにこうして囚われ……、いえ、雇われている。
それでも幾分はやりやすくなった。
暴言は吐かれず。
怒鳴り声を聞かず。
夜には物音で起きず。
食事は食い散らかされず。
糞尿を撒き散らかされず。
日々、怯えることがなくなった。
……いや、怯えることはたまにあるが、まあそれはいい。
「よく働いてくれています。怠惰なのに」
「ありがとうございます」
「褒めてないです。嫌味です」
飲み切った紅茶におかわりを注ぐ。
出涸らしのティーパックだった。
まあいいか。
…………睨まれた。
「最近の酉井様のご様子は?」
指が止まる。
すぐに動かした。
「変わりありません」
「説明不足です。最近起きたのはいつ頃ですか?」
ふう、と口から声が漏れる。
記憶をたどり、微かに思い出された光景。
これはいつだろうか。
日付なんてほとんど気にしないからわからない。
「……たぶん、二日前でしょうか。飲み込みが悪くなってきているので、とろみをつけてコップ一杯分介助して飲んでいます。十分ほど起きていたかと。点滴は変わらず続いています」
「そうですか。わかりました」
主人はもう、言葉を発することがない。
ほとんど寝ているせいもあるが、起きてもぼーっとしている。
スプーンを見せれば口を開けるから、飲食物だという認識はあるのだろう。
だが、わたくしへのリアクションはない。
もう完全忘れてしまったのだろう。
「嬉しそうですね」
「はい」
わたくしは嬉しい。
穏やかな気持ちで、十分間もの長い時間を共有している。
あの様な状態にならなければ、一瞬でも一緒にいたくなくてまた逃げていたかもしれない。
逃げて、庭に潜んで、今の様な状態になるのをずっと待っていたかもしれない。
「そういえば」
思い出語りの最中、気になったことを思い出した。
正しくは、気になったなという事柄を今思い出して、そして再度気になった。
「なぜ虎だとわかったのですか?」
猿轡をした子が虎に扮し、声を発した。
コップの中身を知っているはずの言葉とは思えない言葉を言っていた。
わたくしの私室にいたのが虎だと言ったのは、主人が眠ってからだ。
「ああ、知りませんでしたっけ?」
回転椅子が音を立てる。
向きをずらしたご主人様は、立ち上がり、わたくしに寄ってくる。
威圧しているつもりはないだろう。
けれど感じる威圧感。
これが、伝説の生き物の存在感。
消そうとしなければ消せない重圧。
「それは、私が耳当て授けた力です」
「え、耳当てに……?」
扮していたのは明らかに猿轡だった。
隣に耳当てがいたし、姉妹といえど見分けはつくほどの似てなさだ。
木が動転しすぎて間違っていたのだろうか。
だとしても。
耳当てがなぜ、虎だと気づいたのか。
力とはなんなのか。
「私は憤怒。猿は憤怒の眷属。主は眷属に異能を与えられる。聞いたことはありませんか?」
「全く」
「怠惰ですねぇ」
そうですとも。
「まあ、それが全てです。耳当ては「音を聞かない」という制限をして、本来は声のないモノから声を聞くことができるのです」
「声のないモノ?」
「たとえば、このティーカップ。または机。カーテン。そして、骨」
ああ、なるほど。
そんな普通では起こり得ないことを起こしていたのか。
そんなの聞いてない。
「では、猿轡も」
「あの子は本音を封じている代わりに、建前を言えます。言い方を変えれば嘘しか言えません」
だから催眠作用がある飲み物を出しながら、平然と「長生きしてください」なんて言えたのか。
心にもない建前を。
「……では」
「はい?」
「骨からは何を聞いたのですか?」
得体の知れない元客人、現雇い主の口元が歪む。
愉しそうに嗤う。
得体の知れない不気味さに身の毛が与よだつ。
「こちらへ耳を」
なぜそんなことを。
とは思ったが、恐怖の前ではわたくしの意思などないに等しい。
体を横向きに、耳がご主人様の方へ向く。
耳にかかった髪をわざとらしくゆっくりと避け、息遣いを感じさせる。
「虎は」
「っ」
『次は、喰ってやる』
―――――……
ああ、懐かしい。
いまだにこうして囚われ……、いえ、雇われている。
それでも幾分はやりやすくなった。
暴言は吐かれず。
怒鳴り声を聞かず。
夜には物音で起きず。
食事は食い散らかされず。
糞尿を撒き散らかされず。
日々、怯えることがなくなった。
……いや、怯えることはたまにあるが、まあそれはいい。
「よく働いてくれています。怠惰なのに」
「ありがとうございます」
「褒めてないです。嫌味です」
飲み切った紅茶におかわりを注ぐ。
出涸らしのティーパックだった。
まあいいか。
…………睨まれた。
「最近の酉井様のご様子は?」
指が止まる。
すぐに動かした。
「変わりありません」
「説明不足です。最近起きたのはいつ頃ですか?」
ふう、と口から声が漏れる。
記憶をたどり、微かに思い出された光景。
これはいつだろうか。
日付なんてほとんど気にしないからわからない。
「……たぶん、二日前でしょうか。飲み込みが悪くなってきているので、とろみをつけてコップ一杯分介助して飲んでいます。十分ほど起きていたかと。点滴は変わらず続いています」
「そうですか。わかりました」
主人はもう、言葉を発することがない。
ほとんど寝ているせいもあるが、起きてもぼーっとしている。
スプーンを見せれば口を開けるから、飲食物だという認識はあるのだろう。
だが、わたくしへのリアクションはない。
もう完全忘れてしまったのだろう。
「嬉しそうですね」
「はい」
わたくしは嬉しい。
穏やかな気持ちで、十分間もの長い時間を共有している。
あの様な状態にならなければ、一瞬でも一緒にいたくなくてまた逃げていたかもしれない。
逃げて、庭に潜んで、今の様な状態になるのをずっと待っていたかもしれない。
「そういえば」
思い出語りの最中、気になったことを思い出した。
正しくは、気になったなという事柄を今思い出して、そして再度気になった。
「なぜ虎だとわかったのですか?」
猿轡をした子が虎に扮し、声を発した。
コップの中身を知っているはずの言葉とは思えない言葉を言っていた。
わたくしの私室にいたのが虎だと言ったのは、主人が眠ってからだ。
「ああ、知りませんでしたっけ?」
回転椅子が音を立てる。
向きをずらしたご主人様は、立ち上がり、わたくしに寄ってくる。
威圧しているつもりはないだろう。
けれど感じる威圧感。
これが、伝説の生き物の存在感。
消そうとしなければ消せない重圧。
「それは、私が耳当て授けた力です」
「え、耳当てに……?」
扮していたのは明らかに猿轡だった。
隣に耳当てがいたし、姉妹といえど見分けはつくほどの似てなさだ。
木が動転しすぎて間違っていたのだろうか。
だとしても。
耳当てがなぜ、虎だと気づいたのか。
力とはなんなのか。
「私は憤怒。猿は憤怒の眷属。主は眷属に異能を与えられる。聞いたことはありませんか?」
「全く」
「怠惰ですねぇ」
そうですとも。
「まあ、それが全てです。耳当ては「音を聞かない」という制限をして、本来は声のないモノから声を聞くことができるのです」
「声のないモノ?」
「たとえば、このティーカップ。または机。カーテン。そして、骨」
ああ、なるほど。
そんな普通では起こり得ないことを起こしていたのか。
そんなの聞いてない。
「では、猿轡も」
「あの子は本音を封じている代わりに、建前を言えます。言い方を変えれば嘘しか言えません」
だから催眠作用がある飲み物を出しながら、平然と「長生きしてください」なんて言えたのか。
心にもない建前を。
「……では」
「はい?」
「骨からは何を聞いたのですか?」
得体の知れない元客人、現雇い主の口元が歪む。
愉しそうに嗤う。
得体の知れない不気味さに身の毛が与よだつ。
「こちらへ耳を」
なぜそんなことを。
とは思ったが、恐怖の前ではわたくしの意思などないに等しい。
体を横向きに、耳がご主人様の方へ向く。
耳にかかった髪をわざとらしくゆっくりと避け、息遣いを感じさせる。
「虎は」
「っ」
『次は、喰ってやる』
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