青い死神に似合う服

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第2章 泣き虫の死神ブルー

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 ブルーといると素直になれる。泣いたり怒ったりできる。きっとこの人が、あまりに無防備に感情を露わにするからだろう。

 こんなに気持ちが軽い。心配させないように嘘をついたりしなくていい。
 どれくらい、ぼんやりと公園のベンチにいたのかわからない。一旦、家に帰ったのか、空想を話したときのままここに座っていたのか、わからない。

 最近、ずっとこんな感じだった。
 もう、現実の自分はずっと眠ったままなのかもしれない。

 向こう側に戻るのが怖い。死にゆく自分の肉体に。そう考えて、ふと気づく。自分が生きていた世界を『向こう側』と感じている。生きている者の世界を。

 ヨゼフィーネは自分の手を見た。白くてふっくらして、爪は薔薇色をしている。ベッドにいた自分の手は、こんなふうではなかった。

 ブルーはずっと、黙ってそばにいてくれる。今も、あまり上手ではない口笛を吹きながら、空を眺めている。変わり映えのしない、綺麗な夜空を。

「ねぇ……あなたのことを知りたいわ、ブルー」
「僕の?」
「ええ。死神さんのお仕事が知りたいわ」
「うん、えっと……うわ、改めて話したことなんてないから、どう言っていいか……」

 困惑しながらも、ブルーは話してくれた。仕事内容はというと、死を前にした人間の元に現れて、その日を迎えるまでそばにいる。日数はまちまちだが、だいたい三日から一週間程度だそうだ。

 ヨゼフィーネが彼の姿を見たのも、一週間くらい前だろうか。もっと、もっと前のことのような気がするのは、この公園で過ごす時間が長いからだろうか。

「ヨゼフィーネもわかっていると思うけれど……僕はとても、泣き虫なんだ」

 ブルーは少し恥ずかしそうに帽子を目深にかぶり直して、教えてくれた。

 いつも泣いて、泣いて、あまりに泣くものだから、ついには死者に宥められてしまう。それでも涙が止まらなくて、最期にはみんな、呆れたように笑って旅立って行く。ブルーが話して聞かせてくれた光景が目に浮かぶようだった。

「よく上官に怒られるんだ。お前は同調しすぎるって。もっと安心してもらえるように堂々と振る舞えって。だけど、できないんだ。本当、向いてないなと思うよ。だけど他にできる仕事がないから」
「そんなことない。あなたに送られた人たちはきっと、安心できたのではないかしら」

 まさか、死神がそんなにも自分の死を悼んでくれるだなんて、誰も思わないだろう。その上、まるで親友か親族のように泣くだなんて。確かに頼りなくは感じるけれど、そのおかげで恐怖は薄らぐような気がした。

「ブルーには、人の気持ちを穏やかにする力があると思うの」

 ヨゼフィーネは笑みを浮かべる。落ち着いた、穏やかな気持ちだった。

「わたしも、あなたにエスコートしてもらえるなら、それほど怖くない気がしてきたわ」
「ヨゼフィーネ……」

 見る見るブルーの目が潤む。それに気づいて、ヨゼフィーネは笑ってしまった。

「もう、また泣くのね。目が溶けて落ちてしまうわよ」
「えっ……」
「冗談よ」

 少し頼りないけれど、優しい、優しい死神。この人が最期のその瞬間、そばにいてくれるのなら……。

 大丈夫。そんな気がする。覚悟を決めなければいけない。ブルーが心配しないように。
 この人に手を取られ、旅立つそのときのことを思う。

 怖くない、きっと怖くない。自分に言い聞かせる。笑顔で旅立つことができる。

 隣にいるブルーを見やると、拳を膝の上で握り締め、視線を泳がせている。頬は、月明かりでもわかるほどに赤くなっている。

「どうしたの、ブルー」
「あ、あの、あのさ……ヨゼフィーネ。この間の、話なんだけど……僕じゃ、ダメかな」
「何のこと?」
「オペラのことは僕もよくわからないし、船旅は酔っちゃうし、花は……」

 言いかけて、ブルーは急に思い立ったように「待ってて」と言って走り出した。

 ヨゼフィーネはぽかんとしてブルーの姿を見送り、そのまま待っていた。するとしばらくして、ブルーがこちらへ走ってくる。

 手には、溢れそうな青い花束。デルフィニウムの目の覚めるような青に、優しいネモフィラの青、可憐な勿忘草の青……様々な青い花が、ブルーの腕の中にひしめいている。

「つまり、その……」

 帽子を取り、ブルーは跪く。青みがかった髪が風に靡いて、顔がはっきりと見えた。いつも帽子の影にある目はやっぱり、澄んでいて優しい。

 不意に強い風が吹いて、ブルーの手から帽子を奪っていった。あっというまに帽子は舞い上がって夜の色に溶けていく。

「あっ……」

 ヨゼフィーネは帽子の行方を目で追う。だけどブルーはそんなことには構わず、ヨゼフィーネを見つめている。

「ヨゼフィーネ。僕と、結婚してください」

 青い花束を差し出して、凜とした声でブルー告げる。

 とくりと鼓動が鳴る。それを、ヨゼフィーネは急いで封じ込めた。その正体は薄々わかっている。この気持ちは、出てきてはいけないものだ。

「ありがとう、ブルー。優しいのね」

 死にゆく少女の夢を、仮初めにでも叶えようとしてくれている。心優しい死神。
 そう思って力なく微笑むと、ブルーは焦ったように言い募る。

「ちっ……違うんだ、僕は本気で……っ!」

 珍しく大きな声を出して、少し動揺したように視線を泳がせる。ブルー自身が、自分の声にびっくりしたようだ。

 しかし、思い直したようにまたヨゼフィーネをまっすぐに見つめる。

「好きに、なってしまったんだ……」
「ダメよ。死神なのでしょう、ブルー。わたしを連れて行かなくちゃいけないのでしょう」
「それは、そう……なんだけど」
「ダメ」

 頑なな声でヨゼフィーネは拒絶する。死神がどういう存在なのかはよく知らないけれど、きっと、決まりを破ればブルーの立場は悪くなる。罰があるかもしれない。自分の勝手な願望につき合わせるべきではないのだ。

 若くして死ぬのは不幸なことだ。だけどそれがなんだというのだろう。そんな不幸など、ありとあらゆるところに転がっていて、さして珍しくもない。

 だけど人の心に寄り添いすぎる死神は、真に受けてしまったのだ。死を前にして狼狽える娘の妄言を。

「ごめんなさい、わたしが泣いたりしたから」
「僕は……僕はね、嬉しかったんだ。あんなふうに、心を開いてくれて。だから……」

 少し震えた声で言う。彼の緊張と真剣さが伝わってくる。

「ヨゼフィーネ、君の夢を叶えたくなってしまったんだ」
「やめて……!」

 ヨゼフィーネは思わず声を荒らげて立ち上がる。よろけたところをブルーは支えてくれた。花束は腕から零れてバラバラになって落ちた。

「叶わないって、知ってるわ。ただ言ってみただけなの。それだけなのよ。……だから、もうやめて」

 怖い。夢を見るのが怖い。信じるのが怖い……。それが手には入らないと思い知らされるのが。

 もっと幼い頃は、自分の病気は治るのだと信じていた。元気になって、他の子たちと同じように学校に行ったり遊んだりできるのだと思っていた。

 何も叶わなかった。何も。夢想をベッドの上で繰り返すだけだった。
 ヨゼフィーネは耳を塞ぐ。絶望するくらいなら、いっそ今すぐ連れ去って欲しい。

「……ごめん、ヨゼフィーネ」
「わたしこそ……ごめんなさい。わたしのために言ってくれたのに」

 優しさを受け入れられない小さな自分が嫌だった。うつむくヨゼフィーネの肩に温かい手がそっと触れる。

「違うよ」

 身をかがめて、視線を合わせてくる。ブルーの瞳が近づく。ヨゼフィーネは硬直したように動けなくなってしまう。

「それは違う。僕がそうしたいから言ったんだ」

 ブルーの声は真剣だった。いつもの頼りなげな表情ではなく、目には鋭い光が宿る。

 本当に……本気なの? ブルー。

 混乱して、ヨゼフィーネはブルーの手をそっと払った。
 鼓動が速くなった。胸元に手を当てる。苦しくて、顔が熱くて――身体が宙に浮きそうだった。

 いけない。冷静にならなくては。せっかく決意したのに。この人に連れて行ってもらおうと、思っていたのに。生きることへの未練を断ち切ろうとしていたのに。

 ダメだって言い聞かせても言い聞かせても、顔を出そうとする。

 初めての恋の芽が。弱々しいけれど、必死に生きようと殻をこじ開ける。

「……少し、一人にさせて。ここは……危ないことはないのでしょう」
「うん、大丈夫だよ」

 微笑んで、ブルーは手を振る。いつもの屈託のなさで。

 そんなに、純粋な目で見ないで。

 背を向けてもまだ、どきどきが収まらない。ヨゼフィーネはどんどん公園を歩いた。どれほどの広さなのかわからないけれど、とにかくじっとしていられなくて歩いた。スワンボートが寄り添って眠る池の周りを一周して、花壇の間の小道を抜けて、青い薔薇のアーチの先で、飛ばされた帽子を見つけた。

 拾い上げて草を払う。澄んだ夜空の色の帽子を胸に抱く。
 ブルーと結婚する。そうして短い人生を閉じる。
 それで、いいのだろうか。明日にも最期を迎えるかもしれない花嫁で、いいのだろうか。

 彼の想いを受け止めても、いいのだろうか。
 自問に答えはない。ただ一つわかるのは――。

 もっと、ブルーと一緒にいたい。

 ブルーと一緒に、生きていられたら……いいのに。

 足は自然に元いた場所に向いていた。ブルーはベンチに座って待っていてくれた。バラバラに落ちた花を拾い直して、膝の上に置いている。その様子は少し、不安そうに見えた。

 ヨゼフィーネの姿を見つけると、遠目からもわかるほどに破顔して、手を振る。
 子どもっぽい仕草にくすりと笑う。プロポーズをしてくれたときには凜々しく見えたのに。思い出すと気恥ずかしくなって、ヨゼフィーネは視線を逸らした。ゆっくり、ゆっくりブルーの前まで歩いていく。

「帽子、拾ってくれたんだ」

 頷いて、紺青の帽子をブルーの頭に乗せる。綺麗な目がよく見えるのも素敵だけれど、やっぱりブルーには帽子がなくちゃ。

 大きく深呼吸して、ヨゼフィーネは視線を合わせた。優しい青い瞳が見つめている。

「ブルー、あの……さっきの……」

 お返事を、しなくては。そう思い、ヨゼフィーネは言葉を紡ごうとする。だけど喉がからからで上手く声が出ない。

 胸が早鐘を打ち、身体中を血が駆け巡るのを感じた。頬が熱くて、悲しくもないのに目が潤むのがわかる。

「……ブルー、プロポーズを……お受けします」
「ヨゼフィーネ……」
「わたしは、仕立て屋になってもいいのかしら」
「もちろんだよ。ありがとう、ヨゼフィーネ。嬉しいよ、とても……!」

 目の端に涙を滲ませて、ブルーは花が咲いたように笑う。

 ブルーが本当に幸せそうに笑うから、笑顔を返そうと唇の端を引き上げてみた。

 だけど……ダメだ。上手く笑えない。眉はみっともなく下がって、目はくしゃくしゃして前が見えない。嗚咽で唇が歪む。涙がぽろぽろと頬を伝って落ちた。どうして泣いてしまうのだろう。

 嬉しいのに。とっても嬉しいのに。

 ブルーはつられたのか、何度もありがとうと言いながら、ぐすぐすと鼻を鳴らして泣いた。ありがとうを言わなければならないのは、ヨゼフィーネのほうなのに。

 二人で一頻り泣いて、落ち着くと今度はお互いの泣き顔を見て笑った。笑い合うたびに胸が温かくなって、だけどまだ少し切なくて。

 この気持ちを、ずっとずっと胸に抱いていたい。そう思い至ってようやく、ヨゼフィーネは幸せを噛み締めることができた。
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