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婚約編

28.椿家の人々

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「それで、卒業後はどうするの? 番になるんでしょう?」
「あ、そのことなんですけど……」

 颯真がお茶を入れている間(蓉さんにアゴで使われていた)、俺はかくかくしかじかと自身について話した。
 病院での確定診断があるのでオメガになったことは間違いないのだが、体の中がまだ出来上がっていないため発情期が来ないこと。ただフェロモンは出ているので、高校卒業後最初に来た発情期で、と考えていること。

「なるほどね、雪くんちのお父様が……お母様の気持ちわかるわ、雪くんを守ろうとしたのね。わたしも同じ状況だったら離婚するし」
「母さん、そういうのは父さんが泣くから冗談でもやめてくれ」

 戻ってきた颯真がお茶を差し出しながら渋い顔をする。
 蓉さんは「パパに言わないでね」とお茶目に笑いながらお茶をすすった。
 颯真の両親はお見合い結婚だが、颯真パパが蓉さんに一目惚れして、お見合いしたものの全然結婚する気のなかった蓉さんを口説き落として番になったらしい。
 仔細は違うがどこかで聞いたような話だな、と思いながらお茶を飲む。うちで飲む緑茶よりずっとおいしい。

「発情期について、お医者様はなんて?」
「あー、まだ焦る年齢じゃないしゆっくりと、としか」
「はぁ? なにそれ? わかってないなぁ、焦るのはオメガじゃなくアルファだっての」

 普段とてもおしとやかな話し方の蓉さんは、たまに粗雑なしゃべりに変わる。それがいかにも男っぽくて、俺たち子世代が見ている母親としての蓉さんは彼の一面でしかないんだろう。

「とりあえず、学生二人で暮らせる物件ピックアップしとくね。オメガ用にセキュリティがしっかりしてなきゃだから、手持ちの物件だと難しいかも。叔父さんに聞いてみようか」
「駅近のマンション空いてるんじゃなかった?」
「あぁ、そこでもいいね。雪くんの進学先によっては別のとこがいいかな。そうだ、香川さんのご両親にも挨拶しなきゃ。結納式とかは堅苦しくなりすぎるかな?」
「ちょちょ、ちょっとお二人さん?」

 俺が高級な緑茶を楽しんでいる間に、颯真と蓉さんが真剣な顔でなにやら勝手に話を進めている。
 慌てて止めると「なにか?」ときょとん顔で見つめてくる。
 あっこの人たち目元がそっくり……ってそうじゃなくて。

「物件ってなんスか? ゆいのうしき?」
「何も不思議なことじゃないよ。雪くんは番のいないオメガ、だけど恋人はいる。アルファと引き離されるとオメガはつらいよ。メンタルが不安定になって、体も引きずられる。それにオメガには色々専用の設備が必要だから、ご実家より常時管理人のいるマンションのほうが場合によっては安心。オメガになってから、危ない目に遭った経験ない?」

 そう問われ、オメガにされたばかりの頃、駅で複数のアルファに追いかけられたことを思い出した。
 ぶるりと身震いした俺を見て、蓉さんは見透かしたように頷く。

「番ができるまでのオメガって本当に大変だからね。颯真も雪くんを番にするまでは気を揉むだろうし、同居は前向きに考えてほしい。部屋のことは心配しないで」
「そ、そうですか……」

 男性オメガとして大先輩にあたる蓉さんに言われると、それが全部正解に思えてしまう。

「それで、最初はどっちが手出したの? やっぱり颯真?」

 会話が急に下世話な方向に舵を切ったので、最初は何を問われたかわからなかった。
 問われたことに対し素直に記憶が再生されて、途中からは俺もノリノリだったけど最初はやっぱ颯真だなと思い、ちらっとそっちを見たせいで蓉さんが下品な笑いを浮かべ始めた。
 しかし颯真は、何か別のものを見ていたらしい。
 いきなり立ち上がってスタスタ歩き、隣室に面した襖をスパンと開けた。

「何やってんだおまえら……」

 ごろごろと転がり入ってくる少年少女たちを、冷ややかな目で見下ろす。

「やべっバレた! おまえらが押すからだぞ」
「なによ、和真かずまが邪魔してたんじゃん!」
「和真が襖に耳くっつけすぎて音が鳴ったんだよ」
「だって気になるだろ! アニキの番相手!」
「そーだけどぉ。あ、雪ちゃんおひさ~」
「和真くん、亜耶あやちゃんに香耶かやちゃんまで……」

 雪崩れてきた少年は和真くん、颯真の二つ下の弟。少女たちは亜耶ちゃんと香耶ちゃん。颯真の三つ下の双子の妹だ。ちなみに全員アルファ。
 どうやら俺たちの部屋の盗み聞きをしようと押し合いへし合いしていたらしい。
 面食らう俺の元に、三人がにじり寄ってくる。顔が近すぎて思わず仰け反ると、少年少女はすんっと鼻を鳴らした。

「わ、いい匂い。雪ちゃんホントにオメガなんだ」
「てことはうちらのお義兄にいちゃんになるってこと?」
「アニキがどんなオメガにも靡かないの、雪くんのせいだったのか。高身長イケメン専門」
「えー雪ちゃんがオメガならうちが番にしたい」
「はいはいきみたち、出会い頭にオメガのニオイ嗅ぐとか最悪のハラスメントやめてね~」

 蓉さんにまとめて退場させられる弟妹たちを颯真は冷ややかなまま見送った。
 それからなぜか俺の頭がくしゃくしゃと撫で回される。

「なに?」
「……いや……」

 座ったまま上体を傾けると、ぽすんと颯真の胸に受け止められた。そのまま腕を回すとハグが返される。
 自分の弟たちとはいえ、他のアルファに俺の匂いを嗅がれたのが嫌だったのかもしれない。ぐりぐりと頭を擦り付けてやると、少しだけトゲトゲしかった気配が緩んだ。

「ね、お見合いしたの?」
「……その話蒸し返すのか」
「いい人いた?」
「ユキよりいい相手なんているわけないだろ」
「えー? 俺よりいいオメガなんていっぱいいると思うけど」

 頭をくっつけたまま手を伸ばし、颯真の髪をいじる。
 少し伸びた襟足はもうちょっと伸びたらたぶん切られてしまうので、触れられるのは今だけだ。つんつんと引っ張っていたら、ちゅっと軽い口づけがおでこに落とされる。

「条件だけ見たらそうかもしれないけど。俺にはもうユキだけだから」
「んふふ。俺もー」
「そうじゃなきゃ困る。妹に奪られるとか勘弁してくれ」
「いやいやさすがにさっきのは冗談でしょ」

 亜耶ちゃんが「番にしたい」とぽろりと呟いていた言葉、まさか鵜呑みにしたわけじゃないだろう。
 でも颯真の唇はとんがって、拗ねているのがまるわかりだ。

「わかったわかった。冗談でもイヤなのね。俺も気をつけるから」
「そうしてくれ。あと匂いも嗅がせないで」
「善処する……あー早く発情期こないかな、番になれば颯真だけしか匂いわかんなくなるのに」

 抱きしめられる腕の力が強くなった。

「俺も、早くユキを俺だけのものにしたい」

 交わした視線は熱を帯びていて、それはたぶん俺も同じで。
 糸で引かれるみたいに唇が近づいて……いきなり颯真が立ち上がった。放り出されて転がる俺。
 颯真は今度は、廊下に面した障子をスパンと開け放った。
 よく見たら障子には指一本分の覗き穴が三つ開いていて、案の定廊下にいたのはいたずら弟妹たちだった。

「おまえらーっ!」
「アニキが怒った!」「わー」「逃げろー」
「逃げるな! 障子直してけー!」

 あんまりにも慌ただしくにぎやかな椿家の皆さんに、俺はとうとう堪えきれなくて、腹を抱えて笑ってしまった。
 颯真も仕方なさそうに笑う。
 そんなところに蓉さんがお茶のお代わりを持ってきてくれたので、俺たちは二人して不思議そうに見られてしまったのだった。

 蓉さんとお茶して、椿家弟妹に惜しまれながら辞去した。
 颯真は送ってくれると言ったが断った。このあといつも帰りが遅い椿パパが珍しく早く帰宅するらしいし、一家団欒に水を差す気はない。
 代わりに玄関先まで見送りに来てくれた颯真を遠慮なくハグして堪能しておく。

「あ゛~~……緊張した……」
「悪かった、母さんがあんな真似して。怖かっただろ」
「怖かった! もうダメかと思った……でも許してもらえてよかった……」
「そうだな」

 髪を撫でられて、勝手に顔がニヤけてしまう。
 颯真に撫でられると俺の体は簡単にふにゃふにゃになって、俺の心はとろんと溶けそうになってしまう。
 こんな具合にされているのに、引き離されたらきっと生きていけない。
 颯真の大事な人たちに仲を認めてもらえて、改めて本当によかったと思う。

「早く発情期こないかな……」
「思ったんだけど、あんまり早く来ても困る気がする。これから受験あるし」
「あーそうだ……そうだった……」

 さっきは早く発情期来てくれ派だった颯真のまさかの裏切り。
 しかし受験のことを言われてしまえば反論のしようがない。

「神様仏様やっぱり神様、俺の発情期は再来年の春以降でお願いします……」
「……もしかしてあの神様、そういうのもできるか?」

 颯真の思いつきにはっとする。
 俺の体をオメガにできるくらいだ。俺の発情期の制御もできそう。

「それ名案かも。実はちょっと前から夢に神様出てくることあってさ、そういうことだったのかなー」
「え、神様が夢に? ……」
「ちょっと颯真くん」

 今の話で拗ねるとこあった?
 アヒルみたいにとんがった唇をつんつんつつくと、ごくごく小さな声で「ちょっと妬けただけ」とか言うもんだから、嬉しいやらこそばゆいやら可愛いやらで、俺は身悶えた。

「んんん~帰りたくない……このままお持ち帰りしたい……」
「ダメだって。ユキのご両親も今日は帰ってきてるんだろ」
「はいそーでした……残念」

 名残惜しく思いながら体を離すと、ぱちっと視線が絡んで、どちらともなく口づけていた。

「……余計に離したくなくなった。お持ち帰りしてくれユキ」
「も~なにやってんの俺たち! 帰る! 帰ります!」
「あぁ……気をつけて……」

 こんなんじゃいつまで経っても離れられないので、心を鬼にしてハグを振り払い背を向けた。振り返らずに敷地を出る。
 くっついてたぬくもりが消えて寂しい。
 でもほんわりと胸があたたかい。離れても消えない熱がある。
 この熱が胸にある限り、俺たちはきっと大丈夫。
 根拠なんかないけど、素直にそう思えた。
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