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第二性選択編
15.金色の髪の乙女
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その後も大島は俺の日常を侵食してくるようになった。
颯真やクラスメイトと行動している間は見かけないけど、放課後など周囲の目がなくなるとひょっこり顔を出す。
いや、正確には大島が避けているのは颯真だけだ。
大島はあのクーポン券のせいで、俺の友人たちとすっかり打ち解けてしまった。
英雄扱いでハンバーガーチェーンに入り、その後はアルファらしい人心掌握術でベータたちの心に入り込んだらしい。気さくでノリの合うアルファ、というのが彼らの大島に対する評価だ。
「気さくでノリが合うアルファ枠には俺がいるじゃん」
「やー、雪は違うな」
「うん違う」
「何で?」
「雪は小動物っていうか、ペットっていうか」
「そもそもアルファの枠に入ってないし」
「それな」
深夜のグループチャットでこき下ろされた。
今までずっとアルファとして、それなりにプライドを持って生きてきたはずなのに、俺はアルファ枠じゃなかったらしい。泣きたい。いやちょっと泣いた。
助けを求めた颯真からの返答が、困ったように笑う犬のキャラクターのスタンプ一個だったことも俺の自尊心を傷つけた。それフォローになってないからな。
「雪~、帰ろ~」
今日もまた例によって大島がやってきた。
ここのところ毎日だ。颯真は週4で放課後部活があって、いつも一緒に帰れるのは一日だけ。
部活がある日も俺が待ってれば一緒に帰れるんだけど、大島がやってきて強引に連れ出されてしまうことが多い。今日もまた口八丁手八丁、手を変え品を変え俺と帰ろうとするだろう。
はぁー、と大きく溜め息吐いて立ち上がったら、大島は嬉しそうに破顔した。
「今日はゴネないんだ?」
「ん。遅くなるから先帰れって颯真に言われちゃったし」
「椿の代わりか~。わかってたけど厳しいな」
「大島ごときが颯真の代わりになれるわけないだろ」
「ひでぇ」
大島に対する扱いもずいぶん雑になってきた自覚はある。
俺が丁寧に対応しようと、雑にあしらおうと、向こうの態度が変わらないせいだ。
むしろこいつは俺のぞんざいな態度を「心を開いてる」というポジティブ解釈している節がある。
「今日はどこ行く?」
「金が掛かんないとこ」
連日どこかへ連れ出されるせいで懐事情が芳しくない。
両親の片方がアルファだとしても俺は一般家庭の子どもなので、お小遣いは決して多くない。
颯真だけでなく大島も、俺やベータ家庭とは経済価値観が一桁違うようだ。
かといって同い年の友人に奢られたくないし、そうなると行ける場所は限られる。
「金掛かんないとこかー。公園とか、図書館とか?」
「二人で?」
「嫌か~。んじゃあ俺の家は?」
ここ最近で急接近しているが、俺は大島の家に遊びに行ったことはなかった。
俺の定期の範囲外っぽいというのもあるし、いくら仲良くなったとはいえそこまでの友好度じゃないと、俺は思っていたんだけど。向こうはそうじゃないらしい。
「雑誌とかDVDとかいっぱいあるよ。来る?」
大島の目を見る。
それは純粋に友人を誘う言葉に思えた。
でもどうしても引っかかってしまう。俺が今、大島と同じではないということに。
「……やめとく。今日は帰る」
俺の様子が変わったことを察したのか、大島は追いかけてこなかった。
今の俺は番のいないオメガだ。
フェロモンは市販薬で抑えられているし、大島もベータの友人たちも気づいた様子はない。ついでに接する時間が短いせいか、アルファである父親も気づいてないっぽいのでまだ事情を話せてない。
そんな状態ではあるけど、俺はやっぱりオメガで、アルファの家に誘われて行くのは躊躇われた。
じゃあ颯真はどうなのかと言えば。
(もう無視できないよな……)
自分の気持ちの意味。
俺だけは懐に入れてくれてる颯真と、颯真にだけは全部を預けられる俺。
一緒にいられる時間が減ってしまって、寂しいけれど、苦しくはない理由。
「神様……俺、三ヶ月もいらなかったかも」
その人を思い浮かべただけで、どくどくと騒ぎ立てる心臓を服の上から押さえる。
颯真に話さなきゃ。
そう思っていたら、次の日には絶好の機会が訪れた。
「ユキ、一緒に帰ろう」
「今日は部活ないの?」
「うん。顧問の先生がいなくて、休みになった」
わっと内心沸き立ったのを努めて平静に見せながら、俺はゆっくりと席を立った。颯真と連れ立って教室を出る。
颯真といるとき、大島は不思議なほど接触してこない。
たぶんそれがアルファ同士の縄張り意識ということで、つくづく自分は半端なアルファだったんだなぁと思い知らされる。
まぁ今はアルファですらないし、気にしないに限るけど。
「どこか寄る?」
「いや。良かったらうちに来ないか? ユキが見たがってた映画、配信開始してるから」
「あのホームシアター部屋で見ていいの?」
「もちろん」
これは嬉しいサプライズだ。
颯真の家は立派な日本家屋なんだけど、いくつかの部屋がリフォームされて洋間になっている。
ホームシアターのある防音室もその一つだ。
俺と颯真はたまにその部屋で動画や映画を大画面で堪能している。巨大生物パニックものとか、映画館並の迫力があってすごいんだ。
うきうきしながら帰り道を行くと、あっという間に颯真の家の最寄り駅に着いた。
電車の中では俺が、これから見る映画に出る俳優や事前に調べた見どころ情報などを颯真にまくし立ててしまった。颯真はにこにこ聞いてくれたけど、ちょっと鬱陶しかったかもしれない。
反省のために、駅を出てからはしゃべるのは控えめにした。
それによく考えたら、俺はこの後告白するんだ。
大御所ハリウッド俳優のアクションシーンが楽しみとか言ってる場合じゃない。
「ユキ? 急に静かになったけどどうした?」
「あ、いや、えーと……」
にわかに緊張してきたとも言えず、愛想笑いを浮かべてみる。
でも当然颯真には俺のごまかしなんて通用しなくて、怪訝な顔をされてしまった。
「ユキ、」
俺の態度を颯真が追及しようとしたとき、俺の視界に眩い色がかすめた。
なんだろう。
それは、すでに数十メートルの距離にあった颯真の家の玄関から出てきた、人の髪の色だった。
長くてきれいな薄い金色の髪。
結ばれていないそれを靡かせて門扉の前に立つのは、制服姿の女の子だった。
颯真の家族は皆黒髪か、少し茶色がかっている程度で、金髪の女の子はいない。妹ちゃんのお友達だろうか。
不思議に思いながら見つめていたら、女の子がこちらを見た。
視線が交わったように思った瞬間、彼女がこちらへ駆けてきて────颯真に抱きついた。
は?
「颯真くん、おかえりなさい! お宅で待ってるつもりだったのだけど、わたし、もう待ちきれなくて」
は??
「ちょ、ちょっと。離れてくれ」
「あっ、ごめんなさい。いくら許嫁とはいえ、はしたなかったわ」
いいなずけ?
肩を並べていたはずの颯真は、女の子が飛びついたせいか少し離れていた。
一歩分の距離のまま凝視する俺に、颯真は顔色を変えた。
明らかに「やばい」って顔したなぁ今。
「あーーっと、俺用事思い出したわ~」
「ま、待ってくれユキ!」
「じゃあな颯真、ごゆっくり。俺のことは気にすんな」
また明日学校で。
そう付け足して背を向けて、夕日に沈みゆく住宅街を駆ける。
颯真は追いかけて来なかった。
「そっか、許嫁か……そっかぁ……」
およそ現代日本では信じ難い話だけど、名家のアルファには幼い頃から結婚を約束した相手……つまり許嫁がいるものだという。
颯真にそういう人がいるとは聞いたことがなかったし、俺と普通にヤってたから気にしたこともなかったけど、いたんだ。
颯真にも、結婚するべき相手が。
身長はすらりと高めだったけど、骨格が華奢で、手も足も細くて小さくて、つやつやの金髪と大きな瞳、ぷるぷるの唇の可愛らしい女の子だった。
それに多分、彼女はオメガだ。
俺みたいにへんてこで非現実的な方法でオメガになった「もどき」じゃなくて。生まれながらにアルファの唯一無二となることを約束された、宝石みたいにキラキラ磨かれた可愛い女の子。
あんなの、敵いっこない。
そう考えて、乾いた笑いが零れ落ちた。
敵うわけがない。向こうは家同士が約束した関係だ。俺に付け入る隙なんて最初からない。
「くそ、なんだよ……颯真のばーか……」
足元に転がっていた小石を蹴ってみても、眩しい西日を眺めてみても、やるせない気持ちは消えなかった。
あんなに可愛い許嫁がいるのに、どうして俺に触れたんだ。
いたずらに手を伸ばされなければ。俺が求めたとき、もっとしっかり拒否してくれれば。そうしてくれたら、余計な気持ちを抱かなくて済んだ。
あの日、神様に体をアルファに戻してもらって、それでおしまいにできたのに。
「颯真の……ばか……」
目の縁までこみ上げてきた塩辛いものを流すつもりはない。
乱暴に目元を拭って、俺は走った。
想いを全部振り切るくらい速く走れれば良かったのにと、生まれてはじめて自分の運動能力を残念に思った。
昨日は目が冴えてしまってあまり眠れなかったけど、なんとか少しだけ眠れた。
今日も今日とて学校がある。
イライラしたり、悲しくなったり、ジェットコースターみたいに情緒が安定しなかったけど、寝たらだいぶ吹っ切れた気がする。
そして俺は登校途中のコンビニで雑誌を買って学校に来た。
「ゆっき~、何読んでんの?」
「コレ」
雑誌の表紙を持ち上げて見せる。
シンプルな写真と見出しだけの表紙には、全身の筋肉が躍動する瞬間を捉えた、短距離走の選手が写っている。
机にアゴを乗せた友人が「ほ~?」とアホっぽい声を出した。
「雪、スポーツ興味あったっけ?」
「いや。でもちょっと走ろうかと思って」
「へー! それは良いことだ」
友人は雑誌を引っ張って天板に広げさせ、勝手に何ページかめくる。
「初心者はウォーキングかジョギングから始めるといいよ。ほらこれ、おすすめのスニーカーとウェア」
「ちゃんとしたのが必要?」
「そりゃもちろん。体を痛めたりしないためにね。あと形から入るのも有効だから」
どうやらこの友人は有識者らしい。
スニーカーについて妙に詳しい彼の説明に耳を傾けていたら、机の横に誰かが立った。
「……ユキ」
「あ、おはよう颯真」
「おはよ~」
雑誌と友人には目もくれず俺を凝視する颯真は、ちょっと怖かった。こころなしか目が血走ってる。
颯真は俺をじっと睨みつけ、一瞬周囲へ視線を走らせた。
すぐにでも話したいが、時間はないし場所も適切じゃない。そんなところだろう。
「……放課後、話したい」
「ん、いいよ」
快諾して雑誌に目を落とすと、颯真は自分の席へと戻った。
俺たちの空気が緊張していることに気づいたのだろう。友人がそわそわと肩を揺らす。
「雪……颯真となんかあった?」
「いや」
揉め事などは起きてない。
むしろ、俺と颯真の間には何もない。何もなかったのだ。
今考えれば、早まったことをしなくて本当に良かった。
親しい友人と体を重ねて、告白に似た甘い言葉をかけられて、舞い上がってしまっただけ。
アルファとして能力の低い俺が、オメガとしてなら生きられるような錯覚を抱いてしまっただけだ。
この先の長い人生の中で、ほんの一瞬だとしてもオメガとして生きた経験は、きっといつか役に立つだろう。
颯真の話を聞いたら、その足で神様に会いに行こう。
今度は手土産を持って。
そして何の未練もわだかまりもなく、体を戻してもらうんだ────元通り、アルファの体に。
颯真やクラスメイトと行動している間は見かけないけど、放課後など周囲の目がなくなるとひょっこり顔を出す。
いや、正確には大島が避けているのは颯真だけだ。
大島はあのクーポン券のせいで、俺の友人たちとすっかり打ち解けてしまった。
英雄扱いでハンバーガーチェーンに入り、その後はアルファらしい人心掌握術でベータたちの心に入り込んだらしい。気さくでノリの合うアルファ、というのが彼らの大島に対する評価だ。
「気さくでノリが合うアルファ枠には俺がいるじゃん」
「やー、雪は違うな」
「うん違う」
「何で?」
「雪は小動物っていうか、ペットっていうか」
「そもそもアルファの枠に入ってないし」
「それな」
深夜のグループチャットでこき下ろされた。
今までずっとアルファとして、それなりにプライドを持って生きてきたはずなのに、俺はアルファ枠じゃなかったらしい。泣きたい。いやちょっと泣いた。
助けを求めた颯真からの返答が、困ったように笑う犬のキャラクターのスタンプ一個だったことも俺の自尊心を傷つけた。それフォローになってないからな。
「雪~、帰ろ~」
今日もまた例によって大島がやってきた。
ここのところ毎日だ。颯真は週4で放課後部活があって、いつも一緒に帰れるのは一日だけ。
部活がある日も俺が待ってれば一緒に帰れるんだけど、大島がやってきて強引に連れ出されてしまうことが多い。今日もまた口八丁手八丁、手を変え品を変え俺と帰ろうとするだろう。
はぁー、と大きく溜め息吐いて立ち上がったら、大島は嬉しそうに破顔した。
「今日はゴネないんだ?」
「ん。遅くなるから先帰れって颯真に言われちゃったし」
「椿の代わりか~。わかってたけど厳しいな」
「大島ごときが颯真の代わりになれるわけないだろ」
「ひでぇ」
大島に対する扱いもずいぶん雑になってきた自覚はある。
俺が丁寧に対応しようと、雑にあしらおうと、向こうの態度が変わらないせいだ。
むしろこいつは俺のぞんざいな態度を「心を開いてる」というポジティブ解釈している節がある。
「今日はどこ行く?」
「金が掛かんないとこ」
連日どこかへ連れ出されるせいで懐事情が芳しくない。
両親の片方がアルファだとしても俺は一般家庭の子どもなので、お小遣いは決して多くない。
颯真だけでなく大島も、俺やベータ家庭とは経済価値観が一桁違うようだ。
かといって同い年の友人に奢られたくないし、そうなると行ける場所は限られる。
「金掛かんないとこかー。公園とか、図書館とか?」
「二人で?」
「嫌か~。んじゃあ俺の家は?」
ここ最近で急接近しているが、俺は大島の家に遊びに行ったことはなかった。
俺の定期の範囲外っぽいというのもあるし、いくら仲良くなったとはいえそこまでの友好度じゃないと、俺は思っていたんだけど。向こうはそうじゃないらしい。
「雑誌とかDVDとかいっぱいあるよ。来る?」
大島の目を見る。
それは純粋に友人を誘う言葉に思えた。
でもどうしても引っかかってしまう。俺が今、大島と同じではないということに。
「……やめとく。今日は帰る」
俺の様子が変わったことを察したのか、大島は追いかけてこなかった。
今の俺は番のいないオメガだ。
フェロモンは市販薬で抑えられているし、大島もベータの友人たちも気づいた様子はない。ついでに接する時間が短いせいか、アルファである父親も気づいてないっぽいのでまだ事情を話せてない。
そんな状態ではあるけど、俺はやっぱりオメガで、アルファの家に誘われて行くのは躊躇われた。
じゃあ颯真はどうなのかと言えば。
(もう無視できないよな……)
自分の気持ちの意味。
俺だけは懐に入れてくれてる颯真と、颯真にだけは全部を預けられる俺。
一緒にいられる時間が減ってしまって、寂しいけれど、苦しくはない理由。
「神様……俺、三ヶ月もいらなかったかも」
その人を思い浮かべただけで、どくどくと騒ぎ立てる心臓を服の上から押さえる。
颯真に話さなきゃ。
そう思っていたら、次の日には絶好の機会が訪れた。
「ユキ、一緒に帰ろう」
「今日は部活ないの?」
「うん。顧問の先生がいなくて、休みになった」
わっと内心沸き立ったのを努めて平静に見せながら、俺はゆっくりと席を立った。颯真と連れ立って教室を出る。
颯真といるとき、大島は不思議なほど接触してこない。
たぶんそれがアルファ同士の縄張り意識ということで、つくづく自分は半端なアルファだったんだなぁと思い知らされる。
まぁ今はアルファですらないし、気にしないに限るけど。
「どこか寄る?」
「いや。良かったらうちに来ないか? ユキが見たがってた映画、配信開始してるから」
「あのホームシアター部屋で見ていいの?」
「もちろん」
これは嬉しいサプライズだ。
颯真の家は立派な日本家屋なんだけど、いくつかの部屋がリフォームされて洋間になっている。
ホームシアターのある防音室もその一つだ。
俺と颯真はたまにその部屋で動画や映画を大画面で堪能している。巨大生物パニックものとか、映画館並の迫力があってすごいんだ。
うきうきしながら帰り道を行くと、あっという間に颯真の家の最寄り駅に着いた。
電車の中では俺が、これから見る映画に出る俳優や事前に調べた見どころ情報などを颯真にまくし立ててしまった。颯真はにこにこ聞いてくれたけど、ちょっと鬱陶しかったかもしれない。
反省のために、駅を出てからはしゃべるのは控えめにした。
それによく考えたら、俺はこの後告白するんだ。
大御所ハリウッド俳優のアクションシーンが楽しみとか言ってる場合じゃない。
「ユキ? 急に静かになったけどどうした?」
「あ、いや、えーと……」
にわかに緊張してきたとも言えず、愛想笑いを浮かべてみる。
でも当然颯真には俺のごまかしなんて通用しなくて、怪訝な顔をされてしまった。
「ユキ、」
俺の態度を颯真が追及しようとしたとき、俺の視界に眩い色がかすめた。
なんだろう。
それは、すでに数十メートルの距離にあった颯真の家の玄関から出てきた、人の髪の色だった。
長くてきれいな薄い金色の髪。
結ばれていないそれを靡かせて門扉の前に立つのは、制服姿の女の子だった。
颯真の家族は皆黒髪か、少し茶色がかっている程度で、金髪の女の子はいない。妹ちゃんのお友達だろうか。
不思議に思いながら見つめていたら、女の子がこちらを見た。
視線が交わったように思った瞬間、彼女がこちらへ駆けてきて────颯真に抱きついた。
は?
「颯真くん、おかえりなさい! お宅で待ってるつもりだったのだけど、わたし、もう待ちきれなくて」
は??
「ちょ、ちょっと。離れてくれ」
「あっ、ごめんなさい。いくら許嫁とはいえ、はしたなかったわ」
いいなずけ?
肩を並べていたはずの颯真は、女の子が飛びついたせいか少し離れていた。
一歩分の距離のまま凝視する俺に、颯真は顔色を変えた。
明らかに「やばい」って顔したなぁ今。
「あーーっと、俺用事思い出したわ~」
「ま、待ってくれユキ!」
「じゃあな颯真、ごゆっくり。俺のことは気にすんな」
また明日学校で。
そう付け足して背を向けて、夕日に沈みゆく住宅街を駆ける。
颯真は追いかけて来なかった。
「そっか、許嫁か……そっかぁ……」
およそ現代日本では信じ難い話だけど、名家のアルファには幼い頃から結婚を約束した相手……つまり許嫁がいるものだという。
颯真にそういう人がいるとは聞いたことがなかったし、俺と普通にヤってたから気にしたこともなかったけど、いたんだ。
颯真にも、結婚するべき相手が。
身長はすらりと高めだったけど、骨格が華奢で、手も足も細くて小さくて、つやつやの金髪と大きな瞳、ぷるぷるの唇の可愛らしい女の子だった。
それに多分、彼女はオメガだ。
俺みたいにへんてこで非現実的な方法でオメガになった「もどき」じゃなくて。生まれながらにアルファの唯一無二となることを約束された、宝石みたいにキラキラ磨かれた可愛い女の子。
あんなの、敵いっこない。
そう考えて、乾いた笑いが零れ落ちた。
敵うわけがない。向こうは家同士が約束した関係だ。俺に付け入る隙なんて最初からない。
「くそ、なんだよ……颯真のばーか……」
足元に転がっていた小石を蹴ってみても、眩しい西日を眺めてみても、やるせない気持ちは消えなかった。
あんなに可愛い許嫁がいるのに、どうして俺に触れたんだ。
いたずらに手を伸ばされなければ。俺が求めたとき、もっとしっかり拒否してくれれば。そうしてくれたら、余計な気持ちを抱かなくて済んだ。
あの日、神様に体をアルファに戻してもらって、それでおしまいにできたのに。
「颯真の……ばか……」
目の縁までこみ上げてきた塩辛いものを流すつもりはない。
乱暴に目元を拭って、俺は走った。
想いを全部振り切るくらい速く走れれば良かったのにと、生まれてはじめて自分の運動能力を残念に思った。
昨日は目が冴えてしまってあまり眠れなかったけど、なんとか少しだけ眠れた。
今日も今日とて学校がある。
イライラしたり、悲しくなったり、ジェットコースターみたいに情緒が安定しなかったけど、寝たらだいぶ吹っ切れた気がする。
そして俺は登校途中のコンビニで雑誌を買って学校に来た。
「ゆっき~、何読んでんの?」
「コレ」
雑誌の表紙を持ち上げて見せる。
シンプルな写真と見出しだけの表紙には、全身の筋肉が躍動する瞬間を捉えた、短距離走の選手が写っている。
机にアゴを乗せた友人が「ほ~?」とアホっぽい声を出した。
「雪、スポーツ興味あったっけ?」
「いや。でもちょっと走ろうかと思って」
「へー! それは良いことだ」
友人は雑誌を引っ張って天板に広げさせ、勝手に何ページかめくる。
「初心者はウォーキングかジョギングから始めるといいよ。ほらこれ、おすすめのスニーカーとウェア」
「ちゃんとしたのが必要?」
「そりゃもちろん。体を痛めたりしないためにね。あと形から入るのも有効だから」
どうやらこの友人は有識者らしい。
スニーカーについて妙に詳しい彼の説明に耳を傾けていたら、机の横に誰かが立った。
「……ユキ」
「あ、おはよう颯真」
「おはよ~」
雑誌と友人には目もくれず俺を凝視する颯真は、ちょっと怖かった。こころなしか目が血走ってる。
颯真は俺をじっと睨みつけ、一瞬周囲へ視線を走らせた。
すぐにでも話したいが、時間はないし場所も適切じゃない。そんなところだろう。
「……放課後、話したい」
「ん、いいよ」
快諾して雑誌に目を落とすと、颯真は自分の席へと戻った。
俺たちの空気が緊張していることに気づいたのだろう。友人がそわそわと肩を揺らす。
「雪……颯真となんかあった?」
「いや」
揉め事などは起きてない。
むしろ、俺と颯真の間には何もない。何もなかったのだ。
今考えれば、早まったことをしなくて本当に良かった。
親しい友人と体を重ねて、告白に似た甘い言葉をかけられて、舞い上がってしまっただけ。
アルファとして能力の低い俺が、オメガとしてなら生きられるような錯覚を抱いてしまっただけだ。
この先の長い人生の中で、ほんの一瞬だとしてもオメガとして生きた経験は、きっといつか役に立つだろう。
颯真の話を聞いたら、その足で神様に会いに行こう。
今度は手土産を持って。
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