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第六話 気になって顔を見られない!
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次の日から俺の行動は変化した。
深谷と過ごす時間が減るようそそくさと自室に戻る。
ソファに座ってテレビを見ることもやめて、ヤツと顔を合わせるのは食事時だけにした。
当初は不思議そうにしていただけの深谷の表情がだんだんと険しくなっていくのも見ないようにして、引きこもりかの如く部屋に閉じこもる。
できるだけ会話は普通に交わすよう努めたが、やたらと目を逸らしてしまうので多分今まで通りにはできていないだろう。
「だって、だってさぁ」
深谷のあの顔も触手による擬態であることは知っていた。
知っていたけど、それを自分で引っ剥がしそうになってしまったのは初めてだった。
例えるなら、無意識にかさぶたを剥がしてしまいそうになった時の感じ。
いつもあそこに溝があったんだろうか。あそこからパラリと触手に戻るのか。あのまま指を突っ込んでいたら、ヤツの顔はどうなっていたのだろう。
そんな詮無いことをぐるぐる考えていると深谷の顔をまともに見られなくて、つい逃げてしまう。
なによりも、あの溝のことを考える時に俺の頭を占める感情が恐怖より好奇心に傾いていることが問題だった。
怖いというより、気になるのだ。
こうなると、剥がそうとしたかさぶたが俺のものではなく深谷のものだという気まずさが生まれる。
さすがにセフレ関係とはいえ「かさぶた剥がさせてくれない?」なんて頼む馬鹿はいないだろう。……この広い世界なら何人かはいるのかもしれないが。
「はぁ……でも気になるしなぁ。こりゃもう本人に打ち明けるしかないか」
「何をですか」
「ぅわぁ!!」
ベッドでごろごろしながら懊悩していた俺の部屋の戸口に、ここ数日俺の頭を占領している不思議生物・深谷が仁王立ちしていた。
まさしく金剛力士のごとく威圧的に立つ深谷の表情は明らかに厳しい。眉根を寄せ、切れ長の双眸を鋭く細め、口元を引き結んでいる。
元が甘さの少ない美形であるから、そうして凄まれるとかなり迫力があった。
「ど、どうしたんですか深谷くん」
「なんですかその口調。それより『本人に打ち明ける』ってなんですか」
「立ち聞き……ってか堂々と聞いてたな。ノックなしでドア開けるなって言ってるだろが。別になんでもねーよ」
「なんでもなくはないでしょう。俺のこと避けてるのと関係ありますか」
「……」
「あるんですね」
詰問しながらずいずい近づいてくる深谷を押し止めるすべがなく、俺はベッドの上で追い詰められていた。
逃げたくても、顔の両側に深谷の腕が突き立てられ、頭上も体の側面も触手が逃げ場を埋めている。これが壁ドン(全方向)……タコに捕食される寸前の獲物の視界だ。
やましい気持ちしかない俺はじわじわと汗をかき始めている。元来隠し事とか苦手なんだ俺は。
「新さんに隠し事は無理ですよ。素直に全部話してください」
俺の心を読むな。
「どんなことでも怒らないですから、さぁ」
「で、でも……」
「それともアレですか。俺のこと嫌いになりました? 顔も見たくないくらいイヤになった?」
「それは違う! ……ぁ」
いや今のは好きだという意味とかじゃなくて、嫌いかどうかと言われたら嫌いなわけじゃないという単純な否定で深い意味はなくて。
慌てて弁解する俺を尻目に、深谷は深々と溜め息を吐き出した。
「ここ数日マジできつかったです。本気で新さんに嫌われたんじゃないかって」
「そ、そんなことねーよ」
「あんなに避けまくっててよく言う。原因に心当たりないし、この前ヤりすぎたかと思ったけど元気そうにしてるし、理由を聞きたくてもあからさまに逃げられるし」
「……ごめん」
「うん。避けてた理由、ちゃんと話して?」
触手が離れていく。壁ドン捕食状態じゃなくなった姿勢で、俺は気まずさに目を逸らしつつ、数日前のことを話した。
眠る深谷を撫でていたら皮膚をめくりそうになってしまい、未知の感情に捕らわれて逃げ出した。それが好奇心に由来すると気づいて、色々とマズいだろうと思い悩んでいたら深谷の顔をまともに見られなくなってしまった。精気提供の際にまたあの裂け目を見つけたらどう感じるかわからなくて、接触自体避けた。
俺の話を深谷は静かに聞いていた。
「はぁ、なるほど。事情はわかりました」
「ごめん……気分悪かったよな」
「気分が悪かったというか……まぁいいです。理由話してくれたんで」
「許してくれるのか?」
「許すもなにも、嬉しいくらいですよ。俺を避けてる間も新さんはずっと俺のこと考えてたんでしょ。意識してくれてるってことだし」
「は!?」
だから好きとかそういうんじゃなくて! と反論しようとした唇に深谷の指が押し当てられ、動きを封じられる。
「まぁそれは追々。それより、俺の体がどうなってるか、今もまだ気になる?」
「えっ……それは、まぁ……気にならないと言えば嘘になる」
「うん。じゃあ好きに触っていいですよ」
「へっ」
「シャワー浴びてきます。すぐ戻りますからここにいてください」
深谷は一人で納得して、背を向けて部屋を出ていった。
「え……どういう展開?」
俺は状況を飲み込めずぽかんとしてしまう。
とりあえず、勝手に触ったことも避けていたことも怒られなかった。
同居人とギスギスしていたら暮らしの質に関わるし、この数日彼には申し訳ないことをした。
でもどうしても直視できなくて……という話をしたら、どうなったんだっけ?
混乱が収まらないうちに、深谷は本当にものの数分で帰ってきた。
またもやノックなしで俺の部屋に入ってきた男は、上半身裸だ。
「キャーッ、なんで着てないんだよ!」
「悲鳴が野太い」
瞬発力のあるツッコミを受けたが、俺は別の意味で深谷を直視できない。
もうそろそろこいつの裸なんて見慣れたもんだと思われるだろうが、明るい中でヤツの体をじっくり見る機会はあまりない。すぐにそれどころじゃなくなるからだ。
しかし深谷は事もあろうに部屋着のスウェットズボンも脱ぎ捨てて、ベッドに乗り上がってきた。
「ぅ、わ……っ」
こうして見ると深谷の体は、引き締まった若い男の肉体でしかない。
まだ少し湿っている黒髪に、きりりとした顔立ちと鋭いフェイスライン。首は筋張って喉仏がしっかりと隆起し、ハリのある肌はがっしりとした肩や脇腹につながっている。
腕だって筋肉が全体を覆っていて、多少柔らかそうなのは胸くらい。それも触手で形作っていることを考えると、見た目より弾力があるのかもしれない。
主張しすぎずに割れた腹筋、下着に覆われた腰と臀部を伝って、太腿だって俺のより全然太い。
見れば見るほど男の体だ。構造自体は見慣れた、新鮮味も面白みもないはずの身体。
なのにごくりと生唾を飲み込んでしまったのはなぜなのか。触ってみたくて仕方ないというこの気持ちはどこから来るんだろう。
「さぁ、どこでも触っていいですよ」
「え、えっと……」
「どうなってるか気になるんでしょう? ほら」
手を取られ、深谷の腹に俺の手のひらが押し当てられた。
すべすべとして固い弾力があり、シックスパックの溝も違和感がない。
指先でなぞるとくすぐったかったのか、筋肉が震える感触が伝わってきた。なんだか楽しくなって積極的に手を伸ばす。
「わ、これもしかして」
腹斜筋を撫でていたら、爪先が筋肉由来ではない何かに引っかかった。
それは明らかに人間の体に存在してはいけない段差だ。
思わず深谷を見上げると、ヤツは微笑んで頷いた。子供が何にでも触りたがるのを見守る親のような風情に頬が熱くなる。
でも好奇心には勝てなかった。
指先に力を入れると、段差に指が沈んだ。
脇腹を形成していた筋肉───だと思っていたものが、焼き魚の身が皮から剥がれるような感触でばらけていく。
扇状に張り付いていた触手が現れ、腹斜筋はすっかり形を失った。
中身が空洞だったり、モツがはみ出たりしたらどうしようかと思ったが、空いた場所の奥にはさらに触手が詰まっていた。表面ほど皮膚っぽくない、まんまな触手が何本も収まっている。
「え、これどうなってんの?」
「俺の体は触手の集まりなので、人間のような臓器はないんです。もちろん肺とか胃腸とか似たような機能の器官はあるんですが、触手に内蔵されているので外皮を剥がしても露出はしません」
「ほぉ……マジで全身筋肉みたいな構造なんだ」
「ですね」
俺の手でほぐされた腹筋はもはや見る影もなく、イソギンチャク的に触手がウネっている状態になった。どれだけ掘っても中には触手しかない。
人間で言うところの背骨にあたる触手は数本が寄り集まっていて、深谷の体で一番強靭なんだそうだ。
その背骨触手から枝分かれするような形で様々な形、太さ、長さの触手が人型を形作っている。
「ずっと気になってたんだけど、不意に触手出そうになることないの?」
「ありますよ。だからここがきつく締まる服を着ます」
そう言って彼が指さしたのは首筋だった。
髪の生え際からやや下方、ちょうど肩が始まる辺り。
「ここが圧迫されてると、咄嗟に触手出ることほとんどないので」
「へぇー」
そう言われれば、深谷の触手が最初に出るのはいつも首の後ろかもしれない。
背筋を伸ばすとき腹に力を込めるとか、正座するとき足の親指を重ねるとか、そういう感覚のものだろうか。
仕事中は詰まった襟にネクタイも締めるから安心できそうだ。襟元を少しも緩められないのはつらいかもしれないが。
「腕もやってみますか?」
「うん。……うわ、うわー」
差し出された深谷の手を素直に受け取ると、肌が重なった瞬間にばらけた。
五本の指と、いくつかの掌線が刻まれていた手のひらが五本の触手に早変わりする。
思えば深谷が入居した初日、これを見て俺は腰が抜けそうなほど驚いたんだった。
表面を撫であげていくと、抵抗なくするすると腕が触手に変わっていく。
「すげー……さけるチーズみたいだ」
「もう少し言い方ありません?」
微妙な顔をする深谷の腕はすっかり割けた後のチーズ……もとい、触手の束になってしまった。
プレーンな形状の、割と太めな触手がウネウネと蠢いてる頂点に深谷の頭がある。
人体が触手になったというよりは、触手に人体がくっつけられたみたいだ。特殊メイクもびっくり、CGばりの非現実的な光景だった。人類への冒涜を感じる。
「顔もめくります?」
朝によく聞く「コーヒー淹れますか?」と同じトーンで問われ、俺は首を振った。さすがにそこまで覚悟がない。
でも深谷の本当の顔はこれじゃないんだよな。いつか本物の顔を見る機会もあるんだろうか。そもそも顔という概念が触手にあるのかどうか。
俺はおおよそ満足したことを伝えて、深谷は触手をワサワサさせながら頷いた。
「どうですか。気持ち悪いと思いますか?」
平坦な声色だった。なんの感情も浮かんでいない顔をしているけど、俺はなんとなく今彼が何を恐れているか察してしまう。
気持ち悪いって言われたくないのか。
まぁそうだろう。幸いにして俺は今までの人生、自身を指して気持ち悪いと言われたことがなかったが、言われたら傷つくことくらい想像できる。
たとえどんなに自分の身なりや言動に原因があると自覚していても。
でもそんな言葉や態度を俺はずっと深谷に見せてきたわけで……もしかすると今こうして触手の結合をほどいて体を晒しているのも、深谷にとっては一世一代の覚悟の行為なのかもしれない。
いつもは鬱陶しいくらい絡んでくる触手が一本も伸ばされないのがその証拠のように思える。
「気持ち悪くはない。もう慣れた」
「慣れた? 本当ですか?」
「慣れるだろそりゃ。毎回コレで体中触られまくってるんだから」
先程まで手だった触手の束に指を絡めると、やんわりと手を握りあっているような形になった。
少し前の俺なら絶対にあり得ないと嫌がったであろう触れ方だけど、今はなんとも思わない。
それより問題なのは、この年下の同居人が俺の言葉に一喜一憂すると沸き起こる、奇妙な優越感と不思議な感情の方だった。
「それに、中身がおまえなら人外でもいいかって、ちょっと思い始めてる」
絡めたものごと手を引き寄せて、頬に当てた。
触手がびくりと震えて引っ込もうとするのを押さえる。俺の手と頬の間に挟まれた触手は緊張したように強張って、いつものように絡んできてくれない。
普段は妙に押しが強いのに、いざ俺が本気で嫌がったり、力任せに引き剥がせばすぐに身を引いてしまう男。
人外のくせに同人誌みたいな特殊なプレイをするでもなく、俺を怖がらせないようノーマルな行為だけで解放する。体位はいつも対面で、俺の快楽しか追求しない。
今だって、白日の元で触手姿を晒すのは嫌だろうに、俺のために触らせて。
外見はかわいさの欠片もない触手成人男性だが、仕草はかわいいと思わないこともない。俺を一心に慕ってくるのも悪くない。
「いくら腕力で敵わないったって、本気で嫌なら刃物持ち出すなり通報するなりしてる。……これ以上言わせる気かよ」
「───っ!」
触れ合わせた手にすり、と頬を擦り寄せると、感極まったように触手が襲いかかってきた。
人間の形のままの左腕と、触手の右腕。それに胴体を形作っていた触手も全部、正面から抱きついてくる。支えきれない重さに逆らうことなくベッドに背を沈めると、ぎゅうぎゅう抱き締められた。
「う゛っ……嬉しいです、新さん……」
「えっおまえ泣いてんの?」
「泣いてな゛いです」
俺を押し倒したまま上体を起こした深谷は首や肩を人間形態に戻しつつ、目元と鼻を赤くしつつ、確かに落涙してはいなかった。鼻はすすってるし目も潤んでるけど。
「なんか今、頚椎の下あたりがぎゅーってなって、すげー痛くて」
「それは……なんだ? 肩こりか?」
「心臓にあたる器官があるので、心臓病かもしれません……新さんどうしよう……」
そこはさっき、最初の触手が出ると聞いた場所だ。
触手の心臓、そんなところにあるのか。つくづく想像の上をいく生き物だ。
首を押さえて鼻を鳴らした深谷が実際に心臓病を発症するのかどうかはわからないが、俺はなんだか笑いが込み上げてきてしまった。
ロマンチックさはなかったが、こういうシチュエーションで胸が痛いといえばそれはもう。
「おまえホントに俺のこと好きなんだな」
「な、なんですか急に」
「俺の言葉で嬉しくなったんだろ? 嬉しい時って胸がいっぱいで、苦しくなるよな」
形を取り戻した肩を抱き寄せて、頭をさらさら撫でてやる。まだ僅かに湿っている黒髪はどこか爽やかでいい匂いがした。
俺が知っているこの男の過去は少ない。
どうも良い思い出がないようで、かろうじて都内の大学に通っていたとは聞いたことがあったが、それより昔のことはあまり話したくない様子だった。
深谷はどうがんばっても人間にはなれない。正体を隠していたとしても、明かしていたとしても、良い扱いはされなかったのだろう。
そんな彼が精一杯人間らしく生きられるよう心を砕いて、俺にだけ愛を囁いて、一方で嬉しいときの心の動きすら知らない。
かわいいと思ってしまうのも仕方ないじゃないか。
俺が深谷の行動や言葉に狼狽える度に歩み寄り、譲歩して、俺の気持ちを勝ち取ろうと苦心する度に少しずつ絆されていったのだろうと思う。
男相手に、とはもう思わなかった。そんなことを悩む場面はとうに過ぎている。
だけど自分から今の気持ちを告げるのは、ちょっと……いやかなり抵抗がある。
だからしばらくはこのまま、このかわいい男を悶々とさせておこう。
「なぁ……する?」
その代わり、精気供給だけは素直に応じてやるとするか。
俺から誘う言葉が意外だったか、深谷は目を見開いた。しかし驚きもそこそこに、触手が俺の上着をたくし上げてくる。
「明日まだ平日ですよ。いいんですか?」
今度は明確に笑ってしまった。
そんなギラギラした目で見つめながら、性急に服を脱がせながら言うことじゃない。
同意の意図を込めて、首に回した手のひらで覆いかぶさる男のうなじを撫で下ろした。そこから出ている触手がくすぐったそうに震えてうねる。
触手にとっても心臓は急所だろう。性感帯だったりするだろうか。人間だと急所に近いほど敏感だというし。
「今日はそういう気分。おまえがやりたくないならいいけど」
「したいです。24時間365日したいです」
「それはやめろ」
今日びコンビニだって働き方改革とかで終日営業を見直してるってのに、こっちは年中無休なのか。恐ろしや若者の性欲。いや触手だからか?
それほどまでに求められるのは、正直言って悪い気分じゃない。
しかし明日も仕事があることは事実なので、週末同様のドロドロに溶けそうな交合はキツい。たまに日曜の夕方くらいまで宜しくやったりすると、月曜は椅子に座り続けるのがマジでつらいのだ。
「明日のことも考えつつ、俺のこと大好きな深谷くんは、優しくシてくれるよな?」
「善処します」
目元を赤らめて真剣に頷くのがおかしくて、また笑えた。
深谷と過ごす時間が減るようそそくさと自室に戻る。
ソファに座ってテレビを見ることもやめて、ヤツと顔を合わせるのは食事時だけにした。
当初は不思議そうにしていただけの深谷の表情がだんだんと険しくなっていくのも見ないようにして、引きこもりかの如く部屋に閉じこもる。
できるだけ会話は普通に交わすよう努めたが、やたらと目を逸らしてしまうので多分今まで通りにはできていないだろう。
「だって、だってさぁ」
深谷のあの顔も触手による擬態であることは知っていた。
知っていたけど、それを自分で引っ剥がしそうになってしまったのは初めてだった。
例えるなら、無意識にかさぶたを剥がしてしまいそうになった時の感じ。
いつもあそこに溝があったんだろうか。あそこからパラリと触手に戻るのか。あのまま指を突っ込んでいたら、ヤツの顔はどうなっていたのだろう。
そんな詮無いことをぐるぐる考えていると深谷の顔をまともに見られなくて、つい逃げてしまう。
なによりも、あの溝のことを考える時に俺の頭を占める感情が恐怖より好奇心に傾いていることが問題だった。
怖いというより、気になるのだ。
こうなると、剥がそうとしたかさぶたが俺のものではなく深谷のものだという気まずさが生まれる。
さすがにセフレ関係とはいえ「かさぶた剥がさせてくれない?」なんて頼む馬鹿はいないだろう。……この広い世界なら何人かはいるのかもしれないが。
「はぁ……でも気になるしなぁ。こりゃもう本人に打ち明けるしかないか」
「何をですか」
「ぅわぁ!!」
ベッドでごろごろしながら懊悩していた俺の部屋の戸口に、ここ数日俺の頭を占領している不思議生物・深谷が仁王立ちしていた。
まさしく金剛力士のごとく威圧的に立つ深谷の表情は明らかに厳しい。眉根を寄せ、切れ長の双眸を鋭く細め、口元を引き結んでいる。
元が甘さの少ない美形であるから、そうして凄まれるとかなり迫力があった。
「ど、どうしたんですか深谷くん」
「なんですかその口調。それより『本人に打ち明ける』ってなんですか」
「立ち聞き……ってか堂々と聞いてたな。ノックなしでドア開けるなって言ってるだろが。別になんでもねーよ」
「なんでもなくはないでしょう。俺のこと避けてるのと関係ありますか」
「……」
「あるんですね」
詰問しながらずいずい近づいてくる深谷を押し止めるすべがなく、俺はベッドの上で追い詰められていた。
逃げたくても、顔の両側に深谷の腕が突き立てられ、頭上も体の側面も触手が逃げ場を埋めている。これが壁ドン(全方向)……タコに捕食される寸前の獲物の視界だ。
やましい気持ちしかない俺はじわじわと汗をかき始めている。元来隠し事とか苦手なんだ俺は。
「新さんに隠し事は無理ですよ。素直に全部話してください」
俺の心を読むな。
「どんなことでも怒らないですから、さぁ」
「で、でも……」
「それともアレですか。俺のこと嫌いになりました? 顔も見たくないくらいイヤになった?」
「それは違う! ……ぁ」
いや今のは好きだという意味とかじゃなくて、嫌いかどうかと言われたら嫌いなわけじゃないという単純な否定で深い意味はなくて。
慌てて弁解する俺を尻目に、深谷は深々と溜め息を吐き出した。
「ここ数日マジできつかったです。本気で新さんに嫌われたんじゃないかって」
「そ、そんなことねーよ」
「あんなに避けまくっててよく言う。原因に心当たりないし、この前ヤりすぎたかと思ったけど元気そうにしてるし、理由を聞きたくてもあからさまに逃げられるし」
「……ごめん」
「うん。避けてた理由、ちゃんと話して?」
触手が離れていく。壁ドン捕食状態じゃなくなった姿勢で、俺は気まずさに目を逸らしつつ、数日前のことを話した。
眠る深谷を撫でていたら皮膚をめくりそうになってしまい、未知の感情に捕らわれて逃げ出した。それが好奇心に由来すると気づいて、色々とマズいだろうと思い悩んでいたら深谷の顔をまともに見られなくなってしまった。精気提供の際にまたあの裂け目を見つけたらどう感じるかわからなくて、接触自体避けた。
俺の話を深谷は静かに聞いていた。
「はぁ、なるほど。事情はわかりました」
「ごめん……気分悪かったよな」
「気分が悪かったというか……まぁいいです。理由話してくれたんで」
「許してくれるのか?」
「許すもなにも、嬉しいくらいですよ。俺を避けてる間も新さんはずっと俺のこと考えてたんでしょ。意識してくれてるってことだし」
「は!?」
だから好きとかそういうんじゃなくて! と反論しようとした唇に深谷の指が押し当てられ、動きを封じられる。
「まぁそれは追々。それより、俺の体がどうなってるか、今もまだ気になる?」
「えっ……それは、まぁ……気にならないと言えば嘘になる」
「うん。じゃあ好きに触っていいですよ」
「へっ」
「シャワー浴びてきます。すぐ戻りますからここにいてください」
深谷は一人で納得して、背を向けて部屋を出ていった。
「え……どういう展開?」
俺は状況を飲み込めずぽかんとしてしまう。
とりあえず、勝手に触ったことも避けていたことも怒られなかった。
同居人とギスギスしていたら暮らしの質に関わるし、この数日彼には申し訳ないことをした。
でもどうしても直視できなくて……という話をしたら、どうなったんだっけ?
混乱が収まらないうちに、深谷は本当にものの数分で帰ってきた。
またもやノックなしで俺の部屋に入ってきた男は、上半身裸だ。
「キャーッ、なんで着てないんだよ!」
「悲鳴が野太い」
瞬発力のあるツッコミを受けたが、俺は別の意味で深谷を直視できない。
もうそろそろこいつの裸なんて見慣れたもんだと思われるだろうが、明るい中でヤツの体をじっくり見る機会はあまりない。すぐにそれどころじゃなくなるからだ。
しかし深谷は事もあろうに部屋着のスウェットズボンも脱ぎ捨てて、ベッドに乗り上がってきた。
「ぅ、わ……っ」
こうして見ると深谷の体は、引き締まった若い男の肉体でしかない。
まだ少し湿っている黒髪に、きりりとした顔立ちと鋭いフェイスライン。首は筋張って喉仏がしっかりと隆起し、ハリのある肌はがっしりとした肩や脇腹につながっている。
腕だって筋肉が全体を覆っていて、多少柔らかそうなのは胸くらい。それも触手で形作っていることを考えると、見た目より弾力があるのかもしれない。
主張しすぎずに割れた腹筋、下着に覆われた腰と臀部を伝って、太腿だって俺のより全然太い。
見れば見るほど男の体だ。構造自体は見慣れた、新鮮味も面白みもないはずの身体。
なのにごくりと生唾を飲み込んでしまったのはなぜなのか。触ってみたくて仕方ないというこの気持ちはどこから来るんだろう。
「さぁ、どこでも触っていいですよ」
「え、えっと……」
「どうなってるか気になるんでしょう? ほら」
手を取られ、深谷の腹に俺の手のひらが押し当てられた。
すべすべとして固い弾力があり、シックスパックの溝も違和感がない。
指先でなぞるとくすぐったかったのか、筋肉が震える感触が伝わってきた。なんだか楽しくなって積極的に手を伸ばす。
「わ、これもしかして」
腹斜筋を撫でていたら、爪先が筋肉由来ではない何かに引っかかった。
それは明らかに人間の体に存在してはいけない段差だ。
思わず深谷を見上げると、ヤツは微笑んで頷いた。子供が何にでも触りたがるのを見守る親のような風情に頬が熱くなる。
でも好奇心には勝てなかった。
指先に力を入れると、段差に指が沈んだ。
脇腹を形成していた筋肉───だと思っていたものが、焼き魚の身が皮から剥がれるような感触でばらけていく。
扇状に張り付いていた触手が現れ、腹斜筋はすっかり形を失った。
中身が空洞だったり、モツがはみ出たりしたらどうしようかと思ったが、空いた場所の奥にはさらに触手が詰まっていた。表面ほど皮膚っぽくない、まんまな触手が何本も収まっている。
「え、これどうなってんの?」
「俺の体は触手の集まりなので、人間のような臓器はないんです。もちろん肺とか胃腸とか似たような機能の器官はあるんですが、触手に内蔵されているので外皮を剥がしても露出はしません」
「ほぉ……マジで全身筋肉みたいな構造なんだ」
「ですね」
俺の手でほぐされた腹筋はもはや見る影もなく、イソギンチャク的に触手がウネっている状態になった。どれだけ掘っても中には触手しかない。
人間で言うところの背骨にあたる触手は数本が寄り集まっていて、深谷の体で一番強靭なんだそうだ。
その背骨触手から枝分かれするような形で様々な形、太さ、長さの触手が人型を形作っている。
「ずっと気になってたんだけど、不意に触手出そうになることないの?」
「ありますよ。だからここがきつく締まる服を着ます」
そう言って彼が指さしたのは首筋だった。
髪の生え際からやや下方、ちょうど肩が始まる辺り。
「ここが圧迫されてると、咄嗟に触手出ることほとんどないので」
「へぇー」
そう言われれば、深谷の触手が最初に出るのはいつも首の後ろかもしれない。
背筋を伸ばすとき腹に力を込めるとか、正座するとき足の親指を重ねるとか、そういう感覚のものだろうか。
仕事中は詰まった襟にネクタイも締めるから安心できそうだ。襟元を少しも緩められないのはつらいかもしれないが。
「腕もやってみますか?」
「うん。……うわ、うわー」
差し出された深谷の手を素直に受け取ると、肌が重なった瞬間にばらけた。
五本の指と、いくつかの掌線が刻まれていた手のひらが五本の触手に早変わりする。
思えば深谷が入居した初日、これを見て俺は腰が抜けそうなほど驚いたんだった。
表面を撫であげていくと、抵抗なくするすると腕が触手に変わっていく。
「すげー……さけるチーズみたいだ」
「もう少し言い方ありません?」
微妙な顔をする深谷の腕はすっかり割けた後のチーズ……もとい、触手の束になってしまった。
プレーンな形状の、割と太めな触手がウネウネと蠢いてる頂点に深谷の頭がある。
人体が触手になったというよりは、触手に人体がくっつけられたみたいだ。特殊メイクもびっくり、CGばりの非現実的な光景だった。人類への冒涜を感じる。
「顔もめくります?」
朝によく聞く「コーヒー淹れますか?」と同じトーンで問われ、俺は首を振った。さすがにそこまで覚悟がない。
でも深谷の本当の顔はこれじゃないんだよな。いつか本物の顔を見る機会もあるんだろうか。そもそも顔という概念が触手にあるのかどうか。
俺はおおよそ満足したことを伝えて、深谷は触手をワサワサさせながら頷いた。
「どうですか。気持ち悪いと思いますか?」
平坦な声色だった。なんの感情も浮かんでいない顔をしているけど、俺はなんとなく今彼が何を恐れているか察してしまう。
気持ち悪いって言われたくないのか。
まぁそうだろう。幸いにして俺は今までの人生、自身を指して気持ち悪いと言われたことがなかったが、言われたら傷つくことくらい想像できる。
たとえどんなに自分の身なりや言動に原因があると自覚していても。
でもそんな言葉や態度を俺はずっと深谷に見せてきたわけで……もしかすると今こうして触手の結合をほどいて体を晒しているのも、深谷にとっては一世一代の覚悟の行為なのかもしれない。
いつもは鬱陶しいくらい絡んでくる触手が一本も伸ばされないのがその証拠のように思える。
「気持ち悪くはない。もう慣れた」
「慣れた? 本当ですか?」
「慣れるだろそりゃ。毎回コレで体中触られまくってるんだから」
先程まで手だった触手の束に指を絡めると、やんわりと手を握りあっているような形になった。
少し前の俺なら絶対にあり得ないと嫌がったであろう触れ方だけど、今はなんとも思わない。
それより問題なのは、この年下の同居人が俺の言葉に一喜一憂すると沸き起こる、奇妙な優越感と不思議な感情の方だった。
「それに、中身がおまえなら人外でもいいかって、ちょっと思い始めてる」
絡めたものごと手を引き寄せて、頬に当てた。
触手がびくりと震えて引っ込もうとするのを押さえる。俺の手と頬の間に挟まれた触手は緊張したように強張って、いつものように絡んできてくれない。
普段は妙に押しが強いのに、いざ俺が本気で嫌がったり、力任せに引き剥がせばすぐに身を引いてしまう男。
人外のくせに同人誌みたいな特殊なプレイをするでもなく、俺を怖がらせないようノーマルな行為だけで解放する。体位はいつも対面で、俺の快楽しか追求しない。
今だって、白日の元で触手姿を晒すのは嫌だろうに、俺のために触らせて。
外見はかわいさの欠片もない触手成人男性だが、仕草はかわいいと思わないこともない。俺を一心に慕ってくるのも悪くない。
「いくら腕力で敵わないったって、本気で嫌なら刃物持ち出すなり通報するなりしてる。……これ以上言わせる気かよ」
「───っ!」
触れ合わせた手にすり、と頬を擦り寄せると、感極まったように触手が襲いかかってきた。
人間の形のままの左腕と、触手の右腕。それに胴体を形作っていた触手も全部、正面から抱きついてくる。支えきれない重さに逆らうことなくベッドに背を沈めると、ぎゅうぎゅう抱き締められた。
「う゛っ……嬉しいです、新さん……」
「えっおまえ泣いてんの?」
「泣いてな゛いです」
俺を押し倒したまま上体を起こした深谷は首や肩を人間形態に戻しつつ、目元と鼻を赤くしつつ、確かに落涙してはいなかった。鼻はすすってるし目も潤んでるけど。
「なんか今、頚椎の下あたりがぎゅーってなって、すげー痛くて」
「それは……なんだ? 肩こりか?」
「心臓にあたる器官があるので、心臓病かもしれません……新さんどうしよう……」
そこはさっき、最初の触手が出ると聞いた場所だ。
触手の心臓、そんなところにあるのか。つくづく想像の上をいく生き物だ。
首を押さえて鼻を鳴らした深谷が実際に心臓病を発症するのかどうかはわからないが、俺はなんだか笑いが込み上げてきてしまった。
ロマンチックさはなかったが、こういうシチュエーションで胸が痛いといえばそれはもう。
「おまえホントに俺のこと好きなんだな」
「な、なんですか急に」
「俺の言葉で嬉しくなったんだろ? 嬉しい時って胸がいっぱいで、苦しくなるよな」
形を取り戻した肩を抱き寄せて、頭をさらさら撫でてやる。まだ僅かに湿っている黒髪はどこか爽やかでいい匂いがした。
俺が知っているこの男の過去は少ない。
どうも良い思い出がないようで、かろうじて都内の大学に通っていたとは聞いたことがあったが、それより昔のことはあまり話したくない様子だった。
深谷はどうがんばっても人間にはなれない。正体を隠していたとしても、明かしていたとしても、良い扱いはされなかったのだろう。
そんな彼が精一杯人間らしく生きられるよう心を砕いて、俺にだけ愛を囁いて、一方で嬉しいときの心の動きすら知らない。
かわいいと思ってしまうのも仕方ないじゃないか。
俺が深谷の行動や言葉に狼狽える度に歩み寄り、譲歩して、俺の気持ちを勝ち取ろうと苦心する度に少しずつ絆されていったのだろうと思う。
男相手に、とはもう思わなかった。そんなことを悩む場面はとうに過ぎている。
だけど自分から今の気持ちを告げるのは、ちょっと……いやかなり抵抗がある。
だからしばらくはこのまま、このかわいい男を悶々とさせておこう。
「なぁ……する?」
その代わり、精気供給だけは素直に応じてやるとするか。
俺から誘う言葉が意外だったか、深谷は目を見開いた。しかし驚きもそこそこに、触手が俺の上着をたくし上げてくる。
「明日まだ平日ですよ。いいんですか?」
今度は明確に笑ってしまった。
そんなギラギラした目で見つめながら、性急に服を脱がせながら言うことじゃない。
同意の意図を込めて、首に回した手のひらで覆いかぶさる男のうなじを撫で下ろした。そこから出ている触手がくすぐったそうに震えてうねる。
触手にとっても心臓は急所だろう。性感帯だったりするだろうか。人間だと急所に近いほど敏感だというし。
「今日はそういう気分。おまえがやりたくないならいいけど」
「したいです。24時間365日したいです」
「それはやめろ」
今日びコンビニだって働き方改革とかで終日営業を見直してるってのに、こっちは年中無休なのか。恐ろしや若者の性欲。いや触手だからか?
それほどまでに求められるのは、正直言って悪い気分じゃない。
しかし明日も仕事があることは事実なので、週末同様のドロドロに溶けそうな交合はキツい。たまに日曜の夕方くらいまで宜しくやったりすると、月曜は椅子に座り続けるのがマジでつらいのだ。
「明日のことも考えつつ、俺のこと大好きな深谷くんは、優しくシてくれるよな?」
「善処します」
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