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第六話 気になって顔を見られない!
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俺の膝の上には、何本か肉塊が乗っている。
そうとしか言い表せない物体だ。
人間の皮膚を纏った筋肉。骨はあるんだかないんだか。自在に動き、伸び縮みし、細いもの、極細のもの、反対にめちゃくちゃ太いものがある一方、先端が開いて口のように変形するものまで。
それらをウネウネとさせている根本の生物───深谷はそれらを「触腕」と称することがある。
俺は「触手」と呼んでいる。
腕というからには触脚もあるんだろうか。もしくは触肢とか呼ぶのか、それは虫か。触腕という言葉はイカの生態を説明するときしか聞いたことがない気がするが、俺の同居人はイカなのだろうか?
しかしヤツは、自身を動物にたとえられると妙に怒る。
口で文句を言うだけならいいが、手(触手)を出されると俺に勝ち目はないのであまり言わないようにしている。
つまり今の俺の膝の上には触腕だか触手だかが乗っていて、時折ひくついたり、本体の動きに従って引きずられたりする。ちなみに本体はテレビを見ている。
俺はそのうちの一本を持ち上げてみた。
「……」
思いのほかブヨブヨしたりはしていない。自分の腕と似たような感触だ。
少し握ってみる。人間の腕や足なら骨の感覚が伝わるものだが感じ取れない。もしくは骨を筋肉がきれいに万遍なく覆っているのか。
するりと手のひらを滑らせてみた。なめらかだ。毛穴は見当たらない。手の甲くらいの密度の肌理はある。シミもシワもない。
全体の構造は人体とは似ても似つかない。
円柱状になっていて、先端へ向けて緩やかに細くなっている。円錐形の部分は一部が平たくて、イカやタコの吸盤がないものとしか思えないのだが、それを言うと本体が怒るので以下略。
俺が触手の一本を鷲掴みにしてしげしげ眺めても、俺の背中を覆うように陣取っている深谷は特にアクションを起こさなかった。
大人しく触らせてくれている。
そういえば、俺から積極的に触手を触ったり持ち上げたりするのは初めてかもしれない。ふと後ろを振り返ると、すぐ近くに深谷の顔があった。
「ん」
特に逸らさずにいると唇が重なった。
表層を少し吸うような動きで口唇を食まれ、離れた。俺が顔を前に戻したのでそれ以上には発展しない。
体に巻き付いていた複数の触手がざわめいた気がするが無視だ。言いたいことがあるなら口で言え。
掴んだままの触手の先端を指でつついてみる。これはパカッと……いやニチャって感じの擬音が正しい、あの口が開く触手ではない。
普段の生活で深谷はこの、円錐状のノーマル触手しか出していないようだ。
あの口触手はあまり本数がないレアものらしい。手近なものを何本か掴んで先端をつついたが、該当の触手は見当たらなかった。
アレをまじまじと観察したことはないが、感覚としては歯のないパッ○ンフラワーが似てる。
歯の代わりに内側には襞がびっしり生えていて、真っ赤な肉感が艶めかしい。あの粘膜で乳首や陰茎に吸い付かれると衝撃的なほど気持ちよくて……いや、この方面で考えるのはやめよう。
深谷の触手は他にも、俺の小指くらいの細さのもの、綿棒の芯くらいの極細、反対に俺の手首くらい太いものまでバリエーションがある。基本的に全部が一同に会すことはない。
指の細さのものはわりとよく目にするし、本数も多い。
主に俺の口腔内を歯医者さん並に撫で擦ったり、あらぬところに複数潜り込んでは筋肉を解して柔らかくする役目を担っている。どこがどうなるのかは、ご想像にお任せする。
極細のものは、数日前に初めて見た。細くとも動きは自由自在で、もうちょっと色が黄色ければラーメンに激似だ。なんと俺の尿道に侵入できる。そんなところに入ってナニをされたかは、まぁ、語る必要はない。
本人曰く一本しか出せない極太触手は、ヤツの股間にある。
普段は本体の中に隠しているらしいそれは唯一の生殖器で、戦闘態勢に入ったときだけ現れる。俺たち人間の男のモノとは大違いの凶悪なブツで、もはや銃刀法違反ではないかと思うのだがヤツは一度も検挙されていない。
できるだけ余計な邪念を排除して深谷を検分していた俺はふと、以前から聞いてみたいと思っていた事柄を思い出した。
「そういえばおまえって、童貞?」
「ぐっ……ゲホゲホ」
どうやらヤツは器用に触手を伸ばしてマグを掴み、コーヒーを飲もうとしていたところらしい。液体が気管に入ったときのつらそうな咳が俺の肩口にあたる。
半身を捩って本体の背中をさすってやると、しばらくのちに咳は治まった。
そしてなぜか恨めしげな目で睨まれる。
「童貞じゃないです」
「え、マジ? あのデカブツを女の子に挿れたことあんの?」
「はぁ? あるわけないでしょ」
「?」
もしかして会話が噛み合ってないだろうか。もしくは童貞の意味を間違えて覚えているとか?
そういえばこいつ以前、俺以外には正体を明かしたことがないようなことを言っていなかったか。
あの凶器を少し縮めるよう要請したときも、ちょっとサイズダウンしたくらいで形は凶器のままだった(しかも後でナカで元に戻った)し、正体を明かさずにアレを誰かに挿入することは無理っぽい。
しばし思考して、結論に至り、俺は心の底から同情した。
「深谷……男のケツに突っ込んだって童貞卒業にはカウントできないぞ?」
お店の女の子しか相手にしたことがない男を素人童貞と呼ぶが、現状の深谷はそれ以下だ。男のアナルは性器じゃない。
あんまりにも俺が憐憫を含んだ表情をしたせいか、深谷は睨みをきつくして俺の体を触手で強く掴んできた。やめろ肋骨が折れそう。
「男とか女とか関係ありますか? 俺は一番好きな人を抱いたんです。新さんで脱童貞したんですよ」
「ぇ、あー……」
そっと顔を正面に戻す。
不意にそっち方面に話を持っていかれて、不覚にもちょっと照れてしまった。言葉を返す代わりに肋骨を締め付ける触手を撫でてやったら、力が抜けて元のやんわりとした拘束に戻った。
もう何回目になるだろうか、こいつが俺に愛を囁くのは。
俺は一度も返事していないのに、どちらかといえば断ってるのに、こいつはめげずに何度も口説いてくる。美形でも小さくも柔らかくもない、いい匂いもしない、年上の男の俺を。
この触手野郎は恐ろしいことに、生き物の生命エネルギー ───精気を吸って生きている。
深谷的に俺の精気はご馳走らしく、ルームシェアを始めてからというもの、すでに何度もあらゆる方法で精気を吸われた。
手段は主に性的な内容だが、今のように近くに座ったり、体を触れ合わせるだけでも多少摂取できるらしい。
これだけで済めば負担も少なくて良いと思っていたんだが……最悪なことに俺の体はこいつに作り変えられてしまい、ソロプレイでは性欲処理すら満足にできなくなってしまった。
俺は男なのに、アナルにこいつのデカいブツを含まなければイけなくて、泣く泣くセックスフレンドの立場を許した。
それが一週間前のこと。
深谷はセフレでは嫌だ、恋人になりたいなどと抜かしているが、俺は出会ったばかりの男と恋人になるのは考えられない。出会ったばかりの男とセフレになるのはいいのかと言えば、良くはないが、なんとか許容できる。
こいつも嫌がる割に俺の精気を諦めるつもりはなく、セフレになってから二回ヤった。男というものは触手生物であっても欲望には逆らえないものらしい。
ぐるぐる考えているうちに気づけばテレビ番組がひとつ終わっていた。
途中から見ていなかったからそれはどうでもいいけど、こういう区切りがあると、たぶんヤツが動き出す。
案の定、ソファの上で俺の椅子になっているという不思議な状態の触手たちが蠢いた。
服の上から腹を撫で、裾から中に侵入しようとしてくる。
「んっ……おい……」
「新さん、シてもいいですよね? 今日金曜だし、俺たちセフレなんだから」
「めちゃくちゃ不満そうじゃねーか……」
体ごと振り向いて深谷の膝の上に乗る。
子どものように口先をとがらせて、いかにも不貞腐れていますという顔をする年下の男に苦笑した。
セフレ扱いがよほど嫌なようだ。その態度とは裏腹に触手たちのエロい動きは止まらない。
「ベッド、行く」
「ん。運びますよ」
無数の触手が俺の体を抱え上げるのに任せて、深谷の首に腕を回した。
いい歳の男がお姫様抱っこされるってのはどうかと思うが、こいつに触られると腰が抜けそうになることも多いのでもう慣れてしまった。不可抗力だ。
平日に致すときはさすがに最後までしないが、今日は週末だ。明日の予定もない。
足腰立たなくなるまでヤられるかもしれない。
そう思うのになぜか背筋が震えて、体が勝手に期待し始めてしまう。
末期だ。破滅的だ。こいつは恋人でも伴侶でもないのに、こんな体にされて俺はこの先大丈夫なのだろうか。
渦巻く不安は重ねられた唇の甘さに溶け消えて、その夜ははもう快楽を追うだけになってしまった。
「んー……」
意識が浮上してぱちりと目が開き、何も見えなくて視線を巡らせる。
頬に当たる寝具の感覚が違う。ようやく暗闇に慣れた目で、ここが深谷の部屋だと知った。
あぁそうだ、深谷の部屋でヤったんだった。
リビングでなんとなくそういう雰囲気になって……ソファの裏手に位置する深谷の部屋に連れ込まれた。
ベッドに縺れ込んで、あとはいつもと同じ。
わけわかんないくらい気持ちよくて、何度も精気を吸われ何度もキスしたことは覚えてる。深谷が満足して、ドロドロになった体を引きずってシャワーだけ浴びて……なんでこっちに戻ってきたんだっけ俺。
疲れたせいか飛び飛びな記憶を追うと、寝間着をこの部屋で脱ぎ散らかしたまま浴室に行ってしまったせいだと思い出せた。
たった数歩離れているだけの自室に戻るのが億劫で、入れ違いに風呂場へ向かった部屋の主を待つことなく眠り込んでしまったんだった。
体をずらし布団をめくって確認したが、色んな体液で濡れたりガビガビしているシーツではなかった。さらさらで清潔な薄青のものが敷かれている。
こいつは本当にそういうところがマメで几帳面な男だ。
「……そんなやつが俺で童貞卒業か……」
別に自己評価が低いタイプではないのだが、つぶやいた字面が絶望的すぎて思わず同情してしまう。
流されてしまったとはいえ可哀想なことをした。
たとえ本人が望んだとはいえ、これほど出来の良い好青年の経験が若くもない男のキレイでもない肌にしかないというのはもはや損失だ。少子化を加速させてしまう。
いや、こいつは触手だから人類の少子化には関係ないか。
触手という異次元の不思議存在にすっかり慣らされてしまった。セックスまでしてるし当然といえば当然な意識の変化なのだが、ヤツが危険生物であるという前提を忘れ去ってしまうことは危うい。
今はイカやらタコやらイソギンチャクやらという無害な印象でしかないが、それがいつクラーケンやデイヴィ・ジョーンズや旧支配者になるかわからない。
(でもこうしてると、普通の人間の男にしか思えないんだよなぁ)
俺の方を向いて横臥して眠る深谷は少しだけあどけなく感じられる。
この顔すら作り物だと俺は知っているのだが、整った顔立ちは悪印象を抱きにくいし、やや鋭い眼光の一重の双眸もクールでかっこいいとか女の子にキャーキャー言われそうなもんだ。
そういう中から注意深く選べば一人くらい、本性を明かしても離れずに身を委ねてくれる女性がいそうなものだが。
でもなぁ、と思い直す。
問題はいざ良い雰囲気になったとき、女性が深谷の生殖器を見たら絶対に引いてしまうだろうという点だ。
なんせデカい、デカすぎる。アレが俺の尻に収納できるのは人体の奇跡だと思う。
(体は人間に擬態できるのに、アレは触手のまま変えられないらしいし……肝心なところで不便だ)
目が冴えてしまってすぐには二度寝できそうにない。体を起こして座り込み、隣の男を見下ろした。
横顔に落ちかかった髪を指先で除けてやると、閉じられた瞼がひくりと動く。起こしてしまったかと固まったが、瞼は開くことなく寝息が続いた。
シミもシワもほくろすらない綺麗な肌を撫で下ろしてみる。
これも人間らしく見せるための擬態なのか。結局まだ一度も髭を剃っている姿を見たことがない、やはり生えないのだろう。
俺は社会人の身だしなみとして毎日きっちり剃り上げているが、髪や眉なんかと違って髭は見るからに不要な毛だもんな。生えない方がラクでいい。替刃やシェービングクリームに煩わされずに済むのは羨ましい話だ。
そんなことを取り留めもなく思考していたら、無意識に深谷の頬を撫で回してしまっていた。
「ん」
「……あ」
まずい。さすがに起きるだろうか。
手触りがいいからと触りまくってしまったが、安眠妨害をしたかったわけじゃない。いくら相手がセフレとはいえ、そこは大事にしてやりたい。
俺は手を引っ込めようとして、何か不思議な感触を味わった。
なめらかなはずの肌のなにかに、指が引っかかったような。溝にでもはまったような。
(なんだ……?)
都会の分厚い空気の層を貫くことができる明るい星だけが瞬く夜空、それを薄いレースのカーテンで隔てた闇に沈む部屋。
目を覚ましそうで覚まさない男の頬に再び手を滑らせる。今度は慎重に、ゆっくりと。
それは耳の下、髪束を除けた場所にあった。
顎の骨が鋭角なラインを描いて上がってきたその頂点。肌がへこんで、人間の骨格にはない溝というか、隙間のようなものがある。
指先がそれを捕らえ、そっとなぞる。
「……え」
それは俺の指に引っかかって、「めくれた」。
「ーーッ!」
急いで手を引っ込め、咄嗟の割にうまく悲鳴を噛み殺し、足音を忍ばせてベッドから降りることができた。
そのまま静かに部屋を出て、音を立てずにドアを閉める。
ヨロヨロと自室に戻りベッドにダイブしてから、さっきの感触がまだ残る手を見た。
「ホラーかよ……!」
そうとしか言い表せない物体だ。
人間の皮膚を纏った筋肉。骨はあるんだかないんだか。自在に動き、伸び縮みし、細いもの、極細のもの、反対にめちゃくちゃ太いものがある一方、先端が開いて口のように変形するものまで。
それらをウネウネとさせている根本の生物───深谷はそれらを「触腕」と称することがある。
俺は「触手」と呼んでいる。
腕というからには触脚もあるんだろうか。もしくは触肢とか呼ぶのか、それは虫か。触腕という言葉はイカの生態を説明するときしか聞いたことがない気がするが、俺の同居人はイカなのだろうか?
しかしヤツは、自身を動物にたとえられると妙に怒る。
口で文句を言うだけならいいが、手(触手)を出されると俺に勝ち目はないのであまり言わないようにしている。
つまり今の俺の膝の上には触腕だか触手だかが乗っていて、時折ひくついたり、本体の動きに従って引きずられたりする。ちなみに本体はテレビを見ている。
俺はそのうちの一本を持ち上げてみた。
「……」
思いのほかブヨブヨしたりはしていない。自分の腕と似たような感触だ。
少し握ってみる。人間の腕や足なら骨の感覚が伝わるものだが感じ取れない。もしくは骨を筋肉がきれいに万遍なく覆っているのか。
するりと手のひらを滑らせてみた。なめらかだ。毛穴は見当たらない。手の甲くらいの密度の肌理はある。シミもシワもない。
全体の構造は人体とは似ても似つかない。
円柱状になっていて、先端へ向けて緩やかに細くなっている。円錐形の部分は一部が平たくて、イカやタコの吸盤がないものとしか思えないのだが、それを言うと本体が怒るので以下略。
俺が触手の一本を鷲掴みにしてしげしげ眺めても、俺の背中を覆うように陣取っている深谷は特にアクションを起こさなかった。
大人しく触らせてくれている。
そういえば、俺から積極的に触手を触ったり持ち上げたりするのは初めてかもしれない。ふと後ろを振り返ると、すぐ近くに深谷の顔があった。
「ん」
特に逸らさずにいると唇が重なった。
表層を少し吸うような動きで口唇を食まれ、離れた。俺が顔を前に戻したのでそれ以上には発展しない。
体に巻き付いていた複数の触手がざわめいた気がするが無視だ。言いたいことがあるなら口で言え。
掴んだままの触手の先端を指でつついてみる。これはパカッと……いやニチャって感じの擬音が正しい、あの口が開く触手ではない。
普段の生活で深谷はこの、円錐状のノーマル触手しか出していないようだ。
あの口触手はあまり本数がないレアものらしい。手近なものを何本か掴んで先端をつついたが、該当の触手は見当たらなかった。
アレをまじまじと観察したことはないが、感覚としては歯のないパッ○ンフラワーが似てる。
歯の代わりに内側には襞がびっしり生えていて、真っ赤な肉感が艶めかしい。あの粘膜で乳首や陰茎に吸い付かれると衝撃的なほど気持ちよくて……いや、この方面で考えるのはやめよう。
深谷の触手は他にも、俺の小指くらいの細さのもの、綿棒の芯くらいの極細、反対に俺の手首くらい太いものまでバリエーションがある。基本的に全部が一同に会すことはない。
指の細さのものはわりとよく目にするし、本数も多い。
主に俺の口腔内を歯医者さん並に撫で擦ったり、あらぬところに複数潜り込んでは筋肉を解して柔らかくする役目を担っている。どこがどうなるのかは、ご想像にお任せする。
極細のものは、数日前に初めて見た。細くとも動きは自由自在で、もうちょっと色が黄色ければラーメンに激似だ。なんと俺の尿道に侵入できる。そんなところに入ってナニをされたかは、まぁ、語る必要はない。
本人曰く一本しか出せない極太触手は、ヤツの股間にある。
普段は本体の中に隠しているらしいそれは唯一の生殖器で、戦闘態勢に入ったときだけ現れる。俺たち人間の男のモノとは大違いの凶悪なブツで、もはや銃刀法違反ではないかと思うのだがヤツは一度も検挙されていない。
できるだけ余計な邪念を排除して深谷を検分していた俺はふと、以前から聞いてみたいと思っていた事柄を思い出した。
「そういえばおまえって、童貞?」
「ぐっ……ゲホゲホ」
どうやらヤツは器用に触手を伸ばしてマグを掴み、コーヒーを飲もうとしていたところらしい。液体が気管に入ったときのつらそうな咳が俺の肩口にあたる。
半身を捩って本体の背中をさすってやると、しばらくのちに咳は治まった。
そしてなぜか恨めしげな目で睨まれる。
「童貞じゃないです」
「え、マジ? あのデカブツを女の子に挿れたことあんの?」
「はぁ? あるわけないでしょ」
「?」
もしかして会話が噛み合ってないだろうか。もしくは童貞の意味を間違えて覚えているとか?
そういえばこいつ以前、俺以外には正体を明かしたことがないようなことを言っていなかったか。
あの凶器を少し縮めるよう要請したときも、ちょっとサイズダウンしたくらいで形は凶器のままだった(しかも後でナカで元に戻った)し、正体を明かさずにアレを誰かに挿入することは無理っぽい。
しばし思考して、結論に至り、俺は心の底から同情した。
「深谷……男のケツに突っ込んだって童貞卒業にはカウントできないぞ?」
お店の女の子しか相手にしたことがない男を素人童貞と呼ぶが、現状の深谷はそれ以下だ。男のアナルは性器じゃない。
あんまりにも俺が憐憫を含んだ表情をしたせいか、深谷は睨みをきつくして俺の体を触手で強く掴んできた。やめろ肋骨が折れそう。
「男とか女とか関係ありますか? 俺は一番好きな人を抱いたんです。新さんで脱童貞したんですよ」
「ぇ、あー……」
そっと顔を正面に戻す。
不意にそっち方面に話を持っていかれて、不覚にもちょっと照れてしまった。言葉を返す代わりに肋骨を締め付ける触手を撫でてやったら、力が抜けて元のやんわりとした拘束に戻った。
もう何回目になるだろうか、こいつが俺に愛を囁くのは。
俺は一度も返事していないのに、どちらかといえば断ってるのに、こいつはめげずに何度も口説いてくる。美形でも小さくも柔らかくもない、いい匂いもしない、年上の男の俺を。
この触手野郎は恐ろしいことに、生き物の生命エネルギー ───精気を吸って生きている。
深谷的に俺の精気はご馳走らしく、ルームシェアを始めてからというもの、すでに何度もあらゆる方法で精気を吸われた。
手段は主に性的な内容だが、今のように近くに座ったり、体を触れ合わせるだけでも多少摂取できるらしい。
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俺は男なのに、アナルにこいつのデカいブツを含まなければイけなくて、泣く泣くセックスフレンドの立場を許した。
それが一週間前のこと。
深谷はセフレでは嫌だ、恋人になりたいなどと抜かしているが、俺は出会ったばかりの男と恋人になるのは考えられない。出会ったばかりの男とセフレになるのはいいのかと言えば、良くはないが、なんとか許容できる。
こいつも嫌がる割に俺の精気を諦めるつもりはなく、セフレになってから二回ヤった。男というものは触手生物であっても欲望には逆らえないものらしい。
ぐるぐる考えているうちに気づけばテレビ番組がひとつ終わっていた。
途中から見ていなかったからそれはどうでもいいけど、こういう区切りがあると、たぶんヤツが動き出す。
案の定、ソファの上で俺の椅子になっているという不思議な状態の触手たちが蠢いた。
服の上から腹を撫で、裾から中に侵入しようとしてくる。
「んっ……おい……」
「新さん、シてもいいですよね? 今日金曜だし、俺たちセフレなんだから」
「めちゃくちゃ不満そうじゃねーか……」
体ごと振り向いて深谷の膝の上に乗る。
子どものように口先をとがらせて、いかにも不貞腐れていますという顔をする年下の男に苦笑した。
セフレ扱いがよほど嫌なようだ。その態度とは裏腹に触手たちのエロい動きは止まらない。
「ベッド、行く」
「ん。運びますよ」
無数の触手が俺の体を抱え上げるのに任せて、深谷の首に腕を回した。
いい歳の男がお姫様抱っこされるってのはどうかと思うが、こいつに触られると腰が抜けそうになることも多いのでもう慣れてしまった。不可抗力だ。
平日に致すときはさすがに最後までしないが、今日は週末だ。明日の予定もない。
足腰立たなくなるまでヤられるかもしれない。
そう思うのになぜか背筋が震えて、体が勝手に期待し始めてしまう。
末期だ。破滅的だ。こいつは恋人でも伴侶でもないのに、こんな体にされて俺はこの先大丈夫なのだろうか。
渦巻く不安は重ねられた唇の甘さに溶け消えて、その夜ははもう快楽を追うだけになってしまった。
「んー……」
意識が浮上してぱちりと目が開き、何も見えなくて視線を巡らせる。
頬に当たる寝具の感覚が違う。ようやく暗闇に慣れた目で、ここが深谷の部屋だと知った。
あぁそうだ、深谷の部屋でヤったんだった。
リビングでなんとなくそういう雰囲気になって……ソファの裏手に位置する深谷の部屋に連れ込まれた。
ベッドに縺れ込んで、あとはいつもと同じ。
わけわかんないくらい気持ちよくて、何度も精気を吸われ何度もキスしたことは覚えてる。深谷が満足して、ドロドロになった体を引きずってシャワーだけ浴びて……なんでこっちに戻ってきたんだっけ俺。
疲れたせいか飛び飛びな記憶を追うと、寝間着をこの部屋で脱ぎ散らかしたまま浴室に行ってしまったせいだと思い出せた。
たった数歩離れているだけの自室に戻るのが億劫で、入れ違いに風呂場へ向かった部屋の主を待つことなく眠り込んでしまったんだった。
体をずらし布団をめくって確認したが、色んな体液で濡れたりガビガビしているシーツではなかった。さらさらで清潔な薄青のものが敷かれている。
こいつは本当にそういうところがマメで几帳面な男だ。
「……そんなやつが俺で童貞卒業か……」
別に自己評価が低いタイプではないのだが、つぶやいた字面が絶望的すぎて思わず同情してしまう。
流されてしまったとはいえ可哀想なことをした。
たとえ本人が望んだとはいえ、これほど出来の良い好青年の経験が若くもない男のキレイでもない肌にしかないというのはもはや損失だ。少子化を加速させてしまう。
いや、こいつは触手だから人類の少子化には関係ないか。
触手という異次元の不思議存在にすっかり慣らされてしまった。セックスまでしてるし当然といえば当然な意識の変化なのだが、ヤツが危険生物であるという前提を忘れ去ってしまうことは危うい。
今はイカやらタコやらイソギンチャクやらという無害な印象でしかないが、それがいつクラーケンやデイヴィ・ジョーンズや旧支配者になるかわからない。
(でもこうしてると、普通の人間の男にしか思えないんだよなぁ)
俺の方を向いて横臥して眠る深谷は少しだけあどけなく感じられる。
この顔すら作り物だと俺は知っているのだが、整った顔立ちは悪印象を抱きにくいし、やや鋭い眼光の一重の双眸もクールでかっこいいとか女の子にキャーキャー言われそうなもんだ。
そういう中から注意深く選べば一人くらい、本性を明かしても離れずに身を委ねてくれる女性がいそうなものだが。
でもなぁ、と思い直す。
問題はいざ良い雰囲気になったとき、女性が深谷の生殖器を見たら絶対に引いてしまうだろうという点だ。
なんせデカい、デカすぎる。アレが俺の尻に収納できるのは人体の奇跡だと思う。
(体は人間に擬態できるのに、アレは触手のまま変えられないらしいし……肝心なところで不便だ)
目が冴えてしまってすぐには二度寝できそうにない。体を起こして座り込み、隣の男を見下ろした。
横顔に落ちかかった髪を指先で除けてやると、閉じられた瞼がひくりと動く。起こしてしまったかと固まったが、瞼は開くことなく寝息が続いた。
シミもシワもほくろすらない綺麗な肌を撫で下ろしてみる。
これも人間らしく見せるための擬態なのか。結局まだ一度も髭を剃っている姿を見たことがない、やはり生えないのだろう。
俺は社会人の身だしなみとして毎日きっちり剃り上げているが、髪や眉なんかと違って髭は見るからに不要な毛だもんな。生えない方がラクでいい。替刃やシェービングクリームに煩わされずに済むのは羨ましい話だ。
そんなことを取り留めもなく思考していたら、無意識に深谷の頬を撫で回してしまっていた。
「ん」
「……あ」
まずい。さすがに起きるだろうか。
手触りがいいからと触りまくってしまったが、安眠妨害をしたかったわけじゃない。いくら相手がセフレとはいえ、そこは大事にしてやりたい。
俺は手を引っ込めようとして、何か不思議な感触を味わった。
なめらかなはずの肌のなにかに、指が引っかかったような。溝にでもはまったような。
(なんだ……?)
都会の分厚い空気の層を貫くことができる明るい星だけが瞬く夜空、それを薄いレースのカーテンで隔てた闇に沈む部屋。
目を覚ましそうで覚まさない男の頬に再び手を滑らせる。今度は慎重に、ゆっくりと。
それは耳の下、髪束を除けた場所にあった。
顎の骨が鋭角なラインを描いて上がってきたその頂点。肌がへこんで、人間の骨格にはない溝というか、隙間のようなものがある。
指先がそれを捕らえ、そっとなぞる。
「……え」
それは俺の指に引っかかって、「めくれた」。
「ーーッ!」
急いで手を引っ込め、咄嗟の割にうまく悲鳴を噛み殺し、足音を忍ばせてベッドから降りることができた。
そのまま静かに部屋を出て、音を立てずにドアを閉める。
ヨロヨロと自室に戻りベッドにダイブしてから、さっきの感触がまだ残る手を見た。
「ホラーかよ……!」
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