踊り子は二度逃げる

キザキ ケイ

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エンスラン

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 翌朝、俺たちは朝日と共に起き出して手早く身支度を済ませ、西行きを決めている商隊に交渉を試みていた。
 とにかく早く出発したかったから選択肢がなくて苦労した。
 相手は闇市の商人だけあって、俺たちのことを全く信用してくれなかった。
 自分の身は自分で守れることや、食料を持参すること、荷物や商人たちへ詮索を一切しないことを約束して、袖の下にいくらか包んでなんとか荷車の端に乗せてもらえることになった。
 近隣のオアシスに辿り着くために早速出発するというので、大急ぎで荷物をまとめて荷車に乗り込む。

「なんとかなったな」
「そうだね。あとは五日間くらい荷車に揺られていれば、エンスランの麓まで行けるはずだよ」

 蛇毒の谷を擁する岩山エンスランは、麓にいくつかの村が存在する。
 商隊が向かうのは、エンスランに点在する古代遺跡を発掘調査する学者が多く逗留するケジェ村だ。
 蛇毒の谷に至る道があるはずだが、当然そこまで行ってくれる商人はいないので、ケジェ村からは徒歩で移動となる。
 砂漠の徒歩移動は危険を伴うが、エンスランの険しい岩壁に沿って行けば日陰の中を移動できるはずなので、今ある装備でもなんとかなると踏んだ。
 山裾を大きく迂回する形になるが、それを超えればその先は蛇毒の谷が広がっているとされる。

 伝聞に次ぐ伝聞ばかりの知識に我が事ながら不安しかないが、こればかりはどうしようもない。
 エーベアルテにもっと詳しい話を聞いておけば良かったとも思うが、こっちは更にどうしようもないことだ。

「それとなく商人にも蛇毒の谷の話を振ってみたけど、踏み入ることは考えてもいないみたいだな」
「学者でさえ近寄らないっていうんだから相当だね……」

 乗り心地の悪い荷車に揺られながら、サミエルが身震いする。
 神になったとはいえ、エーベアルテお墨付きの「ほとんどただの人間」であるサミエルは、蛇の呪いだか毒の霧だかいう噂話を恐れている。
 そういえば昔から幽霊とかに弱いやつだった。それとは違うか?
 いざとなれば俺が守るつもりでいるが、エーベアルテがかの地で俺になにをさせたいかわからない以上、安易な慰めをかけることはできない。
 心配が杞憂に終わることを願うばかりだ。

 王都の外壁を出発してから、五日目の夜。
 俺たちは予定通り、エンスランの麓に広がるケジェ村に到着した。
 商隊の人間たちとは、旅の間に少し打ち解けることができた。何度か酒を振る舞われ、食事を共にした。
 どうやら俺たちを、闇市の商人を摘発する警備隊の間者だと疑っていたらしい。
 確かに若い男二人組、ヒョロくて二人共楽士というのはちょっと……いやかなり怪しい。
 素性を隠しているというところが嘘ではないのが心苦しかったが、罪滅ぼしも兼ねて一曲披露して、やっと信じてもらえたようだった。

「俺たちは三日間ケジェに滞在する。なにか売りたいものがあれば来てくれ」
「ありがとう! 復路も気をつけてな、元気で」
「お前らみたいな楽士がいると隊が華やいで楽しかったぜ。またな」

 商人の長と挨拶を交わし、村の入口で別れた。
 商隊は村の広場でさっそく買い付けをするらしいが、俺たちは明日からもまた移動だ。宿で休息を取らなくてはいけない。
 村に唯一という短期滞在者用の宿に一室を取り、簡単に身繕いしてさっさと寝入る。言わずもがなベッドは別だ。

「おやすみ、サミエル」
「おやすみ~……」

 よほど疲れていたのだろう、サミエルは旅装を脱ぎ落としただけで寝息を立て始めた。苦笑して毛布を肩まで掛けてやる。
 徒歩で砂漠を渡ることに比べたら段違いに楽とはいえ、五日間ほぼ野宿のような生活では当然体に負担がかかる。
 今日のサミエルは朝から疲れを隠すこともできなくなっていて、終始はらはらさせられた。

 これまでに何度も考えたことが再び頭の中を巡る。
 このまま彼を蛇毒の谷に連れていくのは危険なのではないか。彼のためにならないのではないかと。
 人間の体は脆い。
 簡単に傷つき、病気になり、死ぬ存在だ。所詮まがい物の体の俺とは違う。

 いつか、どこかの神が言った言葉がふいに思い出された。
 ────人間に入れ込んだってろくなことにならない。

 苦々しそうな顔で言ったあの神は、なにを司るものだったか。
 そんな言葉が出てくる時点で、あの神も人間に狂おしい想いを抱いていると白状しているも同然だった。
 人間に執着することはもはや俺の生き方みたいなものだし、大事な人を失うことは……今更だ。
 俺に同行する気しかないサミエルを何らかの方法で押さえつけ、置いて行っても、どうせ死ぬまで後悔する。誰も望んでいない道なら避けた方がいい。

 いや、そもそも失うどころか────得ることすらもうない。
 紗に囲まれた部屋で、朱が入り混じった金の瞳で熱く見つめられた記憶が蘇りそうになって、俺は慌ててベッドに潜り込んだ。

(忘れよう、忘れなきゃいけない)

 いつだって堂々巡りの思考は結局いつも同じ結論にたどり着く。
 とっくになくした人のことをいつまで引きずっているのか。
 余計なことを考えながら取り掛かっていい仕事じゃない。なにせ新月女神直々の依頼なのだから。
 それに今は、消えた誰かより今そばに居るもののことを考えなくては。
 高ぶる気をなんとか落ち着けて、隣の寝台でこちらを向いている穏やかな寝顔を眺めながら、明日のために短い睡眠を取った。

 どんなにくたくたに疲れていても、日の出とともに目が覚める長年の習慣は変わらないものらしい。
 サミエルは起き上がって両目を擦っているところだった。
 俺も腹筋に力を込めて勢いよく起き上がる。

「おはようサミエル」
「うわっびっくりした。おはよ、アリス」

 覗き込んだサミエルの顔色は、昨日よりましになっていた。
 彼の体調によっては出発を一日以上ずらす必要があるかと思っていたが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
 昨日放り出したままだった荷物や服を点検して、砂埃を落としたり不備がないか確認しながら、今日の予定を話し合う。

「朝飯を食べたら、宿屋の主人に蛇毒の谷への道の詳細を聞いて地図に書き込む。もしくは詳しいやつを紹介してもらう」
「道案内をしてもらうのは難しいだろうからね……」
「そうだな、それに村人を危険に晒すのも避けたい」
「行きがけに水と食料を補給したいね」
「宿屋の隣が食料品店だったように見えたから、覗いていこう」
「あとは?」
「あとはぶっつけ本番!」

 この村には早朝からやっている飯屋や屋台はなかったので、手持ちの食料をもそもそ食べる。荷物をまとめて部屋を出てもまだ日が上りきっていなかった。
 あくびを噛み殺しながら手続きしてくれる宿屋の主人に、蛇毒の谷への行き方を聞いたら、眠気が吹っ飛んだようで勢い込んで止められた。

「兄ちゃんたち本気か!? もしかして自殺志願者なのか?」
「いやいやいや、違いますよご主人」
「谷を遠くから見るだけでもいいんです」
「できれば入り口くらいまで行きたいんですけど……危険なら引き返しますから」
「うーん……」

 どうにか自殺志願者ではないと信じてもらうことに成功し、それでも宿屋の主人は浮かない顔のまま、地図に行き方を書き込んでくれた。
 どうやら岩山の合間に細い道がうねりながら続いていて、西へ西へと道なりに歩いていけば谷の入口に着くらしい。
 道は傾斜があるものの、それほど険しくはないとか。
 山登りの装備が必要か迷っていたからありがたい情報だった。

「やっぱり麓の村でも恐れられているんだな」
「そうみたいだね……」

 サミエルの顔色が悪いのは気のせいではないだろう。
 村に残るかと聞こうとして、思いとどまる。
 彼が行かないと言い出すまでは、こちらから言い募るのは彼の覚悟に対して失礼だ。

 荷物を背負い直し、地図と書き込みを頼りに道無き道を辿る。
 エンスランの領域に入ってはいるが、山登りというほどではなく、歩きやすくはないがそれなりに足場のある道だった。
 大きな落石などもなく、少し日が傾いたころ、俺たちはあっさりそこへ到達した。

 ゆるい傾斜を登りきった先に広がる、深い砂岩の渓谷。
 それは砂漠の大地に刻み込まれた亀裂のような光景だった。
 風雨によって削れたというよりは、元々大河であった場所から水がなくなった跡かもしれない。
 渓谷の両端は切り立った岩壁ではあるものの、崩れそうな気配はない。
 左右の幅は、村一つすっぽり入りそうなほどある。
 深さはここからでは判断できないが、底が見えないというほど深淵ではないようだ。ときおり日に照らされた大地が見える。
 右手の崖よりも左手の対岸はやや低くなっており、崖というほどの急斜面ではなかった。

「……行こう、アリス」
「その前に!」

 すぐにでも勇んで行こうとするサミエルの腕を取って引き止める。
 ここは「おう!」とか言って向かうところだろう、と咎めるようなサミエルの視線がものすごく能弁で、俺はちょっと笑いながらストールを外した。

「呪いは防げないかもしれないけど、毒ならこれで防げる。口元を覆うように巻いとけ」
「えっ、でもそうしたらアリスは?」
「言ったろ? 俺の体は人間とは違う。毒は効かない」

 サミエルの首に薄布を巻いてやる。
 どこからか発生している地下からのガスが渓谷に溜まり、風が吹かないので循環が起きず谷に下りたものはガスを吸い込んで死に至る……これが蛇毒と呼ばれているのではないか、というのが俺の推測だ。
 この大砂漠ではガスという存在は一般的ではなく、俺も温泉が盛んに沸く国で初めて知ったものだった。
 だから呪いだの毒霧だのと言われているのだろう、と。
 渡したストールには雲のかけらを含ませている。呼吸を妨げず、水蒸気が有害物質を防ぐ構造だ。
 砂塵やガスならこれでどうにかなる。万が一、怨念や幽霊の類が出てきてしまったら……一目散に逃げるしかないけど。

「よし、下りてみるぞ」
「……うん。ありがとうアリス」

 幽霊が出ないことを祈りながら、足場を慎重に見極めて岩山を下り始める。
 背負った袋の中には、エーベアルテから渡された紙束と石がしっかり仕舞われている。
 谷底になにがあるのか、それともなにもないのか。
 日は少し翳りを帯びて傾きを増していた。

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