みなしご白虎が獣人異世界でしあわせになるまで

キザキ ケイ

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第四章

64.魔女と白虎

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 呼ばれた気がして振り返る。
 何もいなかった。ただ鬱蒼と茂る木々と、連なる山々、そしてどこまでも広がる空しかない。
 しかしすぐに違和感に気づく。

(色が……違う?)

 美しい青のはずの空も、緑が茂る山の頂きも、白っぽくくすんで見える。
 それに遠くがぼやけて見えにくい。
 目がおかしくなってしまったのだろうか。
 顔を拭おうとして、獣型になっていることに気づく。いつの間にこの姿になったのだっけ。
 ふしぎに前足を見つめていると、前方に人影を見つけた。
 かろうじて服と呼べる程度のボロ布に、棒きれみたいな手足。濃い色の肌。
 振り向いた影────少女の青の瞳だけは、くっきりと鮮やかな色がわかる。

「……ラナ?」
「久しぶりね、あたしの友だち。ずいぶん大きくなっちゃって」

 こわごわ近寄ったタビトの額を遠慮なく撫で回すのは、どう見てもラナだった。
 記憶にあるとおりの外見に、片頬だけを上げる笑顔。

「ラナ! ほんものだ……!」
「そーだよ。実体はないけど、ここにいるのさ」
「ラナはあのとき……っ、ケガは? 痛いところはない?」

 彼女の体は、瞳以外は灰色のグラデーションに沈んでいたが、体のどこにも赤い染みは見当たらなかった。痛そうな様子もない。
 なだめるようにラナの細い指先が耳をくすぐるので、くすぐったさにタビトは思わず頭をぶるぶる振って、笑われた。

「はは、よしよし。今はもうどこも痛くないよ」
「ラナ、でもなんか色が変だよ。顔色が真っ白……いや、灰色だ」
「そりゃあんたの目だけさ。本来はそう見えていたんだろ。視力を補助する力が今は効いてないみたいだね」

 ラナはなんだかふしぎなことを言いながら、変な色の空を見上げる。
 本当に、記憶の中のそのままの姿だった。大きくなったのはタビトだけだ。
 どうしてこんなところにいるのだろう、お互いに。
 ふと、彼女は別れ際に背や腹を傷つけられていたことを思い出した。さっと血の気が引く。
 すんすんと匂いをかぎながら、服で隠れた箇所を確認しようとして、耳を引っ張られた。
 思わずぎゃっと悲鳴が漏れる。

「女の体に勝手に触るんじゃない。今はあたしのものなんだから」
「ごめん……今は、って?」
「この体はあんたにあげたのよ。わかるでしょ?」

 ラナ曰く。
 タビトが獣人たちと同じように人型を取れるのは、ラナの姿という手本があったから。
 ただ、型を見本にするだけだと「あの世界では」足りなかったので、体をまるごと「あげた」。
 ラナの肉体に含まれていた付加価値も一緒に譲渡され、それらは「魔素」という形で発現し、アルビノの身体的ハンディキャップを軽減させることができた。

 ラナの言葉はどこか独り言のようで理解できない部分が多かった。
 しかしタビトにとって重要なのは、かつても抱いた懸念が事実だったことだ。

「やっぱり、僕がラナの体をとっちゃったんだ……」

 耳としっぽをしゅんと垂らし、今にも泣きそうなタビトにラナは、げんこつを落とした。

「いたい」
「奪われちゃいないよ。あげたんだ」
「でも、でも……」
「あたしだけでは、あそこからどこにも行けそうになかった。『楽園』も夢のまた夢だった。でもタビト、あんたなら辿り着けそうだった。だからあたしは魂の力を使ってあんたを『楽園』へ行かせた。向こうの世界には『器』がもうひとつ必要だったから、体ごとあげた。わかった? あたしが、親切で、プレゼントしてあげたんだよ」

 かつて言われた、タビトの大事な主の言葉を思い出す。
 ────タビトはラナからもらっただけ。
 獣人にとっての人型は、親しいものからの贈り物。
 奪うのではなく、長く時間を共にし、気持ちを共有し、その結果分け与えられるものである、と。

「どのみちあのときあたしは死んだんだから、体をあげるなんてわけもない。それより、死ぬ前に魂の力を振り絞ったおかげで、こうしてあんたと『楽園』に来られた。あんな腐った世界で朽ちるよりずっといいよ」
「……っ、……」
「あーあー、結局泣くの? 我慢してたのに」

 あとからあとから流れてくる涙を止めるすべがない。
 タビトはぼたぼたと大地に雫を染み込ませるしかない。
 ラナは仕方なさそうに笑って、項垂れるタビトの白い毛を撫でた。

「でも『楽園』があんなに生きにくいとこだとは思わなかった。こっちの世界よりマシだけど、あんた何度もひどい目に遭ったね。つらいところを助けてあげられなくてごめん」
「ラナのせいじゃないよ……」
「今までのことだけじゃない。これからもあんたは生きてくんだから、つらいことがいくつもあるだろう。でもあんたは、あたしとあんたが夢見た『楽園』に生きてる。だから胸張って、全力で、せいいっぱい、楽しく生きなよ」

 わしわしと頬を撫でられ、目元をぐっと拭われる。
 何度も瞬いて晴らした視界で、ラナは、笑っていた。
 いつもの苦痛を堪えるような笑顔じゃない。
 目元が緩み、口端が両方ともくっきりと上がった、明るい笑み。

「らな、ラナ……あのとき、僕を守ってくれてありがとう……」
「タビトこそ、あたしの願いを叶えてくれてありがとね。だいすきだよ、あたしの友だち」
「ラナ、また会える?」
「いつだってあんたのそばにいるよ」

 ラナの姿ががぼやけ、世界が急速に遠のいていく。
 白く白く、消えていく。
 手を振るラナのとなりに、オレンジと黒縞の姿を見た気がした。
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