みなしご白虎が獣人異世界でしあわせになるまで

キザキ ケイ

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第三章

50.獅子虎相搏つ

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 あたたかい寝覚めだった。
 まるで陽だまりで丸くなったときのような心地よさ。
 タビトが目を開けると、目前には金色の壁があった。

「レグルス、帰ってきてたんだ」

 四つ足姿のタビトに巻き付くように眠っているライオン。
 手足や顔、胴の大部分はライオンらしい金毛だが、成長したレグルスの体は黒い毛の範囲が広かった。
 幼い頃より量が増え伸びたたてがみは、半分ほどが黒毛のようだ。
 いつか図鑑で見たライオンはこんな黒っぽくなかった気がする。
 そう思って、すぐに否定した。
 タビトのような白いトラも図鑑には載っていなかったのだった、それならレグルスだって同じだ。
 ふさふさした黒い毛を舐め整えてやっていると、レグルスも目を覚ました。

「おはようタビト」
「おはようレグルス」
「あー……タビトだ……」

 起き抜けの獅子が感極まった声でタビトの腹に顔を埋める。

「いっしょに起きるの、久しぶりだもんね」
「そうだよ。一人で寝るのがどんなにさみしかったか……」
「僕もさみしかったよ」
「っ、タビトぉ!」

 体当たりのように押し倒され、顔中ぺろぺろ舐められ、タビトは笑いながらレグルスのひげを舐め返す。
 その後も、嬉しそうに毛づくろいしてくれるレグルスを押しのけることができず、朝食を食べ損ね、部屋を出たのは始業前ぎりぎりの時間だった。
 レグルスは今日が登校初日。絶対に遅刻させられない。全力で走る。
 その甲斐あって、なんとか時間内に教室へ滑り込むことができた。
 リゲルやプロキオンなど馴染みの顔ぶれの間に、新しい机が運び込まれている。他の留学生たちはクラスがバラけたらしい。
 レグルスは「首都からの留学生」という簡単な紹介だけでクラスに加わった。
 朝の連絡が終わって教師が出ていくと、新しい机の周りにわっと級友たちが集まる。

「はじめまして、レグルスって呼んでいい?」「草原の王って副都の長官の家系だよな?」「このあとの実践戦闘で手合わせしてくれよ」「寮に住んでるの? なんで?」「髪さらふわ」「首都学園ってどんなとこ? 学食美味い?」

 質問攻めにされている。
 レグルスは眉尻を下げた珍しい困り顔をしていた。
 そんな彼らを遠巻きに眺めるタビトの肩に、リゲルが気安く腕を乗せる。

「いいのか? 助けなくて」
「大丈夫だよ。レグルスもきっとみんなと仲良くしたいはずだし」
「いやぁ、俺にはそんな博愛主義者には見えなかったが……まぁいいや。俺もあとで手合わせの申込みしよっかなぁ」
「おまえは先に俺様との手合わせだろう」

 今度はプロキオンが横に立つ。

「あのライオン、他のクラスに許嫁がいるそうだな。朝から噂になってたぞ」
「ブルーシアのことだね。詳しくはわからないけど、ナターシャもそうみたいだよ」
「はぁ……ライオンというのは好色家なのか? 学生の身分で二人もメスを侍らせるとは、爛れている」
「プー、モテないからってひがみは良くないぜ」
「俺様は僻んでなどいない!!」

 タビトを挟んでじゃれあう二人を眺めながら、思う。
 やる気のなさそうなナターシャはともかく、ブルーシアはレグルスを諦めないだろう。
 レグルスに立場があることは、この学校で社会の一端を学んだことでタビトにも理解できるようになった。
 立場があるものは、相応に義務を果たさなければならない。
 レグルスにとってそれが許嫁とツガイになることなのだろう。
 ブルーシアはタビトを嫌っている。
 きっとタビトはレグルスのプライドにはいられなくなる。
 二人きりの群れがなくなって、新しい家族を作るレグルスと、この先どんな関係を築いていけるのだろうか……。

 朝一番の授業は全員必修の言語学だ。
 リゲルがやたら苦手としている授業で、タビトは休み時間に少しだけ彼の予習復習を手伝った。
 プロキオンもリゲルの言語学のひどさを知っているので、からかったりせずに見守ってくれた。
 レグルスは依然として物めすらしげに取り囲まれたままだった。

 抜き打ちの小テストがあり、リゲルのメンタルが死にかけになった以外は順調に授業が終わり、二時間目は実践戦闘の授業。

「今日からは首都学園からの交換留学生が加わります」

 実技系の授業は、今後最上級生二クラスが合同授業という形になった。
 クラス分けの関係で留学生が分かれてしまったのを、なるべくセットにさせようという計らいらしい。

「先生、提案があるのですが」

 実践戦闘学の授業開始時、すっと手を上げたロスの提案に全員驚いた。
 彼は新一年生の「飛び級」を自分たちにも挑戦させてほしいと言い出したのだ。

「せっかく留学してきたのに、二年間の在籍実績がないからと基礎訓練で終わるのはあまりにも時間がもったいない。聞けば一年生は、上級生を倒せれば訓練免除になるとのこと。俺たちにもそれを試させてもらえませんか?」
「ふむ……きみはどう思いますか?」

 当然のようにタビトに水が向けられる。
 教師は思案気な顔こそしているものの、その目は楽しそうに細められているし、級友たちも期待のまなざしを向けてくる。
 断れる雰囲気じゃない。
 タビトは仕方なくジャケットを脱いで友人へ渡し、訓練場へ歩み出た。
 背後で交わされる小声の賭け事は聞こえなかったことにする。
 一方ロスは、代表者がタビトであることに驚いていた。

「えっ、戦うのってきみなのか。ってきみはたしか……」
「改めて、雪原トラのタビトです。実技一位の成績なので僕が対戦します。希望者はどうぞ」

 ロスは一歩下がった。オオアリクイがトラに勝てるビジョンなど見えるわけがない。
 代わりに飛び出したのはレグルスだった。

「なんでタビトが!? ケガしたらどうするんだよ!」
「なんでって、実技の成績が良いから……それにどっちにしろ授業中の手合わせで擦り傷切り傷くらいはいつもできるし」
「うぅ……そりゃ一年生なら勝てるかもしれないけど、俺たちは三年だし、こっちはライオンだ。タビトがケガしたら……」
「ではお相手いただこうかしら」

 レグルスを押しのけるように出てきたのはブルーシアだった。

「そこのトラに勝てたら基礎訓練はしなくていいのよね?」
「ブルーシアっ」
「レグルス様、戦わないのなら下がっていらして」

 このままではどちらにしろタビトは大型獣と戦うことになってしまう。
 好戦的なブルーシア相手では、傷つくのは避けられないだろう。
 レグルスは覚悟を決め、ジャケットと靴を脱ぎ捨て、さらにシャツとスラックスも放り出す。

「人型じゃ体格が違いすぎる。獣型で戦うよ」
「わかった。レグルスがそれでいいなら」

 レグルスはぱちりと目を瞬いた。
 いつも控えめなタビトにしては、自信に満ちた声。
 その理由はすぐに知れた。

 昨晩、寮の部屋でベッドに寝そべるタビトに寄り添って眠ったときに彼の大きく成長した獣姿を眺めた。
 しかしそれは、暗がりで眠っている姿でしかなかったと思い知る。

「レグルス、僕この二年間で、とっても大きくなったんだ」

 折れそうなほど華奢な腕脚が、獣毛に覆われていく。
 細く薄い胴は大樹のごとき太さに、訓練場の土を踏みしめる手はずっしりと重い。
 強靭な顎を支える頭骨は大きく厚く。美しく生え揃った白銀の毛並みに埋もれることなく輝く銀の双眸は、まさしく他者を喰らう捕食者の輝きを放っている。
 金毛がぶるりと震えた。
 一騎当千、単騎最強。
 トラという肉食獣がいかに普段息をひそめて慎ましく生きているのか、その恐怖を正面から受け止めた。

 レグルスとてライオンとしては最大級の大きさだ。
 頬の横から胸までを覆う黒のたてがみは強者の証であり、首都学園ではほとんど負けることはなかった。
 体格で勝る相手は元より、ライオンより大きな相手には知恵と力の使い方を工夫して勝利してきた。
 しかしこの、知己のトラには隙がない。
 ゆっくりと訓練場に円を描くように歩く。タビトも同じ動きをする。
 互いの力量や出方を窺って、機を見て飛びかかるつもりだった。
 他ならぬレグルスが戦い、押さえ込むことができれば、タビトを傷つけずに勝利できるのではないかと思っていた。
 レグルスが勝てば他の面々も納得して、それ以上の戦いは起こらないのではないかと。
 ────とんだ甘い考えだった。

「ごめん、タビト。手加減できないかもしれない」
「いいよ」

 間髪入れず返された言葉に背筋がぞくぞくと粟立つ。
 大切にくるんで、誰にも見せずに囲い込みたい、守るべき相手のはずだった。
 それが今では、ライオンすら喰らわんばかりの猛獣となってレグルスを睥睨している。緊張と興奮が綯い交ぜになって我を忘れそうだった。
 強者に出会ったときの高揚。
 今のレグルスとタビトには、それしかない。

「ぎゃおぅ!」

 後ろ脚が地面を蹴ったのはほぼ同時だった。
 空中でぶつかり合うように取っ組み合い、墜ちる。すぐに体勢を立て直し、相手の急所を狙う。
 危険なのは鋭い爪、大きな牙。
 狙うべきは首や腹、柔らかい皮膚の場所。
 相手の攻撃を防ぐことにも全力を注がなければ瞬時に押し負ける。

「ぐぉん!」
「ぎゃっ」

 口を大きく開けて牙同士が触れ合いそうなほど近づける。
 噛むのも噛まれるのも防ぐための行為だが、昨日はもっと優しく触れることができたのに。
 雑念が過った刹那、首筋に近い肩を爪が掠った。
 鋭いが小さな痛みだ。分厚い皮膚のおかげで血も出ないだろう。
 しかし相手は目に見えて動揺したようだ。
 レグルスを傷つけることなど想像もしたことがなかったのだろう。
 最強の大型肉食獣に成長したとしても、タビトの中身は優しいままだ。

「がぁっ!」

 攻撃をためらった瞬間を狙い飛びかかる。
 当然それだけの隙で倒せる相手ではない。しかしこれは模擬戦だ。命の奪い合いじゃない。勝ったように見えればそれで。
 その甘い考えこそが、レグルスの隙だった。
 タビトの銀の瞳が色を変える。
 じわりと、まるで血が滲むように薄紅に染まったのを、レグルスは至近距離で瞬きもできず見つめた。

(きれいだ)

 奪われたのは闘志か、心か。
 次に気づいたときには地に伏せていた。首根っこを押さえられ、レグルスは負けていた。
 疑いようのないほど何もかも負けだった。
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