みなしご白虎が獣人異世界でしあわせになるまで

キザキ ケイ

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第三章

44.ブランケットのレグルス

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 握られた手のことなど忘れて、タビトは駆け出した。
 今度は行き先を遮られることはなかった。
 広げられた腕の中へ躊躇なく飛び込む。勢いよく突っ込んだのに、よろけることもなく受け止めてくれた。

「あぁ、タビト、タビトだ……」
「レグルス……っ」

 隙間があるのがもどかしいとばかりに互いにぎゅうぎゅう抱き締め合い、匂いをかぎ、髪を撫でて、再会を喜び合う。
 すっかりフラれた後輩がそれをぽかんと見つめていた。
 ひとしきりタビトの存在を確認したレグルスは、タビトを抱きかかえたまま立ち尽くす男をちらりと見遣る。
 何気ない流し目だったが妙に迫力があって、後輩はびくりと肩を震わせた。

「『オレの』タビトに、まだなにか用?」

 哀れなクマはその一声で、短いしっぽを巻いて逃げるしかなかった。
 小柄なのに凛として、何にも寄りかかったりしそうになかった先輩が、他の男へ子ネコのようにすり寄って微笑む姿を見せつけられ、食い下がれるほど強くない。
 邪魔者が消え、レグルスは再びタビトの存在を堪能した。
 耳や尾にも触れ、前髪に頬を擦り付ける。

「ふは、くすぐったいよレグルス」

 負けじとタビトも手を伸ばす。
 丸い耳は記憶にあるより肉厚で大きくなっていた。
 ふにふに揉んでもはたかれないのが、拒絶されていない証のようで嬉しくなる。
 人型の髪は少し伸びていた。肩につかないくらいの長さで、額や頬に落ちかかる毛束が新鮮だ。つんと引っ張ると、黒と茶が複雑に入り混じった金毛がはらりとほどける。
 レグルスだと確信できるのに、よく見ると記憶の中の彼とはずいぶん違っていた。
 頬に丸みがない。精悍な顔立ち、獅子らしい太い鼻筋。口元をむにむにと指の腹で揉むと、鋭い牙が見え隠れする。金のまつ毛で縁取られたオレンジ色の虹彩、中心の丸い瞳孔が収縮するのが観察できるくらいの距離で見つめ合う。

 レグルスもタビトをつぶさに観察していた。
 亡くなったものの姿をもらった影響か、タビトの人型は驚くほど成長していなかった。
 レグルスの身長は一般的なライオン獣人の平均通りにすくすく成長したせいで、余計にタビトが小さく見える。
 髪の色と同じ真っ白の耳は成長しているようだったが、頬の丸みもぱっちりと大きな双眸も可愛らしさとあどけなさが先立って、幼い。
 元となったものが女性だったせいで手足が細長く、騎士学校なんてものに通っているはずなのに薄っすらとしか筋肉がついていない。首も腰も、容易く折れそうなほど細い。
 その上、訓練で邪魔にならないよう括れる長さまで髪を伸ばしたせいで余計に可憐な雰囲気が増していて、再会の喜びもそこそこにレグルスは心配になってしまった。

「タビト……こんなにかわいくて大丈夫だった? 襲われてない?」
「え、何に? ここには野生の肉食獣とか出ないよ」
「そうじゃなくて、獣人のオスとか……さっきも変なのに迫られてたよね? ああいうのよくあるの?」

 男らしい眉を下げてオロオロするレグルスは、さっき後輩のクマ獣人を追い払ったときの精強な雰囲気とは真逆の情けない表情で、タビトは思わず笑ってしまった。
 あまりの危機感のなさに「笑い事じゃない!」と頬をつねられても、笑みを引っ込められない。

「だってレグルス、アルシャウみたいなこと言うんだもん」
「げぇ、やめてよアイツみたいだなんて」
「ふふ。今までに何度かああして絡まれたこともあったけど」
「やっぱりあるんだ!」
「大丈夫だよ、僕強くなったから」

 何を勘違いするのか、タビトに迫ってくるものは何人かいた。
 実力を侮られたり、御しやすいように見られたり。惚れただの恋しただのと、よく知りもしない相手に不思議なことを言う手合いはいた。
 しかしタビトはそれらすべてを退けてきた。
 きちんと言葉でお断りして、暴力で言うことを聞かせようとするものには、それ以上の力を持ってねじ伏せる。
 リゲルやプロキオンの助けを借りたこともあるが、しつこく近づいてくるものは次第に減っていって、最高学年になった今はゼロだった。
 無謀な後輩くんは、久しぶりの挑戦者だった。
 自分でどうにかできるとはいえ、しつこく絡まれなくて良かったとは思っている。

 仲のいい友人のことを思い浮かべたからか、タイミングよくその二人が姿を現した。
 訓練で流した汗を拭いながら二つ足で歩いてきたリゲルがぎょっとして立ち止まり、横のプロキオンも視線の先を追って固まる。

「た……タビト? もしかして拘束されてる? 助けが必要?」

 見たことのないデカい獅子に抱き締められている友人に勘違いしたリゲルが、すぐさま臨戦態勢に入る。
 今にも上着を脱ぎ捨てて獣化しそうな空気に、タビトはレグルスの腕を叩いてハグを解かせた。

「大丈夫、心配してくれてありがとうリゲル。紹介するよ、彼はレグルス。首都学園の学生だよ。レグルス、彼らは僕の友だちで、背の高いヒョウの方がリゲル、オオカミがプロキオン」
「レグルス? これが……?」

 ざわざわと逆立ちかけていた毛がすとんと落ち着き、リゲルはぽかんとレグルスを見上げた。プロキオンも似たような顔をしている。
 幻でも見たような表情をされる心当たりがなく、レグルスは戸惑う。
 とりあえず礼儀として手を差し出した。

「草原の王の子、レグルスだ。きみたちの話はタビトから聞いてるよ、いつもタビトと仲良くしてくれてありがとう」

 言ってから、自分でも「タビトの養父アルシャウっぽいことを言ってしまった」と思ったレグルスだったが、挨拶した途端に思いがけず強い力で握手されてさらに困惑した。

「はじめましてっ、俺は雪山のリゲル! まさか『ブランケット・レグルス』の実物に会えるなんて!」
「雪原のプロキオンだ。まさか『ブランケット・レグルス』のモデルが実在していたとは……俺様も驚いている」
「ブランケット……?」

 振り返ると、タビトが恥ずかしそうにもじもじとしていた。
 タビトは入学当初から、とても大事な獣人がいると言って憚らなかった。
 つまり離れた場所に恋人がいるのだろうと周囲は解釈して、どんな獣人なのか話を聞きたがった。
 そこに出されたのが、やや使い古されたブランケット。
 頬を染めて照れながら「これ、レグルス」と紹介された友人たちは、顔中に疑問符を浮かべながらもブランケットに挨拶をした。タビトがブランケットを大事にしていることは紛れもない事実だったからだ。
 以降、そのブランケットは「ブランケット・レグルス」と呼ばれ、間違ってもタビト以外が触ることのないように配慮されているという。

「あ、あの頃はなんていうか、緊張してて言葉がおぼつかなくて」

 タビトとしては、レグルスの代わりのように大切にしているものだと紹介したつもりだったのだが、慣れない環境のために言葉足らずになった出来事が独り歩きしている状態だった。今更ながら恥ずかしい。
 レグルスの方も、タビトが学校へ旅立ったあの日、馬車に走って追い縋り渡したブランケットのことだと悟った。
 己の分身のように思ってほしいと渡したものがまだ大切にされていると知り、嬉しいやら照れるやらで表情を取り繕えない。妙にそわそわしてしまう。

「ところで、首都学園の生徒がどうしてここに?」

 プロキオンの訝しげな問いに、タビトはハッとした。

「そうだよレグルス、首都の学校に行ったら三年間は会うこともできないんじゃなかったの?」
「抜け出してきたわけじゃないよ。俺は兵学科の交換留学生だ」
「交換留学生……?」

 レグルスの通う首都学園は騎士学校と提携している。
 特定の学科の成績上位者は三年生の前半に、小規模ながら交換留学を行っているという。
 レグルスたち首都学園側の交換留学生と入れ替わりに首都学園へ旅立った生徒たちの名前に、タビトたちは納得した。成績の良い同級生ばかりだ。

「首都学園の兵学科、しかも成績優秀となれば、将官候補か。今のうちに顔を売っておこう」
「プー、そんな露骨な」

 やや浮かれた様子でなにくれと話しかけるリゲルとプロキオンに、タビトは並ぶ気になれなかった。
 あと一年会えないはずだった恋しい相手が、今目の前にいる。
 触れられたから幻ではない。
 今更ながら、なんだか恥ずかしくなってきた。
 訓練を終えたままの格好だから汗をかいているし、さっきは変な場面を見られてしまったし。身長はあまり伸びなかったけど、大きくなったのは事実だし、あの頃とずいぶん変わってしまっただろう。
 変に思われていないだろうか。
 隠せるはずもないのに前髪を引っ張って顔を隠す。
 そんなタビトに助け舟を出したのは友人たちだった。

「タビト、久しぶりに会う友とつもる話もあるだろう。部屋に案内してやればどうだ?」
「そうそう、次の授業の先生には俺たちから上手く言っとくからさ」
「あっ……そうだ、授業!」

 タビトは教室に向かうところだったのだ。それを後輩に引き止められ、さらには予想外のレグルスとの再会に浮かれきって、次の授業のことをすっかり忘れていた。
 顔色を悪くするタビトに、友人たちが慌てて言い募る。

「新年度の初授業なんて大したことやらないから大丈夫だよ。俺たちが代わりにしっかり聴いとくから」
「授業の遅れはいつでも取り戻せるが、彼をお連れするのは知人であるタビトにしかできないことだろう。授業ノートは俺様に任せろ」
「……ごめん。ありがと、二人とも」

 彼らの提案を突っぱねて授業に出ることは簡単だった。
 でも絶対に、授業には集中できない。レグルスのことを気にかけたまま勉学に身が入るわけがない。

「レグルス、こっち」

 結局タビトは授業を諦めた。
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